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「認知症の教室(一般市民用)」で記事を検索しました。

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2023.10.23

認知症の教室(一般市民用)
雨が降った後に出逢えるかもしれないすてきなもの 9月のことになりますが、北アルプス薬師岳に登ってきました。 その稜線上にある山小屋「太郎平小屋」までは、 登山口から5時間登って着くことができます。 テレビで小屋のオーナーの五十嶋さんがご健在ということを知って、 老体に鞭をうって登ってきました。 遠く稜線上に太郎平小屋の屋根が見えてきます   今から35年前、当時私はガンガン山に登っていた時でしたが、 私の後輩が、山をなめた登山をして遭難、 太郎平小屋にえらい迷惑をかけたと聞き、それは謝りに行かなければならないと、 彼を連れて訪れた小屋だったのです。 その時に五十嶋オーナーと撮った写真を持参して登ったのです。 35年前の五十嶋オーナーと私。五十嶋さん、ちょっと恐そうな?山男です。   五十嶋オーナーは今年84歳。 今もなお、5時間の山道を登り、小屋に常駐し、 若いスタッフたちに采配を振るっておられました。 その五十嶋氏と35年ぶりの対面でした。 「どや、男前やろ」と若いスタッフにその写真を見せて喜ぶ五十嶋氏。 めっちゃ喜んでくれました。 そしてあらためて、35年ぶりにまたツーショットで写真を撮らせていただきました。 とても温厚な表情ですが、登山者の安全を守るため、厳しい側面も持っておられます。 35年経って五十嶋オーナーやさしい表情に。   最近は、私と同世代や年下の人の認知症の人の相談が増えてきました。 認知症は、高齢者だけでなく、もっと若い人にも襲ってきます。 認知症にはなりたくないと思っていても、いつしか忍び寄ってくる認知症。 ご本人や介護家族の思いを聴く中で 「やりたいこと、行きたいところに、やれるうちに行けるうちに行く」 だとしみじみと思います。 五十嶋オーナーは84歳でも、なお元気に厳しい環境下の山小屋で頑張っておられます。 最近は100歳の女性の方のスカイダイビングをする姿も見ました。 写真家?西本さんも91歳でもなおパソコンを駆使してユニークな写真を撮っています。 今年新装なった山頂の祠。きんぴかに光る薬師如来像が置かれています。   片や、谷村新司さん、もんたよしのりさんなど、親しんだ歌手が70代前半の「若さ」で、 そして私自身も後輩の死に接することが多くなりました。 人生はいつどうなるのかわかりません。 「やりたいこと、行きたいところに、やれるうちに行けるうちに行く」ですね。 まだまだこれから、学びたいことも一杯あります。 遠く、富山湾が見えます。   五十嶋オーナーの、「でっかい虹が出てるよ」との声に外へ出てみました。 その太郎平小屋から見た虹 架け橋ではなかったけど、でっかく太い虹でした。 心に雨が降ったとしても、 いや、雨が降ったからこそ 出逢えるかもしれない虹 心に雨が降っても、 そのあとには心潤う出逢いがあるかもしれませんね。 ヘレン・ケラーの言葉です
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2023.10.20

認知症の教室(一般市民用)
十三の鼓動 先日淀川区の地域包括支援センター主催の事例検討会に行ってきました。 淀川区十三(じゅうそう)と言えば、以前私が勤めていた包括支援センターがあった場所です。 駅の改札を一歩出れば、そこはまさしく十三の鼓動というか、においというか、 「十三に来た!」という感覚にさせてくれます。 昼間から開いている吞み屋がいくつもありますし、 すれ違うおっちゃんおばちゃんたちもめっちゃ親しみの湧く十三の人々です。 商店街の濃い~部分はちょっと写真には撮れません。   そんな懐かしい雰囲気をかみしめながら淀川区区役所へ。 当時何度も通った場所ですね。 事例検討会には、介護支援専門員、包括職員、地域医療関係者、 オレンジチーム、訪問看護、訪問介護、淀川区役所高齢福祉課、 そして淀川区の医師会から医師が5,6名というそうそうたるメンバーでした。 以前親しくしていただいたドクターとも熱い握手を交わし、 あの当時は何もかもダイナミックに動いていた日々だったと思いだします。 淀川区のキャラクター 夢ちゃん?だったかな?   もの盗られ妄想等が激しい認知症の独居女性への取り組みが事例検討内容でしたが、 淀川区のいいところは、これらの様々なメンバーが連携して ひとつのケースに取り組むということですね。 何よりも医師の敷居が低くなっており、カンファレンスにも参加してくれます。 もう一つ、行政職員の協力。一緒に動いてくれるのですね。 包括に丸投げのどこかの市とは大違いです。 各グループには医師が入り、様々な職種の人達と事例検討を行います。   このように、在宅の方を支えるためには、様々な職種が連携したチームがあってこそのことなのです。 包括支援センターだけが重荷を背負うというのではないのです。 何よりも、フットワークの良い、医療関係者に行政職員。これは大きな力になりますね。 しかしながら、若い包括職員からは、大変な事例が多すぎて、 とてもしんどいという言葉を聞きました。 確かに十三はあったかい庶民の街であるとともに、 ありとあらゆる複雑な人間模様が交差する場所でもあるのです。 ケア関係者への「セキュアベース(心の安全基地)」が必要であるとも思ったのでした。
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2023.09.27

認知症の教室(一般市民用)
その方の世界に付きあっていくこと 認知症の人と関わる中で、 時々「え?なんのこと?」というような話が出てくるときがあります。 それはかつてのその方が体験した記憶の一部のことが多いでしょう。 その記憶は例えれば、パズルのパーツの一つとも言えます。 認知症がない時は整っていたパズルの絵も、 認知機能の低下に伴い、その記憶というパーツが一つ抜け、二つ抜けしていきます。 やがてその記憶のパーツはバラバラになり、 まともな絵ではなくなってしまうのです。 これだけ見たらなんだかわからない形 これは長野県なのです。   しかし、その記憶のパーツは、全く失われるわけではなく、 何かの拍子で、何かの記憶パーツがふと言葉として出てきます。 それがいつどこでどのようなものなのか、 私たちには見当もつかないのですが、 その方にとっては、人生の大切な記憶のかけらと言えるのです。 しかし、私たちがその記憶のかけらのことを理解せず、 私たちの世界で判断して誘導したりしようとすると、 その方の世界に寄り添わず、トラブルになってしまいます。 ふと出てきたその方の記憶のかけら そしてその世界 その方にとっては、大切な人生の記憶の一部なのです。 その世界に私たちは付きあってあげること。 つまり、その方の世界の話で、会話を弾ませること。 もう少し詳しく言えば、私たちもその世界の話を楽しむということです。 もしかしたら、本人の記憶も、事実の記憶ではなく、 妄想や夢想から作られた記憶かもしれません。 私たちも、多かれ少なかれ、妄想や夢想があるように。 出てくる話が事実かどうかは別にして、 その方の世界に付きあい、共感すること。 それはその方の人生を大切にするということなのです。 そして私たち専門職の「傾聴」や「共感」の姿勢の トレーニングにもつながることなのです。 認知症の人は、認知症のためにわからないことが多い人ではなく、 私たち専門職にとって、その専門性をアップしてくれる すてきなトレーナーなのです。
ブログ投稿画像 9月のことになりますが、北アルプス薬師岳に登ってきました。 その稜線上にある山小屋「太郎平小屋」までは、 登山口から5時間登って着くことができます。 テレビで小屋のオーナーの五十嶋さんがご健在ということを知って、 老体に鞭をうって登ってきました。 [caption id="attachment_5123" align="alignnone" width="2048"] 遠く稜線上に太郎平小屋の屋根が見えてきます[/caption]   今から35年前、当時私はガンガン山に登っていた時でしたが、 私の後輩が、山をなめた登山をして遭難、 太郎平小屋にえらい迷惑をかけたと聞き、それは謝りに行かなければならないと、 彼を連れて訪れた小屋だったのです。 その時に五十嶋オーナーと撮った写真を持参して登ったのです。 [caption id="attachment_5130" align="alignnone" width="2048"] 35年前の五十嶋オーナーと私。五十嶋さん、ちょっと恐そうな?山男です。[/caption]   五十嶋オーナーは今年84歳。 今もなお、5時間の山道を登り、小屋に常駐し、 若いスタッフたちに采配を振るっておられました。 その五十嶋氏と35年ぶりの対面でした。 「どや、男前やろ」と若いスタッフにその写真を見せて喜ぶ五十嶋氏。 めっちゃ喜んでくれました。 そしてあらためて、35年ぶりにまたツーショットで写真を撮らせていただきました。 とても温厚な表情ですが、登山者の安全を守るため、厳しい側面も持っておられます。 [caption id="attachment_5129" align="alignnone" width="1897"] 35年経って五十嶋オーナーやさしい表情に。[/caption]   最近は、私と同世代や年下の人の認知症の人の相談が増えてきました。 認知症は、高齢者だけでなく、もっと若い人にも襲ってきます。 認知症にはなりたくないと思っていても、いつしか忍び寄ってくる認知症。 ご本人や介護家族の思いを聴く中で 「やりたいこと、行きたいところに、やれるうちに行けるうちに行く」 だとしみじみと思います。 五十嶋オーナーは84歳でも、なお元気に厳しい環境下の山小屋で頑張っておられます。 最近は100歳の女性の方のスカイダイビングをする姿も見ました。 写真家?西本さんも91歳でもなおパソコンを駆使してユニークな写真を撮っています。 [caption id="attachment_5040" align="alignnone" width="2048"] 今年新装なった山頂の祠。きんぴかに光る薬師如来像が置かれています。[/caption]   片や、谷村新司さん、もんたよしのりさんなど、親しんだ歌手が70代前半の「若さ」で、 そして私自身も後輩の死に接することが多くなりました。 人生はいつどうなるのかわかりません。 「やりたいこと、行きたいところに、やれるうちに行けるうちに行く」ですね。 まだまだこれから、学びたいことも一杯あります。 [caption id="attachment_5128" align="alignnone" width="2048"] 遠く、富山湾が見えます。[/caption]   五十嶋オーナーの、「でっかい虹が出てるよ」との声に外へ出てみました。 その太郎平小屋から見た虹 架け橋ではなかったけど、でっかく太い虹でした。 心に雨が降ったとしても、 いや、雨が降ったからこそ 出逢えるかもしれない虹 心に雨が降っても、 そのあとには心潤う出逢いがあるかもしれませんね。 [caption id="attachment_5126" align="alignnone" width="730"] ヘレン・ケラーの言葉です[/caption]
ブログ投稿画像 先日淀川区の地域包括支援センター主催の事例検討会に行ってきました。 淀川区十三(じゅうそう)と言えば、以前私が勤めていた包括支援センターがあった場所です。 駅の改札を一歩出れば、そこはまさしく十三の鼓動というか、においというか、 「十三に来た!」という感覚にさせてくれます。 昼間から開いている吞み屋がいくつもありますし、 すれ違うおっちゃんおばちゃんたちもめっちゃ親しみの湧く十三の人々です。 [caption id="attachment_5116" align="alignnone" width="2560"] 商店街の濃い~部分はちょっと写真には撮れません。[/caption]   そんな懐かしい雰囲気をかみしめながら淀川区区役所へ。 当時何度も通った場所ですね。 事例検討会には、介護支援専門員、包括職員、地域医療関係者、 オレンジチーム、訪問看護、訪問介護、淀川区役所高齢福祉課、 そして淀川区の医師会から医師が5,6名というそうそうたるメンバーでした。 以前親しくしていただいたドクターとも熱い握手を交わし、 あの当時は何もかもダイナミックに動いていた日々だったと思いだします。 [caption id="attachment_5115" align="alignnone" width="2560"] 淀川区のキャラクター 夢ちゃん?だったかな?[/caption]   もの盗られ妄想等が激しい認知症の独居女性への取り組みが事例検討内容でしたが、 淀川区のいいところは、これらの様々なメンバーが連携して ひとつのケースに取り組むということですね。 何よりも医師の敷居が低くなっており、カンファレンスにも参加してくれます。 もう一つ、行政職員の協力。一緒に動いてくれるのですね。 包括に丸投げのどこかの市とは大違いです。 [caption id="attachment_5114" align="alignnone" width="567"] 各グループには医師が入り、様々な職種の人達と事例検討を行います。[/caption]   このように、在宅の方を支えるためには、様々な職種が連携したチームがあってこそのことなのです。 包括支援センターだけが重荷を背負うというのではないのです。 何よりも、フットワークの良い、医療関係者に行政職員。これは大きな力になりますね。 しかしながら、若い包括職員からは、大変な事例が多すぎて、 とてもしんどいという言葉を聞きました。 確かに十三はあったかい庶民の街であるとともに、 ありとあらゆる複雑な人間模様が交差する場所でもあるのです。 ケア関係者への「セキュアベース(心の安全基地)」が必要であるとも思ったのでした。
ブログ投稿画像 認知症の人と関わる中で、 時々「え?なんのこと?」というような話が出てくるときがあります。 それはかつてのその方が体験した記憶の一部のことが多いでしょう。 その記憶は例えれば、パズルのパーツの一つとも言えます。 認知症がない時は整っていたパズルの絵も、 認知機能の低下に伴い、その記憶というパーツが一つ抜け、二つ抜けしていきます。 やがてその記憶のパーツはバラバラになり、 まともな絵ではなくなってしまうのです。 [caption id="attachment_5080" align="alignnone" width="471"] これだけ見たらなんだかわからない形 これは長野県なのです。[/caption]   しかし、その記憶のパーツは、全く失われるわけではなく、 何かの拍子で、何かの記憶パーツがふと言葉として出てきます。 それがいつどこでどのようなものなのか、 私たちには見当もつかないのですが、 その方にとっては、人生の大切な記憶のかけらと言えるのです。 しかし、私たちがその記憶のかけらのことを理解せず、 私たちの世界で判断して誘導したりしようとすると、 その方の世界に寄り添わず、トラブルになってしまいます。 ふと出てきたその方の記憶のかけら そしてその世界 その方にとっては、大切な人生の記憶の一部なのです。 その世界に私たちは付きあってあげること。 つまり、その方の世界の話で、会話を弾ませること。 もう少し詳しく言えば、私たちもその世界の話を楽しむということです。 もしかしたら、本人の記憶も、事実の記憶ではなく、 妄想や夢想から作られた記憶かもしれません。 私たちも、多かれ少なかれ、妄想や夢想があるように。 出てくる話が事実かどうかは別にして、 その方の世界に付きあい、共感すること。 それはその方の人生を大切にするということなのです。 そして私たち専門職の「傾聴」や「共感」の姿勢の トレーニングにもつながることなのです。 認知症の人は、認知症のためにわからないことが多い人ではなく、 私たち専門職にとって、その専門性をアップしてくれる すてきなトレーナーなのです。