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2021.02.11

トピックス
若年性認知症の方との関り(14)【痛い記憶】 若年性認知症になられたB女医さんの最終回です。 Bさんのことでは、私はとんでもない失態と言うか、痛い記憶があります。 当時は日本でもまだ数少ない認知症の人の専用フロアがあった私が勤めていた施設は、見学者も数多く来られました。 毎日のように見学者の対応に追われるような状況でもあったのです。 私がその見学者を誘導し、フロアで説明する役割を担っていました。 その見学者たちが皆さん一様に驚く話がありました。 「若くして認知症になられたお医者さんも入所者におられます。」と。 すると、見学者は皆、へぇーと声を上げるのです。 当時はまだ若年性認知症のことはほとんど知られていない頃だったので、 私の話はセンセーショナルな話だったのです。 この頃の私は、認知症の人への敬意も尊厳の保持も、そのかけらすらない説明を、見学者に行っていたのです。 話だけではなく、認知症の人をパーソンではなく、「困った対象者」のような感じで見ていたのかもしれません。 そしてあの日も見学者を案内し、そのセンセーショナルな話をフロアで話をしていた時です。 詰所からガチャっという音が聞こえました。 当時は詰所でタバコが吸える時代でした。(職員は禁止されてましたが) 面会者や見学者は詰所でタバコが吸えたのです。 そのガチャという音は、今でこそあまり見かけなくなりましたが、 灰皿の真ん中の突起を押すと、吸い殻が中に落ちる回転式灰皿の突起を押したときの音だったのです。 その音に振り返って私が詰所を見ると、そこにBさんの夫がいたのです。 日に日に変わっていき、混乱していく妻を支えてきた人でした。 間違いなく、私の見学者への説明を夫は聞いていたでしょう。 その灰皿の音は「私の妻をさらし者にするな!」という無言の抗議だったと、私はその時気づかされました。 今でもその時のガチャ!という灰皿の音は、私にとって痛い記憶として残っています。 まさしく思い上がっていた私への戒めの音だったのです。 真ん中の突起を押すと、ガチャっという音とともにお皿が回転し、吸い殻が中に収納されます。 常にふらつきながらもなんとか歩こうとして、その都度転倒を繰り返すBさんのその姿、 そして涙を浮かべながら、大声を上げ悲壮感を訴えるその表情も、 それこそ「死に物狂いの認知症と言う病魔へ抵抗しようとする姿」であったのではないでしょうか。 同時に私たちに救いを求める姿であったのかもしれません。 私たちから見て困ってしまう行動も、 本人にとっては「必死になって生きていこうとする自分自身への生命の証」なのかもしれません。 B女医さんの話はこれで終わります。 次回からは猛烈に暴れる女性の話になります。 センター長の石川でした。
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2021.02.05

トピックス
問題発言高齢者を認知症だと言わないで センター長の石川です 世の中一部の権力を持つ高齢者の発言、行動で、若い世代から「老害」と言う言葉を盛んに聞きます。 確かに先日のフォレスト氏の発言や一階の上の人の行動や発言を聞いていると 全くもって酷いもので、多くの普通の高齢者まで迷惑してしまいます。 つまり、老人になると、「老害」しかないと思われ、 それが認知症と繋がってしまうのです。 SNSでのコメントでは、フォレスト氏は「痴呆だ」(認知症とも言わず) 「痴呆老人はさっさと、引退しろ!」みたいな言葉が次々と出てきます。 やはり、認知症の人を蔑視、軽蔑する風潮は世間に染みこんでいるのでしょうか。 特に若い世代に、このままでは老人イコール自分たちを害する人たちと思われてしまうでしょう。 つまり、しょうもないことでの世間の大騒ぎですが、 高齢者理解、認知症の人への理解と言う意味では、捨てておけないことなのです。 多くの高齢者は若い人達に知識をつたえる知恵者であり、学びの師なのです。 例えば入居者一人一人は若い世代にとって学びの師なのです。 認知症があったとしてもその人から学ぶことがものすごくあるのです。 ところが一部の権威的立場にある高齢者の行動や発言は、それらの思いを吹き飛ばしてしまいます。 そして、「老害」は「認知症」と結びつき、軽蔑だけが助長されてしまいます。 若い世代は高齢者を「ヨーダ」と思い、学ぶ姿勢を。 年取った世代は自分を「ヨーダ」と思い、出しゃばらず若い世代を見守り導くことを。 でも老いも若きもそんなことはどうでもいいよーだ…
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2021.02.04

トピックス
若年性認知症の方との関り(13)【なぜ若年性認知症になってしまったのか】 Bさんは40代後半で認知症を発症しました。 何故この若さで認知症を発症することになったのか。 その原因理由についてはかなり解明されてきました。(これについては長くなるのでまた別項で) しかし、若年性認知症発症の理由は、残念ながらまだまだ不明な点が多いのです。 B女医さんが発病された当時、今からもう30年近く前のことですが、 認知症になる原因理由は当然まだ不明なことが殆どでした。 当時、認知症の方を診断していた専門医(この先生には大変お世話になりました。いろいろ勉強もさせてもらいました)は、 Bさんの診察に際し、家族にBさんが認知症の人を診察していた経緯がないか、ということを聞かれていました。 先生は診察が終わると、必ず丁寧に手洗いを行い、イソジンでうがいをされていました。 今なら当たり前の光景かもしれませんが、当時は随分神経質だなと私は思っていました。 Bさんが何故認知症を発症したのか? もしかしたらウイルスによるものかもしれない。 そんな可能性もぬぐい切れない当時の状況だったからです。 認知症ウイルス説は今となっては問題外のことですが、 医者が若年性認知症になってしまったということは、ウイルス説を含めた脅威だったわけです。 残念ながら、これだけ科学が進んでも、若年性認知症の人が減ることはありません。 確実的に発症している病気でもあるのです。 他人事ではないのです。 センター長の石川でした。 (つづく) 最近話題にのぼる「ウレタンマスク」。 ウレタンマスクをしている人を攻撃する人も現れて「なんとか警察」の再登場です。 本当に困ったものです。 ただ、ウレタンマスクへの正しい理解は必要だと思うので、下記リンク先の記事を読んでもらえればと思います。 要は、マスクをしっかりと付け、密集を防ぎ、換気をガンガン行う。これに尽きるのかなと。 ただ、介護施設で働く者は、公私の時間ともに、ウレタンマスクの使用は避けた方がよいでしょう。 https://toyokeizai.net/articles/-/409607
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2021.02.02

トピックス
泣いた赤鬼(本当の鬼は人間なのでは?) センター長の石川です 今日は節分ですね。2月3日ではなく、2月2日です。 日本独特のはるか昔からある年中行事のひとつですが、 この古風な行事も実は「宇宙」ととても関係しているのですね。 詳しくは書けませんが、地球が太陽の周囲を回る公転周期との関係で、節分の日が変わると言うことになります。 古風な行事もこのような宇宙規模の動きの中にあるのですね。 南日本新聞より 因みに前回2月2日だったのが明治30年。 124年前だったのに、次の2月2日は2025年と4年後です。 意外と早いですね。 ウェザーニュースより 節分は鬼を払うと言うことで、鬼が悪者になる日なのですが、私はあまり好きではありません。 地域によっては、「福は内、鬼も内」と言って、鬼は悪者かもしれないけれど改心させ受け入れましょうと言うものです。 或いは、鬼は自分の神社に集め、周囲の村に福が来るように「鬼は内(神社に集める)福は外(村に行く)」という神社もあるそうです。 「福は内、鬼も内」と言うのは、いかにも日本人的やさしさが感じられますね。 私が鬼の排斥が嫌いなのは、その昔、濱田廣介の「泣いた赤鬼」を読んで、泣いたからかもしれません。 勧善懲悪ではなく、相手の気持ちも思いやること。 私の見かた捉え方を多角的に見ることという考えの原点の物語かもしれません。 原書不明 とは言うものの、赤鬼は昔から疫病と結び付けられ、疫病退散の意味があったようです。 今年だけは赤鬼に辛抱してもらいましょう。 でも、実のところ、本当の鬼は「人間そのもの」かもしれませんねぇ。 平気で誹謗中傷する人たち、まさしく鬼そのものではないでしょうか。
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2021.02.01

トピックス
人は変われるか? ケアワークにおいて② 人が変わる、悪い方ではなくて、いい方向に人が変われるかと言うのがテーマなのですが、 そのアプローチはいくつかあります。 その中でも「自己防衛機能」を活用するのは、あまり高次元のものではありません。 つまりあまり使いたくないものなのです。 しかしいきなり高次元のアプローチをしても難しいので、まずは人間の本能に直接関与するものとして、 自己防衛機能をうまく活用するという方法です。 要は本人の危機感を呼び覚ますということになります。 今日の東大阪の空 しかし中には上に立つ者として、その使い方を間違っている人もいます。 脅しのような圧力をかける使い方です。 圧力をかけることで、このままではまずいと無理やり思わせようとすることです。 これは間違いなく様々な手段で逆襲を喰らいます。 攻撃されたことに対して、10倍返しでミサイルを打ち返してくるかもしれません。 自己防衛機能が過度に働いて、圧力をかけた者に対して猛烈に反発するか、 若しくはその圧力で自己防衛どころか自己崩壊を起こさせてしまうということになります。 そのような圧力ではなく、一番低い部分での気づきになりますが、 「このままでは立場がまずくなるな」と、自分の中で感じてもらうこと。 つまり自分自身の現状の行動に対しての危機意識(自己防衛機能)が働き、行動の変化に繋がるのがよいでしょう。 多くの場合、利用者からの苦情がこの気づきに繋がることが多いのです。 ところが残念ながら、この一番低い部分の気づきすら生じない場合があります。 困りますね(苦笑) to be continued   さて、田中将大投手、日本でまたその雄姿を見ることが出来るようになりました。 大リーグでの活躍も嬉しいですが、暗い話題ばかりの今の日本、身近に活躍を見れるのはもっと嬉しいことですね。 前回もここにリンクした「あとひとつ」もう一度貼り付けておきます。 この唄で、元気をもらってください。 https://www.youtube.com/watch?v=ir5cF-EvBig センター長の石川でした。
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2021.01.26

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若年性認知症の方との関り(12)【私が崩壊していくということ】 Bさんの行動は激しいものでした。 常に動き回り、それでいて足元が不安定のため、 何度か転倒もありました。 そのため、頭にはラグビー選手のようなヘッドギアを付け、 腰にはパットの入ったズボンをはいてもらいました。 それでも常に目が離せない存在だったのです。 Bさんのその目はいつも潤み、いつも何かを訴えるかのように私たちを見ます。 そして大声。 恐らくは何かを訴えたい、何かを話したい、だけどその言葉が出てこない。 本当なら医者として、まだまだバリバリと働きたいはずなのに どうしようもなく自分が崩壊していく姿への悲愴な叫びだったのかもしれません。 職員の中にBさんの診療所で働いていた看護師がいて、 「先生、先生!」 と、声を掛けます。 一瞬、何かを感じたのか、穏やかな表情になります。 医者が医者たる姿を見せた一瞬だったのかもしれません。 認知症になってもその姿は人それぞれです。 穏やかな人もいれば、そうでない人もいます。 いずれにしても、自分で望んだ道ではなかったでしょう。 Bさんからは、「こんなはずじゃない!どうして!?」という思いが強く伝わってきたのでした。 その認知症と言う病魔に襲われて、悲壮な状況に追いやられてしまった人のことを 私たちはあまりにも冷酷な目で「認知症の大変な人」という思いで見ているのかもしれません。 (つづく) センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 若年性認知症になられたB女医さんの最終回です。 Bさんのことでは、私はとんでもない失態と言うか、痛い記憶があります。 当時は日本でもまだ数少ない認知症の人の専用フロアがあった私が勤めていた施設は、見学者も数多く来られました。 毎日のように見学者の対応に追われるような状況でもあったのです。 私がその見学者を誘導し、フロアで説明する役割を担っていました。 その見学者たちが皆さん一様に驚く話がありました。 「若くして認知症になられたお医者さんも入所者におられます。」と。 すると、見学者は皆、へぇーと声を上げるのです。 当時はまだ若年性認知症のことはほとんど知られていない頃だったので、 私の話はセンセーショナルな話だったのです。 この頃の私は、認知症の人への敬意も尊厳の保持も、そのかけらすらない説明を、見学者に行っていたのです。 話だけではなく、認知症の人をパーソンではなく、「困った対象者」のような感じで見ていたのかもしれません。 そしてあの日も見学者を案内し、そのセンセーショナルな話をフロアで話をしていた時です。 詰所からガチャっという音が聞こえました。 当時は詰所でタバコが吸える時代でした。(職員は禁止されてましたが) 面会者や見学者は詰所でタバコが吸えたのです。 そのガチャという音は、今でこそあまり見かけなくなりましたが、 灰皿の真ん中の突起を押すと、吸い殻が中に落ちる回転式灰皿の突起を押したときの音だったのです。 その音に振り返って私が詰所を見ると、そこにBさんの夫がいたのです。 日に日に変わっていき、混乱していく妻を支えてきた人でした。 間違いなく、私の見学者への説明を夫は聞いていたでしょう。 その灰皿の音は「私の妻をさらし者にするな!」という無言の抗議だったと、私はその時気づかされました。 今でもその時のガチャ!という灰皿の音は、私にとって痛い記憶として残っています。 まさしく思い上がっていた私への戒めの音だったのです。 [caption id="attachment_2372" align="aligncenter" width="225"] 真ん中の突起を押すと、ガチャっという音とともにお皿が回転し、吸い殻が中に収納されます。[/caption] 常にふらつきながらもなんとか歩こうとして、その都度転倒を繰り返すBさんのその姿、 そして涙を浮かべながら、大声を上げ悲壮感を訴えるその表情も、 それこそ「死に物狂いの認知症と言う病魔へ抵抗しようとする姿」であったのではないでしょうか。 同時に私たちに救いを求める姿であったのかもしれません。 私たちから見て困ってしまう行動も、 本人にとっては「必死になって生きていこうとする自分自身への生命の証」なのかもしれません。 B女医さんの話はこれで終わります。 次回からは猛烈に暴れる女性の話になります。 センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 センター長の石川です 2月6日、若年性認知症の方の集い(楽カフェ)が開かれました。 今回は4名の方が参加され、うち1名は初参加の方でした。 コロナ禍においてなかなか外へ出る機会もままならぬ中、貴重な集いの時間と言えます。 今回は「マットゴルフ」を実施。 ゴルフをやっていた方が多く結構皆さん上手です。 [caption id="attachment_2366" align="aligncenter" width="650"] まずはショートコースから。ゴルフ中前の道路で追突事故があり、大きな音がしました。[/caption] ただこのような「何かを行う」状況では、それぞれの方の現状が見えてきます。 ちょっとつらい時でもありますね。 今回から参加された家族は、介護家族同士の話し合いの中で、 同席の介護家族から色々と介護方法を教えてもらい、かなり有益だったようです。 介護家族からの言葉なので納得力もあります。 家族同士の集いが持つ意味はかなり大きいですね。 [caption id="attachment_2365" align="aligncenter" width="650"] ロングコース しっかりと入れる人も![/caption] さて島之内の家族会「ほっこりなつどい」もコロナや寒さが下火になってきましたので、3月に予定しています。 またお知らせしますね。 [caption id="attachment_2367" align="aligncenter" width="650"] 梅が咲き始めましたよ!(茨木市の里山で)[/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です 世の中一部の権力を持つ高齢者の発言、行動で、若い世代から「老害」と言う言葉を盛んに聞きます。 確かに先日のフォレスト氏の発言や一階の上の人の行動や発言を聞いていると 全くもって酷いもので、多くの普通の高齢者まで迷惑してしまいます。 つまり、老人になると、「老害」しかないと思われ、 それが認知症と繋がってしまうのです。 SNSでのコメントでは、フォレスト氏は「痴呆だ」(認知症とも言わず) 「痴呆老人はさっさと、引退しろ!」みたいな言葉が次々と出てきます。 やはり、認知症の人を蔑視、軽蔑する風潮は世間に染みこんでいるのでしょうか。 特に若い世代に、このままでは老人イコール自分たちを害する人たちと思われてしまうでしょう。 つまり、しょうもないことでの世間の大騒ぎですが、 高齢者理解、認知症の人への理解と言う意味では、捨てておけないことなのです。 多くの高齢者は若い人達に知識をつたえる知恵者であり、学びの師なのです。 例えば入居者一人一人は若い世代にとって学びの師なのです。 認知症があったとしてもその人から学ぶことがものすごくあるのです。 ところが一部の権威的立場にある高齢者の行動や発言は、それらの思いを吹き飛ばしてしまいます。 そして、「老害」は「認知症」と結びつき、軽蔑だけが助長されてしまいます。 若い世代は高齢者を「ヨーダ」と思い、学ぶ姿勢を。 年取った世代は自分を「ヨーダ」と思い、出しゃばらず若い世代を見守り導くことを。 でも老いも若きもそんなことはどうでもいいよーだ…
ブログ投稿画像 Bさんは40代後半で認知症を発症しました。 何故この若さで認知症を発症することになったのか。 その原因理由についてはかなり解明されてきました。(これについては長くなるのでまた別項で) しかし、若年性認知症発症の理由は、残念ながらまだまだ不明な点が多いのです。 B女医さんが発病された当時、今からもう30年近く前のことですが、 認知症になる原因理由は当然まだ不明なことが殆どでした。 当時、認知症の方を診断していた専門医(この先生には大変お世話になりました。いろいろ勉強もさせてもらいました)は、 Bさんの診察に際し、家族にBさんが認知症の人を診察していた経緯がないか、ということを聞かれていました。 先生は診察が終わると、必ず丁寧に手洗いを行い、イソジンでうがいをされていました。 今なら当たり前の光景かもしれませんが、当時は随分神経質だなと私は思っていました。 Bさんが何故認知症を発症したのか? もしかしたらウイルスによるものかもしれない。 そんな可能性もぬぐい切れない当時の状況だったからです。 認知症ウイルス説は今となっては問題外のことですが、 医者が若年性認知症になってしまったということは、ウイルス説を含めた脅威だったわけです。 残念ながら、これだけ科学が進んでも、若年性認知症の人が減ることはありません。 確実的に発症している病気でもあるのです。 他人事ではないのです。 センター長の石川でした。 (つづく) 最近話題にのぼる「ウレタンマスク」。 ウレタンマスクをしている人を攻撃する人も現れて「なんとか警察」の再登場です。 本当に困ったものです。 ただ、ウレタンマスクへの正しい理解は必要だと思うので、下記リンク先の記事を読んでもらえればと思います。 要は、マスクをしっかりと付け、密集を防ぎ、換気をガンガン行う。これに尽きるのかなと。 ただ、介護施設で働く者は、公私の時間ともに、ウレタンマスクの使用は避けた方がよいでしょう。 https://toyokeizai.net/articles/-/409607
ブログ投稿画像 センター長の石川です 今日は節分ですね。2月3日ではなく、2月2日です。 日本独特のはるか昔からある年中行事のひとつですが、 この古風な行事も実は「宇宙」ととても関係しているのですね。 詳しくは書けませんが、地球が太陽の周囲を回る公転周期との関係で、節分の日が変わると言うことになります。 古風な行事もこのような宇宙規模の動きの中にあるのですね。 [caption id="attachment_2351" align="aligncenter" width="237"] 南日本新聞より[/caption] 因みに前回2月2日だったのが明治30年。 124年前だったのに、次の2月2日は2025年と4年後です。 意外と早いですね。 [caption id="attachment_2350" align="aligncenter" width="650"] ウェザーニュースより[/caption] 節分は鬼を払うと言うことで、鬼が悪者になる日なのですが、私はあまり好きではありません。 地域によっては、「福は内、鬼も内」と言って、鬼は悪者かもしれないけれど改心させ受け入れましょうと言うものです。 或いは、鬼は自分の神社に集め、周囲の村に福が来るように「鬼は内(神社に集める)福は外(村に行く)」という神社もあるそうです。 「福は内、鬼も内」と言うのは、いかにも日本人的やさしさが感じられますね。 私が鬼の排斥が嫌いなのは、その昔、濱田廣介の「泣いた赤鬼」を読んで、泣いたからかもしれません。 勧善懲悪ではなく、相手の気持ちも思いやること。 私の見かた捉え方を多角的に見ることという考えの原点の物語かもしれません。 [caption id="attachment_2352" align="aligncenter" width="600"] 原書不明[/caption] とは言うものの、赤鬼は昔から疫病と結び付けられ、疫病退散の意味があったようです。 今年だけは赤鬼に辛抱してもらいましょう。 でも、実のところ、本当の鬼は「人間そのもの」かもしれませんねぇ。 平気で誹謗中傷する人たち、まさしく鬼そのものではないでしょうか。
ブログ投稿画像 人が変わる、悪い方ではなくて、いい方向に人が変われるかと言うのがテーマなのですが、 そのアプローチはいくつかあります。 その中でも「自己防衛機能」を活用するのは、あまり高次元のものではありません。 つまりあまり使いたくないものなのです。 しかしいきなり高次元のアプローチをしても難しいので、まずは人間の本能に直接関与するものとして、 自己防衛機能をうまく活用するという方法です。 要は本人の危機感を呼び覚ますということになります。 [caption id="attachment_2345" align="aligncenter" width="650"] 今日の東大阪の空[/caption] しかし中には上に立つ者として、その使い方を間違っている人もいます。 脅しのような圧力をかける使い方です。 圧力をかけることで、このままではまずいと無理やり思わせようとすることです。 これは間違いなく様々な手段で逆襲を喰らいます。 攻撃されたことに対して、10倍返しでミサイルを打ち返してくるかもしれません。 自己防衛機能が過度に働いて、圧力をかけた者に対して猛烈に反発するか、 若しくはその圧力で自己防衛どころか自己崩壊を起こさせてしまうということになります。 そのような圧力ではなく、一番低い部分での気づきになりますが、 「このままでは立場がまずくなるな」と、自分の中で感じてもらうこと。 つまり自分自身の現状の行動に対しての危機意識(自己防衛機能)が働き、行動の変化に繋がるのがよいでしょう。 多くの場合、利用者からの苦情がこの気づきに繋がることが多いのです。 ところが残念ながら、この一番低い部分の気づきすら生じない場合があります。 困りますね(苦笑) to be continued   さて、田中将大投手、日本でまたその雄姿を見ることが出来るようになりました。 大リーグでの活躍も嬉しいですが、暗い話題ばかりの今の日本、身近に活躍を見れるのはもっと嬉しいことですね。 前回もここにリンクした「あとひとつ」もう一度貼り付けておきます。 この唄で、元気をもらってください。 https://www.youtube.com/watch?v=ir5cF-EvBig センター長の石川でした。
ブログ投稿画像 Bさんの行動は激しいものでした。 常に動き回り、それでいて足元が不安定のため、 何度か転倒もありました。 そのため、頭にはラグビー選手のようなヘッドギアを付け、 腰にはパットの入ったズボンをはいてもらいました。 それでも常に目が離せない存在だったのです。 Bさんのその目はいつも潤み、いつも何かを訴えるかのように私たちを見ます。 そして大声。 恐らくは何かを訴えたい、何かを話したい、だけどその言葉が出てこない。 本当なら医者として、まだまだバリバリと働きたいはずなのに どうしようもなく自分が崩壊していく姿への悲愴な叫びだったのかもしれません。 職員の中にBさんの診療所で働いていた看護師がいて、 「先生、先生!」 と、声を掛けます。 一瞬、何かを感じたのか、穏やかな表情になります。 医者が医者たる姿を見せた一瞬だったのかもしれません。 認知症になってもその姿は人それぞれです。 穏やかな人もいれば、そうでない人もいます。 いずれにしても、自分で望んだ道ではなかったでしょう。 Bさんからは、「こんなはずじゃない!どうして!?」という思いが強く伝わってきたのでした。 その認知症と言う病魔に襲われて、悲壮な状況に追いやられてしまった人のことを 私たちはあまりにも冷酷な目で「認知症の大変な人」という思いで見ているのかもしれません。 (つづく) センター長の石川でした。