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2021.01.13

トピックス
若年性認知症の方との関り(10)【慕われていた女医さんの発病】 センター長の石川です。 年が変わり、若年性認知症の方二人目の紹介です。 そもそも、何故若いうちに認知症状が出てしまうのか。 それはまだまだ不明なところが多いのです。 ただ、若年性認知症は、ほぼ高齢期の認知症と同様の原因(基礎疾患)により発症するということなのです。 厚生労働省の調査によると、若年性認知症の原因を基礎疾患別に見ると、脳血管性認知症が39.8%を占めています。 続いてアルツハイマー型認知症が25.4%、頭部外傷後遺症が7.7%、前頭側頭葉変性症(ピック病)が3.7%、アルコールの乱用によるアルコール性認知症が3.5%、レビー小体型認知症が3.0%となっています。 脳血管性及びアルツハイマー型で65%を占めているのです。 知らず知らずのうちに忍び寄ってくる暗雲 脳血管性についてはその原因はわかっていますが、それは何らかの病気として現れることが多いと言えます。 しかし私が接した方は、いつのまにか、つまりアルツハイマー病の方が多く、 その生活に知らずのうちに忍び寄ってきたと言える人がほとんどでした。 アルツハイマー病に関しては、脳に蓄積される不純物(アミロイドβ)が神経伝達組織を破壊してしまうことがわかってきました。 その蓄積量がオーバーフローするとアルツハイマー病を発症するのですが、 それが何故若いうちから?となると、不明な点も多いのです。 今回紹介させていただく女医さんのBさんも、本人自身全く予期せぬアルツハイマー病の発症だったと言えるかもしれません。 それはBさんの「叫び」が物語っていたのです。 (つづく)   大阪も緊急事態宣言発令されました。私の友人の施設もクラスターが発生しました。 まさしく、今直前にウイルスはいると言えます。 私が楽しみにしていたラグビートップリーグの開幕も、選手が次から次へと感染し、中止を余儀なくされています。 特に首都圏のチームに多く発症しており、やはり感染者数は危機的状況を物語っていると言えるかもしれません。 それでも負けないようにと、ここでは心がくじけそうになった時に見るビデオを時々載せていきます。 今回は中島みゆきのCoverですが、なかなか良いので聴いてください。 https://www.youtube.com/watch?v=KpX4Ko-5cEA  
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2021.01.12

トピックス
天理大学ラグビー部のレジリエンス センター長の石川です 関西に住む昔からの、そして根っからのラグビーファンとして 36年ぶりの関西勢の優勝はめっちゃ嬉しかったですね。 関西では抜きんでて強くなった天理大学ですが、 高校を卒業した有名選手はみんな東京の大学に行き、 関東の大学は切磋琢磨した試合を経験しています。 しかし天理大学はそのような経験のない中での闘いでした。 何よりも、無名の戦士たちの集まりなのです。 天理大学様HPよりお借りしました   4トライを挙げた市川敬太 英田中学の卒業生です。 高校は日進高校。ラグビー部は点を一杯取られるだけの無名校です。 目の前に花園ラグビー場がありながら、縁遠い場所だったのです。 市川選手は英田出身の選手だったのですね。 天理大学様HPよりお借りしました。松岡主将と市川選手(12番) まるで高校生の選手宣誓かと言うような松岡主将 彼も全くのラグビー無名校からの出身です。 フィフタのような大きな選手もいますが、 多くの選手が必ずしも秀でた才能を持って入学してきたわけではないのです。 そのラグビー部を襲ったコロナウイルス。 ラグビー部員だけでなく、天理市そのものが天地をひっくり返したような大騒ぎとなり、 誹謗中傷はラグビー部員のみならず、天理大学生にまで及びました。 練習もろくにできない、そんな中からの出発 まさしく天理大学ラグビー部のレジリエンス(逆境力)だったのです。 あの時誹謗中傷した人々は、今、どんな思いなのでしょうか。 弱さに負けて人を中傷する人と、逆境の中で耐えて進む人と、さて…   足の激痛を、大声をあげて堪えた松岡主将 「あの元気さこそが、この時代に必要なリーダーだ」と解説者。 まさしくこの時代を映し出した、天理大学ラグビー部の優勝だったのかもしれません。 天理市の皆さん、おめでとう! 天理市のマスコットです。名前は、忘れました!   *余談ですが、天理大学にはでかい外国人選手がいてずるいという声があります。 今やラグビーの世界でも国際化は進んでいます。日本代表は強くなったと言っても諸外国はもっと大きく強いのです。 大学の頃から大きな相手にどう戦っていくかという経験は大切になります。 また、でかい選手がいるだけでは勝てません。周りの無名の選手たちが頑張ってこそですね。 市川のトライもフィフタとの阿吽の呼吸から生まれたものと言えます。 介護の世界も同じだと思います。 天理大学様より拝借しました
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2020.12.29

トピックス
誇るべきプロジェクトメンバー センター長の石川です 今年は本当にとんでもない一年でしたね。 でも、皆様よく耐えられたと思います。 地域の皆様はじめ、多くの方々、本当に我慢と不安の一年でしたね。 ただ、年が変わっても、この冬の間はまだまだ我慢と不安の日が残念ながら続くと思います。 でも、来年は「レジリエンスresilience(逆境力、回復力、復元力などの意味)」の年です。 春を待ち、じっと地中で耐える虫や根っこのように、今少し耐えていきましょう。 今を耐えることが、ウイルス最前線(命の現場だけでなく、生活を支える多くの方々)で働く方々への応援になるのです。 今年はあまり写真を撮りにいけませんでしたが、この写真は今年を表す、お気に入りの写真となりました。 最後に、手前味噌になりますが、島之内のメンバーに感謝の言葉を。 めっちゃ大変な一年でした。 毎日が心身ともにしんどいと思います。 でも皆さんは、一介の介護職員、一介の相談員、看護職員、洗濯、清掃員、給食員ではないのです。 ただのケア職員の一員ではないのです。 皆さんはショートステイ含めて75名の方の、 人生のラストにケアが必要になった方を支えていく プロジェクトメンバーなのです。 それも年齢層を越えた国際チームの一人なのです。 このプロジェクトメンバーがいなければ、75名の方は悲惨な人生のラストを送ることになったかもしれません。 そうではないエンディングに向けて働いている皆さん。 認知症の方も皆さんを頼りにしているのです。 そんなプロジェクトメンバーの皆さんのことを私は誇りに思いますし、 誇りを持てる仕事として、自信を持ってもらえればと思います。 もちろん、在宅分野のプロジェクトメンバーの皆さんにも感謝です。 皆様の存在があってこそ、このコロナウイルスの苦境を地域の人は乗り越えていけるのです。 「ありがとうございます」の一言に尽きますね。     でも、愚痴をこぼしたいこともあるでしょう。 悩むこともあるでしょう。 聴くことしかできませんが、しんどくなったら 遠慮なく私を使ってください。 そして最後の最後に、そのプロジェクトメンバーの皆さんを引張っていく施設長。 本当にしんどい日々がまだまだ続きますが、施設長あってのプロジェクトメンバーです。 一番気苦労多い折れそうな細い体をみんなで支えていきましょう! それでは、今年のブログはこれにて終了です。 皆様、良い年をお迎えください。 来年は、レジリエンスです!
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2020.12.28

トピックス
まなざしの微笑み センター長の石川です 「まなざしの微笑み」と書くと、まるで「モナリザの微笑み」みたいですね。 ただモナリザは、顔全体の表情から、あの独特の微笑みを感じることが出来ます。 しかし、今はマスク着用の時代です。 著作の関係でマスクをしたモナリザの画像は載せられませんが、 目だけのモナリザでは微笑んでいるのかどうかわかりません。 しかし、マスクが必携な今、私たちはこの目だけで相手に思いを伝えることをやらなければなりません。 「目の表情」がとても重要なのです。 大きな世界を変える小さな個人   この目。意外とことわざが一杯あります。 「目から鱗が落ちる」「目くじらを立てる」「目のかたき」「目は口ほどに物を言う」「目は心の鏡」等々 目の表情は、その時のその人の心の動きを表すと言えるでしょう。 「目力」(めじから)がある人は、信念を持った人として捉えられます。 ただ「目が泳ぐ」人からすれば、「目力」を持った人は恐怖でしょう。 「目が泳ぐ」人は、人見知りや緊張もありますが、自信のなさ、不安、誤魔化しのある人と言えます。 ただ、ケアの現場では、「目が泳ぐ」(眼をそらす、きょろきょろするなど、相手が不安に感じてしまう目の表情)ケア職員だと、やはりケアを受ける側は不安になってしまいます。 相手を安心させるには、「微笑んだまなざし、そして信頼できそうな目力」+「温かいコミュニケーション」に「身振り手振り」を加えます。 認知症の方の場合、情報が入りにくいのでなおさら必要になりますね。 とにかく今は顔の中で表情が表現できるのは、目だけになります。 「まなざしの微笑み」は、相手の心をほぐす、最大要素です。 皆さんも「目の表情」をトレーニングしましょう! あたたかなまなざしは、冷えた心も温めてくれます。
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2020.12.25

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若年性認知症の方との関り(9)【涙する場面、そして最後の言葉】 Aさんへのケアは、Aさんに関わることによって、ケアスタッフのスキルアップにもつながっていきました。 当初は興奮状態もあったAさんでしたが、比較的穏やかに過ごされていたのではないかと記憶しています。 ケアスタッフたちも何もわからない中で(今のように認知症研修があるわけでもない時代) 試行錯誤と悪戦苦闘を繰り返しながら、認知症の人への関り方のスキルを上げていったのです。 しかし、Aさんの身体の状況は日増しに悪くなっていき、歩行もままならなくなってしまったのです。 これまでAさんの面会は妻が来るだけでしたが、何かを察したのか、ある日Aさんの妻は学生服姿の息子を連れてきました。 まるで階段を転がり落ちるかのようにAさんの心身の機能が衰えていくなか、 妻が誘ったのか、息子さんが会いたいと言ったのか、 それは定かではありませんが、久しぶりの親子の対面がありました。 化野念仏寺にて しかしAさんは息子を前にしても何も発せず、宙を見るだけです。 その時の息子さんの寂しそうな悲しそうな表情に、ケアスタッフたちは泣きました。 「いたたまれない気持ちになった…」とある年配のケアスタッフは涙したのです。 子ども思いだったというAさん。 息子さんの記憶に残っているであろう親子3人で楽しんだ日々、 やさしかった父のまなざし、そして変わっていく父の姿。 幸せだった家庭が崩壊し、暴れまくる父の横で黙々と塗りたくられた便を拭いていた、つらく惨めな日々。 そしてそれをずっと耐えなければならなかった日々。 さらに、自分の子どもを目の前にしても何も言えない何も反応しない父… Aさんをケアしてきたスタッフたちにとっても胸を締め付ける場面だったのです。 そして時が経ち、Aさんは寝たきりとなり、残り幾ばくもない日々となっていました。 そのような状況の中でAさんは何かを繰り返し呟いていたのです。 何を言っているのか私にはわかりませんでした。 Aさんがいよいよ末期になった時、あるケアスタッフが、 Aさんが何を呟いているのかと言うことがわかったと伝えに来てくれました。 「ずっと呟いている言葉、子どもさんの名前なのよ。最期の最期までやっぱりAさんは子どもさんのことを思っているのね。」 逢魔が時 不安と混乱と、愛してるよと伝えたい言葉も伝えられない、 自分でもどうすることもできない逢魔が時の暗さの中に飲み込まれても、 Aさんの心の中では子どもを思う気持ちが、その命の灯が燃え尽きるまで心の叫びとして生きていたのです。 思いを伝えられない状況になっても、愛する人を思う心は生きている。 だから認知症の人ではなく、ひとりの人なのです。 次回からは、可愛いべっぴんさんの女医さんと慕われていたBさんのお話しです。 センター長の石川でした。
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2020.12.24

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若年性認知症の方との関り(8)【どこまで家族を苦しめるのか】 Aさんが当ホームへ来られた時、既に認知症状はかなり進行している状況でした。 コミュニケーションは既に取れず、何でも口に入れてしまい、 年齢からは想像ができないほど腰が曲がり、歩行も不安定でした。 発する言葉もほとんどが意味不明で、認知症専用フロアにおられる方の中でも、 年齢は一番若いのだけど一番年老いた感じでした。 そして排泄を含め、食事に至るまで全て要介護の状況だったのです。 このような状況になるまで、妻は仕事に行きながら、 誰の助けもない中で、ひたすら自宅でケアを行っていたのです。 私自身、認知症ケアの理念となる「パーソン・センタード・ケア」など眼中にない時代。 大変な認知症の人が入ってきたという思いもあり、 若年性認知症の方がここまでひどく進行してしまうのかと言う、半ば観察的視点はあったかもしれません。 しかしこれまでの自宅での状況を知っている私には、反面熱い思いの芽生えもあったのです。 入所してしばらくして、ひとつの問題が生じました。Aさん自身にではありません。 妻より利用料が払えないと言ってきたのです。 状況を聞くと、電気水道代等も滞納が続き、それらが止められそうなくらいひっ迫しているとのことでした。 もちろん家賃や学費もあります。 妻はAさんが在宅時はパート勤めしかできず、今もよい仕事に巡り合えていないとのことでした。 多くの滞納を抱え、施設利用料の支払いも滞ったのです。 生駒山より吹田市方面を望む 妻によると、生活保護を希望したが受け入れられないとのこと。 このまま施設利用料を滞納となると、Aさん自身も大変なことになってしまいます。 妻の疲れ切った表情に、Aさんだけのことでなく、この家族も何とか助けなければならないと思いました。 仕事の範疇など関係ありません。 私はS市の担当と掛け合いましたが色よい返事はもらえません。 高齢課と保護課のやり取りもうまくいかないようです。 私もこの当時は若かったというか、血気盛んで、なんでAさん家族を救ってやれないのだとS市と激しくやりあい、 うまくいかない状況に事務所で悔し涙を流した記憶があります。 結果、S市の担当も頑張ってくれたのでしょう。 Aさん家族の生活保護が認定され、滞納だらけの状況から脱することが出来たのです。 何度も繰り返し書きますが、現在のように様々なサービスや制度が全くない時代。 その時代にも若年性認知症の方はおられたし、そして家族も悲壮な状況の中で耐え忍んでおられたのです。 今は、地域包括支援センターがあります。ケアマネジャーもホームヘルパーもいます。 デイサービスもショートステイもあります。入居系施設も増えました。 でもどうでしょうか?若年性認知症の方の苦しみ、介護家族のつらさ、 それらのことを果たしてどれだけサポートできているのか。 あらためて、サービスありきで、大切なことへのアプローチが忘れられているのではないか。 逆に言えば、これだけの介護サービスを本当にうまく活用できているのだろうかと思うのです。 次回、Aさんのお話しの最終話です。 センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 年が変わり、若年性認知症の方二人目の紹介です。 そもそも、何故若いうちに認知症状が出てしまうのか。 それはまだまだ不明なところが多いのです。 ただ、若年性認知症は、ほぼ高齢期の認知症と同様の原因(基礎疾患)により発症するということなのです。 厚生労働省の調査によると、若年性認知症の原因を基礎疾患別に見ると、脳血管性認知症が39.8%を占めています。 続いてアルツハイマー型認知症が25.4%、頭部外傷後遺症が7.7%、前頭側頭葉変性症(ピック病)が3.7%、アルコールの乱用によるアルコール性認知症が3.5%、レビー小体型認知症が3.0%となっています。 脳血管性及びアルツハイマー型で65%を占めているのです。 [caption id="attachment_2299" align="aligncenter" width="650"] 知らず知らずのうちに忍び寄ってくる暗雲[/caption] 脳血管性についてはその原因はわかっていますが、それは何らかの病気として現れることが多いと言えます。 しかし私が接した方は、いつのまにか、つまりアルツハイマー病の方が多く、 その生活に知らずのうちに忍び寄ってきたと言える人がほとんどでした。 アルツハイマー病に関しては、脳に蓄積される不純物(アミロイドβ)が神経伝達組織を破壊してしまうことがわかってきました。 その蓄積量がオーバーフローするとアルツハイマー病を発症するのですが、 それが何故若いうちから?となると、不明な点も多いのです。 今回紹介させていただく女医さんのBさんも、本人自身全く予期せぬアルツハイマー病の発症だったと言えるかもしれません。 それはBさんの「叫び」が物語っていたのです。 (つづく)   大阪も緊急事態宣言発令されました。私の友人の施設もクラスターが発生しました。 まさしく、今直前にウイルスはいると言えます。 私が楽しみにしていたラグビートップリーグの開幕も、選手が次から次へと感染し、中止を余儀なくされています。 特に首都圏のチームに多く発症しており、やはり感染者数は危機的状況を物語っていると言えるかもしれません。 それでも負けないようにと、ここでは心がくじけそうになった時に見るビデオを時々載せていきます。 今回は中島みゆきのCoverですが、なかなか良いので聴いてください。 https://www.youtube.com/watch?v=KpX4Ko-5cEA  
ブログ投稿画像 センター長の石川です 関西に住む昔からの、そして根っからのラグビーファンとして 36年ぶりの関西勢の優勝はめっちゃ嬉しかったですね。 関西では抜きんでて強くなった天理大学ですが、 高校を卒業した有名選手はみんな東京の大学に行き、 関東の大学は切磋琢磨した試合を経験しています。 しかし天理大学はそのような経験のない中での闘いでした。 何よりも、無名の戦士たちの集まりなのです。 [caption id="attachment_2293" align="aligncenter" width="650"] 天理大学様HPよりお借りしました[/caption]   4トライを挙げた市川敬太 英田中学の卒業生です。 高校は日進高校。ラグビー部は点を一杯取られるだけの無名校です。 目の前に花園ラグビー場がありながら、縁遠い場所だったのです。 市川選手は英田出身の選手だったのですね。 [caption id="attachment_2294" align="aligncenter" width="650"] 天理大学様HPよりお借りしました。松岡主将と市川選手(12番)[/caption] まるで高校生の選手宣誓かと言うような松岡主将 彼も全くのラグビー無名校からの出身です。 フィフタのような大きな選手もいますが、 多くの選手が必ずしも秀でた才能を持って入学してきたわけではないのです。 そのラグビー部を襲ったコロナウイルス。 ラグビー部員だけでなく、天理市そのものが天地をひっくり返したような大騒ぎとなり、 誹謗中傷はラグビー部員のみならず、天理大学生にまで及びました。 練習もろくにできない、そんな中からの出発 まさしく天理大学ラグビー部のレジリエンス(逆境力)だったのです。 あの時誹謗中傷した人々は、今、どんな思いなのでしょうか。 弱さに負けて人を中傷する人と、逆境の中で耐えて進む人と、さて…   足の激痛を、大声をあげて堪えた松岡主将 「あの元気さこそが、この時代に必要なリーダーだ」と解説者。 まさしくこの時代を映し出した、天理大学ラグビー部の優勝だったのかもしれません。 天理市の皆さん、おめでとう! [caption id="attachment_2087" align="aligncenter" width="240"] 天理市のマスコットです。名前は、忘れました![/caption]   *余談ですが、天理大学にはでかい外国人選手がいてずるいという声があります。 今やラグビーの世界でも国際化は進んでいます。日本代表は強くなったと言っても諸外国はもっと大きく強いのです。 大学の頃から大きな相手にどう戦っていくかという経験は大切になります。 また、でかい選手がいるだけでは勝てません。周りの無名の選手たちが頑張ってこそですね。 市川のトライもフィフタとの阿吽の呼吸から生まれたものと言えます。 介護の世界も同じだと思います。 [caption id="attachment_2296" align="aligncenter" width="650"] 天理大学様より拝借しました[/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です 今年は本当にとんでもない一年でしたね。 でも、皆様よく耐えられたと思います。 地域の皆様はじめ、多くの方々、本当に我慢と不安の一年でしたね。 ただ、年が変わっても、この冬の間はまだまだ我慢と不安の日が残念ながら続くと思います。 でも、来年は「レジリエンスresilience(逆境力、回復力、復元力などの意味)」の年です。 春を待ち、じっと地中で耐える虫や根っこのように、今少し耐えていきましょう。 今を耐えることが、ウイルス最前線(命の現場だけでなく、生活を支える多くの方々)で働く方々への応援になるのです。 [caption id="attachment_1601" align="aligncenter" width="650"] 今年はあまり写真を撮りにいけませんでしたが、この写真は今年を表す、お気に入りの写真となりました。[/caption] 最後に、手前味噌になりますが、島之内のメンバーに感謝の言葉を。 めっちゃ大変な一年でした。 毎日が心身ともにしんどいと思います。 でも皆さんは、一介の介護職員、一介の相談員、看護職員、洗濯、清掃員、給食員ではないのです。 ただのケア職員の一員ではないのです。 皆さんはショートステイ含めて75名の方の、 人生のラストにケアが必要になった方を支えていく プロジェクトメンバーなのです。 それも年齢層を越えた国際チームの一人なのです。 このプロジェクトメンバーがいなければ、75名の方は悲惨な人生のラストを送ることになったかもしれません。 そうではないエンディングに向けて働いている皆さん。 認知症の方も皆さんを頼りにしているのです。 そんなプロジェクトメンバーの皆さんのことを私は誇りに思いますし、 誇りを持てる仕事として、自信を持ってもらえればと思います。 もちろん、在宅分野のプロジェクトメンバーの皆さんにも感謝です。 皆様の存在があってこそ、このコロナウイルスの苦境を地域の人は乗り越えていけるのです。 「ありがとうございます」の一言に尽きますね。     でも、愚痴をこぼしたいこともあるでしょう。 悩むこともあるでしょう。 聴くことしかできませんが、しんどくなったら 遠慮なく私を使ってください。 そして最後の最後に、そのプロジェクトメンバーの皆さんを引張っていく施設長。 本当にしんどい日々がまだまだ続きますが、施設長あってのプロジェクトメンバーです。 一番気苦労多い折れそうな細い体をみんなで支えていきましょう! それでは、今年のブログはこれにて終了です。 皆様、良い年をお迎えください。 来年は、レジリエンスです!
ブログ投稿画像 センター長の石川です 「まなざしの微笑み」と書くと、まるで「モナリザの微笑み」みたいですね。 ただモナリザは、顔全体の表情から、あの独特の微笑みを感じることが出来ます。 しかし、今はマスク着用の時代です。 著作の関係でマスクをしたモナリザの画像は載せられませんが、 目だけのモナリザでは微笑んでいるのかどうかわかりません。 しかし、マスクが必携な今、私たちはこの目だけで相手に思いを伝えることをやらなければなりません。 「目の表情」がとても重要なのです。 [caption id="attachment_1880" align="alignnone" width="650"] 大きな世界を変える小さな個人[/caption]   この目。意外とことわざが一杯あります。 「目から鱗が落ちる」「目くじらを立てる」「目のかたき」「目は口ほどに物を言う」「目は心の鏡」等々 目の表情は、その時のその人の心の動きを表すと言えるでしょう。 「目力」(めじから)がある人は、信念を持った人として捉えられます。 ただ「目が泳ぐ」人からすれば、「目力」を持った人は恐怖でしょう。 「目が泳ぐ」人は、人見知りや緊張もありますが、自信のなさ、不安、誤魔化しのある人と言えます。 ただ、ケアの現場では、「目が泳ぐ」(眼をそらす、きょろきょろするなど、相手が不安に感じてしまう目の表情)ケア職員だと、やはりケアを受ける側は不安になってしまいます。 相手を安心させるには、「微笑んだまなざし、そして信頼できそうな目力」+「温かいコミュニケーション」に「身振り手振り」を加えます。 認知症の方の場合、情報が入りにくいのでなおさら必要になりますね。 とにかく今は顔の中で表情が表現できるのは、目だけになります。 「まなざしの微笑み」は、相手の心をほぐす、最大要素です。 皆さんも「目の表情」をトレーニングしましょう! あたたかなまなざしは、冷えた心も温めてくれます。
ブログ投稿画像 Aさんへのケアは、Aさんに関わることによって、ケアスタッフのスキルアップにもつながっていきました。 当初は興奮状態もあったAさんでしたが、比較的穏やかに過ごされていたのではないかと記憶しています。 ケアスタッフたちも何もわからない中で(今のように認知症研修があるわけでもない時代) 試行錯誤と悪戦苦闘を繰り返しながら、認知症の人への関り方のスキルを上げていったのです。 しかし、Aさんの身体の状況は日増しに悪くなっていき、歩行もままならなくなってしまったのです。 これまでAさんの面会は妻が来るだけでしたが、何かを察したのか、ある日Aさんの妻は学生服姿の息子を連れてきました。 まるで階段を転がり落ちるかのようにAさんの心身の機能が衰えていくなか、 妻が誘ったのか、息子さんが会いたいと言ったのか、 それは定かではありませんが、久しぶりの親子の対面がありました。 [caption id="attachment_1839" align="aligncenter" width="650"] 化野念仏寺にて[/caption] しかしAさんは息子を前にしても何も発せず、宙を見るだけです。 その時の息子さんの寂しそうな悲しそうな表情に、ケアスタッフたちは泣きました。 「いたたまれない気持ちになった…」とある年配のケアスタッフは涙したのです。 子ども思いだったというAさん。 息子さんの記憶に残っているであろう親子3人で楽しんだ日々、 やさしかった父のまなざし、そして変わっていく父の姿。 幸せだった家庭が崩壊し、暴れまくる父の横で黙々と塗りたくられた便を拭いていた、つらく惨めな日々。 そしてそれをずっと耐えなければならなかった日々。 さらに、自分の子どもを目の前にしても何も言えない何も反応しない父… Aさんをケアしてきたスタッフたちにとっても胸を締め付ける場面だったのです。 そして時が経ち、Aさんは寝たきりとなり、残り幾ばくもない日々となっていました。 そのような状況の中でAさんは何かを繰り返し呟いていたのです。 何を言っているのか私にはわかりませんでした。 Aさんがいよいよ末期になった時、あるケアスタッフが、 Aさんが何を呟いているのかと言うことがわかったと伝えに来てくれました。 「ずっと呟いている言葉、子どもさんの名前なのよ。最期の最期までやっぱりAさんは子どもさんのことを思っているのね。」 [caption id="attachment_2247" align="aligncenter" width="650"] 逢魔が時[/caption] 不安と混乱と、愛してるよと伝えたい言葉も伝えられない、 自分でもどうすることもできない逢魔が時の暗さの中に飲み込まれても、 Aさんの心の中では子どもを思う気持ちが、その命の灯が燃え尽きるまで心の叫びとして生きていたのです。 思いを伝えられない状況になっても、愛する人を思う心は生きている。 だから認知症の人ではなく、ひとりの人なのです。 次回からは、可愛いべっぴんさんの女医さんと慕われていたBさんのお話しです。 センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 Aさんが当ホームへ来られた時、既に認知症状はかなり進行している状況でした。 コミュニケーションは既に取れず、何でも口に入れてしまい、 年齢からは想像ができないほど腰が曲がり、歩行も不安定でした。 発する言葉もほとんどが意味不明で、認知症専用フロアにおられる方の中でも、 年齢は一番若いのだけど一番年老いた感じでした。 そして排泄を含め、食事に至るまで全て要介護の状況だったのです。 このような状況になるまで、妻は仕事に行きながら、 誰の助けもない中で、ひたすら自宅でケアを行っていたのです。 私自身、認知症ケアの理念となる「パーソン・センタード・ケア」など眼中にない時代。 大変な認知症の人が入ってきたという思いもあり、 若年性認知症の方がここまでひどく進行してしまうのかと言う、半ば観察的視点はあったかもしれません。 しかしこれまでの自宅での状況を知っている私には、反面熱い思いの芽生えもあったのです。 入所してしばらくして、ひとつの問題が生じました。Aさん自身にではありません。 妻より利用料が払えないと言ってきたのです。 状況を聞くと、電気水道代等も滞納が続き、それらが止められそうなくらいひっ迫しているとのことでした。 もちろん家賃や学費もあります。 妻はAさんが在宅時はパート勤めしかできず、今もよい仕事に巡り合えていないとのことでした。 多くの滞納を抱え、施設利用料の支払いも滞ったのです。 [caption id="attachment_2242" align="aligncenter" width="650"] 生駒山より吹田市方面を望む[/caption] 妻によると、生活保護を希望したが受け入れられないとのこと。 このまま施設利用料を滞納となると、Aさん自身も大変なことになってしまいます。 妻の疲れ切った表情に、Aさんだけのことでなく、この家族も何とか助けなければならないと思いました。 仕事の範疇など関係ありません。 私はS市の担当と掛け合いましたが色よい返事はもらえません。 高齢課と保護課のやり取りもうまくいかないようです。 私もこの当時は若かったというか、血気盛んで、なんでAさん家族を救ってやれないのだとS市と激しくやりあい、 うまくいかない状況に事務所で悔し涙を流した記憶があります。 結果、S市の担当も頑張ってくれたのでしょう。 Aさん家族の生活保護が認定され、滞納だらけの状況から脱することが出来たのです。 何度も繰り返し書きますが、現在のように様々なサービスや制度が全くない時代。 その時代にも若年性認知症の方はおられたし、そして家族も悲壮な状況の中で耐え忍んでおられたのです。 今は、地域包括支援センターがあります。ケアマネジャーもホームヘルパーもいます。 デイサービスもショートステイもあります。入居系施設も増えました。 でもどうでしょうか?若年性認知症の方の苦しみ、介護家族のつらさ、 それらのことを果たしてどれだけサポートできているのか。 あらためて、サービスありきで、大切なことへのアプローチが忘れられているのではないか。 逆に言えば、これだけの介護サービスを本当にうまく活用できているのだろうかと思うのです。 次回、Aさんのお話しの最終話です。 センター長の石川でした。