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2024.04.10

馴染みの桜 馴染みの人

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認知症の教室(一般市民用)

認知症の教室(専門職用)

周囲の状況や自分自身の状態が、まるで闇の中を歩くような、
そんな感覚になるのが認知症の人が置かれた状態と言えます。
誰でも自分が不安な状況に置かれたら、少なくとも自己防衛反応が強まり(生命的本能として)、
それが時に妄想や暴力に繋がったりもします(自己防衛のための行動と言えます)

出口のないトンネルはない

では、そんな不安な気持ち、不穏な感じを和らげるものはなにになるのか?
それは、その不安感を落ち着かせてくれる「人」の存在でしかないのです。

癒し系のロボットがあるではないかと言われるかもしれません。
確かに、かわいく、やさしく、穏やかに語り掛けてくれます。
でもいざ頼れるかというと、
絶対ロボットには頼らず、人に頼るでしょう。

また癒しロボットは、時にそれを作成した者(だけでなく、ケア従事者も含めた多くの人が)の心のどこかに、
認知症の人を見下ろす視点があり、
「癒しロボット」を認知症の人に「あてがう」という意識が働いているのかもしれません。
わたしたちにある「見くびる意識」が、認知症の人を「見くびって」いるのです。
それも気づかぬうちに。

しかし認知症の人は見くびられるような存在ではないのです。
認知症の人は認知機能面では厳しくなっても
(認知機能が厳しくなるということは、一般的な日常生活が厳しくなるということ)
感情や感性までも失われてはいないのです。

癒しロボットに微笑む姿は、
もしかしたらひとときの癒しになってはいても、それは社交辞令かもしれません。
先ほども書きましたが、いざ頼るとしたら、ロボットではなく、人間に頼るでしょう。

人々が桜に馴染むように、
馴染む人の存在は、認知症の人にとって不可欠な存在になります。

追々そのことについても説明していきます。