ninchisho-yui-logo
menu

メニュー

clear ninchisho-yui-logo
ブログ投稿画像

2023.08.12

トピックス
認知症の人の「感情伝染」とは(2) 前回、「私たちは、認知症の人に対して、大きな勘違いをしています。」と書きました。 認知症の人は、何を言っても理解できない。 そんな大きな誤解が、認知症の人の前で平気でその人に対する悪態を吐いたりします。 しかし、悪態を吐かれたことを、 認知症の人はしっかりと感じ取っていることを、私たちはわかっていないのです。 脳科学者の恩蔵絢子氏は、以下のように書いています。 「アルツハイマー型認知症の人は、周囲の人が高速で(私たちの普通の会話)やりとりする会話についていくことは、海馬の萎縮のせいで難しいところがあります。 数秒前まで語られていた膨大な言葉(私たちからすれば普通の会話)を覚えておかなければ、 会話についていくことができないからです。 しかし、アルツハイマー型認知症の人は、相手の感情を読むことはとても得意です。 完全には会話の内容を理解できなくても、言葉のトーン、相手の顔つきなどにはとても敏感で、 何か自分についてネガティブな情報を言われていることは、理解できるのです。」 (中央法規出版社 恩蔵絢子、永島徹著「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」P141より抜粋。( )内は石川が注釈) このように、しっかりと私たちの言葉や態度を感じ取っておられるのです。 ですから、決して認知症の人は何もわからない人ではないということ。 そこを私たちは誤解してはならないのです。 では、なぜ認知機能が低下しているのに、感情は読み取っていくことができるのか。 つまり感情が伝染していくのか?  次回に書き込みます。(つづく) 8月11日、山の日ですが、私は山には登らず、クラシックコンサートに行ってました。 85歳のマエストロのラストコンサート(大阪での定期演奏会ということです)でした。 渾身の指揮の後、腰の痛みと疲労を隠しながら、 何度も何度も頭を下げて、舞台を後にされました。 日本の一時代を担った名指揮者でした。 ひとつの時代が終わる…  そんな切なさと感動を覚えたコンサートでした。
ブログ投稿画像

2023.08.10

トピックス
認知症の人の「感情伝染」とは(1) これまで認知症の人のことで、何度か取り上げていたのが、周辺環境に関することです。 環境というと、景色や温度などの住み心地良さがまずは頭に思い浮かびますが、 もちろんそれらも重要なものではあるのですが、 やはりなんと言っても、「人」そのものが最大の環境になります。 在宅の場合は、介護者やサービス事業所の職員となり、 入居されている方はケアスタッフが多大な影響を与える環境要因になります。 ケアスタッフの動きひとつで、認知症の人の「生活していく上での快・不快」が変わっていきます。   しかし私たちは、認知症の人に対して、大きな勘違いをしています。 それは、認知症の人は「何もわからない人」と思っていることです。 例えば、真夏でも厚着している人がいれば、暑さもわからなくなっている、 つまり認知症の人は、周辺環境だけでなく 自分の身体の状況もわからなくなっている人と捉えてしまうでしょう。 確かに認知機能の低下は、通常の日常生活機能を失っていくことに繋がります。 しかし、私たちがもし認知症の人を険しい表情で睨み付けたら、 認知症の人の表情も強ばるでしょう。 ケア職員が何もわからない人という思いから、指示的、命令的な言葉を発すると、 認知症の人は険しい表情を浮かべるでしょう。 それは、「認知症の人は、何もわからない人」ではなく、 私たちの行動に必ず反応しているということなのです。 (つづく)
ブログ投稿画像

2023.08.09

トピックス
第90回目を迎えた英田地区認知症ケアネットワーク委員会 「認知症でも大丈夫!自分力とお助け力が広くつながるまちづくり」をスローガンに、 2014年後半に設立された「英田地区認知症ケアネットワーク委員会」 早いものというか、凄いというか、なんと90回目の開催となりました。 これまでに、委員会は様々な取り組みを行ってきました。 基本的に個別支援を話しあうのではなく、スローガンにあるように、 認知症になっても安心して暮らせるまちづくりを目指して、地域の皆様への啓発活動を行ってきました。 例えば、「安心声掛けつながり訓練」「ティータイム勉強会」「出前講座」 そして、広く東大阪市民に門戸を開いた「シンポジウム」など、数々の活動を実施しています。 コロナ禍で、それらの行事を自粛せざるおえない時もありましたが、 委員会だけは毎月継続して実施し、今日に至っています。 出前講座の風景 実験中   今後の予定として、英田北地区の安心声掛け訓練、 そして出前型ティータイム勉強会(若しくは、出前型シンポジウム)のように、 各地域に出向いていって行う活動を実施予定です。 出前講座 歯の健康は万病予防   なおこのように委員の皆様自身が地域に出向いて、 地域住民の方に講座や懇親会を開催するという取り組みは、 全国的にも珍しいものとなっています。 今後もこの活動について適時報告してまいります。 出前講座 健康寿命をのばそう!
ブログ投稿画像

2023.08.07

トピックス
少しずつ広がる認知症サポーター講座 認知症施策は、国家プロジェクトとして進められています。 その一環としてあるのが認知症サポーター講座です。 子どもから高齢者まで、多くの方が受講の対象となり、 全国各地で進められています。 下の写真は、某スーパーの出入り口に貼られている 認知症サポータ講座を受講した、認知症サポーターが職員にいますよという目印です。 このように、企業が進んで認知症の人への関わり方を勉強しているところが、 徐々に増えてきているのです。 先日訪れた中学校 今、中学は様々なカリキュラムに追われ、また先生方も多忙を極めています。 そのような中で、サポーター講座をお願いするのは至難の業なのです。 しかし、前向きに考えてくださり、人権研修の一環として取り入れてもらえそうです。 学校の先生方、或いは保護者の皆さんにとっては、 自分の親の介護に直面する年代の方々でもあります。 生徒さんだけでなく、先生方や保護者世代へのアプローチも必要なのです。 花園ラグビー場に一番近い中学校です。   この中学校、ラグビー部の生徒たちが練習をしていました。 この人たちの中から、将来の日本代表選手が出るかもしれませんね。
ブログ投稿画像

2023.08.04

トピックス
若年性認知症介護家族の方の講演 東大阪社協で、キャラバンメイト養成講座が開かれ 若年性認知症の介護家族の方のお話がありました。 淡々と認知症の初期から現在に至るまでを話されていましたが、 男性介護者ゆえの戸惑いも多くあったようです。 特に、ご本人の認知症状が進む中、 かなりの焦燥感に襲われ、人間不信にもなられたとのこと。 しかし、地域包括支援センターや、ケアマネジャー、デイサービス担当者の専門職の皆さんに助けられたこと。 そしてそれらの専門職の皆さんが、みんな温かい笑顔で迎えてくれたこと それが何よりでしたと語っておられました。 また、地域住民の方が、認知症の人を避けるのではなく、 認知症の妻に対しても、気さくに挨拶をしてくれるだけでも 十分に気持ちが助けられるとも話されていました。 ただ診断をしてくれた病院が、「地域包括支援センター」という相談に行ける場所を紹介してくれなかったので、 自分で色々と探すことになり、その分回り道をしてしまったとのこと。 まだまだ地域包括支援センターの存在が知れ渡っていないということでもあるのです。 今回お話をしていただいた介護者は、12月9日に開催される 一般市民向け講演会においてもお話ししていただける予定です。 この講演会についての詳細は決まり次第お知らせします。
ブログ投稿画像

2023.08.03

トピックス
「心理的安全性」について 「心理的安全性」という言葉をご存知でしょうか? これはビジネス界で使われている言葉で、 主に職場環境改善の本として、リーダーや管理者向けに書かれていると言えます。 特に職場での部下への声のかけ方などが中心です。 私がよくお話しする「セキュアベース」とは少し意味合いが違いますが、 職員たちが心理的安全性を感じる中で仕事を行えるようにというものでしょうか。 本が何冊か出ているので、ビジネス界では重要なものとなっていると言えるでしょう。 リーダー的立場の人は一読しておく必要があるでしょう。 積乱雲がその威容を見せる季節です   ケアの現場では、職員の心理的安全性は、即、利用者の心理的安全性に繋がります。 利用者が生活する上での最大の環境要因は、ケア職員にあるからです。 認知症の人なら、なおさらケア職員の存在は大きくなります。 しかし、職員の心理的安全性は必要ですが、 何よりも利用者の心理的安全性を目指し、 確保しなければならないのがこのケアの仕事です。 映し出されている文字を読んでください。   考え方を整理すると、 「私たち(職員)の環境が悪いから、利用者の環境をよくできるはずがない」ではなく、 「利用者の生活環境をよくするためには、何が必要か?」というように、 イシュー(論点)を間違えないようにしなければなりません。 利用者のために何が必要か?と考えた中で、 そのひとつとして、職員の心理的安全性が必要というのが出てくることなのです。 「私たちがしんどいんやから、利用者の生活環境改善なんかできない。」という考えは、 お箸を逆さまに持って使うのと同じなのです。
ブログ投稿画像

2023.08.02

トピックス
感性があふれる館 白山登山の帰りに立ち寄ったのが、「日本一短い手紙の館」でした。 毎年募集コンクールをしている有名なところですね。 日本一短いかどうかは別にして、ここには数多くの感性溢れる手紙の入賞作が展示されています。 毎年テーマに沿って「誰それへ」(自分宛でもよい)と手紙を送るものです。 LINEなど、言葉が(文字が)あっという間に消費してしまう中、心がこもった一文字一文字になります。 特に私が好きなのは、一人二役の往復書簡です。 これは相手の立場になって手紙を返信するもの。 研修でも使える、相手の立場になって考えてみようというものですね。 私が特に好きなのは、「愛犬ハナへの手紙」 飼い主から愛犬ハナへ 「雨がこう多いと億劫なもんでねぇ。散歩にも連れていけなくて。」 愛犬ハナから飼い主へ 「ごっついストレスたまるわ。お前も鎖でつながれてみいや。」  飼い主が、愛犬の気持ちになって返信したものですね。   入賞はしていませんが、これも私のお気に入りです。 ・妻から亡くなった認知症の夫(お父さん)へ 「ほんまに、認知症になったときは介護で大変やったよお父さん。 今は自由な時間できて人生エンジョイしてる。でもね、寂しさだけはなくならへんわ。」 ・亡くなった認知症の夫から妻へ 「ほんまにえらい迷惑かけたなぁ。でも人生エンジョイできる時間ができてよかった。 まぁ寂しさくらい残しとかんと、忘れられてしまうからな~」  家族のつらき日々とともに、コミュニケーション能力が厳しくなり、 伝えたくても伝えられない認知症の人の思いがよく出ていますね。 ケアの現場では、次のようなものも。 ・ケアワーカーの私から認知症のAさんへ 「なんで忙しいときに限って家へ帰ると言って私たちを困らせるのですか?」 ・認知症のAさんからケアワーカーのあなたへ 「あんたが忙しいかどうか知ったことじゃない。 私はただただ安心してくつろげる家に帰りたいだけなんや。」 一人二役の往復書簡はこのように、相手のことを思うトレーニングにもなるのです。 一度、誰かのことを思って一人二役往復書簡をやってみてはどうでしょうか。 いじめの手紙、お経の手紙、なんか泣けますね。   因みに、今年のテーマは「時」です。 みなさんもチャレンジしてみませんか? できたら介護の関係で。 下記のサイトから申込できます。 https://maruoka-fumi.jp/ippitsu.html
ブログ投稿画像

2023.07.31

トピックス
認知症の人の夏 今年の夏は異常に暑い! と、毎年言ってるような気がします。 その中でも今年は連日厳しい暑さが続きます。 しかし、認知症の人の場合、脳の認知機能の低下は、「暑い、寒い」という感覚さえも奪ってしまいます。 ですので、夏でも厚着しているということはよくあります。 認知症は季節の感覚までも奪ってしまうので、周囲の人たちによる注意と環境整備が必要になります。   家から出て行ってしまって、道に迷ってしまう人にとっては過酷な状況です。 暑いから外には出ないという判断はできないので、 暑かろうが寒かろうが、外出しなければならないという思いの方が強いので、 結局過酷な暑さ寒さにさらされてしまいます。 なんでこんな暑い時に!と、私たちの視点から見ると、 とんでもないことと、理解できない行動なのですが、 本人には本人なりに理由があっての行動なのです。 パンダも暑さでへたばっています。   しかし暑さは容赦なく認知症の人に襲い掛かります。 一刻も早い発見が必要になります。暑いと出歩く地域住民も少なく、 路地裏に座り込んでいて発見が遅れるということも十分にありうるのです。 出来れば何らかの形でGPS発信機を持ってもらえれば最良なのですが、 うまく所持してもらえないという課題もあります。   さて、探すというと、2万1千人の中から一人を探すというのは至難の業ですね。 先週の土曜日、ラグビーワールドカップに向けた強化試合ともいえる、 日本代表対トンガの試合が花園ラグビー場でありました。 本来こんな猛烈な暑さの中でラグビーはやるようなものではないのですが、 久しぶりの関西での国際試合、2万1千人の人が来訪、花園ラグビー場はほぼほぼ満員になりました。   ある認知症の男性は、妻とともに熱烈なラグビーファンです。 今回の試合も早々にチケットを申し込まれたそうです。 当の本人の認知症状は、常にケアが必要な状況ですが、妻と子どもさんとともに観戦するとか。 私もこの試合を観戦するために、ラグビー場に行ったのですが、 さすが2万人もの人がいると、その姿を見つけられませんでした。   果たして無事に観戦できたのか? それはまた後日、介護者の方に聞いてみたいと思いますが、 認知症だからということで、様々な行動や活動に制限を掛けるのではなく、 むしろ感情は豊かに残っておられるので、 その感情に響く刺激はとても必要なことだと思います。   野球でもそうですが、スタジアムに入った時の独特の雰囲気、あれはテレビでは味わえません。 生で味わう雰囲気。認知症だからダメなのではなく、 認知症だからなお一層大切な体験と言えるかもしれません。 環境は認知症の人にとって、生活を左右する重要なアイテムなのです。  
ブログ投稿画像

2023.07.27

トピックス
月に咲く花 いぶし銀 「見た目の華やかさはないが実力や魅力があるもの」 私は彼のことを「いぶし銀のケアマネジャー」と呼び、尊敬していました。 彼とはわずか3年間しか仕事を共にしませんでしたが、 その謙虚で真摯な姿勢を見るたびに、 いつも自分は何をやってんだかと思ったものです。 決して目立つことはなく、地味だけど黙々と利用者に関わる姿は とかく自分は評価されたいと動く人たちが多い中で ある意味、異彩を放つ存在だったと言えます。 彼が突然亡くなってから1年 将来を託せる人の早逝は、痛手です。 彼の名前から、浮かんだ言葉が「月に咲く花」でした。 決して華やかではないけれど、しっかりと咲いている路傍の花 自分は評価されたいと動き回るネオンのような光よりもはるかに美しいのです。 いつどこでどうなるかわからない人生。 一日一日を無駄に過ごすことがないようにしたいものですね。 どんなに暑くてもどんなに寒くても 宮沢賢治の詩のように、自転車で走り回っていた彼の姿が 今でも目に浮かびます。   「雨ニモマケズ」(石川改編) 雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けず 新型コロナウイルスの脅威と恐怖の中でも 丈夫なからだと心をもち 決して怒らず いつも冷静に対処し、利用者には笑っている 一日に、相談・訪問・デイ・ショート 守るべき人たちのことを よく見聞きし分かり そして忘れず 地域の住民や高齢者にとって 灯台のような建物から 東に病気の高齢者あれば 行って適切なマネジメントをし 西に疲れた介護者あれば 行ってそのつらさを受け止め 南に死にそうな人があれば 行って看取りを支え 北に認知症の人が不安の中にいれば あたたかなまなざしと言葉をかけ 日照りの時は汗を流して自転車をこぎ 寒い冬も北風に負けずに歩き マスコミにはその地味な努力を 褒められもせず 苦にもされず それでもひたすら頑張っている そういういぶし銀のようなあなたを 私は 誇りに思いたい。  
ブログ投稿画像

2023.07.26

ほんわか写真館
格別・至福の時(山頂からのご来光) 若い頃はガンガンに山に登っていて、 北アルプスもほとんどの山を登ってしまったくらいです。 この山に登ったのは29年前。 当時、デイサービスの一職員として働いていましたが、 仕事から来るストレスからか、激しい不整脈に襲われ、 もう山には登れない身体になってしまったのかと、ひどく落ち込んでいました。 医者からは心因性のものだから大丈夫と言われ、 それでも不整脈はあったので、「救心」を飲みながら恐々登ったのが「白山」(2702m)だったのです。 山頂に着いた時、登れた喜びから思わず涙した山でもありました。 その白山に29年ぶりに登ってきました。 この吊り橋を渡るところから登山は始まります   若い時と違って今は「へなちょこ登山者」です。 また若い人たちがやたら多く、登り下りともどんどん追い抜かれていきました。 いや本当に若い山ボーイ、山ガールが多くなり、ちょっとびっくりです。 はるか下の登山口から登ってきましたが、まだ中間点です。   5時間山を登り続けて山小屋に到着。 翌朝は3時起床、ライトの明かりの中、約45分かけて山頂へ。 雲海の向こうに上がるご来光を見る瞬間、格別、至福、そして心が洗われる瞬間でした。 いかに世界が広いか、逆にいかに自分の心が小さいかを感じるときでもあったのです。 槍穂高は残念ながら雲の中でした。   普段の私たちは、通勤に3時間(私の場合)、仕事時間が9時間、寝る時間を7時間として、 食事や入浴、片づけなどに2時間とすると、自由に使える時間は3時間ほどです。 その3時間に勉強したりということもありますし、趣味に関することもします。 仕事が長引けば、その自由な時間はもっと削られます。 つまり日々通り過ぎてしまう毎日の時間、自分が自由に使える時間はそんなにないのです。 まして子育てに追われると、それどころではないでしょう。 延命水、流れておらず延命できませんでした(苦笑)   しかし人の一生の時間は決められていません。 一人一人みな違うのです。 若くして亡くなる人もいれば、志半ばで亡くなる人もいます。 私も年上の人はもちろんのこと、同期どころか後輩が次々と亡くなっていきます。 普段気にしない人生の時間は有限であること。 登山はこの年齢ではさすがにきついけど、 これからもチャレンジの気持ちを忘れずに、 有限の時間を心潤う感動の時を求めて 有効的に使っていきたいと思います。 夜明け前の雰囲気が好きですね  
ブログ投稿画像 前回、「私たちは、認知症の人に対して、大きな勘違いをしています。」と書きました。 認知症の人は、何を言っても理解できない。 そんな大きな誤解が、認知症の人の前で平気でその人に対する悪態を吐いたりします。 しかし、悪態を吐かれたことを、 認知症の人はしっかりと感じ取っていることを、私たちはわかっていないのです。 脳科学者の恩蔵絢子氏は、以下のように書いています。 「アルツハイマー型認知症の人は、周囲の人が高速で(私たちの普通の会話)やりとりする会話についていくことは、海馬の萎縮のせいで難しいところがあります。 数秒前まで語られていた膨大な言葉(私たちからすれば普通の会話)を覚えておかなければ、 会話についていくことができないからです。 しかし、アルツハイマー型認知症の人は、相手の感情を読むことはとても得意です。 完全には会話の内容を理解できなくても、言葉のトーン、相手の顔つきなどにはとても敏感で、 何か自分についてネガティブな情報を言われていることは、理解できるのです。」 (中央法規出版社 恩蔵絢子、永島徹著「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」P141より抜粋。( )内は石川が注釈) このように、しっかりと私たちの言葉や態度を感じ取っておられるのです。 ですから、決して認知症の人は何もわからない人ではないということ。 そこを私たちは誤解してはならないのです。 では、なぜ認知機能が低下しているのに、感情は読み取っていくことができるのか。 つまり感情が伝染していくのか?  次回に書き込みます。(つづく) 8月11日、山の日ですが、私は山には登らず、クラシックコンサートに行ってました。 85歳のマエストロのラストコンサート(大阪での定期演奏会ということです)でした。 渾身の指揮の後、腰の痛みと疲労を隠しながら、 何度も何度も頭を下げて、舞台を後にされました。 日本の一時代を担った名指揮者でした。 ひとつの時代が終わる…  そんな切なさと感動を覚えたコンサートでした。
ブログ投稿画像 これまで認知症の人のことで、何度か取り上げていたのが、周辺環境に関することです。 環境というと、景色や温度などの住み心地良さがまずは頭に思い浮かびますが、 もちろんそれらも重要なものではあるのですが、 やはりなんと言っても、「人」そのものが最大の環境になります。 在宅の場合は、介護者やサービス事業所の職員となり、 入居されている方はケアスタッフが多大な影響を与える環境要因になります。 ケアスタッフの動きひとつで、認知症の人の「生活していく上での快・不快」が変わっていきます。   しかし私たちは、認知症の人に対して、大きな勘違いをしています。 それは、認知症の人は「何もわからない人」と思っていることです。 例えば、真夏でも厚着している人がいれば、暑さもわからなくなっている、 つまり認知症の人は、周辺環境だけでなく 自分の身体の状況もわからなくなっている人と捉えてしまうでしょう。 確かに認知機能の低下は、通常の日常生活機能を失っていくことに繋がります。 しかし、私たちがもし認知症の人を険しい表情で睨み付けたら、 認知症の人の表情も強ばるでしょう。 ケア職員が何もわからない人という思いから、指示的、命令的な言葉を発すると、 認知症の人は険しい表情を浮かべるでしょう。 それは、「認知症の人は、何もわからない人」ではなく、 私たちの行動に必ず反応しているということなのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 「認知症でも大丈夫!自分力とお助け力が広くつながるまちづくり」をスローガンに、 2014年後半に設立された「英田地区認知症ケアネットワーク委員会」 早いものというか、凄いというか、なんと90回目の開催となりました。 これまでに、委員会は様々な取り組みを行ってきました。 基本的に個別支援を話しあうのではなく、スローガンにあるように、 認知症になっても安心して暮らせるまちづくりを目指して、地域の皆様への啓発活動を行ってきました。 例えば、「安心声掛けつながり訓練」「ティータイム勉強会」「出前講座」 そして、広く東大阪市民に門戸を開いた「シンポジウム」など、数々の活動を実施しています。 コロナ禍で、それらの行事を自粛せざるおえない時もありましたが、 委員会だけは毎月継続して実施し、今日に至っています。 [caption id="attachment_4968" align="alignnone" width="1245"] 出前講座の風景 実験中[/caption]   今後の予定として、英田北地区の安心声掛け訓練、 そして出前型ティータイム勉強会(若しくは、出前型シンポジウム)のように、 各地域に出向いていって行う活動を実施予定です。 [caption id="attachment_4969" align="alignnone" width="1485"] 出前講座 歯の健康は万病予防[/caption]   なおこのように委員の皆様自身が地域に出向いて、 地域住民の方に講座や懇親会を開催するという取り組みは、 全国的にも珍しいものとなっています。 今後もこの活動について適時報告してまいります。 [caption id="attachment_4970" align="alignnone" width="2560"] 出前講座 健康寿命をのばそう![/caption]
ブログ投稿画像 認知症施策は、国家プロジェクトとして進められています。 その一環としてあるのが認知症サポーター講座です。 子どもから高齢者まで、多くの方が受講の対象となり、 全国各地で進められています。 下の写真は、某スーパーの出入り口に貼られている 認知症サポータ講座を受講した、認知症サポーターが職員にいますよという目印です。 このように、企業が進んで認知症の人への関わり方を勉強しているところが、 徐々に増えてきているのです。 先日訪れた中学校 今、中学は様々なカリキュラムに追われ、また先生方も多忙を極めています。 そのような中で、サポーター講座をお願いするのは至難の業なのです。 しかし、前向きに考えてくださり、人権研修の一環として取り入れてもらえそうです。 学校の先生方、或いは保護者の皆さんにとっては、 自分の親の介護に直面する年代の方々でもあります。 生徒さんだけでなく、先生方や保護者世代へのアプローチも必要なのです。 [caption id="attachment_4961" align="alignnone" width="2560"] 花園ラグビー場に一番近い中学校です。[/caption]   この中学校、ラグビー部の生徒たちが練習をしていました。 この人たちの中から、将来の日本代表選手が出るかもしれませんね。
ブログ投稿画像 東大阪社協で、キャラバンメイト養成講座が開かれ 若年性認知症の介護家族の方のお話がありました。 淡々と認知症の初期から現在に至るまでを話されていましたが、 男性介護者ゆえの戸惑いも多くあったようです。 特に、ご本人の認知症状が進む中、 かなりの焦燥感に襲われ、人間不信にもなられたとのこと。 しかし、地域包括支援センターや、ケアマネジャー、デイサービス担当者の専門職の皆さんに助けられたこと。 そしてそれらの専門職の皆さんが、みんな温かい笑顔で迎えてくれたこと それが何よりでしたと語っておられました。 また、地域住民の方が、認知症の人を避けるのではなく、 認知症の妻に対しても、気さくに挨拶をしてくれるだけでも 十分に気持ちが助けられるとも話されていました。 ただ診断をしてくれた病院が、「地域包括支援センター」という相談に行ける場所を紹介してくれなかったので、 自分で色々と探すことになり、その分回り道をしてしまったとのこと。 まだまだ地域包括支援センターの存在が知れ渡っていないということでもあるのです。 今回お話をしていただいた介護者は、12月9日に開催される 一般市民向け講演会においてもお話ししていただける予定です。 この講演会についての詳細は決まり次第お知らせします。
ブログ投稿画像 「心理的安全性」という言葉をご存知でしょうか? これはビジネス界で使われている言葉で、 主に職場環境改善の本として、リーダーや管理者向けに書かれていると言えます。 特に職場での部下への声のかけ方などが中心です。 私がよくお話しする「セキュアベース」とは少し意味合いが違いますが、 職員たちが心理的安全性を感じる中で仕事を行えるようにというものでしょうか。 本が何冊か出ているので、ビジネス界では重要なものとなっていると言えるでしょう。 リーダー的立場の人は一読しておく必要があるでしょう。 [caption id="attachment_4948" align="alignnone" width="2560"] 積乱雲がその威容を見せる季節です[/caption]   ケアの現場では、職員の心理的安全性は、即、利用者の心理的安全性に繋がります。 利用者が生活する上での最大の環境要因は、ケア職員にあるからです。 認知症の人なら、なおさらケア職員の存在は大きくなります。 しかし、職員の心理的安全性は必要ですが、 何よりも利用者の心理的安全性を目指し、 確保しなければならないのがこのケアの仕事です。 [caption id="attachment_4949" align="alignnone" width="1226"] 映し出されている文字を読んでください。[/caption]   考え方を整理すると、 「私たち(職員)の環境が悪いから、利用者の環境をよくできるはずがない」ではなく、 「利用者の生活環境をよくするためには、何が必要か?」というように、 イシュー(論点)を間違えないようにしなければなりません。 利用者のために何が必要か?と考えた中で、 そのひとつとして、職員の心理的安全性が必要というのが出てくることなのです。 「私たちがしんどいんやから、利用者の生活環境改善なんかできない。」という考えは、 お箸を逆さまに持って使うのと同じなのです。
ブログ投稿画像 白山登山の帰りに立ち寄ったのが、「日本一短い手紙の館」でした。 毎年募集コンクールをしている有名なところですね。 日本一短いかどうかは別にして、ここには数多くの感性溢れる手紙の入賞作が展示されています。 毎年テーマに沿って「誰それへ」(自分宛でもよい)と手紙を送るものです。 LINEなど、言葉が(文字が)あっという間に消費してしまう中、心がこもった一文字一文字になります。 特に私が好きなのは、一人二役の往復書簡です。 これは相手の立場になって手紙を返信するもの。 研修でも使える、相手の立場になって考えてみようというものですね。 私が特に好きなのは、「愛犬ハナへの手紙」 飼い主から愛犬ハナへ 「雨がこう多いと億劫なもんでねぇ。散歩にも連れていけなくて。」 愛犬ハナから飼い主へ 「ごっついストレスたまるわ。お前も鎖でつながれてみいや。」  飼い主が、愛犬の気持ちになって返信したものですね。   入賞はしていませんが、これも私のお気に入りです。 ・妻から亡くなった認知症の夫(お父さん)へ 「ほんまに、認知症になったときは介護で大変やったよお父さん。 今は自由な時間できて人生エンジョイしてる。でもね、寂しさだけはなくならへんわ。」 ・亡くなった認知症の夫から妻へ 「ほんまにえらい迷惑かけたなぁ。でも人生エンジョイできる時間ができてよかった。 まぁ寂しさくらい残しとかんと、忘れられてしまうからな~」  家族のつらき日々とともに、コミュニケーション能力が厳しくなり、 伝えたくても伝えられない認知症の人の思いがよく出ていますね。 ケアの現場では、次のようなものも。 ・ケアワーカーの私から認知症のAさんへ 「なんで忙しいときに限って家へ帰ると言って私たちを困らせるのですか?」 ・認知症のAさんからケアワーカーのあなたへ 「あんたが忙しいかどうか知ったことじゃない。 私はただただ安心してくつろげる家に帰りたいだけなんや。」 一人二役の往復書簡はこのように、相手のことを思うトレーニングにもなるのです。 一度、誰かのことを思って一人二役往復書簡をやってみてはどうでしょうか。 [caption id="attachment_4939" align="alignnone" width="2048"] いじめの手紙、お経の手紙、なんか泣けますね。[/caption]   因みに、今年のテーマは「時」です。 みなさんもチャレンジしてみませんか? できたら介護の関係で。 下記のサイトから申込できます。 https://maruoka-fumi.jp/ippitsu.html
ブログ投稿画像 今年の夏は異常に暑い! と、毎年言ってるような気がします。 その中でも今年は連日厳しい暑さが続きます。 しかし、認知症の人の場合、脳の認知機能の低下は、「暑い、寒い」という感覚さえも奪ってしまいます。 ですので、夏でも厚着しているということはよくあります。 認知症は季節の感覚までも奪ってしまうので、周囲の人たちによる注意と環境整備が必要になります。   家から出て行ってしまって、道に迷ってしまう人にとっては過酷な状況です。 暑いから外には出ないという判断はできないので、 暑かろうが寒かろうが、外出しなければならないという思いの方が強いので、 結局過酷な暑さ寒さにさらされてしまいます。 なんでこんな暑い時に!と、私たちの視点から見ると、 とんでもないことと、理解できない行動なのですが、 本人には本人なりに理由があっての行動なのです。 [caption id="attachment_4556" align="alignnone" width="1600"] パンダも暑さでへたばっています。[/caption]   しかし暑さは容赦なく認知症の人に襲い掛かります。 一刻も早い発見が必要になります。暑いと出歩く地域住民も少なく、 路地裏に座り込んでいて発見が遅れるということも十分にありうるのです。 出来れば何らかの形でGPS発信機を持ってもらえれば最良なのですが、 うまく所持してもらえないという課題もあります。   さて、探すというと、2万1千人の中から一人を探すというのは至難の業ですね。 先週の土曜日、ラグビーワールドカップに向けた強化試合ともいえる、 日本代表対トンガの試合が花園ラグビー場でありました。 本来こんな猛烈な暑さの中でラグビーはやるようなものではないのですが、 久しぶりの関西での国際試合、2万1千人の人が来訪、花園ラグビー場はほぼほぼ満員になりました。   ある認知症の男性は、妻とともに熱烈なラグビーファンです。 今回の試合も早々にチケットを申し込まれたそうです。 当の本人の認知症状は、常にケアが必要な状況ですが、妻と子どもさんとともに観戦するとか。 私もこの試合を観戦するために、ラグビー場に行ったのですが、 さすが2万人もの人がいると、その姿を見つけられませんでした。   果たして無事に観戦できたのか? それはまた後日、介護者の方に聞いてみたいと思いますが、 認知症だからということで、様々な行動や活動に制限を掛けるのではなく、 むしろ感情は豊かに残っておられるので、 その感情に響く刺激はとても必要なことだと思います。   野球でもそうですが、スタジアムに入った時の独特の雰囲気、あれはテレビでは味わえません。 生で味わう雰囲気。認知症だからダメなのではなく、 認知症だからなお一層大切な体験と言えるかもしれません。 環境は認知症の人にとって、生活を左右する重要なアイテムなのです。  
ブログ投稿画像 いぶし銀 「見た目の華やかさはないが実力や魅力があるもの」 私は彼のことを「いぶし銀のケアマネジャー」と呼び、尊敬していました。 彼とはわずか3年間しか仕事を共にしませんでしたが、 その謙虚で真摯な姿勢を見るたびに、 いつも自分は何をやってんだかと思ったものです。 決して目立つことはなく、地味だけど黙々と利用者に関わる姿は とかく自分は評価されたいと動く人たちが多い中で ある意味、異彩を放つ存在だったと言えます。 彼が突然亡くなってから1年 将来を託せる人の早逝は、痛手です。 彼の名前から、浮かんだ言葉が「月に咲く花」でした。 決して華やかではないけれど、しっかりと咲いている路傍の花 自分は評価されたいと動き回るネオンのような光よりもはるかに美しいのです。 いつどこでどうなるかわからない人生。 一日一日を無駄に過ごすことがないようにしたいものですね。 どんなに暑くてもどんなに寒くても 宮沢賢治の詩のように、自転車で走り回っていた彼の姿が 今でも目に浮かびます。   「雨ニモマケズ」(石川改編) 雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けず 新型コロナウイルスの脅威と恐怖の中でも 丈夫なからだと心をもち 決して怒らず いつも冷静に対処し、利用者には笑っている 一日に、相談・訪問・デイ・ショート 守るべき人たちのことを よく見聞きし分かり そして忘れず 地域の住民や高齢者にとって 灯台のような建物から 東に病気の高齢者あれば 行って適切なマネジメントをし 西に疲れた介護者あれば 行ってそのつらさを受け止め 南に死にそうな人があれば 行って看取りを支え 北に認知症の人が不安の中にいれば あたたかなまなざしと言葉をかけ 日照りの時は汗を流して自転車をこぎ 寒い冬も北風に負けずに歩き マスコミにはその地味な努力を 褒められもせず 苦にもされず それでもひたすら頑張っている そういういぶし銀のようなあなたを 私は 誇りに思いたい。  
ブログ投稿画像 若い頃はガンガンに山に登っていて、 北アルプスもほとんどの山を登ってしまったくらいです。 この山に登ったのは29年前。 当時、デイサービスの一職員として働いていましたが、 仕事から来るストレスからか、激しい不整脈に襲われ、 もう山には登れない身体になってしまったのかと、ひどく落ち込んでいました。 医者からは心因性のものだから大丈夫と言われ、 それでも不整脈はあったので、「救心」を飲みながら恐々登ったのが「白山」(2702m)だったのです。 山頂に着いた時、登れた喜びから思わず涙した山でもありました。 その白山に29年ぶりに登ってきました。 [caption id="attachment_4916" align="alignnone" width="2560"] この吊り橋を渡るところから登山は始まります[/caption]   若い時と違って今は「へなちょこ登山者」です。 また若い人たちがやたら多く、登り下りともどんどん追い抜かれていきました。 いや本当に若い山ボーイ、山ガールが多くなり、ちょっとびっくりです。 [caption id="attachment_4915" align="alignnone" width="2560"] はるか下の登山口から登ってきましたが、まだ中間点です。[/caption]   5時間山を登り続けて山小屋に到着。 翌朝は3時起床、ライトの明かりの中、約45分かけて山頂へ。 雲海の向こうに上がるご来光を見る瞬間、格別、至福、そして心が洗われる瞬間でした。 いかに世界が広いか、逆にいかに自分の心が小さいかを感じるときでもあったのです。 [caption id="attachment_4913" align="alignnone" width="2048"] 槍穂高は残念ながら雲の中でした。[/caption]   普段の私たちは、通勤に3時間(私の場合)、仕事時間が9時間、寝る時間を7時間として、 食事や入浴、片づけなどに2時間とすると、自由に使える時間は3時間ほどです。 その3時間に勉強したりということもありますし、趣味に関することもします。 仕事が長引けば、その自由な時間はもっと削られます。 つまり日々通り過ぎてしまう毎日の時間、自分が自由に使える時間はそんなにないのです。 まして子育てに追われると、それどころではないでしょう。 [caption id="attachment_4914" align="alignnone" width="2560"] 延命水、流れておらず延命できませんでした(苦笑)[/caption]   しかし人の一生の時間は決められていません。 一人一人みな違うのです。 若くして亡くなる人もいれば、志半ばで亡くなる人もいます。 私も年上の人はもちろんのこと、同期どころか後輩が次々と亡くなっていきます。 普段気にしない人生の時間は有限であること。 登山はこの年齢ではさすがにきついけど、 これからもチャレンジの気持ちを忘れずに、 有限の時間を心潤う感動の時を求めて 有効的に使っていきたいと思います。 [caption id="attachment_4912" align="alignnone" width="300"] 夜明け前の雰囲気が好きですね[/caption]