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2023.03.15

トピックス
「ブルージャイアント」と二つのご案内 やはり日本のアニメの質は高いですね。 「ブルージャイアント」をレイトショーで見てきました。 レイトショーはいいですよ。今回も大きな劇場に4名でした。 「ブルージャイアント」はジャズに青春をかける青年のアニメ映画です。 クラシックが好きなのですが、ジャズも好きなのです。 いいですね、若い人の何かに打ち込む情熱的な姿! そしてそれを支える年配の人たち。 もしもう一度青春をやり直せるのなら、不完全燃焼だったかつての自分ではなく、 何かに情熱をぶつけてみたいですね。 同時に年配者は、「若い奴はどうせ…」なんて上から視点で見ないで、 その若者を導き、引き上げる役割があるのです。 これから封切られる「ロスト・ケア」という映画。 猛烈に批判したい今の気持ちですが、見てみないとそこは何ともの状況ですね。 さて、認知症の人の介護をされている家族の会「ほっこりなつどい」が 3月23日に開催されます。 介護の悩み苦しみを、介護家族同士で共有しながら、 気楽にお話をして、前を向いていくヒントをもらう家族会です。 ご希望の方は下記にご連絡ください。 またこの1月にNHKスペシャルで全国放送された、 認知症になった母親を介護する脳科学者、恩蔵絢子先生が神戸に来られます。 脳科学の観点から認知症ケアを見る。 とても理解しやすい話となります。 専門職、介護者、一般市民、どなたでも大丈夫です。 ぼちぼち満席になりそうなので、ご応募はお早めに!
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2023.03.14

トピックス
ミツマタロードからサントリーロードへ 道に迷うということ ミツマタの花を見に軽登山してきました。 先月登った山、「サントリー山」でのこと。 ここで、おばあちゃんに近いおばちゃんに会いました。 「まだちょっと早いんやけど、ミツマタがきれいに咲いてるねん。去年撮った写真やで。」 と言って、スマホの写真を見せてくれました。 こんな天王山界隈に、ミツマタという名前の花の群落があるなどとは知りませんでした。 「ところでそのミツマタの一杯咲いてる場所、どこか知らん?」と聞かれたのですが、 去年行ってきて写真撮ったんとちゃうの?とは突っ込まず、正直知らないですと返事。 しかし後で、このおばあちゃんに近いおばちゃんの発言の意味がよく分かったのです。 ということで1か月後、地図にもガイドブックにも載っていない、(登山道も書かれていない) ミツマタロード目指しての冒険が始まります。 野生の感??を働かせて、ミツマタが道沿いに咲いているミツマタロードに到着。 ミツマタはその名の通り、枝が三又に分かれています。 面白い木ですね。そして満開の花がどれなのかもよくわからなかったです。 さてここから、何故か道標がない三叉路(三又だ)がいくつもあり、 お昼を食べる予定の天王山がわからない。 まさしく、おばあちゃんに近いおばちゃんの発言の意味が分かりだします。 しかしここも野生の感?を働かせ、何とか山頂に到着。 この後は、サントリー山からサントリーロード(カントリーロードではありません)を通って下山することに。 このサントリーロードはまだ歩いたことはなく、ちょっとした冒険。 なんせ地図にはない道。グーグルマップにも何も表示されません。 ところが途中で、道が怪しくなり引き返し、 谷へ降りる道にマークがあったのでそこを降りるも とてもじゃないが進める道ではなく引き返し、 ほとんどサントリー山に戻るような形で、ようやく本来のサントリーロードを発見したのでした。 (めっちゃわかりにくかった) 名神高速 天王山トンネルが一部分見えています。   道がどこだがわからなくなる不安と混乱。認知症の人の気持ちがよくわかります。 そして、「引き返す」というのは、決断が必要ですね。 でも認知症の人の場合、その決断自体が霧の中です。 だからどこまでも迷いながら進んでしまうのですね。 この神社、特にサントリーとは関係ないそうです   このサントリーロード、何故そう言われるのかというと、 サントリー山崎蒸溜所に出るからなのです。 途中、名神高速天王山トンネルのむき出し?部分を越えると神社があり、 そのすぐ先がサントリー山崎蒸溜所(工場)なのです。 二つの鳥居をくぐると、そこは蒸溜所内。 う~ん、折角なら鳥居を3つ作ってくれていたら三鳥居(サントリー)になったのに。 この工場内の道、実はサントリーのものではなく、公道なのです。 ですから蒸溜所内を普通に歩けるのです。 たかが低山、されど低山。どのような山でも、地形図がわかる地図と、コンパスが必要ですね。 グーグルマップは地形図が出ないので、何の役にも立ちません。 と、休日はちょっとした冒険をして楽しく過ごしてきました。
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2023.03.11

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温度差 今日は3月11日 大阪では、普段と変わらぬ3月11日です。 恐らく、東北・関東と、関西では温度差があるのでしょう。 1月17日は、その逆でした。 いや、兵庫の隣りの大阪でさえもそうだったかな。 惨状の神戸から大阪に戻った途端、普通の生活の状況 その温度差に涙が止まりませんでした。 しかし確実に南海トラフ地震はやってきます。 それでも関西圏では比較的安全な、奈良、滋賀と、 直面する和歌山、大阪では意識が違うかもしれません。 いや、大阪人もまだ意識にはない、 或いは「起きない」と信じたいと、逃げているのかもしれません。 多大な被害を受けた東灘区にて   温度差は様々なところで起こっています。 関心があるかないかでも随分違います。 職域の違いでもあるでしょう。 冬の寒さで冷たくなった手で、室内の温かいところにいた人の手を握ったら、 その冷たさ(温度差)に、冷えてない手の人は「つめたいやんか!」と 驚いて、時に怒ったりもします。 その温度差は、なかなかすぐには相いれないものなのかもしれません。 しかし介護職は、もし自分の手が冷たければ、 さすったり、息を掛けたりして、 自分の手を温めてから利用者の手を持ちます。(そのはず) 逆に利用者の手が冷たければ、温かい自分の手でさすってあげて 利用者の手を温めようとします。 つまり温度差はその差を埋めるために存在するとも言えます。 温度差をなくす。 それは、相手への気遣いとも言えます。 認知症の人への関りでも同じでしょう。 私たちの仕事は温度差をなくすことでもあるのです。 大震災の犠牲になられた方に、合掌。  
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2023.03.08

トピックス
オレンジメンバーの勉強会に行ってきました オレンジメンバーの勉強会、今回は河内永和の東大阪市の会館でありました。 普段から車を多用しているのですが、今回は職場から電車で向かいました。 登山に、キャンプに、写真撮影、そして通勤にと、何かと車を使うことが多い毎日。 これではだめだと、コロナも下火になったので、週1回はおよそ2時間かけて 電車通勤しようと思いました。 歩くし、エスカレーターを使わない階段の上り下りは登山のいいトレーニングにもなります。 そして様々な人を見るのもいい刺激になります。 同じパターンでないことをたまにやってみると、違う視野や考えが広がりますね。 常に主観の中にいる自分に、客観的視点を持たすという意味もあります。 さて、違う視野ということで、今回のオレンジメンバーの勉強会は、 認知症の人からは、私たちはどう見えているのか?という内容でした。 10名のメイトさんでしたが、それぞれに熱く語っておられる姿がいい感じでした。 最近は脳科学など、根拠をもとに原因理由、背景を探っていくことを よくお話しするのですが、(それはあまりにもケアの現場の考えが曖昧だから) 実は、「なんかいい感じ」(クオリア)という感覚的なものも とても大切なのだと思います。 お店に入った時の「なんか、ええ感じのお店やな~」という、 ええ感じ(大阪弁の方がええ感じ)という感覚的なもの。 もっとも、ええ感じになるためには、 根拠をもとにした、しっかりとした理念(理念というと、理路整然としたという感じですが、実は情熱という感覚が支えている)と、 体制作りがあってこそのものなのですよね。 話をオレンジメンバー勉強会に戻すと、 私の話そのものより、メンバーさんによる語らいから湧き出る「なんかええ感じ」が、 実は認知症ケアのとても大切な部分に繋がっていくということなのです。 10名の参加者、少な!と思うなかれ。このええ感じは、100名分に相当するのですから。 私も教える立場でありながら、皆さんからエネルギーをもらいました。 出会いがあるのは嬉しいものです。感謝。
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2023.03.03

トピックス
お雛祭りに春を感じる ある認知症の人が、ひな人形に話し掛けていました。 「毎日朝から晩まで、重たい着物着て座っていたらしんどいやろうに…」 その方の気遣いが感じられますね。 人形であれ、意思を持たないあらゆる個体(椅子とか机とか、 日常生活におけるあらゆるもの)であれ、 それに対する気遣いを持つということは、 物を大切にするということに繋がるのかもしれません。 現にこのひな人形、当直者も寝静まる時間帯に、 「あ~あ、今日も一日座りっぱなしで疲れた!」と言って、 足を延ばしているのです。 「それにこの着物、重たくて肩が凝る…」 その女雛の言葉に、男雛が立ち上がり、女雛の肩をやさしく揉んであげているのです。 なるほど、女雛は男雛より年上に見えますね。 そして二人は当直者が起きだしてくる前に、 「さ、元の形に戻りましょう」 と言って、伸ばしていた足を元に戻すのです。 皆さんは気づいたことがありませんが? 動かないはずの人形が、 次の日、ほんのちょっと位置がずれていたり、 形がわずかながら変わったりしていることに。 因みに男雛が向かって左側に座っているのは関東。 主に京都(関西)は、男雛が右側、女雛が左側だそうです。 このお二人は関東出身かもしれません。 そして3月 花々のつぼみも大きくなってきました。 春はすぐそこまで来ているようです。
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2023.03.01

トピックス
オーケストラからケアの現場を考える・シンフォニーホールへ再び 日曜日に訪れたシンフォニーホール 火曜日に再び訪れました。 日曜日は超満員でしたが、火曜日は新進演奏家育成プロジェクトということもあり、 ちょっと寂しい入りだったかな。 朝日放送(ABC)が建てた(今は別会社が運営)ザ・シンフォニーホールも40年ですか。 その間、何回訪れたことでしょうか。 前述したクラシック好きの認知症のAさんとの出会いがなければ、 このホールに生演奏を聴きに来ることもなかったかもしれません。 今回は難解な音楽ばかりで、初めての人にはとっつきにくかったかもしれませんね。 オーケストラは、一人一人が切磋琢磨する上で(一人一人の技術を磨き、他のメンバーはライバルにもなる)、 チームワークを作り上げていきます。 いがみ合っていてはいい音楽は作れません。 オーケストラにもやはり序列がありますが、 それでも観衆により良い音楽を提供するために、チームとしてまとまっていきます。 その姿は、チームで動くケアの現場と重なるものがあります。 そういう意味で今回私は、オーケストラの動きとチームワークも見ていました。 さらに今回は若手の育成プログラムですから、 そのソリストたちの下支えとしてのオーケストラになります。 当たり前ですが、ひとりひとりのポジション(担当楽器)に真剣に取り組んでいる姿が見て取れました。 それはケアの現場も同じですね。 人間ですから文句は出てくるでしょうが、文句を言ってる時間を技術を磨くことに団員は傾けているのです。 オーケストラで大切なのはコンサートマスター(コンマス)の存在です。 一見指揮者のようにも思えますが、このコンマスこそが、オーケストラをまとめる重要な役割を担っています。 ケアの現場も、施設長(指揮者)もさることながら、 コンマスの立場にいる人が重要なカギを握ると言えます。 新進演奏家の皆様の頑張りは良かったですね。 今回英田地区認知症ケアネットワーク委員会の委員の先生のご子息が登壇され、 素晴らしい演奏を聴かせてくれました。 ラフマニノフの難曲を暗譜で弾かれたダイナミックな演奏、これから期待できますね。 このような機会を与えていただいた委員の先生に感謝です。 ありがとうございました。
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2023.02.28

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83歳のタクト 「チャイコフスキー交響曲第6番悲愴」 まだ私が某施設で生活相談員の職についていた時のことです。 車いすに乗った認知症状のあるAさんは、常にケア職員に罵倒を浴びせ、 時に職員に車いすごとぶつかっていく、当時としてはケア職員から見て難儀な入居者でした。 私もどう関わったらいいかわからなかったのですが、 そのAさんの枕元に、クラシック音楽が入ったテープを多く見つけました。 当時、少しはクラシックに興味があった私は、Aさんにクラシック音楽のことで話し掛けました。 「好きな曲は何ですか?」と聞くと、「チャイコ、6番」と答えます。 チャイコフスキー作曲の「交響曲第6番悲愴」のことでした。 そこで、6番のCDを買ってきて、Aさんに聴いてもらいました。 落ち着きなく動き回るAさんが、約45分の演奏の間、ずっと落ち着いて聴いていたのです。 色々話をすると、青春時代につきあっていた男性がこの曲が好きで、 それ以来この曲だけでなく、クラシック音楽も好きになったとか。 以降、録画した演奏会を見てもらったりもしました。 オーケストラの配置(第1ヴァイオリン、第2バイオリン、ビオラの位置とか…)についても教えてもらったりしました。 以降、私にとってもチャイコフスキー第6番悲愴は忘れえぬ曲となったのです。 その悲愴を先日の日曜日、シンフォニーホールに聴きに行きました。 指揮者は今年83歳になる小林研一郎。 かつて何度もこの指揮者の曲を聴きに行ったことがありますが、日本でも有数の指揮者です。 そのコバケンもかなりのご高齢ながら、熱い指揮姿を見せてくれました。 タクトを振るうというより、「思い」を全身でオーケストラに伝えていく (実際、あまりタクトを振らなかった)そんな感じでした。 「悲愴」の第1楽章は戦争や災害、コロナなどで苦しむ人々の苦悩が、 第4楽章は老いと死を見つめるような心にぐっと入る魂の演奏でした。 因みにもう一つのプログラムはラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」。 この演目、今日も聴きに行くんですよね~(苦笑)
ブログ投稿画像 やはり日本のアニメの質は高いですね。 「ブルージャイアント」をレイトショーで見てきました。 レイトショーはいいですよ。今回も大きな劇場に4名でした。 「ブルージャイアント」はジャズに青春をかける青年のアニメ映画です。 クラシックが好きなのですが、ジャズも好きなのです。 いいですね、若い人の何かに打ち込む情熱的な姿! そしてそれを支える年配の人たち。 もしもう一度青春をやり直せるのなら、不完全燃焼だったかつての自分ではなく、 何かに情熱をぶつけてみたいですね。 同時に年配者は、「若い奴はどうせ…」なんて上から視点で見ないで、 その若者を導き、引き上げる役割があるのです。 これから封切られる「ロスト・ケア」という映画。 猛烈に批判したい今の気持ちですが、見てみないとそこは何ともの状況ですね。 さて、認知症の人の介護をされている家族の会「ほっこりなつどい」が 3月23日に開催されます。 介護の悩み苦しみを、介護家族同士で共有しながら、 気楽にお話をして、前を向いていくヒントをもらう家族会です。 ご希望の方は下記にご連絡ください。 またこの1月にNHKスペシャルで全国放送された、 認知症になった母親を介護する脳科学者、恩蔵絢子先生が神戸に来られます。 脳科学の観点から認知症ケアを見る。 とても理解しやすい話となります。 専門職、介護者、一般市民、どなたでも大丈夫です。 ぼちぼち満席になりそうなので、ご応募はお早めに!
ブログ投稿画像 ミツマタの花を見に軽登山してきました。 先月登った山、「サントリー山」でのこと。 ここで、おばあちゃんに近いおばちゃんに会いました。 「まだちょっと早いんやけど、ミツマタがきれいに咲いてるねん。去年撮った写真やで。」 と言って、スマホの写真を見せてくれました。 こんな天王山界隈に、ミツマタという名前の花の群落があるなどとは知りませんでした。 「ところでそのミツマタの一杯咲いてる場所、どこか知らん?」と聞かれたのですが、 去年行ってきて写真撮ったんとちゃうの?とは突っ込まず、正直知らないですと返事。 しかし後で、このおばあちゃんに近いおばちゃんの発言の意味がよく分かったのです。 ということで1か月後、地図にもガイドブックにも載っていない、(登山道も書かれていない) ミツマタロード目指しての冒険が始まります。 野生の感??を働かせて、ミツマタが道沿いに咲いているミツマタロードに到着。 ミツマタはその名の通り、枝が三又に分かれています。 面白い木ですね。そして満開の花がどれなのかもよくわからなかったです。 さてここから、何故か道標がない三叉路(三又だ)がいくつもあり、 お昼を食べる予定の天王山がわからない。 まさしく、おばあちゃんに近いおばちゃんの発言の意味が分かりだします。 しかしここも野生の感?を働かせ、何とか山頂に到着。 この後は、サントリー山からサントリーロード(カントリーロードではありません)を通って下山することに。 このサントリーロードはまだ歩いたことはなく、ちょっとした冒険。 なんせ地図にはない道。グーグルマップにも何も表示されません。 ところが途中で、道が怪しくなり引き返し、 谷へ降りる道にマークがあったのでそこを降りるも とてもじゃないが進める道ではなく引き返し、 ほとんどサントリー山に戻るような形で、ようやく本来のサントリーロードを発見したのでした。 (めっちゃわかりにくかった) [caption id="attachment_4496" align="alignnone" width="1600"] 名神高速 天王山トンネルが一部分見えています。[/caption]   道がどこだがわからなくなる不安と混乱。認知症の人の気持ちがよくわかります。 そして、「引き返す」というのは、決断が必要ですね。 でも認知症の人の場合、その決断自体が霧の中です。 だからどこまでも迷いながら進んでしまうのですね。 [caption id="attachment_4497" align="alignnone" width="1600"] この神社、特にサントリーとは関係ないそうです[/caption]   このサントリーロード、何故そう言われるのかというと、 サントリー山崎蒸溜所に出るからなのです。 途中、名神高速天王山トンネルのむき出し?部分を越えると神社があり、 そのすぐ先がサントリー山崎蒸溜所(工場)なのです。 二つの鳥居をくぐると、そこは蒸溜所内。 う~ん、折角なら鳥居を3つ作ってくれていたら三鳥居(サントリー)になったのに。 この工場内の道、実はサントリーのものではなく、公道なのです。 ですから蒸溜所内を普通に歩けるのです。 たかが低山、されど低山。どのような山でも、地形図がわかる地図と、コンパスが必要ですね。 グーグルマップは地形図が出ないので、何の役にも立ちません。 と、休日はちょっとした冒険をして楽しく過ごしてきました。
ブログ投稿画像 今日は3月11日 大阪では、普段と変わらぬ3月11日です。 恐らく、東北・関東と、関西では温度差があるのでしょう。 1月17日は、その逆でした。 いや、兵庫の隣りの大阪でさえもそうだったかな。 惨状の神戸から大阪に戻った途端、普通の生活の状況 その温度差に涙が止まりませんでした。 しかし確実に南海トラフ地震はやってきます。 それでも関西圏では比較的安全な、奈良、滋賀と、 直面する和歌山、大阪では意識が違うかもしれません。 いや、大阪人もまだ意識にはない、 或いは「起きない」と信じたいと、逃げているのかもしれません。 [caption id="attachment_4363" align="alignnone" width="1909"] 多大な被害を受けた東灘区にて[/caption]   温度差は様々なところで起こっています。 関心があるかないかでも随分違います。 職域の違いでもあるでしょう。 冬の寒さで冷たくなった手で、室内の温かいところにいた人の手を握ったら、 その冷たさ(温度差)に、冷えてない手の人は「つめたいやんか!」と 驚いて、時に怒ったりもします。 その温度差は、なかなかすぐには相いれないものなのかもしれません。 しかし介護職は、もし自分の手が冷たければ、 さすったり、息を掛けたりして、 自分の手を温めてから利用者の手を持ちます。(そのはず) 逆に利用者の手が冷たければ、温かい自分の手でさすってあげて 利用者の手を温めようとします。 つまり温度差はその差を埋めるために存在するとも言えます。 温度差をなくす。 それは、相手への気遣いとも言えます。 認知症の人への関りでも同じでしょう。 私たちの仕事は温度差をなくすことでもあるのです。 大震災の犠牲になられた方に、合掌。  
ブログ投稿画像 オレンジメンバーの勉強会、今回は河内永和の東大阪市の会館でありました。 普段から車を多用しているのですが、今回は職場から電車で向かいました。 登山に、キャンプに、写真撮影、そして通勤にと、何かと車を使うことが多い毎日。 これではだめだと、コロナも下火になったので、週1回はおよそ2時間かけて 電車通勤しようと思いました。 歩くし、エスカレーターを使わない階段の上り下りは登山のいいトレーニングにもなります。 そして様々な人を見るのもいい刺激になります。 同じパターンでないことをたまにやってみると、違う視野や考えが広がりますね。 常に主観の中にいる自分に、客観的視点を持たすという意味もあります。 さて、違う視野ということで、今回のオレンジメンバーの勉強会は、 認知症の人からは、私たちはどう見えているのか?という内容でした。 10名のメイトさんでしたが、それぞれに熱く語っておられる姿がいい感じでした。 最近は脳科学など、根拠をもとに原因理由、背景を探っていくことを よくお話しするのですが、(それはあまりにもケアの現場の考えが曖昧だから) 実は、「なんかいい感じ」(クオリア)という感覚的なものも とても大切なのだと思います。 お店に入った時の「なんか、ええ感じのお店やな~」という、 ええ感じ(大阪弁の方がええ感じ)という感覚的なもの。 もっとも、ええ感じになるためには、 根拠をもとにした、しっかりとした理念(理念というと、理路整然としたという感じですが、実は情熱という感覚が支えている)と、 体制作りがあってこそのものなのですよね。 話をオレンジメンバー勉強会に戻すと、 私の話そのものより、メンバーさんによる語らいから湧き出る「なんかええ感じ」が、 実は認知症ケアのとても大切な部分に繋がっていくということなのです。 10名の参加者、少な!と思うなかれ。このええ感じは、100名分に相当するのですから。 私も教える立場でありながら、皆さんからエネルギーをもらいました。 出会いがあるのは嬉しいものです。感謝。
ブログ投稿画像 ある認知症の人が、ひな人形に話し掛けていました。 「毎日朝から晩まで、重たい着物着て座っていたらしんどいやろうに…」 その方の気遣いが感じられますね。 人形であれ、意思を持たないあらゆる個体(椅子とか机とか、 日常生活におけるあらゆるもの)であれ、 それに対する気遣いを持つということは、 物を大切にするということに繋がるのかもしれません。 現にこのひな人形、当直者も寝静まる時間帯に、 「あ~あ、今日も一日座りっぱなしで疲れた!」と言って、 足を延ばしているのです。 「それにこの着物、重たくて肩が凝る…」 その女雛の言葉に、男雛が立ち上がり、女雛の肩をやさしく揉んであげているのです。 なるほど、女雛は男雛より年上に見えますね。 そして二人は当直者が起きだしてくる前に、 「さ、元の形に戻りましょう」 と言って、伸ばしていた足を元に戻すのです。 皆さんは気づいたことがありませんが? 動かないはずの人形が、 次の日、ほんのちょっと位置がずれていたり、 形がわずかながら変わったりしていることに。 因みに男雛が向かって左側に座っているのは関東。 主に京都(関西)は、男雛が右側、女雛が左側だそうです。 このお二人は関東出身かもしれません。 そして3月 花々のつぼみも大きくなってきました。 春はすぐそこまで来ているようです。
ブログ投稿画像 日曜日に訪れたシンフォニーホール 火曜日に再び訪れました。 日曜日は超満員でしたが、火曜日は新進演奏家育成プロジェクトということもあり、 ちょっと寂しい入りだったかな。 朝日放送(ABC)が建てた(今は別会社が運営)ザ・シンフォニーホールも40年ですか。 その間、何回訪れたことでしょうか。 前述したクラシック好きの認知症のAさんとの出会いがなければ、 このホールに生演奏を聴きに来ることもなかったかもしれません。 今回は難解な音楽ばかりで、初めての人にはとっつきにくかったかもしれませんね。 オーケストラは、一人一人が切磋琢磨する上で(一人一人の技術を磨き、他のメンバーはライバルにもなる)、 チームワークを作り上げていきます。 いがみ合っていてはいい音楽は作れません。 オーケストラにもやはり序列がありますが、 それでも観衆により良い音楽を提供するために、チームとしてまとまっていきます。 その姿は、チームで動くケアの現場と重なるものがあります。 そういう意味で今回私は、オーケストラの動きとチームワークも見ていました。 さらに今回は若手の育成プログラムですから、 そのソリストたちの下支えとしてのオーケストラになります。 当たり前ですが、ひとりひとりのポジション(担当楽器)に真剣に取り組んでいる姿が見て取れました。 それはケアの現場も同じですね。 人間ですから文句は出てくるでしょうが、文句を言ってる時間を技術を磨くことに団員は傾けているのです。 オーケストラで大切なのはコンサートマスター(コンマス)の存在です。 一見指揮者のようにも思えますが、このコンマスこそが、オーケストラをまとめる重要な役割を担っています。 ケアの現場も、施設長(指揮者)もさることながら、 コンマスの立場にいる人が重要なカギを握ると言えます。 新進演奏家の皆様の頑張りは良かったですね。 今回英田地区認知症ケアネットワーク委員会の委員の先生のご子息が登壇され、 素晴らしい演奏を聴かせてくれました。 ラフマニノフの難曲を暗譜で弾かれたダイナミックな演奏、これから期待できますね。 このような機会を与えていただいた委員の先生に感謝です。 ありがとうございました。
ブログ投稿画像 まだ私が某施設で生活相談員の職についていた時のことです。 車いすに乗った認知症状のあるAさんは、常にケア職員に罵倒を浴びせ、 時に職員に車いすごとぶつかっていく、当時としてはケア職員から見て難儀な入居者でした。 私もどう関わったらいいかわからなかったのですが、 そのAさんの枕元に、クラシック音楽が入ったテープを多く見つけました。 当時、少しはクラシックに興味があった私は、Aさんにクラシック音楽のことで話し掛けました。 「好きな曲は何ですか?」と聞くと、「チャイコ、6番」と答えます。 チャイコフスキー作曲の「交響曲第6番悲愴」のことでした。 そこで、6番のCDを買ってきて、Aさんに聴いてもらいました。 落ち着きなく動き回るAさんが、約45分の演奏の間、ずっと落ち着いて聴いていたのです。 色々話をすると、青春時代につきあっていた男性がこの曲が好きで、 それ以来この曲だけでなく、クラシック音楽も好きになったとか。 以降、録画した演奏会を見てもらったりもしました。 オーケストラの配置(第1ヴァイオリン、第2バイオリン、ビオラの位置とか…)についても教えてもらったりしました。 以降、私にとってもチャイコフスキー第6番悲愴は忘れえぬ曲となったのです。 その悲愴を先日の日曜日、シンフォニーホールに聴きに行きました。 指揮者は今年83歳になる小林研一郎。 かつて何度もこの指揮者の曲を聴きに行ったことがありますが、日本でも有数の指揮者です。 そのコバケンもかなりのご高齢ながら、熱い指揮姿を見せてくれました。 タクトを振るうというより、「思い」を全身でオーケストラに伝えていく (実際、あまりタクトを振らなかった)そんな感じでした。 「悲愴」の第1楽章は戦争や災害、コロナなどで苦しむ人々の苦悩が、 第4楽章は老いと死を見つめるような心にぐっと入る魂の演奏でした。 因みにもう一つのプログラムはラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」。 この演目、今日も聴きに行くんですよね~(苦笑)