「2023年03月」で記事を検索しました。
2023.03.30
トピックス2023.03.28
トピックス2023.03.24
トピックス2023.03.20
トピックス2023.03.17
トピックス2023.03.15
トピックス2023.03.14
トピックス2023.03.13
トピックス2023.03.11
トピックス2023.03.08
トピックス2023.03.30
トピックス2023.03.28
トピックス2023.03.24
トピックス
音楽というのは不思議な魅力があります。
もしかしたら魅力というより、魔力かもしれません。
人間が生み出した最高の芸術の一つと言えますね。
[caption id="attachment_4527" align="alignnone" width="2048"] いよいよ花の季節到来ですね[/caption]
音楽 それは私たちの人生にとって、
まるで自分自身を形成する重要なパーツのように存在しています。
私たちは子どものころから、いや母親のおなかの中にいる頃から
音楽を聴いています。
私たちの生活になくてはならないものとして音楽は存在するのです。
当然、認知症の人にとっても同じで、
脳にしっかりと刻み込まれているのが音楽なのです。
ですから、音楽療法も活用されるのです。
認知症の人と音楽、もう少し深めていきたいと思います。
[caption id="attachment_4528" align="alignnone" width="2048"] 日曜日は天気も良く、午後からズーム研修だったため、午前中に裏山に登ってきました。写っている人は誰だか知りません(笑)[/caption]
因みにベートーヴェンの「運命」
ジャジャジャジャーンの出だし。
実はプロではない高校生の楽団でも演奏できるそうです。
逆に言えば、これくらい一糸乱れず呼吸を合わせて演奏できなければ
プロにはなれないということですね。
介護での国家資格を持っているのならば、
こんなケアはできて当たり前と言えること。
ですね。
テレビドラマを滅多に見ない(アメリカのドラマを除く)私がはまったのが
「リバーサルオーケストラ」でした。
もう終わってしまいましたが、なかなか面白く、回を追うごとに視聴率もアップしていったようです。
それにしても、オーケストラのプロフェッショナル性は凄いと思います。
誰でも知っているベートーヴェンの「運命」
ジャジャジャジャーン!で始まる奴です。
あれって、実はすごいんですよ。
弦楽器のメンバーが、誰一人遅れず、フライングせず、
1秒たりとも遅れず、早すぎず、ジャジャジャジャーン!と、演奏を始めるのです。
まぁあんな曲を作ったベートーヴェンはとんでもないと思うのですが、
それをやりこなす奏者は、プロと言えるでしょう。
はたして国家資格を持つ介護のプロフェッショナル達は、
あれだけのプロフェッショナル性を持ち得ているのか?
お金を取って、人々に聴いてもらい、感動を与えるというのが、
まさしくオーケストラなのです。
介護の世界もお金を取って、
介護を必要とする方にそのプロフェッショナル性を発揮している
はずです。
でもプロとしての自覚は自戒を込めて言いますが、まだまだ。
心の持ちようも大切で、
介護のプロとしての誇りを持つこと。
だと思います。
さて、認知症の人と音楽。
単に音楽を聞かせてればよい、或いは時たま歌う時間があればいい
なんてことではプロフェッショナル性はありません。
認知症ケアには音楽療法が一つのジャンルとしてあるということは、
根拠と実施にともなう成果があるからです。
しかし私たちは「なんちゃってケア」しかやっていないのではないか?
それは果たして利用者からお金を取っている身としてどうなのか。
「そんなことはない、なんちゃってケアなんてやってない、毎日必死に頑張っている!」
という反論は当然あるでしょう。
ではなぜそのケアが必要なのか、
どのような根拠があってそれを実践しているのか、
さらにそれがどのような効果をもたらすのか。
これをしっかりと答えられなければ、プロとは言えないでしょう。
もうちょっと平たく言えば、介護は「考える」ことが基盤になければ、
「なんとなくケア」や「なんちゃってケア」になってしまうということなのです。
認知症の人に何故音楽療法があるのか。
もちろんそれにも根拠があるのです。
(つづく)
2023.03.15
トピックス2023.03.14
トピックス2023.03.13
トピックス
今日は3月11日
大阪では、普段と変わらぬ3月11日です。
恐らく、東北・関東と、関西では温度差があるのでしょう。
1月17日は、その逆でした。
いや、兵庫の隣りの大阪でさえもそうだったかな。
惨状の神戸から大阪に戻った途端、普通の生活の状況
その温度差に涙が止まりませんでした。
しかし確実に南海トラフ地震はやってきます。
それでも関西圏では比較的安全な、奈良、滋賀と、
直面する和歌山、大阪では意識が違うかもしれません。
いや、大阪人もまだ意識にはない、
或いは「起きない」と信じたいと、逃げているのかもしれません。
[caption id="attachment_4363" align="alignnone" width="1909"] 多大な被害を受けた東灘区にて[/caption]
温度差は様々なところで起こっています。
関心があるかないかでも随分違います。
職域の違いでもあるでしょう。
冬の寒さで冷たくなった手で、室内の温かいところにいた人の手を握ったら、
その冷たさ(温度差)に、冷えてない手の人は「つめたいやんか!」と
驚いて、時に怒ったりもします。
その温度差は、なかなかすぐには相いれないものなのかもしれません。
しかし介護職は、もし自分の手が冷たければ、
さすったり、息を掛けたりして、
自分の手を温めてから利用者の手を持ちます。(そのはず)
逆に利用者の手が冷たければ、温かい自分の手でさすってあげて
利用者の手を温めようとします。
つまり温度差はその差を埋めるために存在するとも言えます。
温度差をなくす。
それは、相手への気遣いとも言えます。
認知症の人への関りでも同じでしょう。
私たちの仕事は温度差をなくすことでもあるのです。
大震災の犠牲になられた方に、合掌。
2023.03.08
トピックス