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「必見!最新情報」で記事を検索しました。

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2021.07.16

必見!最新情報
認知症の人の気持ちをどう理解する?(1) センター長の石川です 認知症の人であってもなくても、そもそも相手の気持ちを理解すると言うのは至難の業です。 基本、人の気持ちは簡単にわかるものではないですね。 それにはまず、自分自身の問題があります。 一人ひとりの中には自分自身が住んでいますよね?  当たり前の話ですが、それぞれの人にそれぞれに個性があるように、 私たちの中には、様々な価値観や意志、趣味嗜好から好き嫌いまで、 自分のパーソナリティを形作るあらゆるものが詰まっています。 つまり私たちの頭の中には、自分自身が一杯詰まっているので、 本来人の思いを受け入れると言うのは、とても苦手なのです。 ですから、この仕事でよく言われる 「相手の立場になって考えなさいとか、相手の気持ちを受容しなさい」とかいうのは、 実はできなくて当たり前なのです。 認知症の人の気持ちを理解するのは、さらに次元が高いと思ってしまうかもしれません。 ところがこの対人援助職と言う仕事は、他の人の考えや思いを受容すると言う、 とんでもないことをやっていかなければなりません。 まして、コミュニケーションもできない認知症の人の理解となると、 めちゃくちゃ難しいものに思えてしまうのです。 さて、困りましたね。 本来私たちは、人の思いや感じていることを受け止めることが苦手なのに! だからこそ、私たちには「対人援助技術」という、技術を持つことで、この苦手な壁を越えていけるのです。 また、認知症の人の状況を理解できれば、それ程難しいものでもありません。 では「技術」ってなんだ? 例えば、運転が全くできなかった人が、教習所に通い、運転技術を学び、 そして実際の公道を走ることで運転技術を向上させていきます。 それと同じことです。 少し学べば、そして柔軟な思考を持てば、「対人援助技術」は少しずつ身に付いていきます。 運転が公道を走れば上達していくように、「対人援助技術」もケアの現場の中で上達していくのです。 特に介護福祉士などの有資格者は、運転で生計を立てているプロドライバーと同様に、 プロとしての技術を身に着けていかなければならないのです。 そう言われると大変だと思いますが、 私たちには強力なトレーナーがいます。 私たちの対人援助技術の上達を手助けしてくれる、 利用者(認知症の人)という強力なトレーナーがいるのです。 (つづく)
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2021.07.10

必見!最新情報
「アドボケーターについて」(その2)ケア従事者の使命 アドボケーター(advocater)の話、第2回目になります。 ちょっと、厳しめのことを書きます。 アドボケーターとは、「代弁者」と言う意味になります。 私たち対人援助職に就くものとして、必ず身に着けておかなければならない技術のひとつです。 繰り返します。 ケアマネジャーやケアワーカーなど対人援助を行う職業に就くものとして、 必ず知っておくべきものであり、また技術として持っておかなければならないのが「アドボケーター」つまり「代弁者」としての役割なのです。 では、誰の「代弁者」なのか? もちろん、私たちが支援している利用者のことになります。 特に自分の意志表示が厳しい認知症の人は、私たち側の判断だけで取り決めてしまうことが多々生じます。 そこで忘れてはならないのが、「本人の意思(意志)」です。 しかし、認知症の人の意思なんかわからない、 コミュニケーションができない人の思いなんてわからないと思うかもしれません。 ところが個々の意思の尊重は、私たち対人援助職に課せられている重要な役割なのです。 特に認知症の人の場合、アドボケーターをわかりやすく言えば、 その人のアバターになったつもりで考えることが必要です。 アバターのようなお花ですね   そして何よりも忘れてはならないことは、 入居利用者、特に認知症の人の側に立って考え、発言できるのは、 八百屋さんでも、魚屋さんでも、銀行員でも、警察官でもなく、 一番身近にいるケア従事者しかいないのです。 私たちが認知症の人(入居者)の思いに立たなければ、誰が立つのか!? 家族も今は入ることは出来ません。 このような状況の中で、認知症の人はわからない、伝えられない不安や孤独の中で、 誰も味方がなく、ケア側の言われるままに生きていかなければならないのです。 繰り返します。 「私たちが認知症の人の思いを汲まなければ、誰がその思いをわかってあげられるのか? 専門職である私たちしかいないのです。これは専門職の使命ともいえることです。」 例えば、カンファレンスの時、 認知症のAさんのアバター役(アドボケーター)を設け、本人の意思であろうことを発言します。 ある意味Aさんのアバターは、Aさんの弁護人と言う役割も担うのです。 例えばAさんの行動に困ったケア職員が、 その行動をなんとかしてほしいとカンファレンスで発言するとします。 この時Aさんのアバター役は、Aさんになり代わって、Aさんの思いを伝えるのです。 もしかしたら、Aさんの行動にはケア側の問題があったということもあるかもしれません。 誰かがAさんの立場に立たないと、全てはケア側の都合で決められて行ってしまうのです。 このように、カンファレンスではケア側だけの思いで何もかも決めるのではなく、 本人が意思表示できない人ならば、 その人のアバター役(アドボケーター)を職員の一人に設定しておくのです。 このアバター役を担った人は、とことん本人の思いを理解することを行っておかないと、 アバターにはなれません。 そのためにどうするかは、後日また掲載したいと思います。
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2021.07.05

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「若年性認知症の方の集い」レポート センター長の石川です。 コロナ禍の影響で、2か月中止になっていた「若年性認知症の方の集い(楽Café)」が、 若江岩田で開催されました。 今回の参加者は、50歳代の方が2名、60歳代前半の方が2名でした。 ご本人への関りと、介護家族の話を伺う二つのグループに分かれて行います。 9月に市役所でのお弁当配り実施予定だそうです。   新規の方もおられたので、前半はご本人の様子をうかがいながら、 後半は介護家族の方の話を聞いてきました。 当事者の方と関わると、介護家族の方の苦労が浮かび上がってきます。 今回、当事者の方はオリジナルマスク作りにチャレンジです。   私たちは毎分毎秒、瞬時に様々なことを、認知機能を働かせて理解し、行動していきますが、 ひとたび、その「瞬時に理解する認知機能」が支障をきたしだすと、 認知機能が正常な人とのギャップが大きく出てしまいます。 直前のことを忘れてしまったり、コミュニケーションがちぐはぐになる それだけで介護家族のストレスは、オーバーフローしてしまうのです。 そしてご本人も必死で、何とか「わかっている自分」を取り繕うとします。 ですから一見ごく普通の方です。 しかし、その一見ごく普通であるがゆえ、介護家族の苦労は増加してしまいます。 若年性認知症の方の場合、生活上の問題も出てきますし、家族の心の傷も生じてしまいます。 しかし実際には、それらのフォロー体制は確立されていないのが現状です。 「シチダンカ」希少な花だそうです。   当事者の方をサポートするとともに、介護家族もサポートする。 どちらも不可欠な両輪ですね。 介護家族同士のお話しでは、家族間同士のアドバイスが多く、これは凄い有効性があります。 そしてご本にに対しては、前回のブログで前触れしましたが、 私たちは「アドボケーター」としての役割を発揮していかなければならないのです。  
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2021.06.25

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認知症不明者8年連続増加 センター長の石川です。 今朝の朝日新聞に、厳しい状況の記事が載っていました。 8年連続で、認知症で行方不明になった方が増えているというものです。 残念ながら、遺体で見つかった方も過去最多になったとか。 都道府県別では、何故か毎年大阪がトップになっているのです。 やはり記事にもあるように、地域での見守り力が大切になります。 しかしそれがコロナ禍においては厳しくなっている現状があります。 それでも、 マスクをしていない、表情が険しい、きょろきょろしているなどの行動の方を見られたら、 警察に連絡しにくければ、最寄りの地域包括支援センターに連絡を頂ければと思います。 GPSについては、確かにとても役に立つものだと思います。 介護者にもよくお勧めするのですが、 問題は、いかに本人に持ってもらうかなというところです。 これをやはり皆さん四苦八苦されるのです。 普段から本人が必ず身につけるものに組み込めればいいのですが それも簡単ではありません。 大阪が行方不明者トップなのは、それだけ大阪が開放的であるとも考えられます。 その分、地域の見守り体制も、行政を含めた形でもっと充実させていかなければなりませんね。
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2021.06.16

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心のフィルター(たぶん1) 私たちが何かを見るプロセスには「知覚」と「認知」の二つがあります。 (「認知」は認知機能のことで、認知症そのものをいうものではありません。但し、この認知機能の低下が認知症となるのですが。) この「知覚」と「認知」。 つまり私たちは目や耳や鼻で或いは触った感覚、味わった感覚で情報を脳に送ります。 しかし私たちは、純粋に眼から入る光を見ているのではなく、心のフィルターを通して判断しているのです。 (これを美しいと捉えるか、汚いと捉えるか、或いは…) 誰もが同じものを見ているのに、心のフィルターが違った判断を示します。 例えば目の前に怒っているAさんがいます。 そしてそのAさんの前にB職員とC職員がいます。 BもCも同じ怒っているAさんを見ています。見ているものは同じですね。 しかし、B職員はAさんを見て「困ったな、また怒ってるどうしよう?」と思っています。 一方C職員は、「一体何に怒ってるのかな?何かに困ってるのかな?」と思っています。 同じAさんを見てるのに感じ方は違います。 これが心のフィルターです。 散らかった机の上を見て、「整理のできない人だ」と見るか 「仕事が大変なんだな」と見るか 或いは「仕事大変なんだな。もう少し整理すればより仕事がはかどるのに」と思う人もいるかもしれません。 上司からの指示文面に、「なるほど」と思う人、「指示順守」と思う人、 「現場の大変さもわかってないくせに」と思う人もいるかもしれません。 捉え方がみんな違うのは、それぞれの個性もあるでしょうが、 心のフィルターが多分に働いているのです。 上記のB職員は、自分の困りごととして捉えていますが。 C職員はAさんの困りごとを考えようとしています。 このように「どこを見るか」によっても判断が変わってくるのです。 B職員の考えに同様な職員が多ければ、 Aさんは「困った認知症の人」というレッテルが貼られてしまうでしょう。 上司からの指示文面も、すぐに納得するのではなく、 つまり自分が納得すればいいのではなく、 他の人たちにも分かってもらえるかなと言う思いも必要ですし、 納得できない人は、何故納得できないのかを言わないと、単なるダークな人間になってしまいます。 要は、一度まなざしをリセットし、視点の置き場所を変えてみることです。 (同じ水が入ったコップを見ていても、もう半分しかないと思う人と、半分もあると思う人がいます)   コロナウイルスでは、ワクチンもマスクも危ないと言う人もいます。 これはコロナウイルスが見えないだけに不安を増長させてしまうからかもしれません。 しかし、もしコロナウイルスが「見える」ならば、判断は違ったものになるかもしれないのです。
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2021.06.12

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蛍村の風景 センター長の石川です。 グーグルにタイムラインと言う機能があり、 毎月の訪問先を振り返られるようになっています。 それを見ると私の行動範囲がわかるのですが、 仕事で東大阪に来ている以外、見事に4月5月ともに北摂から出ることはありませんでした。 アウトドアや遠征が大好きなのに、大阪市内にも一歩も入らず、 北摂でじっと我慢していたことになります。 星空撮影に最適な奈良の山奥(鹿しかいない)に行くのも我慢してました。 行先で挙げられていたのも、池田市文化会館(ワクチン接種のため)と、 箕面のお酒のディスカウント店だけでした。 さて、そんな北摂でも、能勢に行くと、ここは大阪なのか?と思うほどめっちゃ田舎になります。 そして、乱舞まではいかない、蛍街まではいかないけれど、 蛍村ほどのホタルたちには出会うことが出来ました。 「大阪でも」こんなに蛍がいるところがあるんやと思うと、なんか凄いなと思いますね。 星空撮影に行けない分、蛍の光撮影を楽しませてもらいました。 残念ながら大阪は田舎であっても、奈良のような鹿しかいないほどの山奥ではないので、 蛍は撮影出来ても星空は撮影できません。 しかし、田舎はいいですね。蛍はいても、人はいない。(休日前や休日は人が多いかも) でも鹿や蛇には気を付けないと。 何かと制限の多い時期ですが、少し工夫して田舎の風景を見に行くのも いいかもしれません。
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2021.06.10

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「アデュカヌマブ」は認知症への救世主になれるのか? センター長の石川です。 ニュースで大きく取り上げられていたアルツハイマー病の治療薬「アデュカヌマブ」 まるで特効薬が出来たかのような騒ぎになっていますが、 はたして認知症で苦しむ人の救世主になるのでしょうか? まずマスコミは「治療薬」と言う言葉を使いますが、 「治療」はいわゆる健康な状態に戻すということになります。 しかし「アデュカヌマブ」はあくまでも完治するための薬ではなく、 病気の進行を止めるための薬です。 ご承知の通り、脳にアミロイドβという異常なたんぱく質が溜まり、 これが神経細胞を破壊し、アルツハイマー病に至るのですが、 そのアミロイドβを除去していく働きをするのが「アデュカヌマブ」なのです。 ここでわかりやすくまとめてみます。 〇「アデュカヌマブ」はあくまでも認知症を治す(認知症がない状態に戻す)ものではない 〇何故ならば、一度破壊された神経を元に戻すことが出来ないからです。 〇但し、早期から「アデュカヌマブ」が使えれば、ダメージをかなり少なくできます。 〇また、アミロイドβを以降溜め込まないので、神経細胞の破壊が予防できます。 〇つまり、「アデュカヌマブ」は治療薬と言うより、進行を抑制する薬と言えます。 〇ところが現状ではめっちゃ高価(月1回投与で50万?)で、庶民には手が出せません。 〇保険適用になるかは、現状では厳しそうです。 〇点滴による投与になります。 〇治験結果は見切り発車的で、効果がないと判断される場合もあります。 〇投与が必要な方や、いつ頃からかという判断がかなり難しいです。 〇既に進行が進んでいる方には「残念ながら…」と言う状況です。  現在発症していないけど、発症する可能性がある方が対象になりますが、 それでも今すぐ使えるものではありません。 ◎但し、もし「アデュカヌマブ」に有用性が認められれば、壊れた神経細胞はよみがえらすことは出来なくても、人間は新しいことにチャレンジすることで、壊れた神経細胞の数ほどではなくても、新たな神経細胞が発生することがわかっています。つまり前向きの人生を送るなら、「アデュカヌマブ」の助けを借りて、かなりの生活維持が出来る可能性はあります。 いずれにしても、マスコミは大々的に取り上げ、製薬会社の株が一気に上がる状況ですが、 私たちが眼前としている方々には「残念ながら間に合わない」のが事実です。 また有効性が確約されても、庶民が使える薬になるか、 そして投与判断はどうなるのかなど課題は山積かなと思います。 以下、NHKニュースに出られた先生のコメントを抜粋しておきます。 東京大学岩坪威教授 今後、患者や医療現場に与える影響については、「今回の薬は、認知症を発症したばかりの状態からその後の進行のスピードを抑えるもので中等症や重症になるまでの時間を延ばすことでより生活を高いレベルで維持することができると期待される。症状が軽い段階がなるべく長く続けば介護の負担が少なく、本人も自分らしい生活が送れるようになるメリットは非常に大きいと思う。一方、薬を使えるかどうかを診断するためには脳にアミロイドβがたまりアルツハイマー病の初期段階ということを調べる特殊な装置が必要となる。さらに脳に局所的なむくみが出るなどの副作用への対応も必要で、専門医や専門施設を準備することが求められるのではないか」と指摘しました。 また、薬価が高額になるという指摘については、「バイオジェン社の予測する価格では、月に1回の投与に50万円以上と薬代が相当高い。これをどうやって負担するのかは世界各国どこでも大きな問題になると思う。」 国立精神・神経医療研究センターの中村治雅臨床研究支援部長 「今回の薬は、症状の緩和を目指したこれまでの薬とは異なり、原因に迫り、治せるかもしれないという期待もあり、患者や家族、介護者、それに医療者にとっては希望となる。しかし今回、完全には有効性が分かっていない中で迅速承認となっていて、FDAは今後も大規模な治験を行うことを求めている。手放しでは喜べず、本当に有効な薬なのかどうか、そしてどのような患者さんに対して使うべきなのかといった点に今後も注意を払うべきだ」と指摘しています。 「ここからは、ニューズウィーク誌より」 アルツハイマー病の患者やその家族を代表する複数の組織は、新たな治療法はどのようなものであれ(たとえ治療効果がわずかでも)承認されるべきだと言っている。だが多くの専門家は、今回の新薬承認は危険な前例をつくり、効果が疑わしい治療にも扉を開くことにつながりかねないと警告している。
ブログ投稿画像 センター長の石川です 認知症の人であってもなくても、そもそも相手の気持ちを理解すると言うのは至難の業です。 基本、人の気持ちは簡単にわかるものではないですね。 それにはまず、自分自身の問題があります。 一人ひとりの中には自分自身が住んでいますよね?  当たり前の話ですが、それぞれの人にそれぞれに個性があるように、 私たちの中には、様々な価値観や意志、趣味嗜好から好き嫌いまで、 自分のパーソナリティを形作るあらゆるものが詰まっています。 つまり私たちの頭の中には、自分自身が一杯詰まっているので、 本来人の思いを受け入れると言うのは、とても苦手なのです。 ですから、この仕事でよく言われる 「相手の立場になって考えなさいとか、相手の気持ちを受容しなさい」とかいうのは、 実はできなくて当たり前なのです。 認知症の人の気持ちを理解するのは、さらに次元が高いと思ってしまうかもしれません。 ところがこの対人援助職と言う仕事は、他の人の考えや思いを受容すると言う、 とんでもないことをやっていかなければなりません。 まして、コミュニケーションもできない認知症の人の理解となると、 めちゃくちゃ難しいものに思えてしまうのです。 さて、困りましたね。 本来私たちは、人の思いや感じていることを受け止めることが苦手なのに! だからこそ、私たちには「対人援助技術」という、技術を持つことで、この苦手な壁を越えていけるのです。 また、認知症の人の状況を理解できれば、それ程難しいものでもありません。 では「技術」ってなんだ? 例えば、運転が全くできなかった人が、教習所に通い、運転技術を学び、 そして実際の公道を走ることで運転技術を向上させていきます。 それと同じことです。 少し学べば、そして柔軟な思考を持てば、「対人援助技術」は少しずつ身に付いていきます。 運転が公道を走れば上達していくように、「対人援助技術」もケアの現場の中で上達していくのです。 特に介護福祉士などの有資格者は、運転で生計を立てているプロドライバーと同様に、 プロとしての技術を身に着けていかなければならないのです。 そう言われると大変だと思いますが、 私たちには強力なトレーナーがいます。 私たちの対人援助技術の上達を手助けしてくれる、 利用者(認知症の人)という強力なトレーナーがいるのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 アドボケーター(advocater)の話、第2回目になります。 ちょっと、厳しめのことを書きます。 アドボケーターとは、「代弁者」と言う意味になります。 私たち対人援助職に就くものとして、必ず身に着けておかなければならない技術のひとつです。 繰り返します。 ケアマネジャーやケアワーカーなど対人援助を行う職業に就くものとして、 必ず知っておくべきものであり、また技術として持っておかなければならないのが「アドボケーター」つまり「代弁者」としての役割なのです。 では、誰の「代弁者」なのか? もちろん、私たちが支援している利用者のことになります。 特に自分の意志表示が厳しい認知症の人は、私たち側の判断だけで取り決めてしまうことが多々生じます。 そこで忘れてはならないのが、「本人の意思(意志)」です。 しかし、認知症の人の意思なんかわからない、 コミュニケーションができない人の思いなんてわからないと思うかもしれません。 ところが個々の意思の尊重は、私たち対人援助職に課せられている重要な役割なのです。 特に認知症の人の場合、アドボケーターをわかりやすく言えば、 その人のアバターになったつもりで考えることが必要です。 [caption id="attachment_1471" align="alignnone" width="650"] アバターのようなお花ですね[/caption]   そして何よりも忘れてはならないことは、 入居利用者、特に認知症の人の側に立って考え、発言できるのは、 八百屋さんでも、魚屋さんでも、銀行員でも、警察官でもなく、 一番身近にいるケア従事者しかいないのです。 私たちが認知症の人(入居者)の思いに立たなければ、誰が立つのか!? 家族も今は入ることは出来ません。 このような状況の中で、認知症の人はわからない、伝えられない不安や孤独の中で、 誰も味方がなく、ケア側の言われるままに生きていかなければならないのです。 繰り返します。 「私たちが認知症の人の思いを汲まなければ、誰がその思いをわかってあげられるのか? 専門職である私たちしかいないのです。これは専門職の使命ともいえることです。」 例えば、カンファレンスの時、 認知症のAさんのアバター役(アドボケーター)を設け、本人の意思であろうことを発言します。 ある意味Aさんのアバターは、Aさんの弁護人と言う役割も担うのです。 例えばAさんの行動に困ったケア職員が、 その行動をなんとかしてほしいとカンファレンスで発言するとします。 この時Aさんのアバター役は、Aさんになり代わって、Aさんの思いを伝えるのです。 もしかしたら、Aさんの行動にはケア側の問題があったということもあるかもしれません。 誰かがAさんの立場に立たないと、全てはケア側の都合で決められて行ってしまうのです。 このように、カンファレンスではケア側だけの思いで何もかも決めるのではなく、 本人が意思表示できない人ならば、 その人のアバター役(アドボケーター)を職員の一人に設定しておくのです。 このアバター役を担った人は、とことん本人の思いを理解することを行っておかないと、 アバターにはなれません。 そのためにどうするかは、後日また掲載したいと思います。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 7月7日 七夕ですが、心和やらぐどころか、 天の川は厚い雲に覆われ、豪雨に襲われている状況ですね。 [caption id="attachment_2865" align="alignnone" width="1024"] ここ一年、ろくに星空撮影できませんでした。これまで撮りためていた天の川です。[/caption] ただ、天の川自体はしっかりと雲の上で輝いています。 ベガとアルタイルと書くと、ロマンがないですが、 ベガが織姫星(天の川から少し離れたところで輝いています) アルタイルが彦星ですね。 地球からの距離はベガと25光年、アルタイルとは17光年 1光年は約9兆5千億キロですから、 ベガの場合、地球から9兆5千億×25キロ向こうにあると言うことです。 [caption id="attachment_2863" align="alignnone" width="1024"] ふたつの星は、結構距離が離れています。[/caption] ベガとアルタイルの間も約14光年離れており、 織姫と彦星が光速移動しても7年もかかるのですね~ もっとも、ふたつの星とも、その寿命が80億~100億と言われているので、 その間には、十分逢える?ということですね。 [caption id="attachment_2864" align="alignnone" width="1024"] 少し感度をあげると、これだけの星が写ります。[/caption] でも何故願い事を書くようになったのでしょうかね~  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 コロナ禍の影響で、2か月中止になっていた「若年性認知症の方の集い(楽Café)」が、 若江岩田で開催されました。 今回の参加者は、50歳代の方が2名、60歳代前半の方が2名でした。 ご本人への関りと、介護家族の話を伺う二つのグループに分かれて行います。 [caption id="attachment_2854" align="aligncenter" width="1024"] 9月に市役所でのお弁当配り実施予定だそうです。[/caption]   新規の方もおられたので、前半はご本人の様子をうかがいながら、 後半は介護家族の方の話を聞いてきました。 当事者の方と関わると、介護家族の方の苦労が浮かび上がってきます。 [caption id="attachment_2853" align="alignnone" width="1024"] 今回、当事者の方はオリジナルマスク作りにチャレンジです。[/caption]   私たちは毎分毎秒、瞬時に様々なことを、認知機能を働かせて理解し、行動していきますが、 ひとたび、その「瞬時に理解する認知機能」が支障をきたしだすと、 認知機能が正常な人とのギャップが大きく出てしまいます。 直前のことを忘れてしまったり、コミュニケーションがちぐはぐになる それだけで介護家族のストレスは、オーバーフローしてしまうのです。 そしてご本人も必死で、何とか「わかっている自分」を取り繕うとします。 ですから一見ごく普通の方です。 しかし、その一見ごく普通であるがゆえ、介護家族の苦労は増加してしまいます。 若年性認知症の方の場合、生活上の問題も出てきますし、家族の心の傷も生じてしまいます。 しかし実際には、それらのフォロー体制は確立されていないのが現状です。 [caption id="attachment_2855" align="alignnone" width="1024"] 「シチダンカ」希少な花だそうです。[/caption]   当事者の方をサポートするとともに、介護家族もサポートする。 どちらも不可欠な両輪ですね。 介護家族同士のお話しでは、家族間同士のアドバイスが多く、これは凄い有効性があります。 そしてご本にに対しては、前回のブログで前触れしましたが、 私たちは「アドボケーター」としての役割を発揮していかなければならないのです。  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 今週は、英田南、北両地区でお話しさせていただきました。 認知症の新薬「アデュカヌマブ」の説明と、ネットの基礎知識について。 ワクチン接種では、高齢者に対してもネット予約を強いられたり、 このような地域の会合も、リモートで行いなさい的な話も出ています。 [caption id="attachment_2829" align="alignnone" width="1024"] Modern Multiethnic business team having discussion and online meeting in video call[/caption] しかし実際には、スマホは何とか使えるけど、或いはガラケーのままと言う方が殆どで、 ワクチンのネット予約など、高度の技術になってしまいます。 ほんとに世の中の流れに、高齢者でも必死について行かなければならない時代ですね。 そこで今回はごく初歩的なネットのお話をさせていただきました。 そして最後に、本当に久しぶりに、「梅干し体操」を実施しました。 皆さん、しっかりと覚えてられましたね。 「アーバンの中で、たくさんの人と一緒にやったよね~」という声 そうです。 いつか再び、アーバンケアにみんなが集まって、楽しく「梅干し体操」が出来るように! そんな願いを込めた体操でした。 しっかり、身体は動かしましょう!
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 今朝の朝日新聞に、厳しい状況の記事が載っていました。 8年連続で、認知症で行方不明になった方が増えているというものです。 残念ながら、遺体で見つかった方も過去最多になったとか。 都道府県別では、何故か毎年大阪がトップになっているのです。 やはり記事にもあるように、地域での見守り力が大切になります。 しかしそれがコロナ禍においては厳しくなっている現状があります。 それでも、 マスクをしていない、表情が険しい、きょろきょろしているなどの行動の方を見られたら、 警察に連絡しにくければ、最寄りの地域包括支援センターに連絡を頂ければと思います。 GPSについては、確かにとても役に立つものだと思います。 介護者にもよくお勧めするのですが、 問題は、いかに本人に持ってもらうかなというところです。 これをやはり皆さん四苦八苦されるのです。 普段から本人が必ず身につけるものに組み込めればいいのですが それも簡単ではありません。 大阪が行方不明者トップなのは、それだけ大阪が開放的であるとも考えられます。 その分、地域の見守り体制も、行政を含めた形でもっと充実させていかなければなりませんね。
ブログ投稿画像 私たちが何かを見るプロセスには「知覚」と「認知」の二つがあります。 (「認知」は認知機能のことで、認知症そのものをいうものではありません。但し、この認知機能の低下が認知症となるのですが。) この「知覚」と「認知」。 つまり私たちは目や耳や鼻で或いは触った感覚、味わった感覚で情報を脳に送ります。 しかし私たちは、純粋に眼から入る光を見ているのではなく、心のフィルターを通して判断しているのです。 (これを美しいと捉えるか、汚いと捉えるか、或いは…) 誰もが同じものを見ているのに、心のフィルターが違った判断を示します。 例えば目の前に怒っているAさんがいます。 そしてそのAさんの前にB職員とC職員がいます。 BもCも同じ怒っているAさんを見ています。見ているものは同じですね。 しかし、B職員はAさんを見て「困ったな、また怒ってるどうしよう?」と思っています。 一方C職員は、「一体何に怒ってるのかな?何かに困ってるのかな?」と思っています。 同じAさんを見てるのに感じ方は違います。 これが心のフィルターです。 散らかった机の上を見て、「整理のできない人だ」と見るか 「仕事が大変なんだな」と見るか 或いは「仕事大変なんだな。もう少し整理すればより仕事がはかどるのに」と思う人もいるかもしれません。 上司からの指示文面に、「なるほど」と思う人、「指示順守」と思う人、 「現場の大変さもわかってないくせに」と思う人もいるかもしれません。 捉え方がみんな違うのは、それぞれの個性もあるでしょうが、 心のフィルターが多分に働いているのです。 上記のB職員は、自分の困りごととして捉えていますが。 C職員はAさんの困りごとを考えようとしています。 このように「どこを見るか」によっても判断が変わってくるのです。 B職員の考えに同様な職員が多ければ、 Aさんは「困った認知症の人」というレッテルが貼られてしまうでしょう。 上司からの指示文面も、すぐに納得するのではなく、 つまり自分が納得すればいいのではなく、 他の人たちにも分かってもらえるかなと言う思いも必要ですし、 納得できない人は、何故納得できないのかを言わないと、単なるダークな人間になってしまいます。 要は、一度まなざしをリセットし、視点の置き場所を変えてみることです。 (同じ水が入ったコップを見ていても、もう半分しかないと思う人と、半分もあると思う人がいます)   コロナウイルスでは、ワクチンもマスクも危ないと言う人もいます。 これはコロナウイルスが見えないだけに不安を増長させてしまうからかもしれません。 しかし、もしコロナウイルスが「見える」ならば、判断は違ったものになるかもしれないのです。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 グーグルにタイムラインと言う機能があり、 毎月の訪問先を振り返られるようになっています。 それを見ると私の行動範囲がわかるのですが、 仕事で東大阪に来ている以外、見事に4月5月ともに北摂から出ることはありませんでした。 アウトドアや遠征が大好きなのに、大阪市内にも一歩も入らず、 北摂でじっと我慢していたことになります。 星空撮影に最適な奈良の山奥(鹿しかいない)に行くのも我慢してました。 行先で挙げられていたのも、池田市文化会館(ワクチン接種のため)と、 箕面のお酒のディスカウント店だけでした。 さて、そんな北摂でも、能勢に行くと、ここは大阪なのか?と思うほどめっちゃ田舎になります。 そして、乱舞まではいかない、蛍街まではいかないけれど、 蛍村ほどのホタルたちには出会うことが出来ました。 「大阪でも」こんなに蛍がいるところがあるんやと思うと、なんか凄いなと思いますね。 星空撮影に行けない分、蛍の光撮影を楽しませてもらいました。 残念ながら大阪は田舎であっても、奈良のような鹿しかいないほどの山奥ではないので、 蛍は撮影出来ても星空は撮影できません。 しかし、田舎はいいですね。蛍はいても、人はいない。(休日前や休日は人が多いかも) でも鹿や蛇には気を付けないと。 何かと制限の多い時期ですが、少し工夫して田舎の風景を見に行くのも いいかもしれません。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 ニュースで大きく取り上げられていたアルツハイマー病の治療薬「アデュカヌマブ」 まるで特効薬が出来たかのような騒ぎになっていますが、 はたして認知症で苦しむ人の救世主になるのでしょうか? まずマスコミは「治療薬」と言う言葉を使いますが、 「治療」はいわゆる健康な状態に戻すということになります。 しかし「アデュカヌマブ」はあくまでも完治するための薬ではなく、 病気の進行を止めるための薬です。 ご承知の通り、脳にアミロイドβという異常なたんぱく質が溜まり、 これが神経細胞を破壊し、アルツハイマー病に至るのですが、 そのアミロイドβを除去していく働きをするのが「アデュカヌマブ」なのです。 ここでわかりやすくまとめてみます。 〇「アデュカヌマブ」はあくまでも認知症を治す(認知症がない状態に戻す)ものではない 〇何故ならば、一度破壊された神経を元に戻すことが出来ないからです。 〇但し、早期から「アデュカヌマブ」が使えれば、ダメージをかなり少なくできます。 〇また、アミロイドβを以降溜め込まないので、神経細胞の破壊が予防できます。 〇つまり、「アデュカヌマブ」は治療薬と言うより、進行を抑制する薬と言えます。 〇ところが現状ではめっちゃ高価(月1回投与で50万?)で、庶民には手が出せません。 〇保険適用になるかは、現状では厳しそうです。 〇点滴による投与になります。 〇治験結果は見切り発車的で、効果がないと判断される場合もあります。 〇投与が必要な方や、いつ頃からかという判断がかなり難しいです。 〇既に進行が進んでいる方には「残念ながら…」と言う状況です。  現在発症していないけど、発症する可能性がある方が対象になりますが、 それでも今すぐ使えるものではありません。 ◎但し、もし「アデュカヌマブ」に有用性が認められれば、壊れた神経細胞はよみがえらすことは出来なくても、人間は新しいことにチャレンジすることで、壊れた神経細胞の数ほどではなくても、新たな神経細胞が発生することがわかっています。つまり前向きの人生を送るなら、「アデュカヌマブ」の助けを借りて、かなりの生活維持が出来る可能性はあります。 いずれにしても、マスコミは大々的に取り上げ、製薬会社の株が一気に上がる状況ですが、 私たちが眼前としている方々には「残念ながら間に合わない」のが事実です。 また有効性が確約されても、庶民が使える薬になるか、 そして投与判断はどうなるのかなど課題は山積かなと思います。 以下、NHKニュースに出られた先生のコメントを抜粋しておきます。 東京大学岩坪威教授 今後、患者や医療現場に与える影響については、「今回の薬は、認知症を発症したばかりの状態からその後の進行のスピードを抑えるもので中等症や重症になるまでの時間を延ばすことでより生活を高いレベルで維持することができると期待される。症状が軽い段階がなるべく長く続けば介護の負担が少なく、本人も自分らしい生活が送れるようになるメリットは非常に大きいと思う。一方、薬を使えるかどうかを診断するためには脳にアミロイドβがたまりアルツハイマー病の初期段階ということを調べる特殊な装置が必要となる。さらに脳に局所的なむくみが出るなどの副作用への対応も必要で、専門医や専門施設を準備することが求められるのではないか」と指摘しました。 また、薬価が高額になるという指摘については、「バイオジェン社の予測する価格では、月に1回の投与に50万円以上と薬代が相当高い。これをどうやって負担するのかは世界各国どこでも大きな問題になると思う。」 国立精神・神経医療研究センターの中村治雅臨床研究支援部長 「今回の薬は、症状の緩和を目指したこれまでの薬とは異なり、原因に迫り、治せるかもしれないという期待もあり、患者や家族、介護者、それに医療者にとっては希望となる。しかし今回、完全には有効性が分かっていない中で迅速承認となっていて、FDAは今後も大規模な治験を行うことを求めている。手放しでは喜べず、本当に有効な薬なのかどうか、そしてどのような患者さんに対して使うべきなのかといった点に今後も注意を払うべきだ」と指摘しています。 「ここからは、ニューズウィーク誌より」 アルツハイマー病の患者やその家族を代表する複数の組織は、新たな治療法はどのようなものであれ(たとえ治療効果がわずかでも)承認されるべきだと言っている。だが多くの専門家は、今回の新薬承認は危険な前例をつくり、効果が疑わしい治療にも扉を開くことにつながりかねないと警告している。