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「必見!最新情報」で記事を検索しました。

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2024.01.10

必見!最新情報
その人がいないところでその人の話をしない 「その人がいないところでその人の話をしない」(*) ガツンとくる言葉でした。 ケアに携わる者にとっては、忘れてはならないけれど、忘れてしまっている言葉かもしれません。 利用者本位、本人の意思の尊重と謳いながら、実際には本人がいないところで決められる。 特に当該者が認知症の人となるとなおさらです。 確かに認知症があって理解できないから、意思表示できないからと、 その人の意思確認することもなく、専門職が集まってその人の今後について考え、 そしてその人を決められた路線の中で動いてもらうことって多々あります。 本人の視点からすれば、 「自分の人生のこれからのことを、勝手に専門職と名の付く連中が決めて、自分たちの思うようにさせようとする。全く酷い話だ。」 というようなことになるでしょうか。 実際、認知症の人のカンファレンスへの参加は、行い難しいところはあるかもしれませんが、 これまでもありましたし、思うほど難しいものではありません。 時には家族と専門職、そして本人も含んだものというように、分けて行うことも可能です。 本人のことを話しあうのですが、本人がのけ者にならないように気をつけなければならないでしょう。 思えば、カンファレンスのような公式的な会議だけでなく、 私たちは普段から「その人がいないところでその人の話をする」ことが実に好きなのです。 でもそれは決して解決にはつながらない話なのです。 その人のことは、その人と話しあって決めなければならないのです。 (*)森川すいめい氏著 「感じるオープンダイアローグ」より (講談社現代新書)
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2024.01.05

必見!最新情報
認知症の人との「会話」と「対話」の違い 似たような言葉だけど似て非なるものかもしれません。 同様な言葉に議論(ディスカッション)や討論或いは論争(ディベート)があります。 ここでは、会話と対話(ダイアローグ)について、認知症の人と織り交ぜて書いてみたいと思います。 私も含め、私たちは認知症の人と話すとき、 「会話」で済ませていることがあるのではないかということなのです。 その時を何とか楽しくやり過ごすために、或いはその場を取り繕うためのものとして。 しかし会話はその場限りのもので、その認知症の方の本質的な思いに迫るものではありません。 むしろ認知症の人を上から視点で見て会話するという危険性もはらんでいます。 認知症の人がどのような思いを持っているのか、 同じ人と人として、その本質的な思いに近づくためには「対話」が必要になるのです。 しかし多くの場合、私たちは認知症の人と「会話」をして終わらせてしまいます。 (もちろん、会話タイムが悪いわけではありません) 「時間」という尺度で見れば、「会話」は「流す時間」であり、 「対話」は「濃い時間」と言えるでしょう。 ここという時には、「対話」の力を発揮して、認知症の人の思いを聴き、私も思いを返します。 上から視点になりがちな「会話」とは違うのが、対等な立場で語り合う「対話」なのです。 新家の公民館に飾られています   しかし、世界情勢は論争ばかりで、その論争は解決にはつながりません。 対話にははるかに遠い状況と言えるでしょう。 でも私たちの仕事は、論争ではありません。 それは職員関係でも同じでしょう。 (つづく)
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2024.01.04

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誰も行ったことのないところへ おめでとうございますとは言いにくい、新年の幕開けとなりました。 今年一年いったいどうなるのかという不安が出てきますね。 まずは、今年もよろしくお願いします。 焼け野原になった街を見ると神戸長田を思い出してしまいます。 崩れ落ちた家々を見ると、救助活動に入った時のことも思い出してしまいます。 そこへ羽田での衝突事故の報道。 年始早々の動揺に、思わず収まっていた不整脈が表出しました。 これら報道番組をずっと見ていると、「共感疲労」を起こすそうです。 まして、阪神・東北で実体験した人には、トラウマともなり、 そのつらさがわかっているだけに、余計に心苦しくなってしまうこともあるでしょう。 報道から一定の距離を開けることも必要だそうです。 世界に目を向けると、新年になろうと関係なく戦争で多くの人の命が失われる現実が続いています。 でも私たちが求めているのは、殺し合いでもいがみ合いでも憎しみあうことでも偏見でもありません。 戦争で憎しみあうくらいなら、冒険に出る。その冒険で困難なことが待ち受けていても 人々は助け合って前へ進もうとする。なのですね。 今年のトヨタ自動車、会長の豊田章男氏の演説が印象的でした。 トヨタ自動車そのものを応援するものでもないのですが、 ケアの現場でも持たなければいけない言葉だと思います。 特に私が好きな「スタートレック」の言葉を、今年はこれで行く!と言われたことには 思わず微笑んでしまいましたが。 「会社として利益追求は当然のことだが、それが一番大切なことではない。 みんなが、その能力と、想像力と情熱がなければ、利益にはつながらない。」 「勇敢に行く。誰も行ったことのないところへ!」(スタートレックの言葉です) 「自分自身を成長させ、視野を広げていくことに挑戦しましょう!お互い支えあっていきましょう!」 トヨタ社員に送られた言葉ですが、これらの言葉は、ケアの現場で働く職員にも言えることでしょう。 つらい年明けにはなりましたが、心暗くしてふさぎ込むのではなく、 しっかりと前を向いてチャレンジすることを忘れてはならないと、言えるでしょう。 豊田会長の年頭の挨拶です https://www.youtube.com/watch?v=SFf35jSRBl0&t=170s  
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2023.12.30

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相手視点で考えること ・ 今年1年ありがとうございました 先日デイサービスのある利用者の方が、興奮激しく、何かを訴えておられました。 私を含め、私たちは、「またか、困ったね。」というような思いを持って、 その方を見ていました。 後々、その方が何故激しく怒って訴えていたのかという理由がわかり、 「そんな背景があっての訴えだったのか」と、 単に「また怒ってる、困ったな。」と思っただけの自分を大いに反省したものです。 普段、研修では「相手の視点になって考える」とよくお話をするのですが、 私だけに限らず、「私たちにとって困ってしまう行動」があると、 ついその行動に引きずられ、 本人の意思やその意思に至った原因・理由・背景が見えなくなってしまいます。 そこで、来年はもっと「誰でもできる相手視点に立って考える方法」について、 探究していきたいと思います。 常に課題を持って探求していくこと。もっと頑張らなければならないですね。   ということで、 阪神タイガースが日本一になった2023年もまもなくフィナーレですね。   今年一年、皆様にはお世話になり、また勉強させていただきました。 本当にありがとうありがとうございました。 感謝。 来年もよろしくお願いいたします。  
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2023.12.29

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自分たちが頑張ってきたこと、ほめる内容を考える 認知症の人と関わる中で、 当初めちゃくちゃ対応が大変だった人が いつのまにか穏やかになっておられるという時があると思います。 不穏状態に陥るのは、なんらかの原因・理由があるように 穏やかになられるのも、なんらかの理由があります。 それは多分に職員の関りによるものなのですが、 日々の忙しさからか、折角の自分たちの対応の良かったことを フィードバックせずに終わってしまうことがあります。 それはもったいないですね。 折角自分を褒められる題材なのに。 「なぜ、Aさんは落ち着かれたのか?」 そんなテーマで、一人10枚の付箋を渡し 落ちつかれた原因・背景について、ちょっと空いた時間に書いて ノートブック(ホワイトボードでも可)に貼り付ける。 こうすることで「考えることをする」のがトレーニングになります。 そして、後で数名集まってノートブックに貼り付けられた付箋を整理してみると、 自分たちが頑張った部分が浮き彫りになってくるかもしれません。 そうやって頑張った部分を自分でほめる、或いはほめてもらうこと。 ほめてもらうからには、しっかりと証拠を示すことです。 「なんとなく」とか「知らずうちに」とか「いつのまにか」などという 言葉はよく使いますが、 その「いつのまにか」には必ず何かの要因が働いているのです。 私たちがトイレに行くのは、おしっこをしたいという気持ちになるから ご飯を食べたいと思うのは、空腹を感じているから、と同じように 行動には必ずその行動を起こさせる要因があります。 ですから、穏やかになられたなら、それも何らかの原因・理由があります。 自分たちが頑張ったことが要因になっているならば、 大いに自分たちをほめてあげましょう。 自分をほめる材料があれば、自信にも繋がるのです。 2024年は自分たちに自信をつけること それは自分自身の人生を大切にし、 利用者の人生を大切にすることにも繋がります。
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2023.12.25

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家族会「ほっこりなつどい」開催されました 毎月実施している家族会ですが、 今回は認知症の人を介護されている家族の方が中心の家族会を実施しました。 6名の方が参加されたのですが、 介護者の方の立場は、妻、夫、娘、嫁と、様々な立場の人がおられ、 さらに認知症の当事者の方も、 アルツハイマー型認知病、脳血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症と、様々な症状の方でした。 単に認知症と言っても、このように様々な症状の認知症があり、 そして認知症状の出方も変わってきます。 また、介護者の立場の違いにより、その介護の状況も変わってきます。 このように単に介護者と言っても、立場の違いでの悩み、 さらに当事者の認知症の症状によっても違ってくるのです。 ところがこの立場の違いがあっても、 家族間の話では、その苦労を受け止め、励ますシーンが何度もありました。 状況が違ったとしても、介護での苦労は同じなのです。 また、初参加の方は、 「来てどうするのかと思ったけど、胸の内を話せてよかった」と言われていました。 介護者が倒れたら、一番影響を受けるのは当事者の方です。 そして介護されている方にもそれぞれの人生があり、 その自分の人生の時間を楽しめる時間があっても、当然いいのです。 本人のこともさることながら、介護者自身も心が落ち着けるために、 デイサービスやショートステイのサービスがあります。 そして今回のような「家族会」があって、心に抱えた荷物を下ろすとともに、 また前へ進んでいけるエネルギーをもらうこと。 そんな「セキュアベース」(心の安全基地)としての家族会であったと言えるでしょう。 メリークリスマス! 良い年末をお過ごしください!   次回は1月27日を予定しています。
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2023.12.21

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94回認知症ケアネットワーク推進委員会開催されました 94回目となる「英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会」が開催されました。 地域からの報告では、すっかりと日常の風景が戻ってきたようで、 各地域の新聞も発行されるようになってきました。   しかし河内警察からの報告では、 相変わらず特殊詐欺が頻繁に起きているようです。 NTTの自動音声版のようなものもあるとか。 とにかく「お金を払えば」的なものは、みな詐欺と思ってもいいかもしれません。 特に認知機能の低下により、判断力が少し落ちた方が一番危ないですね。   来年のシンポジウムは、今話題の認知症のお薬について その実像が少しずつ分かってきましたが どのように伝えていくべきか、先生方で思案されるそうです。 1月には詳細決定予定です。 このように94回目を迎えたネットワーク委員会 また様々な取り組みを行いますので、 よろしくお願いします。   年末と言えば、高校ラグビーですね。 昨年に引き続き、英田南自治連合会では、 27,28の朝、ラグビー場来訪者にコーヒーを配られるそうです。 各、先着2,000名様ですので、お早目にお越しください。 因みにネットワーク委員会で使用している英田公民分館ですが NHK土曜ドラマのロケ地に使われたとか。 楽しみですね。(放送はまだ先だそうです) 昔ながらの校舎の雰囲気が残る場所です      
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2023.12.18

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寿命を分けるもの 近い将来的に4人に1人が認知症になる可能性があると言われています。 認知症の進行を止めると言われているお薬が出たと言っても、 まだまだその効果は限定的なようです。 一方、長寿の方も増えてきています。 しかし、私の周辺では、私よりはるかに若い人の死が続いています。 先週の土曜日、研修先の職員から、 共に研修を行っていたN君が亡くなったと聞かされました。 昨年、同じく共に研修を行っていたM君が亡くなったばかりなのに。 二人ともまだ40歳代です。 N君は不器用だけど一生懸命な男でした。 施設での認知症の人の尊厳を維持するために、頑張っていた男でした。 M君に続き、また一人、戦友をなくしたような喪失感があります。 寿命を分けるものっていったい何だろうとも思います。 多くの因子が絡み合ってのことなのでしょうが、 実際のところ、いつどこで何があるのかわからないのが人生で それを自分事として「捉えたくない」のも私たちかもしれません。 それにしても、まだまだこれからという時に、あまりにも早い後輩の死 認知症ケアの改善に向けての、立て続く実践者の死は大いなる痛手です。 昨年は地域包括支援センターで共に働いていた同僚も亡くなり、 次から次へと後輩が去っていきます。 人生いつどこで何が起きるかわかりません。 自分がやりたいことは 後回しにしないこと だと思います。 もしかしたら、認知症の予防ばかり考えるより、 自分がやりたいことに力を注ぐこと。 そうすれば、例え認知症になったとしても、 その力を注いでいることが その後も前向きに生きていくことに繋がるかもしれません。
ブログ投稿画像 「その人がいないところでその人の話をしない」(*) ガツンとくる言葉でした。 ケアに携わる者にとっては、忘れてはならないけれど、忘れてしまっている言葉かもしれません。 利用者本位、本人の意思の尊重と謳いながら、実際には本人がいないところで決められる。 特に当該者が認知症の人となるとなおさらです。 確かに認知症があって理解できないから、意思表示できないからと、 その人の意思確認することもなく、専門職が集まってその人の今後について考え、 そしてその人を決められた路線の中で動いてもらうことって多々あります。 本人の視点からすれば、 「自分の人生のこれからのことを、勝手に専門職と名の付く連中が決めて、自分たちの思うようにさせようとする。全く酷い話だ。」 というようなことになるでしょうか。 実際、認知症の人のカンファレンスへの参加は、行い難しいところはあるかもしれませんが、 これまでもありましたし、思うほど難しいものではありません。 時には家族と専門職、そして本人も含んだものというように、分けて行うことも可能です。 本人のことを話しあうのですが、本人がのけ者にならないように気をつけなければならないでしょう。 思えば、カンファレンスのような公式的な会議だけでなく、 私たちは普段から「その人がいないところでその人の話をする」ことが実に好きなのです。 でもそれは決して解決にはつながらない話なのです。 その人のことは、その人と話しあって決めなければならないのです。 (*)森川すいめい氏著 「感じるオープンダイアローグ」より (講談社現代新書)
ブログ投稿画像 似たような言葉だけど似て非なるものかもしれません。 同様な言葉に議論(ディスカッション)や討論或いは論争(ディベート)があります。 ここでは、会話と対話(ダイアローグ)について、認知症の人と織り交ぜて書いてみたいと思います。 私も含め、私たちは認知症の人と話すとき、 「会話」で済ませていることがあるのではないかということなのです。 その時を何とか楽しくやり過ごすために、或いはその場を取り繕うためのものとして。 しかし会話はその場限りのもので、その認知症の方の本質的な思いに迫るものではありません。 むしろ認知症の人を上から視点で見て会話するという危険性もはらんでいます。 認知症の人がどのような思いを持っているのか、 同じ人と人として、その本質的な思いに近づくためには「対話」が必要になるのです。 しかし多くの場合、私たちは認知症の人と「会話」をして終わらせてしまいます。 (もちろん、会話タイムが悪いわけではありません) 「時間」という尺度で見れば、「会話」は「流す時間」であり、 「対話」は「濃い時間」と言えるでしょう。 ここという時には、「対話」の力を発揮して、認知症の人の思いを聴き、私も思いを返します。 上から視点になりがちな「会話」とは違うのが、対等な立場で語り合う「対話」なのです。 [caption id="attachment_5260" align="alignnone" width="2560"] 新家の公民館に飾られています[/caption]   しかし、世界情勢は論争ばかりで、その論争は解決にはつながりません。 対話にははるかに遠い状況と言えるでしょう。 でも私たちの仕事は、論争ではありません。 それは職員関係でも同じでしょう。 (つづく)
ブログ投稿画像 おめでとうございますとは言いにくい、新年の幕開けとなりました。 今年一年いったいどうなるのかという不安が出てきますね。 まずは、今年もよろしくお願いします。 焼け野原になった街を見ると神戸長田を思い出してしまいます。 崩れ落ちた家々を見ると、救助活動に入った時のことも思い出してしまいます。 そこへ羽田での衝突事故の報道。 年始早々の動揺に、思わず収まっていた不整脈が表出しました。 これら報道番組をずっと見ていると、「共感疲労」を起こすそうです。 まして、阪神・東北で実体験した人には、トラウマともなり、 そのつらさがわかっているだけに、余計に心苦しくなってしまうこともあるでしょう。 報道から一定の距離を開けることも必要だそうです。 世界に目を向けると、新年になろうと関係なく戦争で多くの人の命が失われる現実が続いています。 でも私たちが求めているのは、殺し合いでもいがみ合いでも憎しみあうことでも偏見でもありません。 戦争で憎しみあうくらいなら、冒険に出る。その冒険で困難なことが待ち受けていても 人々は助け合って前へ進もうとする。なのですね。 今年のトヨタ自動車、会長の豊田章男氏の演説が印象的でした。 トヨタ自動車そのものを応援するものでもないのですが、 ケアの現場でも持たなければいけない言葉だと思います。 特に私が好きな「スタートレック」の言葉を、今年はこれで行く!と言われたことには 思わず微笑んでしまいましたが。 「会社として利益追求は当然のことだが、それが一番大切なことではない。 みんなが、その能力と、想像力と情熱がなければ、利益にはつながらない。」 「勇敢に行く。誰も行ったことのないところへ!」(スタートレックの言葉です) 「自分自身を成長させ、視野を広げていくことに挑戦しましょう!お互い支えあっていきましょう!」 トヨタ社員に送られた言葉ですが、これらの言葉は、ケアの現場で働く職員にも言えることでしょう。 つらい年明けにはなりましたが、心暗くしてふさぎ込むのではなく、 しっかりと前を向いてチャレンジすることを忘れてはならないと、言えるでしょう。 豊田会長の年頭の挨拶です https://www.youtube.com/watch?v=SFf35jSRBl0&t=170s  
ブログ投稿画像 先日デイサービスのある利用者の方が、興奮激しく、何かを訴えておられました。 私を含め、私たちは、「またか、困ったね。」というような思いを持って、 その方を見ていました。 後々、その方が何故激しく怒って訴えていたのかという理由がわかり、 「そんな背景があっての訴えだったのか」と、 単に「また怒ってる、困ったな。」と思っただけの自分を大いに反省したものです。 普段、研修では「相手の視点になって考える」とよくお話をするのですが、 私だけに限らず、「私たちにとって困ってしまう行動」があると、 ついその行動に引きずられ、 本人の意思やその意思に至った原因・理由・背景が見えなくなってしまいます。 そこで、来年はもっと「誰でもできる相手視点に立って考える方法」について、 探究していきたいと思います。 常に課題を持って探求していくこと。もっと頑張らなければならないですね。   ということで、 阪神タイガースが日本一になった2023年もまもなくフィナーレですね。   今年一年、皆様にはお世話になり、また勉強させていただきました。 本当にありがとうありがとうございました。 感謝。 来年もよろしくお願いいたします。  
ブログ投稿画像 認知症の人と関わる中で、 当初めちゃくちゃ対応が大変だった人が いつのまにか穏やかになっておられるという時があると思います。 不穏状態に陥るのは、なんらかの原因・理由があるように 穏やかになられるのも、なんらかの理由があります。 それは多分に職員の関りによるものなのですが、 日々の忙しさからか、折角の自分たちの対応の良かったことを フィードバックせずに終わってしまうことがあります。 それはもったいないですね。 折角自分を褒められる題材なのに。 「なぜ、Aさんは落ち着かれたのか?」 そんなテーマで、一人10枚の付箋を渡し 落ちつかれた原因・背景について、ちょっと空いた時間に書いて ノートブック(ホワイトボードでも可)に貼り付ける。 こうすることで「考えることをする」のがトレーニングになります。 そして、後で数名集まってノートブックに貼り付けられた付箋を整理してみると、 自分たちが頑張った部分が浮き彫りになってくるかもしれません。 そうやって頑張った部分を自分でほめる、或いはほめてもらうこと。 ほめてもらうからには、しっかりと証拠を示すことです。 「なんとなく」とか「知らずうちに」とか「いつのまにか」などという 言葉はよく使いますが、 その「いつのまにか」には必ず何かの要因が働いているのです。 私たちがトイレに行くのは、おしっこをしたいという気持ちになるから ご飯を食べたいと思うのは、空腹を感じているから、と同じように 行動には必ずその行動を起こさせる要因があります。 ですから、穏やかになられたなら、それも何らかの原因・理由があります。 自分たちが頑張ったことが要因になっているならば、 大いに自分たちをほめてあげましょう。 自分をほめる材料があれば、自信にも繋がるのです。 2024年は自分たちに自信をつけること それは自分自身の人生を大切にし、 利用者の人生を大切にすることにも繋がります。
ブログ投稿画像 毎月実施している家族会ですが、 今回は認知症の人を介護されている家族の方が中心の家族会を実施しました。 6名の方が参加されたのですが、 介護者の方の立場は、妻、夫、娘、嫁と、様々な立場の人がおられ、 さらに認知症の当事者の方も、 アルツハイマー型認知病、脳血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症と、様々な症状の方でした。 単に認知症と言っても、このように様々な症状の認知症があり、 そして認知症状の出方も変わってきます。 また、介護者の立場の違いにより、その介護の状況も変わってきます。 このように単に介護者と言っても、立場の違いでの悩み、 さらに当事者の認知症の症状によっても違ってくるのです。 ところがこの立場の違いがあっても、 家族間の話では、その苦労を受け止め、励ますシーンが何度もありました。 状況が違ったとしても、介護での苦労は同じなのです。 また、初参加の方は、 「来てどうするのかと思ったけど、胸の内を話せてよかった」と言われていました。 介護者が倒れたら、一番影響を受けるのは当事者の方です。 そして介護されている方にもそれぞれの人生があり、 その自分の人生の時間を楽しめる時間があっても、当然いいのです。 本人のこともさることながら、介護者自身も心が落ち着けるために、 デイサービスやショートステイのサービスがあります。 そして今回のような「家族会」があって、心に抱えた荷物を下ろすとともに、 また前へ進んでいけるエネルギーをもらうこと。 そんな「セキュアベース」(心の安全基地)としての家族会であったと言えるでしょう。 [caption id="attachment_5277" align="alignnone" width="1256"] メリークリスマス! 良い年末をお過ごしください![/caption]   次回は1月27日を予定しています。
ブログ投稿画像 94回目となる「英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会」が開催されました。 地域からの報告では、すっかりと日常の風景が戻ってきたようで、 各地域の新聞も発行されるようになってきました。   しかし河内警察からの報告では、 相変わらず特殊詐欺が頻繁に起きているようです。 NTTの自動音声版のようなものもあるとか。 とにかく「お金を払えば」的なものは、みな詐欺と思ってもいいかもしれません。 特に認知機能の低下により、判断力が少し落ちた方が一番危ないですね。   来年のシンポジウムは、今話題の認知症のお薬について その実像が少しずつ分かってきましたが どのように伝えていくべきか、先生方で思案されるそうです。 1月には詳細決定予定です。 このように94回目を迎えたネットワーク委員会 また様々な取り組みを行いますので、 よろしくお願いします。   年末と言えば、高校ラグビーですね。 昨年に引き続き、英田南自治連合会では、 27,28の朝、ラグビー場来訪者にコーヒーを配られるそうです。 各、先着2,000名様ですので、お早目にお越しください。 因みにネットワーク委員会で使用している英田公民分館ですが NHK土曜ドラマのロケ地に使われたとか。 楽しみですね。(放送はまだ先だそうです) [caption id="attachment_1646" align="alignnone" width="650"] 昔ながらの校舎の雰囲気が残る場所です[/caption]      
ブログ投稿画像 近い将来的に4人に1人が認知症になる可能性があると言われています。 認知症の進行を止めると言われているお薬が出たと言っても、 まだまだその効果は限定的なようです。 一方、長寿の方も増えてきています。 しかし、私の周辺では、私よりはるかに若い人の死が続いています。 先週の土曜日、研修先の職員から、 共に研修を行っていたN君が亡くなったと聞かされました。 昨年、同じく共に研修を行っていたM君が亡くなったばかりなのに。 二人ともまだ40歳代です。 N君は不器用だけど一生懸命な男でした。 施設での認知症の人の尊厳を維持するために、頑張っていた男でした。 M君に続き、また一人、戦友をなくしたような喪失感があります。 寿命を分けるものっていったい何だろうとも思います。 多くの因子が絡み合ってのことなのでしょうが、 実際のところ、いつどこで何があるのかわからないのが人生で それを自分事として「捉えたくない」のも私たちかもしれません。 それにしても、まだまだこれからという時に、あまりにも早い後輩の死 認知症ケアの改善に向けての、立て続く実践者の死は大いなる痛手です。 昨年は地域包括支援センターで共に働いていた同僚も亡くなり、 次から次へと後輩が去っていきます。 人生いつどこで何が起きるかわかりません。 自分がやりたいことは 後回しにしないこと だと思います。 もしかしたら、認知症の予防ばかり考えるより、 自分がやりたいことに力を注ぐこと。 そうすれば、例え認知症になったとしても、 その力を注いでいることが その後も前向きに生きていくことに繋がるかもしれません。