2022.08.15
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戦争があったことそのものが忘れられようとしている昨今
戦争実体験者も今は数少なくなりました。
7~8年前までは、地域の高齢者を訪問する中で、多くの戦争体験を聴けたものです。
しかし実体験を語れる人も少なくなり、人々の心からも忘れ去られようとしています。
今日に至るまで、戦争は悲惨、悲しみ苦しみしかもたらさないと、言い続けていながらも、
今もって戦争は起きています。
民衆の地獄よりも、国家の(一部指導者の)権威が常日頃優先される、懲りない人類です。
しかし、確かに戦争によって、多くの幼い命が奪われたのは事実。
その事実を忘れることは決してできません。
[caption id="attachment_3937" align="alignnone" width="1600"] 淀川区十三にある北野高校に保存されている、米軍戦闘機による機銃掃射による弾痕[/caption]
当時も認知症の人はおられたはずですが、
実際どのように過ごしていたのでしょうか。
多くの高齢者の方との話の中にも、当時の認知症の人の話は出てきませんでした。
戦争という過酷な状況の中で、認知症の人はどのように生きてこられたのか…
今となっては聴き取りできる人も少なくなりました。
もっと早くから調査をすべきだったと思いますが、
想像するに、病院が姨捨山のような存在になっていたのかもしれません。
[caption id="attachment_3938" align="alignnone" width="960"] 当時、女、子供関係なく機銃掃射を受けた。戦争の事実が残る貴重な場所です。[/caption]
戦争の経験だけでなく、認知症の人の状況も
「忘れ去られる日々」であってはならないと思うのです。
昨日は山の日でした。
登山大好きな私は、山に登らず、
職場の屋上に登り?
生駒アルプス(と、勝手に名付けた。山並みを見ると、なんでもアルプスと名付けたくなります)を眺めていました。
山の向こうに湧く白い雲と、青空がきれいでしたね。
[caption id="attachment_3930" align="alignnone" width="2048"] 生駒アルプス?[/caption]
さて、今年も北アルプスに行こうと思っていたのですが、
あまりのコロナの猛威に断念。
北アルプスのいくつかの山小屋も従業員が感染し
(間違いなく、登ってきた登山者に感染させられた)閉鎖したところもありました。
[caption id="attachment_3933" align="alignnone" width="1600"] 奥穂高岳から槍ヶ岳を望む[/caption]
今でこそ牛歩でしか私は登れませんが、昔はあちこちの山に元気よく登ったものです。
ただ最近はマナーの悪い登山者が増えてきているとか。
(ほかの登山者関係なく、我が道を行く(走る))、高山植物のお花を摘むなどなど…
山に行くと心洗われるのですが、
山でも不快な思いに会うことが増えてきたのかもしれません。
[caption id="attachment_3931" align="alignnone" width="2048"] 北アルプス常念岳山頂(積雪期)[/caption]
私たちの仕事の大切なところは、
利用者の心身が安心できる、そんな場所を提供すること。
そのためには私たち自身の人間関係も良くしていくこと。
「好循環」ですね。
[caption id="attachment_3932" align="alignnone" width="1600"] 三千メートル峰から見るご来光[/caption]
心を汚す仕事ではなく、荘厳なご来光のように、
心潤う仕事
生駒アルプス?を眺めながら、そう思いました。
屋上、暑い! 三千メートル峰は涼しいのになぁ~
雲は一瞬一瞬に姿を変えていきますね
まるで魔術師のような芸術家
時間が停まらない限り
雲も大地も人間も
そして心の中も変化していくのです。
人の心も雲のように変化します。
時に暗雲となり、雷を轟かせ
人を不安にさせると思えば
ふわふわとのんびりと
まるでほくそ笑んでいるかのように
人の心を和ませてくれることも
雲って人の心のような存在です。
当然、認知症という病気になっても
感情は私たちと同じ
時に雷雲になり、時にのんびり浮かぶ雲になる
感情の動きは何ら変わらないのに
私たちは認知症のせいにしてしまうのです。
でも雲一つない、快晴のような心も
やっぱり欲しいですよね。
コロナ、物価高、誹謗中傷、そして戦争…
人の心は、快晴には程遠いのかもしれません…
今日は8月6日ですね。
広島に原爆が投下されてから77年
人々の記憶から忘れられていくことが多くなっているのでしょうか。
しかし、乳児、幼児、児童、生徒…
あらゆる多くの子どもたちが瞬時に命を奪われました。
決して忘れてはならない記憶として、語り継いでいかなければならないことですね。
記憶
認知症になると、その記憶が失われていくことになります。
しかし、記憶は簡単に「失われる」だけで片付けるにはあまりにも複雑です。
直近のことは覚えられなくても、随分昔のことをしっかりと覚えていたりもします。
或いは過去の記憶が、自分に都合の良い記憶として残っている場合もあります。
その記憶によって、私たちは日常生活を行っています。
記憶は複雑多岐、複雑怪奇なるものですね。
認知症の人の記憶と行動について、
脳科学者の恩蔵絢子先生の本をもとに順次紹介していきたいと思います。
2022.08.04
トピックス2022.08.02
トピックス2022.08.01
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いぶし銀
「見た目の華やかさはないが実力や魅力があるもの」
私は彼のことを「いぶし銀のようなケアマネジャー」と呼び、尊敬していました。
彼とはわずか3年間しか仕事を共にしませんでしたが、
その謙虚で真摯な姿勢を見るたびに、いつも自分は何をやってんだかと思った次第です。
彼の名前から、浮かんだ言葉が「月に咲く花」でした。
月に花なんか咲かない?
いやいやそのような場所であっても花を咲かせてくれるような存在だったのです。
今年に入って私は、二人の若く熱き思いを持った後輩を病気で亡くしました。
将来を託せる人の早逝は、痛手です。
本当に全てにおいて心が痛むことなのです。
同時に、いつどこでどうなるかわからない人生。
一日一日を無駄に過ごすことがないようにしたいものですね。
どんなに暑くてもどんなに寒くても
宮沢賢治の詩のように、自転車で走り回っていた彼の姿が
今でも目に浮かびます。
石川が詩を改変しました。
「雨ニモマケズ」
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けず
新型コロナウイルスの脅威と恐怖の中でも
丈夫なからだと心をもち
決して怒らず
いつも冷静に対処し、利用者には笑っている
一日に、相談・訪問・デイ・ショート
守るべき人たちのことを
よく見聞きし分かり
そして忘れず
地域の住民や高齢者にとって
灯台のような建物から
東に病気の高齢者あれば
行って適切なマネジメントをし
西に疲れた介護者あれば
行ってそのつらさを受け止め
南に死にそうな人があれば
行って看取りを支え
北に認知症の人が不安の中にいれば
あたたかなまなざしと言葉をかけ
新型コロナウイルスの恐怖に怯えながらも
日照りの時は汗を流して自転車をこぎ
寒い冬も北風に負けずに歩き
マスコミにはその地味な努力を
褒められもせず
苦にもされず
それでもひたすら頑張っている
そういういぶし銀のようなあなたを
私は
誇りに思いたい。
2022.07.26
トピックス2022.07.22
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