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2022.04.23

認知機能万能の世界での認知症の人

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認知症の教室(一般市民用)

認知症の教室(専門職用)

今やスマートフォンは私たちにとって欠かすことができない存在です。
生活必需品というより身体の一部ともいえるかもしれません。
このスマートフォンは「認知機能」の結集だといえます。

認知機能とは、人を取り巻くすべてのことを瞬時のうちに判断する機能です。
明るさ暗さ、温かさ寒さ、人間関係、思考…
とにかく生活上かかわるすべてのことを認知機能が判断しています。
自分を取り巻くすべてのことを一瞬に判断するだけでなく、

自分の身体の状況も感じ取ります。
おなかがすいた、どこかが痛いというのも認知機能の一つですね。
ですから認知機能は、人が生活するうえで必要不可欠なものなのです。

そしてスマートフォンは、今では自分の身体の一部とも書きました。
情報を得る、情報を伝えるだけでなく、今や決済もできてしまう。
何でもできてしまう万能な道具でしょう。

同時にスマートフォンがないと今の人は、たちどころに不安になります。
時に自分の自由をも縛ってしまうスマートフォンなのに、
ないと、不安で不安で落ち着かなくなってしまいます。
まさしくスマートフォンに支配された、便利という言葉に目を眩まされた
哀しき人の姿がそこにあります。
でもこの万能な道具は認知機能があってこそ役立つものです。

いらすとやさんより

 

認知機能が厳しくなっていく認知症の人には
或いは認知機能の活動そのものが弱くなっていく高齢者には
どんなに便利な道具であっても、生活するうえで意味のないものといえます。

何を言いたいかというと、認知機能万能の世界にどっぷりと漬かっている私たちは、
認知機能が厳しくなってしまった認知症の人を、排他的に見てしまうということなのです。
認知症の症状ばかりに目を向け、認知機能の世界で生きていくことができなくなった人たち
というような視点で見降ろしてしまうこともあるのです。

認知症の人にとって、スマートフォンを忘れた!と不安になる皆さんのことなどどうでもよいのです。
どんなに便利な道具であっても、それはどうでもいいことです。
今この時間、安心して生きていけるのか。そのことのほうがずっと大切なのです。

認知機能の世界から見ている限り、
非認知機能の世界にいる認知症の人のことはわからないでしょう。

私たちはあまりにも便利さに惑わされ、
大切な何かを忘れていってるのではないでしょうか。

例えば、コミュニケーションはSNSを通じて行うことが多くなりました。
逆に言えば、面と向かってしゃべることができなくなっていくでしょう。

いらすとやさんより

 

休みの日は思い切ってスマートフォンのスイッチをオフにする。
不便さの代わりに自由度がきっと増えます。
スマートフォンのない不便さを今から体感しておかないと、
災害で電波基地局が破壊されたらスマートフォンなど単なる文鎮でしかなくなるのです。
便利さを享受し、活用しながらも、便利さに惑わされないことも必要でしょう。