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2021.03.30

トピックス
違う視点で見て考えることの大切さ(英田北小4年キッズサポーター講座) センター長の石川です。 英田北小学校1年生とのイベントに引き続き、4年生向けにキッズサポーター講座を開きました。 彼らは1年生の時にアーバンケア島之内に見学に来ているので 全員がアーバンケア知ってる、お祭りにも行ったことがあると答えてくれました。 さてそのキッズサポーター講座なのですが、 2年前に実施した別の小学校の先生から「認知症は怖いものという印象だけが残った」という意見をいただきました。 本来は、認知症の人の思いを理解し、やさしく声を掛けて欲しいという趣旨なのですが、 どうやら認知症の人の行動や恐ろしさのほうが印象に残ったのかもしれません。 この写真は今回の英田北小学校でのサポーター講座です 当時の資料を振り返ると、半分は認知症の人の状況説明 (それはテキストにも「認知症ってなあに?」というテーマがあるのように、認知症はどんな病気なのかを説明することとなっている) 後半は認知症の人への声の掛け方、優しく接してほしいと言う説明になっています。 決して、認知症の怖さだけを強調するものではないのです。 しかし、これはあくまでも実施者側の私たちからの視点です。 受け取り側は違った感覚を持ったということが重要なのです。 振り返れば、この時は劇を演じてもらっていますが、 その内容は何度も何度も同じ質問をするおばあちゃんに子どもが困ってしまうというものです。 ここが強調され過ぎると、「私たちを困らせる、困った認知症のおばあちゃん」になってしまうでしょうし、 説明する内容もそこを強調したものになっていたのかもしれません。 今ケアの世界でも、私の講義においても他者からの視点を重要視してお話ししています。 例えば、認知症自立度Ⅲbでは、『着替え、食事、排便、排尿が上手にできない、時間がかかる。やたらに物を口に入れる、物を拾い集める、徘徊、失禁、大声・奇声をあげる、火の不始末、不潔行為、性的異常行為等』と書かれています。 日常生活自立度のランクは、認知症の度合いを示すものとして普通に使われていますが、 認知症の人を、問題を起こす困った人のように書かれています。 これが私たちからの視点です。 しかし、「逆に認知症の人から見た私たちは、話もろくに聞いてくれず、理解できる説明もせず、横柄で傲慢な自分勝手な人たち」と思われているかもしれません。 桜の上にほんのりとお月が写っています このようにキッズサポーター講座においても、私たち側視点になりすぎていたのかもしれないのです。 同じ劇をするのなら、認知症の人の行動に困ってしまう私たちではなく、 「混乱不安の中にいる認知症の人のつらさの姿」、 或いは「適切な声の掛け方」などを見てもらう(或いは一緒に行う)などの、 視点を変えた形で組み直す必要があるでしょう。 違う視点で見て考えることの大切さを、あらためて感じています。
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2021.03.25

トピックス
英田北小学校との新しい取り組み(その2)「SDGsの一環として」 センター長の石川です。 アーバンケア島之内のビデオを見た後は、ふたつのグループに分かれての実践交流会です。 体育館では、車椅子や歩行器の学習会です。 車いすもリクライニング型もあり、角度が変わる車いすに、児童たちは興味津々でした。 歩行器も実際に押してみます。   お年寄りや身体の不自由な方、或いは歩行の補助となるこれらの福祉用具に、 子どもの頃から触れることが、 社会では様々な状況の人がいて、 それをサポートする道具があることを知ってもらうことになるのではないでしょうか。 「たかが小学校1年生に何がわかると言うのだ」ではなく、 「されど小学校1年生だからこそ感じること、わかることがある」のだと思います。 この英田北小学校との取り組みは、「SDGs」(持続可能な開発目標)の、 「3.すべてのひとに健康と福祉を」「4.質の高い教育をみんなに」「11.住み続けられるまちづくり」にも該当すると言えます。 細かく言うと各項目のカテゴリーに、高齢者や認知症の人、或いは認知症の人でも安心して暮らせるまちづくりなどがある訳ではありません。 法人としても「SDGs」を掲げているわけではありませんが、 このような地道な取り組みは、SDGsそのものともいえるのではないでしょうか。 国連が定めた17の目標です。
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2021.03.23

トピックス
英田北小学校との新しい取り組み(その1) センター長の石川です。 3月22日、英田北小学校1年生と4年生との新しいスタイルの交流会を実施しました。 4年生には通常のキッズサポーター講座でしたが、1年生とは新しい取り組みを実施しました。 元々英田北小学校の1年生は、毎年アーバンケア島之内を訪問し、 デイサービスや入居者と直接交流し、さらに施設見学も行っていたのですが、 コロナ禍のため、あえなく中止になってしまっていたのです。 しかしなんとか交流を続け、高齢者や施設の理解を進めていきたいと言う 島之内、学校双方の意見が合致し、新たな取り組みを実施することが出来ました。   1年生に対しては、まずビデオで島之内施設内を見てもらい、 次に歩行器や車いすの体験、さらにデイサービス送迎車のリフト体験をしてもらうことになりました。 アーバンケア島之内の認識だけでなく、アーバンケアデイサービスへの認識を持ってもらうことにもなります。 今回は、まず島之内のビデオ映像の様子から。 見慣れない場所の映像なので、理解までは厳しいかもしれませんが、 初めて見る映像(風景)のためか、みんな真剣に見ていました。 入居者の体操に合わせて、一緒に体操する児童もいましよ。 アーバンチャイルドこども園のはらぺこあおむし君が特別出演です。 実際に見てもらうことはできなかった施設の雰囲気ですが、 少しでも感じてもらえればと思いますし、 次回はバーチャルな体験ができるようLIVE中継が出来ればいいなと考えています。 撮影中心に回っていた私もいますよ~ そしてこの後は、リフト車や車いすの実体験になります。 (つづく)
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2021.03.18

トピックス
今も心に刺さったままの棘 センター長の石川です。 もう遥かはるか昔のことになりますが、 今も心に刺さった棘として、しっかりと残っている記憶があります。 大学を卒業してもプー太郎だった私は、京都の田舎の特養に、住み込みバイトしていました。 仕事内容はケアワークですね。 今はケアワーカーさんとか介護職員とか言いますが、当時は寮母さんと呼ばれていました。 私も寮母さんと共に、排せつ、入浴、食事介助等を行っていたのです。 その寮母さんたちが「あの年寄りは!」と、 ある入所者の男性に対する不満をいつも一杯話をしていたのです。 その男性は、食事を持っていくたびに、「こんなものいらん!俺はウナギしか食べへん!」と言って、 お盆をひっくり返すのでした。 寮母さんたちの不満の大きさに、その時私は「ええかっこ」したかったのでしょうか。 「それじゃ、僕が行って怒ってきます!」 と当時はまだ血気盛んだった私は、その男性の所に行き 「なんでそんなわがままばかり言うんや!もっと若い人に慕われる年寄にならなあかんやないか!」 と、怒鳴ったのです。 職員室に帰り、意気揚々に「叱ってきましたよ!」って、報告したことも覚えています。 ある日、私がとてもお世話になっていた恩師にそのことを話しました。 「あまりにもわがままばかり言う年寄りがいたんで、若い人に慕われる年寄にならなあかん!って怒鳴ってやったんです。」 まさしく、私にはその行動が自慢だったわけです。 しかし、恩師は哀しい表情を浮かべ、一言「君はまだ若いなぁ…」とだけ返してくれました。 その時です。 「あれ?」と思ったのです。 自分自身は正しい行動をしたと思ったのに、 恩師はそれをその表情から「気づけよ」って言われていたように思いました。 もしかして、意気揚々と、まるで正義の味方のように利用者を怒鳴って帰ってきたこと、そのことが自慢だった自分。 でもそれが間違っていたとしたら… その男性が何故ウナギを食べたかったのか… 私はその方のことを調べました。 その男性には視力低下がありました。 当時「ウナギに含まれるビタミンは目にいい」と聞いていた男性は、 日に日に見えなくなっていく恐怖と不安の中、毎日でもウナギを食べたい、目が少しでも良くなって欲しい! そんな切実なる願いから来ていた行動だったのです。 そのこともわからず、私はその人に対し、怒鳴り、そしてそのことが自慢だと思っていたのです。 二十代前半の若造に怒鳴られたその男性は、どんなにつらかったことでしょうか。 取り返しのつかない私の行動でした。 ある日、ある寮母さんがその男性のためにウナギを買ってきてくれていました。 男性は涙ながらにそのことに感謝し、ウナギを食べておられました。 もし私に気づきを与えてくれた恩師がいなければ、私はどうなっていたのだろうか。 「気づき」を与えてくれる存在の人がいること。 大切なことだと思います。 この私の最低最悪な失敗という棘は、 私自身への戒めとして、40年以上経っても私の心から抜かずにそのままにしています。 高齢者(利用者)に向かって怒鳴っても、それは後味の悪さにしかならないのです。
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2021.03.11

トピックス
黙祷の日 センター長の石川です。 今日は誰の心にも記憶されている日ですね。 午後2時46分、追悼のサイレンが鳴り響きました。 当時私はある施設の長をしていて、職場のテレビを見ながら、早く逃げろ!逃げ切ってくれ!っと、叫んでいました。 阪神淡路大震災の時に救援活動に入り、その壮絶な状況に、 大阪に帰ってきたときには心が疲労困憊していたことは以前書きましたが、 東日本大震災はその規模があまりにも大きすぎて、 恐らく現地に行けば、自分の心が持たないだろうと、現地支援に行くのはやめてしまいました。 津波だけでなく原子力発電所の恐怖も連なり、支援に行く人の安全も脅かされるかもしれない状況で、 確か施設部会の派遣も慎重だったと思います。 ただ支援は直後だけでなく、むしろ2年、3年、そして10年の経過の中でも重要なのです。 社協に委託されていた「生活支援相談員」は、10年が経過し、国の予算が打ち切られるとのことです。 これからも被災地ではつらい日々が続きます。 さて、私たちにすぐできるごとは、身近な防災ですね。 今、下記の本が非常に注目を集めているようです。   Amazonでは少し本の中身も見れますので、関心を待たれれば、ご購入下さい。 私たちが出来る防災、やらなければならないですね。 https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%8C%E6%95%99%E3%81%88%E3%82%8B%E3%83%97%E3%83%81%E3%83%97%E3%83%A9%E9%98%B2%E7%81%BD-%E8%BE%BB-%E7%9B%B4%E7%BE%8E/dp/4594083358
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 英田北小学校1年生とのイベントに引き続き、4年生向けにキッズサポーター講座を開きました。 彼らは1年生の時にアーバンケア島之内に見学に来ているので 全員がアーバンケア知ってる、お祭りにも行ったことがあると答えてくれました。 さてそのキッズサポーター講座なのですが、 2年前に実施した別の小学校の先生から「認知症は怖いものという印象だけが残った」という意見をいただきました。 本来は、認知症の人の思いを理解し、やさしく声を掛けて欲しいという趣旨なのですが、 どうやら認知症の人の行動や恐ろしさのほうが印象に残ったのかもしれません。 [caption id="attachment_2510" align="aligncenter" width="650"] この写真は今回の英田北小学校でのサポーター講座です[/caption] 当時の資料を振り返ると、半分は認知症の人の状況説明 (それはテキストにも「認知症ってなあに?」というテーマがあるのように、認知症はどんな病気なのかを説明することとなっている) 後半は認知症の人への声の掛け方、優しく接してほしいと言う説明になっています。 決して、認知症の怖さだけを強調するものではないのです。 しかし、これはあくまでも実施者側の私たちからの視点です。 受け取り側は違った感覚を持ったということが重要なのです。 振り返れば、この時は劇を演じてもらっていますが、 その内容は何度も何度も同じ質問をするおばあちゃんに子どもが困ってしまうというものです。 ここが強調され過ぎると、「私たちを困らせる、困った認知症のおばあちゃん」になってしまうでしょうし、 説明する内容もそこを強調したものになっていたのかもしれません。 今ケアの世界でも、私の講義においても他者からの視点を重要視してお話ししています。 例えば、認知症自立度Ⅲbでは、『着替え、食事、排便、排尿が上手にできない、時間がかかる。やたらに物を口に入れる、物を拾い集める、徘徊、失禁、大声・奇声をあげる、火の不始末、不潔行為、性的異常行為等』と書かれています。 日常生活自立度のランクは、認知症の度合いを示すものとして普通に使われていますが、 認知症の人を、問題を起こす困った人のように書かれています。 これが私たちからの視点です。 しかし、「逆に認知症の人から見た私たちは、話もろくに聞いてくれず、理解できる説明もせず、横柄で傲慢な自分勝手な人たち」と思われているかもしれません。 [caption id="attachment_2508" align="aligncenter" width="650"] 桜の上にほんのりとお月が写っています[/caption] このようにキッズサポーター講座においても、私たち側視点になりすぎていたのかもしれないのです。 同じ劇をするのなら、認知症の人の行動に困ってしまう私たちではなく、 「混乱不安の中にいる認知症の人のつらさの姿」、 或いは「適切な声の掛け方」などを見てもらう(或いは一緒に行う)などの、 視点を変えた形で組み直す必要があるでしょう。 違う視点で見て考えることの大切さを、あらためて感じています。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 アーバンケア島之内のビデオを見た後は、ふたつのグループに分かれての実践交流会です。 体育館では、車椅子や歩行器の学習会です。 車いすもリクライニング型もあり、角度が変わる車いすに、児童たちは興味津々でした。 歩行器も実際に押してみます。   お年寄りや身体の不自由な方、或いは歩行の補助となるこれらの福祉用具に、 子どもの頃から触れることが、 社会では様々な状況の人がいて、 それをサポートする道具があることを知ってもらうことになるのではないでしょうか。 「たかが小学校1年生に何がわかると言うのだ」ではなく、 「されど小学校1年生だからこそ感じること、わかることがある」のだと思います。 この英田北小学校との取り組みは、「SDGs」(持続可能な開発目標)の、 「3.すべてのひとに健康と福祉を」「4.質の高い教育をみんなに」「11.住み続けられるまちづくり」にも該当すると言えます。 細かく言うと各項目のカテゴリーに、高齢者や認知症の人、或いは認知症の人でも安心して暮らせるまちづくりなどがある訳ではありません。 法人としても「SDGs」を掲げているわけではありませんが、 このような地道な取り組みは、SDGsそのものともいえるのではないでしょうか。 [caption id="attachment_1346" align="aligncenter" width="444"] 国連が定めた17の目標です。[/caption]
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 3月22日、英田北小学校1年生と4年生との新しいスタイルの交流会を実施しました。 4年生には通常のキッズサポーター講座でしたが、1年生とは新しい取り組みを実施しました。 元々英田北小学校の1年生は、毎年アーバンケア島之内を訪問し、 デイサービスや入居者と直接交流し、さらに施設見学も行っていたのですが、 コロナ禍のため、あえなく中止になってしまっていたのです。 しかしなんとか交流を続け、高齢者や施設の理解を進めていきたいと言う 島之内、学校双方の意見が合致し、新たな取り組みを実施することが出来ました。   1年生に対しては、まずビデオで島之内施設内を見てもらい、 次に歩行器や車いすの体験、さらにデイサービス送迎車のリフト体験をしてもらうことになりました。 アーバンケア島之内の認識だけでなく、アーバンケアデイサービスへの認識を持ってもらうことにもなります。 今回は、まず島之内のビデオ映像の様子から。 見慣れない場所の映像なので、理解までは厳しいかもしれませんが、 初めて見る映像(風景)のためか、みんな真剣に見ていました。 入居者の体操に合わせて、一緒に体操する児童もいましよ。 [caption id="attachment_2476" align="aligncenter" width="650"] アーバンチャイルドこども園のはらぺこあおむし君が特別出演です。[/caption] 実際に見てもらうことはできなかった施設の雰囲気ですが、 少しでも感じてもらえればと思いますし、 次回はバーチャルな体験ができるようLIVE中継が出来ればいいなと考えています。 [caption id="attachment_2473" align="aligncenter" width="650"] 撮影中心に回っていた私もいますよ~[/caption] そしてこの後は、リフト車や車いすの実体験になります。 (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 もう遥かはるか昔のことになりますが、 今も心に刺さった棘として、しっかりと残っている記憶があります。 大学を卒業してもプー太郎だった私は、京都の田舎の特養に、住み込みバイトしていました。 仕事内容はケアワークですね。 今はケアワーカーさんとか介護職員とか言いますが、当時は寮母さんと呼ばれていました。 私も寮母さんと共に、排せつ、入浴、食事介助等を行っていたのです。 その寮母さんたちが「あの年寄りは!」と、 ある入所者の男性に対する不満をいつも一杯話をしていたのです。 その男性は、食事を持っていくたびに、「こんなものいらん!俺はウナギしか食べへん!」と言って、 お盆をひっくり返すのでした。 寮母さんたちの不満の大きさに、その時私は「ええかっこ」したかったのでしょうか。 「それじゃ、僕が行って怒ってきます!」 と当時はまだ血気盛んだった私は、その男性の所に行き 「なんでそんなわがままばかり言うんや!もっと若い人に慕われる年寄にならなあかんやないか!」 と、怒鳴ったのです。 職員室に帰り、意気揚々に「叱ってきましたよ!」って、報告したことも覚えています。 ある日、私がとてもお世話になっていた恩師にそのことを話しました。 「あまりにもわがままばかり言う年寄りがいたんで、若い人に慕われる年寄にならなあかん!って怒鳴ってやったんです。」 まさしく、私にはその行動が自慢だったわけです。 しかし、恩師は哀しい表情を浮かべ、一言「君はまだ若いなぁ…」とだけ返してくれました。 その時です。 「あれ?」と思ったのです。 自分自身は正しい行動をしたと思ったのに、 恩師はそれをその表情から「気づけよ」って言われていたように思いました。 もしかして、意気揚々と、まるで正義の味方のように利用者を怒鳴って帰ってきたこと、そのことが自慢だった自分。 でもそれが間違っていたとしたら… その男性が何故ウナギを食べたかったのか… 私はその方のことを調べました。 その男性には視力低下がありました。 当時「ウナギに含まれるビタミンは目にいい」と聞いていた男性は、 日に日に見えなくなっていく恐怖と不安の中、毎日でもウナギを食べたい、目が少しでも良くなって欲しい! そんな切実なる願いから来ていた行動だったのです。 そのこともわからず、私はその人に対し、怒鳴り、そしてそのことが自慢だと思っていたのです。 二十代前半の若造に怒鳴られたその男性は、どんなにつらかったことでしょうか。 取り返しのつかない私の行動でした。 ある日、ある寮母さんがその男性のためにウナギを買ってきてくれていました。 男性は涙ながらにそのことに感謝し、ウナギを食べておられました。 もし私に気づきを与えてくれた恩師がいなければ、私はどうなっていたのだろうか。 「気づき」を与えてくれる存在の人がいること。 大切なことだと思います。 この私の最低最悪な失敗という棘は、 私自身への戒めとして、40年以上経っても私の心から抜かずにそのままにしています。 高齢者(利用者)に向かって怒鳴っても、それは後味の悪さにしかならないのです。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 今日は誰の心にも記憶されている日ですね。 午後2時46分、追悼のサイレンが鳴り響きました。 当時私はある施設の長をしていて、職場のテレビを見ながら、早く逃げろ!逃げ切ってくれ!っと、叫んでいました。 阪神淡路大震災の時に救援活動に入り、その壮絶な状況に、 大阪に帰ってきたときには心が疲労困憊していたことは以前書きましたが、 東日本大震災はその規模があまりにも大きすぎて、 恐らく現地に行けば、自分の心が持たないだろうと、現地支援に行くのはやめてしまいました。 津波だけでなく原子力発電所の恐怖も連なり、支援に行く人の安全も脅かされるかもしれない状況で、 確か施設部会の派遣も慎重だったと思います。 ただ支援は直後だけでなく、むしろ2年、3年、そして10年の経過の中でも重要なのです。 社協に委託されていた「生活支援相談員」は、10年が経過し、国の予算が打ち切られるとのことです。 これからも被災地ではつらい日々が続きます。 さて、私たちにすぐできるごとは、身近な防災ですね。 今、下記の本が非常に注目を集めているようです。   Amazonでは少し本の中身も見れますので、関心を待たれれば、ご購入下さい。 私たちが出来る防災、やらなければならないですね。 https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%8C%E6%95%99%E3%81%88%E3%82%8B%E3%83%97%E3%83%81%E3%83%97%E3%83%A9%E9%98%B2%E7%81%BD-%E8%BE%BB-%E7%9B%B4%E7%BE%8E/dp/4594083358