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2023.07.31

トピックス
認知症の人の夏 今年の夏は異常に暑い! と、毎年言ってるような気がします。 その中でも今年は連日厳しい暑さが続きます。 しかし、認知症の人の場合、脳の認知機能の低下は、「暑い、寒い」という感覚さえも奪ってしまいます。 ですので、夏でも厚着しているということはよくあります。 認知症は季節の感覚までも奪ってしまうので、周囲の人たちによる注意と環境整備が必要になります。   家から出て行ってしまって、道に迷ってしまう人にとっては過酷な状況です。 暑いから外には出ないという判断はできないので、 暑かろうが寒かろうが、外出しなければならないという思いの方が強いので、 結局過酷な暑さ寒さにさらされてしまいます。 なんでこんな暑い時に!と、私たちの視点から見ると、 とんでもないことと、理解できない行動なのですが、 本人には本人なりに理由があっての行動なのです。 パンダも暑さでへたばっています。   しかし暑さは容赦なく認知症の人に襲い掛かります。 一刻も早い発見が必要になります。暑いと出歩く地域住民も少なく、 路地裏に座り込んでいて発見が遅れるということも十分にありうるのです。 出来れば何らかの形でGPS発信機を持ってもらえれば最良なのですが、 うまく所持してもらえないという課題もあります。   さて、探すというと、2万1千人の中から一人を探すというのは至難の業ですね。 先週の土曜日、ラグビーワールドカップに向けた強化試合ともいえる、 日本代表対トンガの試合が花園ラグビー場でありました。 本来こんな猛烈な暑さの中でラグビーはやるようなものではないのですが、 久しぶりの関西での国際試合、2万1千人の人が来訪、花園ラグビー場はほぼほぼ満員になりました。   ある認知症の男性は、妻とともに熱烈なラグビーファンです。 今回の試合も早々にチケットを申し込まれたそうです。 当の本人の認知症状は、常にケアが必要な状況ですが、妻と子どもさんとともに観戦するとか。 私もこの試合を観戦するために、ラグビー場に行ったのですが、 さすが2万人もの人がいると、その姿を見つけられませんでした。   果たして無事に観戦できたのか? それはまた後日、介護者の方に聞いてみたいと思いますが、 認知症だからということで、様々な行動や活動に制限を掛けるのではなく、 むしろ感情は豊かに残っておられるので、 その感情に響く刺激はとても必要なことだと思います。   野球でもそうですが、スタジアムに入った時の独特の雰囲気、あれはテレビでは味わえません。 生で味わう雰囲気。認知症だからダメなのではなく、 認知症だからなお一層大切な体験と言えるかもしれません。 環境は認知症の人にとって、生活を左右する重要なアイテムなのです。  
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2023.07.27

トピックス
月に咲く花 いぶし銀 「見た目の華やかさはないが実力や魅力があるもの」 私は彼のことを「いぶし銀のケアマネジャー」と呼び、尊敬していました。 彼とはわずか3年間しか仕事を共にしませんでしたが、 その謙虚で真摯な姿勢を見るたびに、 いつも自分は何をやってんだかと思ったものです。 決して目立つことはなく、地味だけど黙々と利用者に関わる姿は とかく自分は評価されたいと動く人たちが多い中で ある意味、異彩を放つ存在だったと言えます。 彼が突然亡くなってから1年 将来を託せる人の早逝は、痛手です。 彼の名前から、浮かんだ言葉が「月に咲く花」でした。 決して華やかではないけれど、しっかりと咲いている路傍の花 自分は評価されたいと動き回るネオンのような光よりもはるかに美しいのです。 いつどこでどうなるかわからない人生。 一日一日を無駄に過ごすことがないようにしたいものですね。 どんなに暑くてもどんなに寒くても 宮沢賢治の詩のように、自転車で走り回っていた彼の姿が 今でも目に浮かびます。   「雨ニモマケズ」(石川改編) 雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けず 新型コロナウイルスの脅威と恐怖の中でも 丈夫なからだと心をもち 決して怒らず いつも冷静に対処し、利用者には笑っている 一日に、相談・訪問・デイ・ショート 守るべき人たちのことを よく見聞きし分かり そして忘れず 地域の住民や高齢者にとって 灯台のような建物から 東に病気の高齢者あれば 行って適切なマネジメントをし 西に疲れた介護者あれば 行ってそのつらさを受け止め 南に死にそうな人があれば 行って看取りを支え 北に認知症の人が不安の中にいれば あたたかなまなざしと言葉をかけ 日照りの時は汗を流して自転車をこぎ 寒い冬も北風に負けずに歩き マスコミにはその地味な努力を 褒められもせず 苦にもされず それでもひたすら頑張っている そういういぶし銀のようなあなたを 私は 誇りに思いたい。  
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2023.07.26

ほんわか写真館
格別・至福の時(山頂からのご来光) 若い頃はガンガンに山に登っていて、 北アルプスもほとんどの山を登ってしまったくらいです。 この山に登ったのは29年前。 当時、デイサービスの一職員として働いていましたが、 仕事から来るストレスからか、激しい不整脈に襲われ、 もう山には登れない身体になってしまったのかと、ひどく落ち込んでいました。 医者からは心因性のものだから大丈夫と言われ、 それでも不整脈はあったので、「救心」を飲みながら恐々登ったのが「白山」(2702m)だったのです。 山頂に着いた時、登れた喜びから思わず涙した山でもありました。 その白山に29年ぶりに登ってきました。 この吊り橋を渡るところから登山は始まります   若い時と違って今は「へなちょこ登山者」です。 また若い人たちがやたら多く、登り下りともどんどん追い抜かれていきました。 いや本当に若い山ボーイ、山ガールが多くなり、ちょっとびっくりです。 はるか下の登山口から登ってきましたが、まだ中間点です。   5時間山を登り続けて山小屋に到着。 翌朝は3時起床、ライトの明かりの中、約45分かけて山頂へ。 雲海の向こうに上がるご来光を見る瞬間、格別、至福、そして心が洗われる瞬間でした。 いかに世界が広いか、逆にいかに自分の心が小さいかを感じるときでもあったのです。 槍穂高は残念ながら雲の中でした。   普段の私たちは、通勤に3時間(私の場合)、仕事時間が9時間、寝る時間を7時間として、 食事や入浴、片づけなどに2時間とすると、自由に使える時間は3時間ほどです。 その3時間に勉強したりということもありますし、趣味に関することもします。 仕事が長引けば、その自由な時間はもっと削られます。 つまり日々通り過ぎてしまう毎日の時間、自分が自由に使える時間はそんなにないのです。 まして子育てに追われると、それどころではないでしょう。 延命水、流れておらず延命できませんでした(苦笑)   しかし人の一生の時間は決められていません。 一人一人みな違うのです。 若くして亡くなる人もいれば、志半ばで亡くなる人もいます。 私も年上の人はもちろんのこと、同期どころか後輩が次々と亡くなっていきます。 普段気にしない人生の時間は有限であること。 登山はこの年齢ではさすがにきついけど、 これからもチャレンジの気持ちを忘れずに、 有限の時間を心潤う感動の時を求めて 有効的に使っていきたいと思います。 夜明け前の雰囲気が好きですね  
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2023.07.21

トピックス
安全運転講習と認知症の人との関わり方 先日、アーバンケア島之内で「安全運転講習会」が開かれました。 この時に講習を担当してくれた警察官は、 以前、認知症サポーター研修を受講していた方でした。 最初にそのサポーター講座の話をされ、 そこで学んだ認知症の人への関わり方は、安全運転に似ていると話されていました。 人を驚かせる(脅威を感じさせる)ような運転はしない 急がない 相手の心を不快にさせない(クラクションなど) これらは、認知症の人への接し方、3つの「ない」 「おどろかせない」「急がせない」「心を傷つけない」と 共通しているのですね。 とにかくゆっくりと、(急がせても認知症の人は混乱するだけです) 十分に注意をして(認知症の人の事象だけでなく、周辺環境にも注視して) 温かくやさしい表情で(驚いたり、自尊心が傷つけられないように) これらの認知症の人への関わり方は、 確かに、安全運転に繋がっているのですね。 私を含め、車を運転する多くの人は、どちらかというと攻撃的になります。 自己中心的になり、相手が悪いと思いがちです。 しかし、どんなに安全運転していても、縦横無尽に走りまくる自転車に 閉口することもあります。 自動車の運転は、いかに気分の切り替えが出来るかどうかです。 割り込みに腹が立つことはいくらでもあります。 最近は特に私は車間を空けるだけに、いくらでも入られたりします。 ムカッと来た時、どうすれば「気にしない気にしない」と思うような心の余裕を持てるのか。 怒りではない代替え思考を働かせるトレーニングにもなるのですね。 いつどんな時でもユーモアを。ピリピリしている人には持てないものです。 認知症の人への関わり方は、とにかくケア側がイライラしたら、 認知症の人もイライラしてしまいます。 安全運転に心掛けるように、 ゆっくりと落ち着いて関わらないと事故の元になってしまいます。 逆に言えば、例えば施設の車が、荒っぽい運転をしていたら その施設のケアも荒っぽいのではと、思われてしまうのです。
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2023.07.20

トピックス
第89回ネットワーク委員会が開催されました(ディオゲネス症候群について) 89回目となる英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会が開催されました。 酷暑の中、多くの委員の方に集まっていただきました。 改めて紹介しますと、医師会、歯科医師会、薬剤師会の各代表の先生方、 社協や市役所、警察署、そして地域の代表の方、地域包括支援センターなど、 今回は18名参加による委員会になりました。 各委員会からは地域の報告がありましたが、 暑さ対策で地域の会館を冷所避難場所として開放するという考えがあるとのことでした。 折しも地元地域で倉庫が燃える火災があり、緊急避難場所として開放されたそうです。 花火大会や秋祭りなど、コロナ前に行われていた様々な行事も通常通り行われるようになりました。 このような中で危惧されるのは、やはりコロナは終わっていないということ、 そして時節柄熱中症ということになります。 これだけの酷暑でもクーラーは嫌いと、エアコンを入れないで過ごされている高齢者がかなりおられることです。 また警察からは、最近孤独死の発見が立て続けに起きているとのこと(英田地区ではなく、河内警察管内で) その全てが腐乱状態での発見で、さらに全てゴミ屋敷であったとのこと。 あらためて、ゴミ屋敷に至ってしまう「ディオゲネス症候群」が問題視されます。 ディオゲネス症候群とは、認知症が進行していく独居高齢者に、 適切な支援がなければゴミ屋敷になっていく、 別名「ゴミ屋敷症候群」という精神的な病気として捉えられています。 パーソナリティが影響しているという意見もありますが、 パーソナリティに関係なく、支援がなければ陥るという研究結果もあります。 いずれにしても、独居高齢者の認知症の進行が発端になっています。 やはりここは地域での見守りや、包括支援センターや行政など、 関係機関との情報共有など、早期に発見することが重要なポイントになっていくでしょう。 酷暑を迎え、ますます在宅の方の状況が(特に認知症の方)心配な状況です。 少しでも、大丈夫かな?と思われたら、早めに民生委員や包括支援センター等に連絡してください。
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2023.07.19

トピックス
介護家族は毎日が学びの日 先週、「家族介護教室」が開催されました。 今回は、介護家族が自由に語り合う内容でした。 家族会は、認知症の人を介護されている方が軸の「ほっこりなつどい」がありますが、 今回は認知症があってもなくても様々な状況で介護されている家族が対象となります。 もっとも、今回の参加者は皆さん、程度の差はあれ、認知症の方を介護されている方々でした。 一人一人の体験談の中で、共通していたのは、失敗から学ぶということでした。 特に本人が話すことが現実と違っていたら、ついつい「そうではない」と否定してしまう。 そうすると逆に本人が激怒し、大変な目にあってしまう。 そこで学んだのが、本人の世界に合わせていくということでした。 これは多くの介護家族の方から聞く話です。 このようなことだけでなく、介護家族は常に「ええ!?」と思うような状況の中で あれやこれやと悪戦苦闘しながら、 つまり失敗から学んで日々のケアを行っているのです。 そしておそらく、専門職よりも、「介護の本(認知症の本)」を買って読んでおられます。 しんどいけど、失敗の連続だけど、毎日が学びの日々なのかもしれません。 私も含めて私たちは「知らない(世界)」の方が圧倒的に多いのです。 ごくわずかの知ってることと、「知ったかぶり」で生きているともいえるかもしれません。 28歳の若さで亡くなられた元阪神タイガースの選手 私よりはるかに年下の人の死 そう年上、同年だけでなく、年下の人まで亡くなる人が増えてきました。 まだまだ知らないことはたくさんあります。 やりたいことも一杯あります。 そのための、自分のための時間、もっと増やしていかなければと思うのです。 時間は無限ではなく、有限なのですから。 それは介護家族も同様です。 自分の人生の時間、欲しいと思うのは当然でしょう。
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2023.07.18

トピックス
企業の認知症への取り組み スーパー平和堂が全店舗の従業員に、認知症サポーター講座の受講を進めています。 既に5000人以上の従業員が受講済のようです。 確かに、平和堂の入り口には、「認知症サポーターがいます」のステッカーが貼ってありました。 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000099.000096754.html イオンのような大型店舗以上に、地域に根ざすスーパーでは、 今後ますます高齢者の顧客が多くなるでしょう。 さらに、スーパーでは今やレジの自動化(セルフレジ)が進み、高齢者は戸惑うばかりになっています。 ましてや認知症状が見受けられる人にとっては、セルフレジが使える訳もなく、 人がいるレジでの従業員の対応が必要になってきます。 レジだけでなく買い物中にも同じものばかり買っている、 どこに何があるのかわからないなど、様々な状況のお客を見かけることも出てくるでしょう。 スーパーの従業員が認知症の勉強をするということ、 それはスーパーの職場だけでなく、受講する多くの従業員の家族とも関わってくるかもしれません。 必要というより必然的な取り組みとも言えます。 平和堂がある地域の包括支援センターは、従業員のサポーター講座に追われて大変だそうですが(笑) S薬局のものです   全国展開のS薬局でも、サポーター講座を受け始めてきているようです。 企業が認知症の人の理解に取り組む。これからますます増えていくことでしょう。 それは必要だからではなく、必然的な動きと言えるでしょう。
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2023.07.14

トピックス
忘れてはいけない日々 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」 ことわざには、なるほどなと思うものが一杯あります。 確かに大変だったこと、しんどかったことは 早く忘れたいとは思います。 人を写さずに撮影すること自体不可能な日中の二寧坂。ある意味貴重な歴史的写真と言えます。   しかし、その大変だった時、しんどかったこと そこから学んだことまで忘れてしまっては ただただつらいだけの無意味な日々だった ということになってしまいますね。 清水寺に続く二寧坂   特にコロナ禍を青春真っ盛りだった生徒、学生、そして新人職員さんたち 今までごく普通にあった人との関りを知らぬままに過ごしてきたのですが、 それを嘆いて終わるのではなく、 知ることができなかった新しい世界を、これから知ることができるという 「知らなかったことをわかっていく」ワクワク感につながるだろうし、 逆にコロナ禍だから得られたものも多々あったでしょう。 今や外国の観光客で溢れている産寧坂も、人はいません。   少なくとも私たちは、コロナ禍で学んだことを 忘れてしまってはいけないと思うのです。 緊急事態宣言、誹謗中傷、正義警察等、著しく排他的になった日々 でもそのような状況下でも、人と人とのつながりを大切にしてきた私たちの仕事 しかしただただ、コロナ禍前に戻ることを喜び、再開するだけでなく、 今一度、私たちは何を学び、それをどう活かすのか 考えなければならないのだと思うのです。 店も半分以上閉じていたでしょうか。   認知症の人にとってのコロナ禍の3年間 認知症の人の立場になって考えてみてください。 私たちの心も浮足立ち、パニックになっていた時、 それでなくても情報を理解することも、発信することも厳しい状況にある 認知症の人がいかに理解することができない状況に置かれていたのか、 同時に介護家族にとってもどれだけ厳しい状況だったのか 忘れてはいけない事実としてあるのです。 マスクをするということも、認知症の人には理解することが厳しい状況だったのですから。 清水寺正門。人があふれている場所なのですが、早朝ではなく、日中の景色です。   介護施設もクラスターが発生するなど各施設本当に大変でした。 命を守らなければならない使命があるだけに、 極めて厳しい状況にケアスタッフたちが直面していたのです。 しかし、忘れてはならないのは、認知症の人を介護する介護家族は 孤立無援に近い状況で、意思疎通が厳しい認知症の人と共にいたということです。 恐らく間違いなく、ケアの専門職よりも厳しい状況の中で。 そのことも忘れないでください。 ただ、コロナは終わったわけではありません。 まだまだ皆さんの側にいます。 くれぐれも感染対策は怠らないようにしてください。
ブログ投稿画像 今年の夏は異常に暑い! と、毎年言ってるような気がします。 その中でも今年は連日厳しい暑さが続きます。 しかし、認知症の人の場合、脳の認知機能の低下は、「暑い、寒い」という感覚さえも奪ってしまいます。 ですので、夏でも厚着しているということはよくあります。 認知症は季節の感覚までも奪ってしまうので、周囲の人たちによる注意と環境整備が必要になります。   家から出て行ってしまって、道に迷ってしまう人にとっては過酷な状況です。 暑いから外には出ないという判断はできないので、 暑かろうが寒かろうが、外出しなければならないという思いの方が強いので、 結局過酷な暑さ寒さにさらされてしまいます。 なんでこんな暑い時に!と、私たちの視点から見ると、 とんでもないことと、理解できない行動なのですが、 本人には本人なりに理由があっての行動なのです。 [caption id="attachment_4556" align="alignnone" width="1600"] パンダも暑さでへたばっています。[/caption]   しかし暑さは容赦なく認知症の人に襲い掛かります。 一刻も早い発見が必要になります。暑いと出歩く地域住民も少なく、 路地裏に座り込んでいて発見が遅れるということも十分にありうるのです。 出来れば何らかの形でGPS発信機を持ってもらえれば最良なのですが、 うまく所持してもらえないという課題もあります。   さて、探すというと、2万1千人の中から一人を探すというのは至難の業ですね。 先週の土曜日、ラグビーワールドカップに向けた強化試合ともいえる、 日本代表対トンガの試合が花園ラグビー場でありました。 本来こんな猛烈な暑さの中でラグビーはやるようなものではないのですが、 久しぶりの関西での国際試合、2万1千人の人が来訪、花園ラグビー場はほぼほぼ満員になりました。   ある認知症の男性は、妻とともに熱烈なラグビーファンです。 今回の試合も早々にチケットを申し込まれたそうです。 当の本人の認知症状は、常にケアが必要な状況ですが、妻と子どもさんとともに観戦するとか。 私もこの試合を観戦するために、ラグビー場に行ったのですが、 さすが2万人もの人がいると、その姿を見つけられませんでした。   果たして無事に観戦できたのか? それはまた後日、介護者の方に聞いてみたいと思いますが、 認知症だからということで、様々な行動や活動に制限を掛けるのではなく、 むしろ感情は豊かに残っておられるので、 その感情に響く刺激はとても必要なことだと思います。   野球でもそうですが、スタジアムに入った時の独特の雰囲気、あれはテレビでは味わえません。 生で味わう雰囲気。認知症だからダメなのではなく、 認知症だからなお一層大切な体験と言えるかもしれません。 環境は認知症の人にとって、生活を左右する重要なアイテムなのです。  
ブログ投稿画像 いぶし銀 「見た目の華やかさはないが実力や魅力があるもの」 私は彼のことを「いぶし銀のケアマネジャー」と呼び、尊敬していました。 彼とはわずか3年間しか仕事を共にしませんでしたが、 その謙虚で真摯な姿勢を見るたびに、 いつも自分は何をやってんだかと思ったものです。 決して目立つことはなく、地味だけど黙々と利用者に関わる姿は とかく自分は評価されたいと動く人たちが多い中で ある意味、異彩を放つ存在だったと言えます。 彼が突然亡くなってから1年 将来を託せる人の早逝は、痛手です。 彼の名前から、浮かんだ言葉が「月に咲く花」でした。 決して華やかではないけれど、しっかりと咲いている路傍の花 自分は評価されたいと動き回るネオンのような光よりもはるかに美しいのです。 いつどこでどうなるかわからない人生。 一日一日を無駄に過ごすことがないようにしたいものですね。 どんなに暑くてもどんなに寒くても 宮沢賢治の詩のように、自転車で走り回っていた彼の姿が 今でも目に浮かびます。   「雨ニモマケズ」(石川改編) 雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けず 新型コロナウイルスの脅威と恐怖の中でも 丈夫なからだと心をもち 決して怒らず いつも冷静に対処し、利用者には笑っている 一日に、相談・訪問・デイ・ショート 守るべき人たちのことを よく見聞きし分かり そして忘れず 地域の住民や高齢者にとって 灯台のような建物から 東に病気の高齢者あれば 行って適切なマネジメントをし 西に疲れた介護者あれば 行ってそのつらさを受け止め 南に死にそうな人があれば 行って看取りを支え 北に認知症の人が不安の中にいれば あたたかなまなざしと言葉をかけ 日照りの時は汗を流して自転車をこぎ 寒い冬も北風に負けずに歩き マスコミにはその地味な努力を 褒められもせず 苦にもされず それでもひたすら頑張っている そういういぶし銀のようなあなたを 私は 誇りに思いたい。  
ブログ投稿画像 若い頃はガンガンに山に登っていて、 北アルプスもほとんどの山を登ってしまったくらいです。 この山に登ったのは29年前。 当時、デイサービスの一職員として働いていましたが、 仕事から来るストレスからか、激しい不整脈に襲われ、 もう山には登れない身体になってしまったのかと、ひどく落ち込んでいました。 医者からは心因性のものだから大丈夫と言われ、 それでも不整脈はあったので、「救心」を飲みながら恐々登ったのが「白山」(2702m)だったのです。 山頂に着いた時、登れた喜びから思わず涙した山でもありました。 その白山に29年ぶりに登ってきました。 [caption id="attachment_4916" align="alignnone" width="2560"] この吊り橋を渡るところから登山は始まります[/caption]   若い時と違って今は「へなちょこ登山者」です。 また若い人たちがやたら多く、登り下りともどんどん追い抜かれていきました。 いや本当に若い山ボーイ、山ガールが多くなり、ちょっとびっくりです。 [caption id="attachment_4915" align="alignnone" width="2560"] はるか下の登山口から登ってきましたが、まだ中間点です。[/caption]   5時間山を登り続けて山小屋に到着。 翌朝は3時起床、ライトの明かりの中、約45分かけて山頂へ。 雲海の向こうに上がるご来光を見る瞬間、格別、至福、そして心が洗われる瞬間でした。 いかに世界が広いか、逆にいかに自分の心が小さいかを感じるときでもあったのです。 [caption id="attachment_4913" align="alignnone" width="2048"] 槍穂高は残念ながら雲の中でした。[/caption]   普段の私たちは、通勤に3時間(私の場合)、仕事時間が9時間、寝る時間を7時間として、 食事や入浴、片づけなどに2時間とすると、自由に使える時間は3時間ほどです。 その3時間に勉強したりということもありますし、趣味に関することもします。 仕事が長引けば、その自由な時間はもっと削られます。 つまり日々通り過ぎてしまう毎日の時間、自分が自由に使える時間はそんなにないのです。 まして子育てに追われると、それどころではないでしょう。 [caption id="attachment_4914" align="alignnone" width="2560"] 延命水、流れておらず延命できませんでした(苦笑)[/caption]   しかし人の一生の時間は決められていません。 一人一人みな違うのです。 若くして亡くなる人もいれば、志半ばで亡くなる人もいます。 私も年上の人はもちろんのこと、同期どころか後輩が次々と亡くなっていきます。 普段気にしない人生の時間は有限であること。 登山はこの年齢ではさすがにきついけど、 これからもチャレンジの気持ちを忘れずに、 有限の時間を心潤う感動の時を求めて 有効的に使っていきたいと思います。 [caption id="attachment_4912" align="alignnone" width="300"] 夜明け前の雰囲気が好きですね[/caption]  
ブログ投稿画像 先日、アーバンケア島之内で「安全運転講習会」が開かれました。 この時に講習を担当してくれた警察官は、 以前、認知症サポーター研修を受講していた方でした。 最初にそのサポーター講座の話をされ、 そこで学んだ認知症の人への関わり方は、安全運転に似ていると話されていました。 人を驚かせる(脅威を感じさせる)ような運転はしない 急がない 相手の心を不快にさせない(クラクションなど) これらは、認知症の人への接し方、3つの「ない」 「おどろかせない」「急がせない」「心を傷つけない」と 共通しているのですね。 とにかくゆっくりと、(急がせても認知症の人は混乱するだけです) 十分に注意をして(認知症の人の事象だけでなく、周辺環境にも注視して) 温かくやさしい表情で(驚いたり、自尊心が傷つけられないように) これらの認知症の人への関わり方は、 確かに、安全運転に繋がっているのですね。 私を含め、車を運転する多くの人は、どちらかというと攻撃的になります。 自己中心的になり、相手が悪いと思いがちです。 しかし、どんなに安全運転していても、縦横無尽に走りまくる自転車に 閉口することもあります。 自動車の運転は、いかに気分の切り替えが出来るかどうかです。 割り込みに腹が立つことはいくらでもあります。 最近は特に私は車間を空けるだけに、いくらでも入られたりします。 ムカッと来た時、どうすれば「気にしない気にしない」と思うような心の余裕を持てるのか。 怒りではない代替え思考を働かせるトレーニングにもなるのですね。 いつどんな時でもユーモアを。ピリピリしている人には持てないものです。 認知症の人への関わり方は、とにかくケア側がイライラしたら、 認知症の人もイライラしてしまいます。 安全運転に心掛けるように、 ゆっくりと落ち着いて関わらないと事故の元になってしまいます。 逆に言えば、例えば施設の車が、荒っぽい運転をしていたら その施設のケアも荒っぽいのではと、思われてしまうのです。
ブログ投稿画像 89回目となる英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会が開催されました。 酷暑の中、多くの委員の方に集まっていただきました。 改めて紹介しますと、医師会、歯科医師会、薬剤師会の各代表の先生方、 社協や市役所、警察署、そして地域の代表の方、地域包括支援センターなど、 今回は18名参加による委員会になりました。 各委員会からは地域の報告がありましたが、 暑さ対策で地域の会館を冷所避難場所として開放するという考えがあるとのことでした。 折しも地元地域で倉庫が燃える火災があり、緊急避難場所として開放されたそうです。 花火大会や秋祭りなど、コロナ前に行われていた様々な行事も通常通り行われるようになりました。 このような中で危惧されるのは、やはりコロナは終わっていないということ、 そして時節柄熱中症ということになります。 これだけの酷暑でもクーラーは嫌いと、エアコンを入れないで過ごされている高齢者がかなりおられることです。 また警察からは、最近孤独死の発見が立て続けに起きているとのこと(英田地区ではなく、河内警察管内で) その全てが腐乱状態での発見で、さらに全てゴミ屋敷であったとのこと。 あらためて、ゴミ屋敷に至ってしまう「ディオゲネス症候群」が問題視されます。 ディオゲネス症候群とは、認知症が進行していく独居高齢者に、 適切な支援がなければゴミ屋敷になっていく、 別名「ゴミ屋敷症候群」という精神的な病気として捉えられています。 パーソナリティが影響しているという意見もありますが、 パーソナリティに関係なく、支援がなければ陥るという研究結果もあります。 いずれにしても、独居高齢者の認知症の進行が発端になっています。 やはりここは地域での見守りや、包括支援センターや行政など、 関係機関との情報共有など、早期に発見することが重要なポイントになっていくでしょう。 酷暑を迎え、ますます在宅の方の状況が(特に認知症の方)心配な状況です。 少しでも、大丈夫かな?と思われたら、早めに民生委員や包括支援センター等に連絡してください。
ブログ投稿画像 先週、「家族介護教室」が開催されました。 今回は、介護家族が自由に語り合う内容でした。 家族会は、認知症の人を介護されている方が軸の「ほっこりなつどい」がありますが、 今回は認知症があってもなくても様々な状況で介護されている家族が対象となります。 もっとも、今回の参加者は皆さん、程度の差はあれ、認知症の方を介護されている方々でした。 一人一人の体験談の中で、共通していたのは、失敗から学ぶということでした。 特に本人が話すことが現実と違っていたら、ついつい「そうではない」と否定してしまう。 そうすると逆に本人が激怒し、大変な目にあってしまう。 そこで学んだのが、本人の世界に合わせていくということでした。 これは多くの介護家族の方から聞く話です。 このようなことだけでなく、介護家族は常に「ええ!?」と思うような状況の中で あれやこれやと悪戦苦闘しながら、 つまり失敗から学んで日々のケアを行っているのです。 そしておそらく、専門職よりも、「介護の本(認知症の本)」を買って読んでおられます。 しんどいけど、失敗の連続だけど、毎日が学びの日々なのかもしれません。 私も含めて私たちは「知らない(世界)」の方が圧倒的に多いのです。 ごくわずかの知ってることと、「知ったかぶり」で生きているともいえるかもしれません。 28歳の若さで亡くなられた元阪神タイガースの選手 私よりはるかに年下の人の死 そう年上、同年だけでなく、年下の人まで亡くなる人が増えてきました。 まだまだ知らないことはたくさんあります。 やりたいことも一杯あります。 そのための、自分のための時間、もっと増やしていかなければと思うのです。 時間は無限ではなく、有限なのですから。 それは介護家族も同様です。 自分の人生の時間、欲しいと思うのは当然でしょう。
ブログ投稿画像 スーパー平和堂が全店舗の従業員に、認知症サポーター講座の受講を進めています。 既に5000人以上の従業員が受講済のようです。 確かに、平和堂の入り口には、「認知症サポーターがいます」のステッカーが貼ってありました。 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000099.000096754.html イオンのような大型店舗以上に、地域に根ざすスーパーでは、 今後ますます高齢者の顧客が多くなるでしょう。 さらに、スーパーでは今やレジの自動化(セルフレジ)が進み、高齢者は戸惑うばかりになっています。 ましてや認知症状が見受けられる人にとっては、セルフレジが使える訳もなく、 人がいるレジでの従業員の対応が必要になってきます。 レジだけでなく買い物中にも同じものばかり買っている、 どこに何があるのかわからないなど、様々な状況のお客を見かけることも出てくるでしょう。 スーパーの従業員が認知症の勉強をするということ、 それはスーパーの職場だけでなく、受講する多くの従業員の家族とも関わってくるかもしれません。 必要というより必然的な取り組みとも言えます。 平和堂がある地域の包括支援センターは、従業員のサポーター講座に追われて大変だそうですが(笑) [caption id="attachment_4890" align="alignnone" width="1116"] S薬局のものです[/caption]   全国展開のS薬局でも、サポーター講座を受け始めてきているようです。 企業が認知症の人の理解に取り組む。これからますます増えていくことでしょう。 それは必要だからではなく、必然的な動きと言えるでしょう。
ブログ投稿画像 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」 ことわざには、なるほどなと思うものが一杯あります。 確かに大変だったこと、しんどかったことは 早く忘れたいとは思います。 [caption id="attachment_4883" align="alignnone" width="2048"] 人を写さずに撮影すること自体不可能な日中の二寧坂。ある意味貴重な歴史的写真と言えます。[/caption]   しかし、その大変だった時、しんどかったこと そこから学んだことまで忘れてしまっては ただただつらいだけの無意味な日々だった ということになってしまいますね。 [caption id="attachment_4884" align="alignnone" width="2048"] 清水寺に続く二寧坂[/caption]   特にコロナ禍を青春真っ盛りだった生徒、学生、そして新人職員さんたち 今までごく普通にあった人との関りを知らぬままに過ごしてきたのですが、 それを嘆いて終わるのではなく、 知ることができなかった新しい世界を、これから知ることができるという 「知らなかったことをわかっていく」ワクワク感につながるだろうし、 逆にコロナ禍だから得られたものも多々あったでしょう。 [caption id="attachment_4881" align="alignnone" width="2048"] 今や外国の観光客で溢れている産寧坂も、人はいません。[/caption]   少なくとも私たちは、コロナ禍で学んだことを 忘れてしまってはいけないと思うのです。 緊急事態宣言、誹謗中傷、正義警察等、著しく排他的になった日々 でもそのような状況下でも、人と人とのつながりを大切にしてきた私たちの仕事 しかしただただ、コロナ禍前に戻ることを喜び、再開するだけでなく、 今一度、私たちは何を学び、それをどう活かすのか 考えなければならないのだと思うのです。 [caption id="attachment_4882" align="alignnone" width="2048"] 店も半分以上閉じていたでしょうか。[/caption]   認知症の人にとってのコロナ禍の3年間 認知症の人の立場になって考えてみてください。 私たちの心も浮足立ち、パニックになっていた時、 それでなくても情報を理解することも、発信することも厳しい状況にある 認知症の人がいかに理解することができない状況に置かれていたのか、 同時に介護家族にとってもどれだけ厳しい状況だったのか 忘れてはいけない事実としてあるのです。 マスクをするということも、認知症の人には理解することが厳しい状況だったのですから。 [caption id="attachment_4880" align="alignnone" width="2048"] 清水寺正門。人があふれている場所なのですが、早朝ではなく、日中の景色です。[/caption]   介護施設もクラスターが発生するなど各施設本当に大変でした。 命を守らなければならない使命があるだけに、 極めて厳しい状況にケアスタッフたちが直面していたのです。 しかし、忘れてはならないのは、認知症の人を介護する介護家族は 孤立無援に近い状況で、意思疎通が厳しい認知症の人と共にいたということです。 恐らく間違いなく、ケアの専門職よりも厳しい状況の中で。 そのことも忘れないでください。 ただ、コロナは終わったわけではありません。 まだまだ皆さんの側にいます。 くれぐれも感染対策は怠らないようにしてください。