ninchisho-yui-logo
menu

メニュー

clear ninchisho-yui-logo

2024.01.18

1.17希望の灯 防災とボランティアの日

トピックス

心の荷物預かり所

必見!最新情報

認知症の教室(一般市民用)

認知症の教室(専門職用)

阪神・淡路大震災から29年、慰霊碑のある東遊園地には、
震災を知らない若い人たちが多かったとのこと。
語り継ぎ、繋がっていくことが継続されているのだと、少し安心感も。

私は一足先に東遊園地の「希望の灯り」に行かせてもらいました。

当時は震災に対する救援体制など確立されておらず、
さらに被災地ボランティアが始まったのも、この阪神・淡路大震災からと言えます。
そのため、1月17日が「防災とボランティアの日」になったのも、ここから始まったと言えるからですね。

このような状況の中、前回にも書いたように大阪府社協は、
介護施設への応援派遣、避難所への派遣、そして避難者の施設での受け入れという、
三段構えで救援活動に入ったのですが、
その模索的対応は、厚労省の官僚には嫌味を言われたのですが、
今では下記の記事にもあるように、体制作りが確立されているのですね。

介護施設で働く職員も被災しているので、激務の中、倒れるケア職員もおり、
このように介護施設へのサポートも大切なのです。
私の場合、今でいうDWATの役割を担っていたと言えますね。
避難所で一番聞いた訴えが「認知症の人への対応」でした。
確かにただでさえ混乱と不安の中におられる認知症の人にとっては、
避難所での生活は混乱の極みを迎えると言えるでしょう。

能登半島の被災地域に、一日も早く希望の灯りがともることを願います。

さて、下記は5年前に書いた文章ですね。その記憶は今もなお鮮烈に残っています。

TVドラマ「BRIDGE」を見ました。
ドラマ前半、主人公が神戸から大阪へ橋を渡ろうとしたとき、
目の前の大阪がネオン輝く普通の姿で、振り向けば神戸は真っ暗で、
その対比に愕然とするシーンがあります。

実は、私も同じような体験をしました。
救援活動を終えて、大阪へ帰るその橋を渡った時に…

ドラマでも時々出てくる「よそ者に何がわかる」そんな視線を受けながら、
所詮よそ者に何ができるのかと苦悩しながらがれきの街を走り回った日々…

野寄公園の雨に打たれる小さなテントの中、
救援の医師からなんとか入院を説得してくれと頼まれ、小さなテントの中に親子を尋ねました。
母親は高齢で寝たきり、状態が悪化していたのです。
しかし何もかも失い息子とだけは離れたくないと、その母親は入院をかたくなに拒否され、
どうすることもできなかった無力な私でした。

本山第二、三小学校の避難所でもあまりにも数多くの難題課題に困惑するだけの自分がいました。
認知症の方への対応が大変という訴えも多くありました。
家の下敷きになり、助けられぬうちに炎に飲み込まれた数多くの方。
残された家族との対面は悲痛極まりなかったのです。

ルミナリエの準備が出来ていました

 

多くの哀しい出来事と人の温かさを感じる中、
怒りと悔しさともどかしさと哀しさと不甲斐なさを一杯抱えたまま、
活動を終えて大阪に帰って来て、その光輝くネオンを見た途端から
ずっと泣きっぱなしだったのです。それも号泣でした。

もう随分前の話。
されど今も、そしてこれからも、人々の哀しみ、苦しみ、
そしてあたたかさは伝えていかなければならないと思います。 
合掌

 

最後とわかっていたなら
震災で亡くなられた方々のお名前が刻まれています