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2019.06.10

ほんわか写真館
姨捨山伝説 姨捨山伝説は各地にいくつかありますが、今回は長野県のお話。 川中島の合戦場を見下ろす位置に「姨捨駅」があります。 この駅や姨捨サービスエリアに来るたびに、お婆さんが捨てられてないか心配になってしまいます(笑) 無人駅なので、出入り自由です。観光ブームで?立派な駅舎になりました。 この「姨捨」は、「田毎の月」でも有名な場所です。 ここから見下ろす棚田は最近ちょっとした観光名所になりました。 豪華列車「四季島」も停車し、乗客は列車から降りて、この棚田を見下ろすそうです。 「田毎の月」とは、田んぼに水が張られたときにそのひとつひとつの田んぼに月が映る風情から、昔から名所として知られていたようです。 安藤広重も描いていますので、昔から有名な場所だったのですね。 私が訪れた時は新月。雲も出ていましたので、星も月も田んぼには映りませんでした。 わかりずらいですが、手前に棚田、その向こうは川中島、そして長野市街の明かりです。 さて、「姨捨山伝説」については、写真の説明のように、決して悲しい話ではなく、むしろお年寄りを大切にしよう、お年寄りの知恵を大事にしようという話なのです。 姨捨伝説のお話しです。お年寄りは知恵袋ですね。 ただこの説明文には記されてないのですが、とても大事なお話の部分があります。写真の説明文の前の方の部分になります。 田毎の月の絵 向こうに見えるのは姨捨山(冠着山)か。 「村では一定の年齢になった老人を山に捨てに行く取り決めがありました。ある村人の母親もその年齢になり、満月の夜、村人は年老いた母親を背負いながら姨捨山(今は冠着山と呼ばれている)に登り始めました。村人が息を切らしながら山道を登っていると背中のばあちゃん(母親)が木々の枝を折っては山道に落としていくのです。村人はまたわけのわからないことをばあちゃんがやっていると思っていました。 そして村人は山頂に着き、ばあちゃんを降ろしました。満月は山陰に沈みかけ、辺りには暗闇が迫っていました。にこにこと笑顔で見送る母親の姿に後ろ髪引かれる思いで、村人は山道を下り始めました。するとどうでしょう。月明りもなく道がわかりにくくなっていたのですが、ばあちゃんが折って落とした木の枝を踏む音で帰り道がわかるのです。息子が無事に村へ帰れるようにとばあちゃんが枝を折っていたのだとわかると、息子は「ばあちゃん捨てられない!」と引き戻り、再びばあちゃんを背負って村まで帰ったのでした。」 あとは、写真の説明の通りです。 姨捨山伝説にはこのように、母の思い、息子の思いも語られているのです。単に口減らしのために山に捨てられる高齢者の話ではないのです。 去り行く電車の姿が似合う駅です.ここはスイッチバックが行われる場所ともなっています。 幸い(笑)駅に捨てられたおばあさんはいませんでしたが、同行の友人は「姨捨山老人ホーム」という名前のホームがあればいいのにねと言います。「私は捨てられるようにこの老人ホームに入れられたけど、でもこの老人ホームめっちゃ過ごしやすい!来て満足!捨てられてよかった!」と利用者が言うようなホームがあればいいのにねと。なるほど、名前は姨捨だけど、捨てられてよかった!と本人が言うような老人ホーム。それもまたおもしろいかもしれませんね(笑)
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2019.06.06

ほんわか写真館
見つかって本当によかったよ~!(高橋まゆみ人形館より) 長野県飯山市に「高橋まゆみ人形館」があります。 旅の途中に寄った所でしたが 心にグググッとくる人形がありました。 粘土で作られた爺やんや婆やんたちの表情が実に素晴らしいのですが、 その中で、雪の中でばあちゃんをぎゅっと抱きしめるじいちゃんの写真に引き付けられました。 (写真はポストカードを接写したものです) ばあちゃん,ああ、本当に見つかってよかった! まさしく道に迷っていた認知症のばあちゃんを見つけた時の 「無事でいてくれた!本当に良かった!」 という、じいちゃんの思いがひしひしと伝わってくるものでした。 膝には雪が付いていて、もしかしたら転んだのかもしれません。 後でわかったのですが、実際に認知症のとある方をモデルにしたのだとか。 写真では横顔しかわかりませんが、 展示してある人形では、ばあちゃんの表情がすごくよくわかります。 これだけ喜んでいるじいちゃんに対して、 混とんとした自分の頭の世界から抜け出せないばあちゃんの表情が見事に描かれています。 写真と違って、立体的に見える人形は それぞれの視点から見えるものが違って、感じるものも違ってきました。 (展示人形は撮影禁止です) こんな明るい爺やん婆やんの人形も一杯展示されています。 人生楽しまなあかんで~ って、言ってるような。   もう一枚、心にググっと入ってきた人形があったのですが、 それは次回に。 高橋まゆみ人形館のHPはこちらです。 https://www.ningyoukan.net/     認知症の人が道に迷っても、「見つかってよかった!」となるように!
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2019.06.04

トピックス
認知症という希望とは センター長の石川です。 長らくお休みしてました。 認知症ケア学会での松本一生先生と永島徹さんの姿です。 学会でのテーマは「認知症という希望」でした。 ちょっと理解しにくいテーマでしたが、松本先生が明確に答えてくれました。 「ケアという経験から(それは介護者だけでなく、子どもたちも含めて)、世代を越えて人と人が繋がっていくことになること。だからこそ、認知症の人は未来の人と人とのきずなを深めていくための希望なのだ」と。 社会福祉法人由寿会が実施している「安心声掛けつながり訓練」はまさしく、この実践と言えますね。 松本先生には、今回の会場でも一番最初にお会いした人でした。 少しばかしお話しもさせてもらいましたが、 自らもお忙しい身、なのにいつも癒しを与えてくれる先生ですね。 永島徹さんも、「認知症の人は実によく私たち(ケア実践者)を見ている。私たちのことをしっかりと判断しているのだと。」また、「ケア実践者は時間で利用者を動かしているのではないか。」との問いかけも。まさしくその通りですね。 認知症という未来 6月15日、参加よろしくお願いします! カレーライス、今年も用意してます!    
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2019.05.27

トピックス
第20回認知症ケア学会報告(その1) 今年の認知症ケア学会が国立京都国際会館で、5月25日、26日行われました。 全国各地から5000人近い人が集まったようですが、私は観光客で溢れいている京都で泊まるところがあったのかな?と、余計な心配をしていました(笑) それにしても、暑かったこと! 数々の国際会議が開かれている場所ですね。不便です(笑) さて、毎年認知症ケア学会では、数多くの発表、講演があります。 私も何回か、発表や講演側になったことはありますが、今回はいち参加者として、色々な話を聴かせてもらい勉強させてもらいました。 メインホールです。1200名入ります。 これだけ多くの人たちが認知症ケアの向上のために全国から集まってくることに改めて驚きを感じるとともに、どんどん斬新な考えやアイデア、そして実践が行われる中で、二つの異なる考えを持ちました。 ひとつは、ケア学会に参加した人たち(組織)は、さらなる刺激を受けてどんどん前へ進み、学会に参加しなかった人たち(組織)との差がますます広がっていくであろうということ。これに関しては私自身も井の中の蛙になっていないかと感じてしまうのです。 沢山の発表内容が載っている、めちゃ重い冊子です。 もうひとつは全く反対のことなのですが、毎回これだけの多くの人が認知症ケア学会に参加しているのに、果たしてその質は上がっているのか?ということです。確かに一部では質の向上が顕著かもしれません。しかしそれが全体的(全国的)な底上げにつながらなければ、単に認知症ケア学会員だけの自己満足に終わるかもしれません。 さらに、ケア学会では「なるほどそうだ、明日から頑張ろう!」と思った人も、いざ帰ってみるとそんな思いも忘れ、オールドカルチャーなことを継続している、こともあるかもしれませんね。 誰もが参加できるわけではないので、参加した者は、継続して伝えていく必要があると言えます。 というわけで、何回かに分けて、次回から認知症ケア学会で学んだものを伝えていきたいと思います。
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2019.05.16

認知症の教室(一般市民用)
記 憶 槇原敬之の歌に「記憶」という歌があります。 歌自体は、母を想う気持ちで作られたようですが、 認知症の人へのやさしい心づかいの歌詞ともとれるのです。 大丈夫だよと 微笑んであげたいとき 思い出せる特別な場面がある   何かの拍子に思い出す 言葉を超えた思いの記憶 もしも思い出せないなら 僕がやさしく伝えよう 何かの拍子に思い出す 言葉を超えた想いの記憶 記憶の軌跡は消すことはできないと、思います。 以前の認知症の教室で、ジグゾーパズルのピースが一つひとつの記憶ならば、その記憶がばらばらになってしまうけど、断片的にその記憶が思い出される時があると書きました。 何かの拍子に思い出す記憶 記憶は決して消し去られたのではなく、裏返しになっても小さくなってもきっとどこかに存在するのでしょう。でもそれを、表現する能力自体が失われてしまっているのです。 言葉にはできなくなっているのです。 バラバラになってしまっても、きっとどこかにその記憶はある だからこそ、大丈夫だよと、微笑んでそばにいてあげること そして、手を握りやさしく伝えてあげること。 言葉にできなくても、ふと思い浮かぶ記憶に、 人生を生きてきた証を感じられる瞬間がある、と言えるかもしれません。
ブログ投稿画像 姨捨山伝説は各地にいくつかありますが、今回は長野県のお話。 川中島の合戦場を見下ろす位置に「姨捨駅」があります。 この駅や姨捨サービスエリアに来るたびに、お婆さんが捨てられてないか心配になってしまいます(笑) [caption id="attachment_768" align="aligncenter" width="650"] 無人駅なので、出入り自由です。観光ブームで?立派な駅舎になりました。[/caption] この「姨捨」は、「田毎の月」でも有名な場所です。 ここから見下ろす棚田は最近ちょっとした観光名所になりました。 豪華列車「四季島」も停車し、乗客は列車から降りて、この棚田を見下ろすそうです。 「田毎の月」とは、田んぼに水が張られたときにそのひとつひとつの田んぼに月が映る風情から、昔から名所として知られていたようです。 [caption id="attachment_771" align="aligncenter" width="400"] 安藤広重も描いていますので、昔から有名な場所だったのですね。[/caption] 私が訪れた時は新月。雲も出ていましたので、星も月も田んぼには映りませんでした。 [caption id="attachment_767" align="aligncenter" width="650"] わかりずらいですが、手前に棚田、その向こうは川中島、そして長野市街の明かりです。[/caption] さて、「姨捨山伝説」については、写真の説明のように、決して悲しい話ではなく、むしろお年寄りを大切にしよう、お年寄りの知恵を大事にしようという話なのです。 [caption id="attachment_770" align="aligncenter" width="650"] 姨捨伝説のお話しです。お年寄りは知恵袋ですね。[/caption] ただこの説明文には記されてないのですが、とても大事なお話の部分があります。写真の説明文の前の方の部分になります。 [caption id="attachment_766" align="alignleft" width="329"] 田毎の月の絵 向こうに見えるのは姨捨山(冠着山)か。[/caption] 「村では一定の年齢になった老人を山に捨てに行く取り決めがありました。ある村人の母親もその年齢になり、満月の夜、村人は年老いた母親を背負いながら姨捨山(今は冠着山と呼ばれている)に登り始めました。村人が息を切らしながら山道を登っていると背中のばあちゃん(母親)が木々の枝を折っては山道に落としていくのです。村人はまたわけのわからないことをばあちゃんがやっていると思っていました。 そして村人は山頂に着き、ばあちゃんを降ろしました。満月は山陰に沈みかけ、辺りには暗闇が迫っていました。にこにこと笑顔で見送る母親の姿に後ろ髪引かれる思いで、村人は山道を下り始めました。するとどうでしょう。月明りもなく道がわかりにくくなっていたのですが、ばあちゃんが折って落とした木の枝を踏む音で帰り道がわかるのです。息子が無事に村へ帰れるようにとばあちゃんが枝を折っていたのだとわかると、息子は「ばあちゃん捨てられない!」と引き戻り、再びばあちゃんを背負って村まで帰ったのでした。」 あとは、写真の説明の通りです。 姨捨山伝説にはこのように、母の思い、息子の思いも語られているのです。単に口減らしのために山に捨てられる高齢者の話ではないのです。 [caption id="attachment_769" align="aligncenter" width="650"] 去り行く電車の姿が似合う駅です.ここはスイッチバックが行われる場所ともなっています。[/caption] 幸い(笑)駅に捨てられたおばあさんはいませんでしたが、同行の友人は「姨捨山老人ホーム」という名前のホームがあればいいのにねと言います。「私は捨てられるようにこの老人ホームに入れられたけど、でもこの老人ホームめっちゃ過ごしやすい!来て満足!捨てられてよかった!」と利用者が言うようなホームがあればいいのにねと。なるほど、名前は姨捨だけど、捨てられてよかった!と本人が言うような老人ホーム。それもまたおもしろいかもしれませんね(笑)
ブログ投稿画像 長野県飯山市に「高橋まゆみ人形館」があります。 旅の途中に寄った所でしたが 心にグググッとくる人形がありました。 粘土で作られた爺やんや婆やんたちの表情が実に素晴らしいのですが、 その中で、雪の中でばあちゃんをぎゅっと抱きしめるじいちゃんの写真に引き付けられました。 (写真はポストカードを接写したものです) [caption id="attachment_757" align="aligncenter" width="650"] ばあちゃん,ああ、本当に見つかってよかった![/caption] まさしく道に迷っていた認知症のばあちゃんを見つけた時の 「無事でいてくれた!本当に良かった!」 という、じいちゃんの思いがひしひしと伝わってくるものでした。 膝には雪が付いていて、もしかしたら転んだのかもしれません。 後でわかったのですが、実際に認知症のとある方をモデルにしたのだとか。 写真では横顔しかわかりませんが、 展示してある人形では、ばあちゃんの表情がすごくよくわかります。 これだけ喜んでいるじいちゃんに対して、 混とんとした自分の頭の世界から抜け出せないばあちゃんの表情が見事に描かれています。 写真と違って、立体的に見える人形は それぞれの視点から見えるものが違って、感じるものも違ってきました。 (展示人形は撮影禁止です) こんな明るい爺やん婆やんの人形も一杯展示されています。 [caption id="attachment_755" align="aligncenter" width="650"] 人生楽しまなあかんで~ って、言ってるような。[/caption]   もう一枚、心にググっと入ってきた人形があったのですが、 それは次回に。 高橋まゆみ人形館のHPはこちらです。 https://www.ningyoukan.net/     認知症の人が道に迷っても、「見つかってよかった!」となるように!
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 長らくお休みしてました。 認知症ケア学会での松本一生先生と永島徹さんの姿です。 学会でのテーマは「認知症という希望」でした。 ちょっと理解しにくいテーマでしたが、松本先生が明確に答えてくれました。 「ケアという経験から(それは介護者だけでなく、子どもたちも含めて)、世代を越えて人と人が繋がっていくことになること。だからこそ、認知症の人は未来の人と人とのきずなを深めていくための希望なのだ」と。 社会福祉法人由寿会が実施している「安心声掛けつながり訓練」はまさしく、この実践と言えますね。 松本先生には、今回の会場でも一番最初にお会いした人でした。 少しばかしお話しもさせてもらいましたが、 自らもお忙しい身、なのにいつも癒しを与えてくれる先生ですね。 永島徹さんも、「認知症の人は実によく私たち(ケア実践者)を見ている。私たちのことをしっかりと判断しているのだと。」また、「ケア実践者は時間で利用者を動かしているのではないか。」との問いかけも。まさしくその通りですね。 認知症という未来 6月15日、参加よろしくお願いします! [caption id="attachment_633" align="aligncenter" width="650"] カレーライス、今年も用意してます![/caption]    
ブログ投稿画像 今年の認知症ケア学会が国立京都国際会館で、5月25日、26日行われました。 全国各地から5000人近い人が集まったようですが、私は観光客で溢れいている京都で泊まるところがあったのかな?と、余計な心配をしていました(笑) それにしても、暑かったこと! [caption id="attachment_742" align="aligncenter" width="650"] 数々の国際会議が開かれている場所ですね。不便です(笑)[/caption] さて、毎年認知症ケア学会では、数多くの発表、講演があります。 私も何回か、発表や講演側になったことはありますが、今回はいち参加者として、色々な話を聴かせてもらい勉強させてもらいました。 [caption id="attachment_743" align="aligncenter" width="650"] メインホールです。1200名入ります。[/caption] これだけ多くの人たちが認知症ケアの向上のために全国から集まってくることに改めて驚きを感じるとともに、どんどん斬新な考えやアイデア、そして実践が行われる中で、二つの異なる考えを持ちました。 ひとつは、ケア学会に参加した人たち(組織)は、さらなる刺激を受けてどんどん前へ進み、学会に参加しなかった人たち(組織)との差がますます広がっていくであろうということ。これに関しては私自身も井の中の蛙になっていないかと感じてしまうのです。 [caption id="attachment_745" align="aligncenter" width="650"] 沢山の発表内容が載っている、めちゃ重い冊子です。[/caption] もうひとつは全く反対のことなのですが、毎回これだけの多くの人が認知症ケア学会に参加しているのに、果たしてその質は上がっているのか?ということです。確かに一部では質の向上が顕著かもしれません。しかしそれが全体的(全国的)な底上げにつながらなければ、単に認知症ケア学会員だけの自己満足に終わるかもしれません。 さらに、ケア学会では「なるほどそうだ、明日から頑張ろう!」と思った人も、いざ帰ってみるとそんな思いも忘れ、オールドカルチャーなことを継続している、こともあるかもしれませんね。 誰もが参加できるわけではないので、参加した者は、継続して伝えていく必要があると言えます。 というわけで、何回かに分けて、次回から認知症ケア学会で学んだものを伝えていきたいと思います。
ブログ投稿画像 槇原敬之の歌に「記憶」という歌があります。 歌自体は、母を想う気持ちで作られたようですが、 認知症の人へのやさしい心づかいの歌詞ともとれるのです。 大丈夫だよと 微笑んであげたいとき 思い出せる特別な場面がある   何かの拍子に思い出す 言葉を超えた思いの記憶 もしも思い出せないなら 僕がやさしく伝えよう 何かの拍子に思い出す 言葉を超えた想いの記憶 [caption id="attachment_721" align="aligncenter" width="650"] 記憶の軌跡は消すことはできないと、思います。[/caption] 以前の認知症の教室で、ジグゾーパズルのピースが一つひとつの記憶ならば、その記憶がばらばらになってしまうけど、断片的にその記憶が思い出される時があると書きました。 何かの拍子に思い出す記憶 記憶は決して消し去られたのではなく、裏返しになっても小さくなってもきっとどこかに存在するのでしょう。でもそれを、表現する能力自体が失われてしまっているのです。 言葉にはできなくなっているのです。 [caption id="attachment_720" align="aligncenter" width="650"] バラバラになってしまっても、きっとどこかにその記憶はある[/caption] だからこそ、大丈夫だよと、微笑んでそばにいてあげること そして、手を握りやさしく伝えてあげること。 言葉にできなくても、ふと思い浮かぶ記憶に、 人生を生きてきた証を感じられる瞬間がある、と言えるかもしれません。