ninchisho-yui-logo
menu

メニュー

clear ninchisho-yui-logo

「必見!最新情報」で記事を検索しました。

ブログ投稿画像

2022.01.05

必見!最新情報
物事は前向きに考えよう! 2022年、本年も宜しくお願い致します。 いよいよ第6波と言われるものがやって来そうですね。 大坂冬の陣ならぬ、コロナ冬の陣になりそうです。 さすがに、またか、もううんざりという感じにもなるでしょう。 しかしこんな時こそ、物事を前向きに考えることだと思います。 夕陽ではなく、朝陽です(志摩半島)   前にも書きましたが、 「わからない」という言葉の存在価値は、それで終わらせるのではなく、 「う~ん、どうしてだろう?なんでかな?」という疑問を生じさせ、 そこから「わかる(理解する)」所に達するために(「わからない」が)あると言えます。 勉強はまさしく「わからない」からスタートするのです。 スポーツや仕事上などで、「できない」ことがあれば、「できる」ためにトレーニングするのも同じです。 「どうしようもない」という言葉があるからこそ、 「どうにかしよう」と言う前向きな姿勢の気持ちが出てきます。 そうでなければ「どうしようもない」と言う言葉を活かせません。 ご神木に触れ、パワーをもらいます   しかし、「わからないからいいや」、「できないものはできない」、 「どうしようもないからもういいか」で終わらせてしまったら、 もうそこからの進化はありません。 ケアの現場が、この「ない」で終わってしまうとなんの進歩もない閉塞的な現場になってしまうでしょう。 人類は「わからない」があるからこそ進化してきたのです。 ペコパの漫才風に言えば、 「どうしようもないって言うことは、どうにかなるって言うことだ」でしょうか。 登山に例えれば、「登れない」と言う言葉は、 登るためにトレーニングを始めるというスタートラインの言葉になるのです。 お正月ですので、癒しの写真を。 大阪池田市五月山動物園のウォンバットです。心を和ませてくれる愛らしい姿ですね。 ウオンバットのユキちゃんです 飛ぶから見といてね 飛ばなきゃ飛べないのだ。さぁ行くぞ! 飛んだぜ!何事もチャレンジやで~ 倒木は乗り越えるためにあるのだ!
ブログ投稿画像

2021.12.30

必見!最新情報
顔上げて前を向いて歩いていこう! センター長の石川です。 一刻落ち着いていた感染者数が、再び増加し始めました。 オミクロン株という新種の脅威も迫っています。 人々はさすがにコロナ禍に、もううんざり、 精神的にも辟易しているのではないかと思います。 この冬が最大の決戦の場になるでしょうか。 ある若年性認知症の方が語っておられました。 「うつむいていたら心もうつむいてしまう。だから顔を上げて前を見る。」と。 うつむいて得することと言えば、マスクを踏まずに済むことくらいでしょうか。 (最近はお金も犬の糞もない) そうです。 「顔を上げて前を向いて歩きましょう!」こんな時期だからこそ! 小さなチンアナゴもしっかりと上を向いています。すぐに引っ込むけど 動物たちも、生きていくためには前を向いているのです。 ウォンバットも頑張って穴を掘ります! 周囲に睨みを効かせて!う~ん、ちょっと頼りない? コロナウイルスをつついて食べれたらいいのに かけがえのない戻らぬ時間 だからこそ、 さぁ、顔を上げて、前を向いて、歩いていきましょう! 顔上げて、胸もしっかり張って! しっかりと前を向こうぜ! 前向いて、しっかりと未来を見るんだ! 私が好きな佐藤竹善さんの曲 「カオあげて」  心の窓を開け放って  風はまだ冷たいけど  きっと晴れる日が来る、青空が戻ってくる。 https://www.youtube.com/watch?v=Ld-3UBpZ_O4 「歩み」  さぁ行こう  今こそともに踏み出そう  かけがえのない時間を胸に抱いて  歩き出そう https://www.youtube.com/watch?v=F8djt_iKSlE   本年は本当に多くの皆様に助けられました。 感謝の一言です。 では、よい年をお迎えください! 来年は俺の年 タイガースも優勝だ
ブログ投稿画像

2021.12.28

必見!最新情報
記憶と感情(3)~長谷川和夫先生との思い出~ センター長の石川です。 さて、認知症の典型的な症状として、「記憶を引き出せない・記憶できない」というものがあります。 特に新しい出来事を記憶していけないため、直近の出来事が記憶できず、 同じことを何度も繰り返し聞いてきたり、さっき食べた食事のことも忘れてしまいます。 この状況のことを、11月に亡くなられた長谷川和夫先生は、 「確かなものが一つひとつ不確かなものに変わっていく」と表現されていました。 その長谷川先生とは、「晩年の元気なころ」よくお話をさせていただきました。 そのひとつは厚労省から委託を受けた「認知症ケア高度化推進事業」のワーキング委員として、 毎月認知症研究研修東京センターに行っていた時のことです。 当時長谷川先生は東京センターのセンター長をされていて、まさしく熟達の域におられました。 その時から「私たちはもっと認知症の人の思いに立って考えなければならない」とおっしゃられ、 その結果として生まれたものが「ひもときシート」だったのです。 ひもときシートに関しては、また別の機会に喋りたいと思います。 さらに長谷川先生には何度か市民向け研修で大阪に来ていただきました。 松本一生先生との二本立て研修は、大きな市民ホールが溢れるほどの参加者でした。 超大物とのセット研修は本当に緊張そのものでした。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA ただ、それらの研修の都度、長谷川先生とお話しできたのは何よりの宝物になりました。 「確かなものが不確かになっていく」その不安は自分でもどうしようもなく大きいと話されていました。 「確かな記憶が不確かになっていく」しかしその感情はしっかりと意識付けされているのです。   (つづく)
ブログ投稿画像

2021.12.22

必見!最新情報
第71回英田認知症ケアネットワーク委員会開催される。 センター長の石川です。 第71回目になりますネットワーク委員会が21日開催されました。 コロナ禍において、委員会の活動が制限される中でも継続的に開催されてきています。 地域の代表からの地域住民の状況や 社会福祉協議会、市の状況 そして医療関係者からの状況報告など 各分野からの活発な意見をいただきました。 地域においては各区ごとに行事の再開についてはでこぼこがあるようで 活動をオープンにしているところもあれば、まだストップの所があるなど 様々なようです。 今現在では感染者数は減っているとはいえ、オミクロン株など 新たな脅威が迫っており、まだ慎重にならざるおえない状況と言えるでしょう。 そのような中でも、オンラインによる介護者へのアプローチなど 考えていけることはそれなりにありそうです。 また、安心声掛け訓練も、英田南校区において3月12日に開催することが決まりました。 委員の中には、シンポジウムや出前講座など早く再開したいね~という意見も はてさて、この冬、私たちはコロナ禍をどう乗り切れるのか。 まだ、行く先は不透明 しかし、やれることはやっていく という所でしょうか。          
ブログ投稿画像

2021.12.17

必見!最新情報
記憶と感情(2) これは研修でよく使うスライドです。 何を言いたいかというと、 人間は生命本能的に自己保全が働くので、 生きていくためには自分に関わる人たちが、 自分が心地よく生きられる人なのかどうかを 見極めていくということなのです。 ここでは感覚的なものと書いていますが、 それが感情と言えます。 自分にとって目の前の人が良い人なのか悪い人なのか 自己防衛上判断するのが、感情です。 いわゆる気分を害する、或いは気分が良くなるということです。 その感情が心に残り、人の見極めに繋がります。 ここで矛盾が生じます。 記憶することが厳しいはずなのに、何故嫌な人のことは記憶に残っているのか? ただここで言えることは、「感情を害する」ことが生じた 具体的内容は覚えていないということです。 「怒鳴られた」「強引に引っ張られた」「睨まれた」など、 実際の具体的出来事は覚えてないことが多いのです。(余ほど衝撃的なものでない限り) だけど感情を害された(自分にとってとても嫌なことが生じた)出来事がきっかけで、 不穏、混乱に繋がってしまうのです。 しかし、具体的に何をされたかは覚えていなくても、 「自分の感情を害した人」のことは覚えている。 何故なのでしょう? もう少し探求してみたいと思います。   (つづく)
ブログ投稿画像

2021.12.16

必見!最新情報
記憶と感情(1) 先日藤戸小学校にキッズサポーター講座に行った時の事です。 覚えられなくなる仕組みについて話をした後、ある児童からこんな発言がありました。 「認知症になったら嫌なこともすぐ忘れるからいいと思う。」 この言葉がかなり私には引っ掛かりました。 もちろんこのように思っている人は大人にもいます。 しかしながら、「嫌なことは認知症の人の気持ちにも残っている」事実が多々あるのです。 「嫌なことは記憶に残るんだよ。」という説明を子どもにするとしたならば、 それは「覚えられない」と話したことと矛盾してしまいます。 この素朴な子どもの発言にうまく答えられない そう思うとその児童の言葉が、私の探求心へと繋がっていきました。 わかっているつもりでわかっていない そんな自分がいるのも事実です。 私は研修でよく話しているのですが、「感情は生きている」ということ。 例えば、不快な思いをさせた職員を毛嫌いする方。 その職員が自分に不快なことをしたと覚えているのですよね。 反対に心地よい対応をしてくれた職員のことも覚えている。 ところが、覚えられないことが基本にあるのに、 何故感情的なことは覚えているのだろうか? このことについて「感情的」な側面と「科学的」な側面と、両方から考えてみたいと思います。 (つづく)
ブログ投稿画像

2021.12.11

必見!最新情報
キッズサポーター新たな取組とISS センター長の石川です。 10日、藤戸小学校3年生(2クラス総数49名)に キッズサポーター講座を実施しました。 マンモス校の英田北小学校からすると、ほんとに少ないですね。 さて、今回は演技で見てもらうだけでない、 児童たちにも参加してもらう取り組みを行いました。 (顔が写ってしまうので、その場面の写真はありません) 伝言ゲームをベースに、もし途中の伝言者がいなくなったら 上手く伝えられなくなる、というのを児童たちに実演してもらいました。 なかなか脳の仕組みを理解するのは難しいと思いますが、 聞くだけよりは、わかったのではないかと思います。 反省点としては、子ども受けの写真は、それに引っ張られてしまうので もう少し工夫が必要かなと感じました。 「認知症はすぐに忘れてしまうから、嫌なことがあってもそれを覚えないからいいやん」 という感想を述べた児童もいました。 なるほど。素直に色々感想を持つことはいいことですね。 (あとでこっそりと、でも嫌なことは残ってしまうということを個別に伝えました) 「ばばあ」と言った児童がいたので、それは注意しましたが、 先生のフォローもあり、児童たちはみんな関心を持ってくれたようです。 これは大人用です。児童用は「キッズサポーター」と書かれています。 ただ「キッズサポータカード」ですが、「それってなんに使えるん?」という質問があり。 確かに「カード」とくれば、何かに使えるのかと今の児童たちは思ってしまいますよね。 講座を受けたステイタスなんてことはわかるはずもありません。 まだオレンジリングの方がステイタス感はありますね。 話は変わりますが、9日の夕方、大阪上空をISS(国際宇宙ステーション)が通過していきました。 大金持ちのボンボンに向かって手を振ったのですが、反応なし。 せめて窓から顔出して、手を振って欲しかったな~(笑) 生駒山の彼方に消えていきました。 これはスマホで撮ったもの。 案外と見えるものなので、次回大阪上空を通るときは空を見上げてみてください。        
ブログ投稿画像

2021.12.01

必見!最新情報
法人職員による取組研究発表会開催される 11月29、30の両日、法人職員による研究発表会がありました。(連日18時30分から21時まで) 毎年行われているもので、今年で8回目になります。 今回も様々な部署から熱意のある取組み研究発表がありました。 時間が5分に限られているので、発表側もその中でまとめるのに苦労されたのではないかと思います。 その見せ方も様々で、ドラマ風のユニークな発表もありました。バラエティに富んでいいと思います。 怪しい このように研究発表をするということは、まず「考える」つまり探究心を働かせることになります。 原因・背景・理由を考えるだけでなく、想定や推測などの想像力を働かせることにもなり、 他者の発表を聴くことで、創造力にも繋がっていきます。 とても怪しい ケアの世界はともすれば狭い世界しか知らない閉鎖的かつネガティブ思考に働くことが多いと言えます。 その世界を広め、ポジティブ思考に転換するには、やはり「探求(究)心」を持つこと。 それを常日頃心掛けることでしょう。   ケアで何か困ったことが起きた時、 すぐに、どうしたらいいかわからない、どうしようもないのなどと考えるのではなく、 「わからないことがわかったら、めちゃ嬉しいやん!」と考えて、「探求(究)心」を働かすことですね。 三千メートルの山からの景色です 「わからない」とあきらめる前に、「なるほど、そうだったのか!」となるように、 「探求(究)心」を働かせましょう。 天狗にならないよう、ときには鼻をつまむことです。   「わからない」は、あきらめるために存在するのではなく、 「わかる」ために存在しているのです。 「わからない」を乗り越えて人は成長していくのです。
ブログ投稿画像 2022年、本年も宜しくお願い致します。 いよいよ第6波と言われるものがやって来そうですね。 大坂冬の陣ならぬ、コロナ冬の陣になりそうです。 さすがに、またか、もううんざりという感じにもなるでしょう。 しかしこんな時こそ、物事を前向きに考えることだと思います。 [caption id="attachment_3374" align="alignnone" width="720"] 夕陽ではなく、朝陽です(志摩半島)[/caption]   前にも書きましたが、 「わからない」という言葉の存在価値は、それで終わらせるのではなく、 「う~ん、どうしてだろう?なんでかな?」という疑問を生じさせ、 そこから「わかる(理解する)」所に達するために(「わからない」が)あると言えます。 勉強はまさしく「わからない」からスタートするのです。 スポーツや仕事上などで、「できない」ことがあれば、「できる」ためにトレーニングするのも同じです。 「どうしようもない」という言葉があるからこそ、 「どうにかしよう」と言う前向きな姿勢の気持ちが出てきます。 そうでなければ「どうしようもない」と言う言葉を活かせません。 [caption id="attachment_3381" align="alignnone" width="1024"] ご神木に触れ、パワーをもらいます[/caption]   しかし、「わからないからいいや」、「できないものはできない」、 「どうしようもないからもういいか」で終わらせてしまったら、 もうそこからの進化はありません。 ケアの現場が、この「ない」で終わってしまうとなんの進歩もない閉塞的な現場になってしまうでしょう。 人類は「わからない」があるからこそ進化してきたのです。 ペコパの漫才風に言えば、 「どうしようもないって言うことは、どうにかなるって言うことだ」でしょうか。 登山に例えれば、「登れない」と言う言葉は、 登るためにトレーニングを始めるというスタートラインの言葉になるのです。 お正月ですので、癒しの写真を。 大阪池田市五月山動物園のウォンバットです。心を和ませてくれる愛らしい姿ですね。 [caption id="attachment_3379" align="alignnone" width="1024"] ウオンバットのユキちゃんです[/caption] [caption id="attachment_3378" align="alignnone" width="1024"] 飛ぶから見といてね[/caption] [caption id="attachment_3377" align="alignnone" width="1024"] 飛ばなきゃ飛べないのだ。さぁ行くぞ![/caption] [caption id="attachment_3376" align="alignnone" width="1024"] 飛んだぜ!何事もチャレンジやで~[/caption] [caption id="attachment_3380" align="alignnone" width="1024"] 倒木は乗り越えるためにあるのだ![/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 一刻落ち着いていた感染者数が、再び増加し始めました。 オミクロン株という新種の脅威も迫っています。 人々はさすがにコロナ禍に、もううんざり、 精神的にも辟易しているのではないかと思います。 この冬が最大の決戦の場になるでしょうか。 ある若年性認知症の方が語っておられました。 「うつむいていたら心もうつむいてしまう。だから顔を上げて前を見る。」と。 うつむいて得することと言えば、マスクを踏まずに済むことくらいでしょうか。 (最近はお金も犬の糞もない) そうです。 「顔を上げて前を向いて歩きましょう!」こんな時期だからこそ! [caption id="attachment_3371" align="alignnone" width="1024"] 小さなチンアナゴもしっかりと上を向いています。すぐに引っ込むけど[/caption] 動物たちも、生きていくためには前を向いているのです。 [caption id="attachment_3370" align="alignnone" width="1024"] ウォンバットも頑張って穴を掘ります![/caption] [caption id="attachment_3369" align="alignnone" width="1024"] 周囲に睨みを効かせて!う~ん、ちょっと頼りない?[/caption] [caption id="attachment_3367" align="alignnone" width="1024"] コロナウイルスをつついて食べれたらいいのに[/caption] かけがえのない戻らぬ時間 だからこそ、 さぁ、顔を上げて、前を向いて、歩いていきましょう! [caption id="attachment_3368" align="alignnone" width="1024"] 顔上げて、胸もしっかり張って![/caption] [caption id="attachment_3366" align="alignnone" width="1024"] しっかりと前を向こうぜ![/caption] [caption id="attachment_3364" align="alignnone" width="1024"] 前向いて、しっかりと未来を見るんだ![/caption] 私が好きな佐藤竹善さんの曲 「カオあげて」  心の窓を開け放って  風はまだ冷たいけど  きっと晴れる日が来る、青空が戻ってくる。 https://www.youtube.com/watch?v=Ld-3UBpZ_O4 「歩み」  さぁ行こう  今こそともに踏み出そう  かけがえのない時間を胸に抱いて  歩き出そう https://www.youtube.com/watch?v=F8djt_iKSlE   本年は本当に多くの皆様に助けられました。 感謝の一言です。 では、よい年をお迎えください! [caption id="attachment_3365" align="alignnone" width="1024"] 来年は俺の年 タイガースも優勝だ[/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 さて、認知症の典型的な症状として、「記憶を引き出せない・記憶できない」というものがあります。 特に新しい出来事を記憶していけないため、直近の出来事が記憶できず、 同じことを何度も繰り返し聞いてきたり、さっき食べた食事のことも忘れてしまいます。 この状況のことを、11月に亡くなられた長谷川和夫先生は、 「確かなものが一つひとつ不確かなものに変わっていく」と表現されていました。 その長谷川先生とは、「晩年の元気なころ」よくお話をさせていただきました。 そのひとつは厚労省から委託を受けた「認知症ケア高度化推進事業」のワーキング委員として、 毎月認知症研究研修東京センターに行っていた時のことです。 当時長谷川先生は東京センターのセンター長をされていて、まさしく熟達の域におられました。 その時から「私たちはもっと認知症の人の思いに立って考えなければならない」とおっしゃられ、 その結果として生まれたものが「ひもときシート」だったのです。 ひもときシートに関しては、また別の機会に喋りたいと思います。 さらに長谷川先生には何度か市民向け研修で大阪に来ていただきました。 松本一生先生との二本立て研修は、大きな市民ホールが溢れるほどの参加者でした。 超大物とのセット研修は本当に緊張そのものでした。 [caption id="attachment_3361" align="alignnone" width="778"] OLYMPUS DIGITAL CAMERA[/caption] ただ、それらの研修の都度、長谷川先生とお話しできたのは何よりの宝物になりました。 「確かなものが不確かになっていく」その不安は自分でもどうしようもなく大きいと話されていました。 「確かな記憶が不確かになっていく」しかしその感情はしっかりと意識付けされているのです。   (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 第71回目になりますネットワーク委員会が21日開催されました。 コロナ禍において、委員会の活動が制限される中でも継続的に開催されてきています。 地域の代表からの地域住民の状況や 社会福祉協議会、市の状況 そして医療関係者からの状況報告など 各分野からの活発な意見をいただきました。 地域においては各区ごとに行事の再開についてはでこぼこがあるようで 活動をオープンにしているところもあれば、まだストップの所があるなど 様々なようです。 今現在では感染者数は減っているとはいえ、オミクロン株など 新たな脅威が迫っており、まだ慎重にならざるおえない状況と言えるでしょう。 そのような中でも、オンラインによる介護者へのアプローチなど 考えていけることはそれなりにありそうです。 また、安心声掛け訓練も、英田南校区において3月12日に開催することが決まりました。 委員の中には、シンポジウムや出前講座など早く再開したいね~という意見も はてさて、この冬、私たちはコロナ禍をどう乗り切れるのか。 まだ、行く先は不透明 しかし、やれることはやっていく という所でしょうか。          
ブログ投稿画像 これは研修でよく使うスライドです。 何を言いたいかというと、 人間は生命本能的に自己保全が働くので、 生きていくためには自分に関わる人たちが、 自分が心地よく生きられる人なのかどうかを 見極めていくということなのです。 ここでは感覚的なものと書いていますが、 それが感情と言えます。 自分にとって目の前の人が良い人なのか悪い人なのか 自己防衛上判断するのが、感情です。 いわゆる気分を害する、或いは気分が良くなるということです。 その感情が心に残り、人の見極めに繋がります。 ここで矛盾が生じます。 記憶することが厳しいはずなのに、何故嫌な人のことは記憶に残っているのか? ただここで言えることは、「感情を害する」ことが生じた 具体的内容は覚えていないということです。 「怒鳴られた」「強引に引っ張られた」「睨まれた」など、 実際の具体的出来事は覚えてないことが多いのです。(余ほど衝撃的なものでない限り) だけど感情を害された(自分にとってとても嫌なことが生じた)出来事がきっかけで、 不穏、混乱に繋がってしまうのです。 しかし、具体的に何をされたかは覚えていなくても、 「自分の感情を害した人」のことは覚えている。 何故なのでしょう? もう少し探求してみたいと思います。   (つづく)
ブログ投稿画像 先日藤戸小学校にキッズサポーター講座に行った時の事です。 覚えられなくなる仕組みについて話をした後、ある児童からこんな発言がありました。 「認知症になったら嫌なこともすぐ忘れるからいいと思う。」 この言葉がかなり私には引っ掛かりました。 もちろんこのように思っている人は大人にもいます。 しかしながら、「嫌なことは認知症の人の気持ちにも残っている」事実が多々あるのです。 「嫌なことは記憶に残るんだよ。」という説明を子どもにするとしたならば、 それは「覚えられない」と話したことと矛盾してしまいます。 この素朴な子どもの発言にうまく答えられない そう思うとその児童の言葉が、私の探求心へと繋がっていきました。 わかっているつもりでわかっていない そんな自分がいるのも事実です。 私は研修でよく話しているのですが、「感情は生きている」ということ。 例えば、不快な思いをさせた職員を毛嫌いする方。 その職員が自分に不快なことをしたと覚えているのですよね。 反対に心地よい対応をしてくれた職員のことも覚えている。 ところが、覚えられないことが基本にあるのに、 何故感情的なことは覚えているのだろうか? このことについて「感情的」な側面と「科学的」な側面と、両方から考えてみたいと思います。 (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 10日、藤戸小学校3年生(2クラス総数49名)に キッズサポーター講座を実施しました。 マンモス校の英田北小学校からすると、ほんとに少ないですね。 さて、今回は演技で見てもらうだけでない、 児童たちにも参加してもらう取り組みを行いました。 (顔が写ってしまうので、その場面の写真はありません) 伝言ゲームをベースに、もし途中の伝言者がいなくなったら 上手く伝えられなくなる、というのを児童たちに実演してもらいました。 なかなか脳の仕組みを理解するのは難しいと思いますが、 聞くだけよりは、わかったのではないかと思います。 反省点としては、子ども受けの写真は、それに引っ張られてしまうので もう少し工夫が必要かなと感じました。 「認知症はすぐに忘れてしまうから、嫌なことがあってもそれを覚えないからいいやん」 という感想を述べた児童もいました。 なるほど。素直に色々感想を持つことはいいことですね。 (あとでこっそりと、でも嫌なことは残ってしまうということを個別に伝えました) 「ばばあ」と言った児童がいたので、それは注意しましたが、 先生のフォローもあり、児童たちはみんな関心を持ってくれたようです。 [caption id="attachment_3337" align="alignnone" width="1024"] これは大人用です。児童用は「キッズサポーター」と書かれています。[/caption] ただ「キッズサポータカード」ですが、「それってなんに使えるん?」という質問があり。 確かに「カード」とくれば、何かに使えるのかと今の児童たちは思ってしまいますよね。 講座を受けたステイタスなんてことはわかるはずもありません。 まだオレンジリングの方がステイタス感はありますね。 話は変わりますが、9日の夕方、大阪上空をISS(国際宇宙ステーション)が通過していきました。 大金持ちのボンボンに向かって手を振ったのですが、反応なし。 せめて窓から顔出して、手を振って欲しかったな~(笑) 生駒山の彼方に消えていきました。 これはスマホで撮ったもの。 案外と見えるものなので、次回大阪上空を通るときは空を見上げてみてください。        
ブログ投稿画像 11月29、30の両日、法人職員による研究発表会がありました。(連日18時30分から21時まで) 毎年行われているもので、今年で8回目になります。 今回も様々な部署から熱意のある取組み研究発表がありました。 時間が5分に限られているので、発表側もその中でまとめるのに苦労されたのではないかと思います。 その見せ方も様々で、ドラマ風のユニークな発表もありました。バラエティに富んでいいと思います。 [caption id="attachment_3309" align="alignnone" width="1024"] 怪しい[/caption] このように研究発表をするということは、まず「考える」つまり探究心を働かせることになります。 原因・背景・理由を考えるだけでなく、想定や推測などの想像力を働かせることにもなり、 他者の発表を聴くことで、創造力にも繋がっていきます。 [caption id="attachment_3310" align="alignnone" width="1024"] とても怪しい[/caption] ケアの世界はともすれば狭い世界しか知らない閉鎖的かつネガティブ思考に働くことが多いと言えます。 その世界を広め、ポジティブ思考に転換するには、やはり「探求(究)心」を持つこと。 それを常日頃心掛けることでしょう。   ケアで何か困ったことが起きた時、 すぐに、どうしたらいいかわからない、どうしようもないのなどと考えるのではなく、 「わからないことがわかったら、めちゃ嬉しいやん!」と考えて、「探求(究)心」を働かすことですね。 [caption id="attachment_3200" align="alignnone" width="810"] 三千メートルの山からの景色です[/caption] 「わからない」とあきらめる前に、「なるほど、そうだったのか!」となるように、 「探求(究)心」を働かせましょう。 [caption id="attachment_3102" align="alignnone" width="960"] 天狗にならないよう、ときには鼻をつまむことです。[/caption]   「わからない」は、あきらめるために存在するのではなく、 「わかる」ために存在しているのです。 「わからない」を乗り越えて人は成長していくのです。