ninchisho-yui-logo
menu

メニュー

clear ninchisho-yui-logo

「認知症の教室(専門職用)」で記事を検索しました。

ブログ投稿画像

2022.08.23

認知症の教室(専門職用)
グーグルレンズでもわからないことがある 先日「しつらえ」のことを少し書きました。 その続きのようなものになります。 「しつらえ」を行おうとしたら、何故それが必要なのかという根拠から考え、 どのように実施するのか、それがどのような効果につながるのかなど、 考えていかなければならないことがたくさん出てきます。 ところが今は考えなくてもすぐに答えを出してくれるものが色々と出てきました。 子どもたちでも使っているのが、グーグルレンズです。 これを使えば、計算も翻訳もわからない言葉も一瞬で答えを出してくれます。 算数の宿題もグーグルレンズが簡単に答えてくれます。 だから頭の中で計算しなくてもよいのです。 今でも「しつらえとは何か?」とグーグルに聞けば、簡単に答えてくれます。 恐らく、「認知症の人への対応は?」と聞けば、 教科書的答えが返ってくるでしょう。 ところが人の心というものはそう簡単に理解できるものではありません。 教科書的対応で上手くいくとは限らないのです。 一人一人違う思いや感覚。 グーグルレンズでは測れない領域ですね。 みんなスマホに熱中 一緒にいてもコミュニケーションなし   認知症ケアはその多くがAIでは測れない領域に関わるものです。 便利さを共有することで効率化を図ることも大切です。 今やそれを行わなければならない時代でしょう。 しかし便利さに溺れてしまうと、大切なものを失ってしまいます。 人の心を理解するということ。 安曇野 黒澤明監督「夢」のロケ現場でもあります。   私たちは科学的なものを開発理解していくだけでなく、 それはヒントとして活用しながらも、 1+1では測れないものを理解していくこと。 認知症ケアは多分にそのようなものと言えるでしょう。 「しつらえ」も、感じ、考えるところから始まります。
ブログ投稿画像

2022.08.20

認知症の教室(専門職用)
しつらえについて しつらえって何? わからないですよね? しかし、高齢者施設においてはとても大切なものなのです。 簡単に言えば、心地よい生活環境を設えて(しつらえて)行くということになります。 島之内前の花壇のお花です。   かつて私が働いていた施設には、豊富なほど、観葉植物がそこら中に設置されていました。 認知症の人がおられてでもです。 そこで仕事をしていたので、緑があるのは当たり前だと私は思っていたのです。 ある日別の施設に見学に行ったとき、なにか違和感を感じたのです。 それは観葉植物一つない何か心が潤わない施設環境だったということなのです。 たかが観葉植物一つでなんて思わないでください。 そのたかが一つの観葉植物が、部屋の雰囲気をがらりと変えるのです。 或いは最近は心身の状況が重度の人ばかりで、心地よい生活空間を整えても、 本人にはわからない(わかるはずもない)とも思う人もいるのかもしれません。 それは、とんでもない職員側のおごりだと言えます。 寝たきりの人は何もわかってない? それは私たちの勝手な思い込みです。 私たちがそう思っているだけで、ご本人には周囲の状況がはっきりとわかっているのです。 寝たきりの人だからこそ、なおさら環境が必要なのです。 見えているもの、聞こえているもの、香り、触れる感覚等、そして自分の状態(身だしなみも含めて)…  それを表現できないだけで、どんなに脳が萎縮しても、感覚は生きているのです。 (実際私はそのような方に出会いました。) 自分が住みたくない環境に、認知症だから理解力がない(と、勝手に思い込んでいる)人ならばかまわないというのは、 人としてどうなのか?とも言えるのです。   (つづく)
ブログ投稿画像

2022.08.15

認知症の教室(専門職用)
終戦の日に想う 戦争があったことそのものが忘れられようとしている昨今 戦争実体験者も今は数少なくなりました。 7~8年前までは、地域の高齢者を訪問する中で、多くの戦争体験を聴けたものです。 しかし実体験を語れる人も少なくなり、人々の心からも忘れ去られようとしています。 今日に至るまで、戦争は悲惨、悲しみ苦しみしかもたらさないと、言い続けていながらも、 今もって戦争は起きています。 民衆の地獄よりも、国家の(一部指導者の)権威が常日頃優先される、懲りない人類です。 しかし、確かに戦争によって、多くの幼い命が奪われたのは事実。 その事実を忘れることは決してできません。 淀川区十三にある北野高校に保存されている、米軍戦闘機による機銃掃射による弾痕   当時も認知症の人はおられたはずですが、 実際どのように過ごしていたのでしょうか。 多くの高齢者の方との話の中にも、当時の認知症の人の話は出てきませんでした。 戦争という過酷な状況の中で、認知症の人はどのように生きてこられたのか… 今となっては聴き取りできる人も少なくなりました。 もっと早くから調査をすべきだったと思いますが、 想像するに、病院が姨捨山のような存在になっていたのかもしれません。 当時、女、子供関係なく機銃掃射を受けた。戦争の事実が残る貴重な場所です。   戦争の経験だけでなく、認知症の人の状況も 「忘れ去られる日々」であってはならないと思うのです。
ブログ投稿画像

2022.08.04

認知症の教室(専門職用)
認知症のことで知ってほしい5つのこと(5)「なんでも認知症のせいにしないでほしい」 随分間隔があいてしまいましたが、今回も若年性認知症と診断された、 丹野智文さんと下坂厚さんが共同で作成された「認知症のことで知ってほしい5つのこと」から紹介したいと思います。 その5回目、最終回です。 私たち人間は、感情の生き物です。 怒ったり、笑ったり、泣いたり、落ち込んだり、 或いは何かをしたい行動も感情がベースになっています。 私たちの行動(姿)は、感情そのものともいえます。 当然、認知症の人もそれは同じです。 私たちと何ら変わらない、同じ人なのですから。 ところが認知症と診断されただけで、その人の行動の全てが「認知症のせい」になってしまうのです。 そしてその行動には、問題行動という、私たち側から見た「困った行動チェック」が入ります。 冊子の文面を借りれば、 お風呂を嫌がれば「入浴拒否」、一人で外出しようとすれば「徘徊」、 怒れば「暴言」、気持ち悪くておむつの中を触れれば「不潔行為」等… 「認知症の問題ある行動を取る人」というレッテルを貼ってしまうのです。 その行動には、様々な感情が揺れ動いていること。 それを理解し、突き詰めることが必要です。 しかし、認知症の人にそのようなレッテルを貼ってしまう私たちはどうでしょうか? 例えば職員関係、色々な状況での人間関係…  これらの中の方が、よほど困った行動の人が多いのではないでしょうか?
ブログ投稿画像

2022.08.01

認知症の教室(専門職用)
高齢者こそ、外出すべき!なのですが… 大阪府では、高齢者は不要不急な外出を控えよと言うお達しが出ました。 コロナ感染による重症化を防ぐということからです。 不要な行動とは、今すぐいかなくてもいいのなら、行くなということですね。 確かに高齢者が出ていくと感染のリスクは高まり、重症化する人が増えるので それを阻止したいということですね。 しかし、あまりにも上段的に言われると、 「高齢者は街をうろつくなと言われてるのに、なんでうろうろしてるねん!」なんて言われかねません。 何よりも、高齢者の家への引きこもりは、二次災害というか、心身の著しい低下をもたらします。 歩かないと、高齢者の筋肉は若者よりはるかに早く、一気にその能力を奪われます。 散歩や日常生活上必要なものの買い物は構わないとのことですが、 人間は散歩だけで心を満たすものではありません。 私たちが取り組んでいる地域活動の中には、大切な人と人との交流、心身機能の維持向上があります。 そのような活動にも自粛モードが出てくると、心の機能も衰え、認知症が忍び寄ってくるのです。 ですから、高齢者だからこそ、外に出て、様々な刺激を受けなければならないのです。 例えば、「吉本新喜劇を見て大いに笑いたい!そのために難波に出たい!」 そのような思いも奪い取られると、ボディブローのように要介護者がそのうちに増えてくるでしょう。 「高齢者こそ外に出るべき!」 なのですが…  そこにもう一つの大敵、熱中症が待ち構えています。 この暑さが、お出掛けを妨げます。 まるで高齢者であってもサバイバル生活をやっているような状況ですね。 しかし、24時間のうちには高齢者に味方の時間帯もあります。 夜明け前、朝陽が昇るころ、お店は開いてないけど、街を大いに闊歩できる時間です。 そして、暮れなずむ時間。物価高だけど、お出掛け我慢の分、 そんな自分へのご褒美で、少し美味しいものでも買いましょう。 とにかく高齢者であっても、コロナと熱中症というサバイバルな状況の中、 一生懸命自分の心身の維持について、積極的に取り組んでいくこと。負けてたまるか!ですね。でも、「吉本行って大いに笑い、551の豚まんをお土産に買って帰る。」そんな自由までも奪ってほしくないですね。 私たちの行動に、不要な行動なんてないのです。 コロナも熱中症も、これ以上の狼藉は、私が許しません!
ブログ投稿画像

2022.07.26

認知症の教室(専門職用)
若年認知症啓発セミナーに参加しました センター長の石川です 「若年認知症の最大の課題とは」というテーマで、 全国若年認知症家族会・支援者連絡協議会会長である宮永和夫先生のお話を聞いてきました。 現在、若年性認知症の方は日本で約3万6千人おられるとのこと。 この数字を多いと取るか少ないと取るかは別にして、 必ずおられるし、身近におられる可能性ありともいえます。 若年性認知症の方の場合、高齢の認知症の方以上に様々な課題が生じてしまいます。 一番大きな問題は家族としての財政崩壊を招くということでしょうか。 ご本人の就労支援もさることながら、家族単位のサポートが必要になってくると言えるでしょう。   残念ながら私たち介護保険制度の下で働く、ケアマネジャーや地域包括支援センターなど、 さらにケア実践の現場で働く者にとって、若年性認知症の方への関わり方へのノウハウは、まだまだ浅いといえます。 私たちの課題ともいえるでしょう。 来年3月19日、「全国若年認知症大会」が東大阪市で開催されます。 全国大会の情報については順次お知らせします。 これを機にぜひとも若年認知症の方、並びにその家族への関わり方について視点を深めていただければと思います。
ブログ投稿画像 先日「しつらえ」のことを少し書きました。 その続きのようなものになります。 「しつらえ」を行おうとしたら、何故それが必要なのかという根拠から考え、 どのように実施するのか、それがどのような効果につながるのかなど、 考えていかなければならないことがたくさん出てきます。 ところが今は考えなくてもすぐに答えを出してくれるものが色々と出てきました。 子どもたちでも使っているのが、グーグルレンズです。 これを使えば、計算も翻訳もわからない言葉も一瞬で答えを出してくれます。 算数の宿題もグーグルレンズが簡単に答えてくれます。 だから頭の中で計算しなくてもよいのです。 今でも「しつらえとは何か?」とグーグルに聞けば、簡単に答えてくれます。 恐らく、「認知症の人への対応は?」と聞けば、 教科書的答えが返ってくるでしょう。 ところが人の心というものはそう簡単に理解できるものではありません。 教科書的対応で上手くいくとは限らないのです。 一人一人違う思いや感覚。 グーグルレンズでは測れない領域ですね。 [caption id="attachment_3955" align="alignnone" width="500"] みんなスマホに熱中 一緒にいてもコミュニケーションなし[/caption]   認知症ケアはその多くがAIでは測れない領域に関わるものです。 便利さを共有することで効率化を図ることも大切です。 今やそれを行わなければならない時代でしょう。 しかし便利さに溺れてしまうと、大切なものを失ってしまいます。 人の心を理解するということ。 [caption id="attachment_3957" align="alignnone" width="2048"] 安曇野 黒澤明監督「夢」のロケ現場でもあります。[/caption]   私たちは科学的なものを開発理解していくだけでなく、 それはヒントとして活用しながらも、 1+1では測れないものを理解していくこと。 認知症ケアは多分にそのようなものと言えるでしょう。 「しつらえ」も、感じ、考えるところから始まります。
ブログ投稿画像 しつらえって何? わからないですよね? しかし、高齢者施設においてはとても大切なものなのです。 簡単に言えば、心地よい生活環境を設えて(しつらえて)行くということになります。 [caption id="attachment_3705" align="alignnone" width="2560"] 島之内前の花壇のお花です。[/caption]   かつて私が働いていた施設には、豊富なほど、観葉植物がそこら中に設置されていました。 認知症の人がおられてでもです。 そこで仕事をしていたので、緑があるのは当たり前だと私は思っていたのです。 ある日別の施設に見学に行ったとき、なにか違和感を感じたのです。 それは観葉植物一つない何か心が潤わない施設環境だったということなのです。 たかが観葉植物一つでなんて思わないでください。 そのたかが一つの観葉植物が、部屋の雰囲気をがらりと変えるのです。 或いは最近は心身の状況が重度の人ばかりで、心地よい生活空間を整えても、 本人にはわからない(わかるはずもない)とも思う人もいるのかもしれません。 それは、とんでもない職員側のおごりだと言えます。 寝たきりの人は何もわかってない? それは私たちの勝手な思い込みです。 私たちがそう思っているだけで、ご本人には周囲の状況がはっきりとわかっているのです。 寝たきりの人だからこそ、なおさら環境が必要なのです。 見えているもの、聞こえているもの、香り、触れる感覚等、そして自分の状態(身だしなみも含めて)…  それを表現できないだけで、どんなに脳が萎縮しても、感覚は生きているのです。 (実際私はそのような方に出会いました。) 自分が住みたくない環境に、認知症だから理解力がない(と、勝手に思い込んでいる)人ならばかまわないというのは、 人としてどうなのか?とも言えるのです。   (つづく)
ブログ投稿画像 戦争があったことそのものが忘れられようとしている昨今 戦争実体験者も今は数少なくなりました。 7~8年前までは、地域の高齢者を訪問する中で、多くの戦争体験を聴けたものです。 しかし実体験を語れる人も少なくなり、人々の心からも忘れ去られようとしています。 今日に至るまで、戦争は悲惨、悲しみ苦しみしかもたらさないと、言い続けていながらも、 今もって戦争は起きています。 民衆の地獄よりも、国家の(一部指導者の)権威が常日頃優先される、懲りない人類です。 しかし、確かに戦争によって、多くの幼い命が奪われたのは事実。 その事実を忘れることは決してできません。 [caption id="attachment_3937" align="alignnone" width="1600"] 淀川区十三にある北野高校に保存されている、米軍戦闘機による機銃掃射による弾痕[/caption]   当時も認知症の人はおられたはずですが、 実際どのように過ごしていたのでしょうか。 多くの高齢者の方との話の中にも、当時の認知症の人の話は出てきませんでした。 戦争という過酷な状況の中で、認知症の人はどのように生きてこられたのか… 今となっては聴き取りできる人も少なくなりました。 もっと早くから調査をすべきだったと思いますが、 想像するに、病院が姨捨山のような存在になっていたのかもしれません。 [caption id="attachment_3938" align="alignnone" width="960"] 当時、女、子供関係なく機銃掃射を受けた。戦争の事実が残る貴重な場所です。[/caption]   戦争の経験だけでなく、認知症の人の状況も 「忘れ去られる日々」であってはならないと思うのです。
ブログ投稿画像 随分間隔があいてしまいましたが、今回も若年性認知症と診断された、 丹野智文さんと下坂厚さんが共同で作成された「認知症のことで知ってほしい5つのこと」から紹介したいと思います。 その5回目、最終回です。 私たち人間は、感情の生き物です。 怒ったり、笑ったり、泣いたり、落ち込んだり、 或いは何かをしたい行動も感情がベースになっています。 私たちの行動(姿)は、感情そのものともいえます。 当然、認知症の人もそれは同じです。 私たちと何ら変わらない、同じ人なのですから。 ところが認知症と診断されただけで、その人の行動の全てが「認知症のせい」になってしまうのです。 そしてその行動には、問題行動という、私たち側から見た「困った行動チェック」が入ります。 冊子の文面を借りれば、 お風呂を嫌がれば「入浴拒否」、一人で外出しようとすれば「徘徊」、 怒れば「暴言」、気持ち悪くておむつの中を触れれば「不潔行為」等… 「認知症の問題ある行動を取る人」というレッテルを貼ってしまうのです。 その行動には、様々な感情が揺れ動いていること。 それを理解し、突き詰めることが必要です。 しかし、認知症の人にそのようなレッテルを貼ってしまう私たちはどうでしょうか? 例えば職員関係、色々な状況での人間関係…  これらの中の方が、よほど困った行動の人が多いのではないでしょうか?
ブログ投稿画像 大阪府では、高齢者は不要不急な外出を控えよと言うお達しが出ました。 コロナ感染による重症化を防ぐということからです。 不要な行動とは、今すぐいかなくてもいいのなら、行くなということですね。 確かに高齢者が出ていくと感染のリスクは高まり、重症化する人が増えるので それを阻止したいということですね。 しかし、あまりにも上段的に言われると、 「高齢者は街をうろつくなと言われてるのに、なんでうろうろしてるねん!」なんて言われかねません。 何よりも、高齢者の家への引きこもりは、二次災害というか、心身の著しい低下をもたらします。 歩かないと、高齢者の筋肉は若者よりはるかに早く、一気にその能力を奪われます。 散歩や日常生活上必要なものの買い物は構わないとのことですが、 人間は散歩だけで心を満たすものではありません。 私たちが取り組んでいる地域活動の中には、大切な人と人との交流、心身機能の維持向上があります。 そのような活動にも自粛モードが出てくると、心の機能も衰え、認知症が忍び寄ってくるのです。 ですから、高齢者だからこそ、外に出て、様々な刺激を受けなければならないのです。 例えば、「吉本新喜劇を見て大いに笑いたい!そのために難波に出たい!」 そのような思いも奪い取られると、ボディブローのように要介護者がそのうちに増えてくるでしょう。 「高齢者こそ外に出るべき!」 なのですが…  そこにもう一つの大敵、熱中症が待ち構えています。 この暑さが、お出掛けを妨げます。 まるで高齢者であってもサバイバル生活をやっているような状況ですね。 しかし、24時間のうちには高齢者に味方の時間帯もあります。 夜明け前、朝陽が昇るころ、お店は開いてないけど、街を大いに闊歩できる時間です。 そして、暮れなずむ時間。物価高だけど、お出掛け我慢の分、 そんな自分へのご褒美で、少し美味しいものでも買いましょう。 とにかく高齢者であっても、コロナと熱中症というサバイバルな状況の中、 一生懸命自分の心身の維持について、積極的に取り組んでいくこと。負けてたまるか!ですね。でも、「吉本行って大いに笑い、551の豚まんをお土産に買って帰る。」そんな自由までも奪ってほしくないですね。 私たちの行動に、不要な行動なんてないのです。 [caption id="attachment_1451" align="alignnone" width="650"] コロナも熱中症も、これ以上の狼藉は、私が許しません![/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です 「若年認知症の最大の課題とは」というテーマで、 全国若年認知症家族会・支援者連絡協議会会長である宮永和夫先生のお話を聞いてきました。 現在、若年性認知症の方は日本で約3万6千人おられるとのこと。 この数字を多いと取るか少ないと取るかは別にして、 必ずおられるし、身近におられる可能性ありともいえます。 若年性認知症の方の場合、高齢の認知症の方以上に様々な課題が生じてしまいます。 一番大きな問題は家族としての財政崩壊を招くということでしょうか。 ご本人の就労支援もさることながら、家族単位のサポートが必要になってくると言えるでしょう。   残念ながら私たち介護保険制度の下で働く、ケアマネジャーや地域包括支援センターなど、 さらにケア実践の現場で働く者にとって、若年性認知症の方への関わり方へのノウハウは、まだまだ浅いといえます。 私たちの課題ともいえるでしょう。 来年3月19日、「全国若年認知症大会」が東大阪市で開催されます。 全国大会の情報については順次お知らせします。 これを機にぜひとも若年認知症の方、並びにその家族への関わり方について視点を深めていただければと思います。