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「2022年07月」で記事を検索しました。

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2022.07.27

トピックス
月に咲く花 いぶし銀 「見た目の華やかさはないが実力や魅力があるもの」 私は彼のことを「いぶし銀のようなケアマネジャー」と呼び、尊敬していました。 彼とはわずか3年間しか仕事を共にしませんでしたが、 その謙虚で真摯な姿勢を見るたびに、いつも自分は何をやってんだかと思った次第です。 彼の名前から、浮かんだ言葉が「月に咲く花」でした。 月に花なんか咲かない? いやいやそのような場所であっても花を咲かせてくれるような存在だったのです。   今年に入って私は、二人の若く熱き思いを持った後輩を病気で亡くしました。 将来を託せる人の早逝は、痛手です。 本当に全てにおいて心が痛むことなのです。 同時に、いつどこでどうなるかわからない人生。 一日一日を無駄に過ごすことがないようにしたいものですね。 どんなに暑くてもどんなに寒くても 宮沢賢治の詩のように、自転車で走り回っていた彼の姿が 今でも目に浮かびます。   石川が詩を改変しました。 「雨ニモマケズ」   雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けず 新型コロナウイルスの脅威と恐怖の中でも 丈夫なからだと心をもち 決して怒らず いつも冷静に対処し、利用者には笑っている 一日に、相談・訪問・デイ・ショート 守るべき人たちのことを よく見聞きし分かり そして忘れず 地域の住民や高齢者にとって 灯台のような建物から 東に病気の高齢者あれば 行って適切なマネジメントをし 西に疲れた介護者あれば 行ってそのつらさを受け止め 南に死にそうな人があれば 行って看取りを支え 北に認知症の人が不安の中にいれば あたたかなまなざしと言葉をかけ 新型コロナウイルスの恐怖に怯えながらも 日照りの時は汗を流して自転車をこぎ 寒い冬も北風に負けずに歩き マスコミにはその地味な努力を 褒められもせず 苦にもされず それでもひたすら頑張っている そういういぶし銀のようなあなたを 私は 誇りに思いたい。
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2022.07.26

トピックス
若年認知症啓発セミナーに参加しました センター長の石川です 「若年認知症の最大の課題とは」というテーマで、 全国若年認知症家族会・支援者連絡協議会会長である宮永和夫先生のお話を聞いてきました。 現在、若年性認知症の方は日本で約3万6千人おられるとのこと。 この数字を多いと取るか少ないと取るかは別にして、 必ずおられるし、身近におられる可能性ありともいえます。 若年性認知症の方の場合、高齢の認知症の方以上に様々な課題が生じてしまいます。 一番大きな問題は家族としての財政崩壊を招くということでしょうか。 ご本人の就労支援もさることながら、家族単位のサポートが必要になってくると言えるでしょう。   残念ながら私たち介護保険制度の下で働く、ケアマネジャーや地域包括支援センターなど、 さらにケア実践の現場で働く者にとって、若年性認知症の方への関わり方へのノウハウは、まだまだ浅いといえます。 私たちの課題ともいえるでしょう。 来年3月19日、「全国若年認知症大会」が東大阪市で開催されます。 全国大会の情報については順次お知らせします。 これを機にぜひとも若年認知症の方、並びにその家族への関わり方について視点を深めていただければと思います。
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2022.07.22

トピックス
第77回ネットワーク委員会開催されました(河内警察との連携) センター長の石川です。 第77回英田地区認知症ケアネットワーク委員会が開催されました。 今回は河内警察署から2名の警察官が参加され、 増えつつある特殊詐欺を、どう市民の方にその危険性を伝えていけばいいのかなどの話をされました。 独居の方の場合、ケアマネジャーやヘルパーが関わるので、 それら専門職の気づきも必要ではないかという話も出ていました。 河内警察は、これまでゲスト参加のような形でしたが、 次回からはこのネットワーク委員会にレギュラー参加してもらうことになりました。 詐欺だけでなく、認知症の人の見守りという点でも、強力なメンバーになりますね。 また、10月25日開催のシンポジウムに向けて、 ここでも大阪府警からの参加、健康体操、そしてネットワーク委員会のメンバーによる 「コロナ禍での健康管理(仮称)」をテーマに、劇を交えた講演を行おうということになりました。 また委員会での話題は、やはりコロナでした。 様々な社会活動は実施したいものの、急増する感染者。 この状況に地域も翻弄されているということです。 何かを開催する場合、そこから感染者が出た時の開催者の責任を問うのではなく、 参加者の自己責任という形にしないと、活動を実施する側は責任を問われることに委縮して、 何も行わなくなるということでした。 盆踊りなど、開催については各地区に任され、やるところ、やらないところなど バラバラになるだろうとのことでした。 本当に、コロナはいつ収まるのでしょうか…    
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2022.07.20

トピックス
介護家族の会「ほっこりなつどい」開催されました コロナ禍で延長になっていた介護家族の会「ほっこりなつどい」が16日に開催されました。 当初この日程を決めた時は、コロナも下火になり、殺風景な公民館ではなく、特養本体の一階相談室で開催と決めたのですが、 直前に一気に感染者が増え,開催の危機の中、滑り込みで実施しました。 6名のご家族の方が参加され、それぞれに切々たる状況を述べられました。 その内容についてはここでは個人情報になるので書けませんが、皆さん本当に厳しい状況を送られているといえます。 ただ、介護者同士、こうしてみれば、ああしてみればという意見も出て、楽しく話しあわれておられました。 専門職と家族というよりも、介護者同士の話の中で、皆さん心をほぐしていかれます。 そして異口同音に、来て、喋れてよかったと話されていました。 私たち側の課題も見いだせて、実りある時間になったのではないでしょうか。 本来ならお茶菓子も出せて、もう少しほっこりできればいいのですが、 それにはもう少し時間が掛かりそうですね。 次回開催もコロナ見になりそうですが、必要性大のつどいなので、早いうちに開催できればと思います。 デイサービスの様子を写真を通じて説明を受けています。  
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2022.07.08

トピックス
「なんでやねん!思考法」とは(中編) さて、前回の「なんでやねん思考法」から時間が経ち、私も何を書いたのか覚えていませんでした(苦笑) そこで、前振りになった「なんでやねんと思うことの大切さ」と、 「なんでやねん!思考法(前篇)」を添付しておきました。 読み直してから入るほうが理解しやすいと思います。 「なんでやねん」と思うことの大切さ 「なんでやねん!思考法」とは(前編) さて、「なんでやねん!」と思うためには、 「なんでやねん!」と思う(気づく)ことが必要になります。 そのためには、いつも当たり前のように流れていくケア(景色)の中で、 1分でいいから立ち止まって考えること、ですね。 そうすると、あれ?と思うことが「なんでやねん!?」に繋がっていきます。   NDY(なんでやねん)はABCテレビから引用しています   ここで「なんでやねん!」は、二つの考え方があるといえます。 ひとつは、「なんでやねん、こんなんおかしいらろ!」と憤慨するような思い、 もう一つは、「なんでやろなぁ?」と疑問を持つ思い、と言えます。 ひとつめの「なんでやねん!」は憤慨に終わるのではなく、 そのエネルギーを「こんなんおかしいから変えていこう!」という改善へのエネルギーとして使うこと。 つまり、批判だけに終わるのではなく、 「どうしたらよくなるか、一緒に考えていこう!」というようなポジティブな考えを持つということです。   もう一つは、とにかく「わからないことを探求する」という、 「おかしなこと、わからないこと」を、そのままで終わらせないという、 前向きな方向で考えていくということです。 では具体的にどうするかは、後編に続きます。          
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2022.07.04

トピックス
通信障害と認知症 センター長の石川です。 私は以前から認知症は携帯電話が使えない状態と同じということをお話ししていました。 今、現在を生きる人たちにとって携帯電話は生活の一部どころか、 その人の心身の一部ともいえるくらい重要なものになっています。 「携帯電話が使えないとしたらどうする?」と、若い人に尋ねたら、 皆さんそれは困る、ありえないと返答します。それは若い人でなくても同じでしょう。 携帯電話は、認知機能そのものです。 認知機能の技術の粋をこめて作られたものです。 使う私たちも認知機能をフルに働かせてスマートフォンを使います。 しかし、ひとたびその認知機能があやふやになっていく認知症になってしまうと、 携帯電話は使えなくなってしまいます。 携帯電話は、あらゆる情報の収集や伝達、決済、予約に至るまで様々な機能を担っています。 その携帯電話に電波が来なくなってしまったら、現代の人たちはたちどころにパニックに陥ります。 何故ならば携帯電話は心身の一部と化しているからです。 情報が入らない、伝えられない、それだけで大パニックです。 怒り出す人がいれば、イライラする人もいます。 それはその人たちの生活そのものにも影響してしまうという状況だからでしょう。 認知症の人の場合、認知機能が働かなくなります。 つまり、携帯電話がつながらないのと同じ状況に陥ってしまうのです。 何を言われているのか理解しがたくなり、伝えようとすることも伝えられなくなるのです。 ですから混乱し、時に怒り、イライラし、消沈する人もいるでしょう。 何故ならば、生きていくことそのものが脅かされるからです。 まさしく今回のKDDIの通信障害は、 認知症の人と同じような状況に携帯の利用者がなってしまったといえます。 私もその一人でした。   しかし30年前までは、携帯電話などなくても普通に生活していました。 その時はその時で不便だとは思わなかったのです。 今こうして携帯電話の電波に翻弄されている人々。 便利な世の中、こんな世の中かもしれませんが、 ひとたび使えなくなってしまったら、これほどもろいものもありません。 一方認知症の人は、非認知機能の中で一生懸命に生きていく道をさぐっているといえます。 認知機能を駆使している現代人が、認知機能が使えなくなっても、 非認知機能を働かせて何とか生きていこうとする人を、上から視点で見降ろすことなんてできるのでしょうか? 認知症の人とのかかわり方のヒント、 それはデジタル化以前の世界にあるといえます。
ブログ投稿画像 いぶし銀 「見た目の華やかさはないが実力や魅力があるもの」 私は彼のことを「いぶし銀のようなケアマネジャー」と呼び、尊敬していました。 彼とはわずか3年間しか仕事を共にしませんでしたが、 その謙虚で真摯な姿勢を見るたびに、いつも自分は何をやってんだかと思った次第です。 彼の名前から、浮かんだ言葉が「月に咲く花」でした。 月に花なんか咲かない? いやいやそのような場所であっても花を咲かせてくれるような存在だったのです。   今年に入って私は、二人の若く熱き思いを持った後輩を病気で亡くしました。 将来を託せる人の早逝は、痛手です。 本当に全てにおいて心が痛むことなのです。 同時に、いつどこでどうなるかわからない人生。 一日一日を無駄に過ごすことがないようにしたいものですね。 どんなに暑くてもどんなに寒くても 宮沢賢治の詩のように、自転車で走り回っていた彼の姿が 今でも目に浮かびます。   石川が詩を改変しました。 「雨ニモマケズ」   雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けず 新型コロナウイルスの脅威と恐怖の中でも 丈夫なからだと心をもち 決して怒らず いつも冷静に対処し、利用者には笑っている 一日に、相談・訪問・デイ・ショート 守るべき人たちのことを よく見聞きし分かり そして忘れず 地域の住民や高齢者にとって 灯台のような建物から 東に病気の高齢者あれば 行って適切なマネジメントをし 西に疲れた介護者あれば 行ってそのつらさを受け止め 南に死にそうな人があれば 行って看取りを支え 北に認知症の人が不安の中にいれば あたたかなまなざしと言葉をかけ 新型コロナウイルスの恐怖に怯えながらも 日照りの時は汗を流して自転車をこぎ 寒い冬も北風に負けずに歩き マスコミにはその地味な努力を 褒められもせず 苦にもされず それでもひたすら頑張っている そういういぶし銀のようなあなたを 私は 誇りに思いたい。
ブログ投稿画像 センター長の石川です 「若年認知症の最大の課題とは」というテーマで、 全国若年認知症家族会・支援者連絡協議会会長である宮永和夫先生のお話を聞いてきました。 現在、若年性認知症の方は日本で約3万6千人おられるとのこと。 この数字を多いと取るか少ないと取るかは別にして、 必ずおられるし、身近におられる可能性ありともいえます。 若年性認知症の方の場合、高齢の認知症の方以上に様々な課題が生じてしまいます。 一番大きな問題は家族としての財政崩壊を招くということでしょうか。 ご本人の就労支援もさることながら、家族単位のサポートが必要になってくると言えるでしょう。   残念ながら私たち介護保険制度の下で働く、ケアマネジャーや地域包括支援センターなど、 さらにケア実践の現場で働く者にとって、若年性認知症の方への関わり方へのノウハウは、まだまだ浅いといえます。 私たちの課題ともいえるでしょう。 来年3月19日、「全国若年認知症大会」が東大阪市で開催されます。 全国大会の情報については順次お知らせします。 これを機にぜひとも若年認知症の方、並びにその家族への関わり方について視点を深めていただければと思います。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 第77回英田地区認知症ケアネットワーク委員会が開催されました。 今回は河内警察署から2名の警察官が参加され、 増えつつある特殊詐欺を、どう市民の方にその危険性を伝えていけばいいのかなどの話をされました。 独居の方の場合、ケアマネジャーやヘルパーが関わるので、 それら専門職の気づきも必要ではないかという話も出ていました。 河内警察は、これまでゲスト参加のような形でしたが、 次回からはこのネットワーク委員会にレギュラー参加してもらうことになりました。 詐欺だけでなく、認知症の人の見守りという点でも、強力なメンバーになりますね。 また、10月25日開催のシンポジウムに向けて、 ここでも大阪府警からの参加、健康体操、そしてネットワーク委員会のメンバーによる 「コロナ禍での健康管理(仮称)」をテーマに、劇を交えた講演を行おうということになりました。 また委員会での話題は、やはりコロナでした。 様々な社会活動は実施したいものの、急増する感染者。 この状況に地域も翻弄されているということです。 何かを開催する場合、そこから感染者が出た時の開催者の責任を問うのではなく、 参加者の自己責任という形にしないと、活動を実施する側は責任を問われることに委縮して、 何も行わなくなるということでした。 盆踊りなど、開催については各地区に任され、やるところ、やらないところなど バラバラになるだろうとのことでした。 本当に、コロナはいつ収まるのでしょうか…    
ブログ投稿画像 コロナ禍で延長になっていた介護家族の会「ほっこりなつどい」が16日に開催されました。 当初この日程を決めた時は、コロナも下火になり、殺風景な公民館ではなく、特養本体の一階相談室で開催と決めたのですが、 直前に一気に感染者が増え,開催の危機の中、滑り込みで実施しました。 6名のご家族の方が参加され、それぞれに切々たる状況を述べられました。 その内容についてはここでは個人情報になるので書けませんが、皆さん本当に厳しい状況を送られているといえます。 ただ、介護者同士、こうしてみれば、ああしてみればという意見も出て、楽しく話しあわれておられました。 専門職と家族というよりも、介護者同士の話の中で、皆さん心をほぐしていかれます。 そして異口同音に、来て、喋れてよかったと話されていました。 私たち側の課題も見いだせて、実りある時間になったのではないでしょうか。 本来ならお茶菓子も出せて、もう少しほっこりできればいいのですが、 それにはもう少し時間が掛かりそうですね。 次回開催もコロナ見になりそうですが、必要性大のつどいなので、早いうちに開催できればと思います。 [caption id="attachment_3885" align="alignnone" width="1024"] デイサービスの様子を写真を通じて説明を受けています。[/caption]  
ブログ投稿画像 さて、前回の「なんでやねん思考法」から時間が経ち、私も何を書いたのか覚えていませんでした(苦笑) そこで、前振りになった「なんでやねんと思うことの大切さ」と、 「なんでやねん!思考法(前篇)」を添付しておきました。 読み直してから入るほうが理解しやすいと思います。 https://yoshijukai.or.jp/ninchisho-yui/blog/2022/06/10/%e3%80%8c%e3%81%aa%e3%82%93%e3%81%a7%e3%82%84%e3%81%ad%e3%82%93%e3%80%8d%e3%81%a8%e6%80%9d%e3%81%86%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%ae%e5%a4%a7%e5%88%87%e3%81%95/ https://yoshijukai.or.jp/ninchisho-yui/blog/2022/06/17/%e3%80%8c%e3%81%aa%e3%82%93%e3%81%a7%e3%82%84%e3%81%ad%e3%82%93%ef%bc%81%e6%80%9d%e8%80%83%e6%b3%95%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%81%af%ef%bc%88%e5%89%8d%e7%b7%a8%ef%bc%89/ さて、「なんでやねん!」と思うためには、 「なんでやねん!」と思う(気づく)ことが必要になります。 そのためには、いつも当たり前のように流れていくケア(景色)の中で、 1分でいいから立ち止まって考えること、ですね。 そうすると、あれ?と思うことが「なんでやねん!?」に繋がっていきます。   [caption id="attachment_3875" align="alignnone" width="422"] NDY(なんでやねん)はABCテレビから引用しています[/caption]   ここで「なんでやねん!」は、二つの考え方があるといえます。 ひとつは、「なんでやねん、こんなんおかしいらろ!」と憤慨するような思い、 もう一つは、「なんでやろなぁ?」と疑問を持つ思い、と言えます。 ひとつめの「なんでやねん!」は憤慨に終わるのではなく、 そのエネルギーを「こんなんおかしいから変えていこう!」という改善へのエネルギーとして使うこと。 つまり、批判だけに終わるのではなく、 「どうしたらよくなるか、一緒に考えていこう!」というようなポジティブな考えを持つということです。   もう一つは、とにかく「わからないことを探求する」という、 「おかしなこと、わからないこと」を、そのままで終わらせないという、 前向きな方向で考えていくということです。 では具体的にどうするかは、後編に続きます。          
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 私は以前から認知症は携帯電話が使えない状態と同じということをお話ししていました。 今、現在を生きる人たちにとって携帯電話は生活の一部どころか、 その人の心身の一部ともいえるくらい重要なものになっています。 「携帯電話が使えないとしたらどうする?」と、若い人に尋ねたら、 皆さんそれは困る、ありえないと返答します。それは若い人でなくても同じでしょう。 携帯電話は、認知機能そのものです。 認知機能の技術の粋をこめて作られたものです。 使う私たちも認知機能をフルに働かせてスマートフォンを使います。 しかし、ひとたびその認知機能があやふやになっていく認知症になってしまうと、 携帯電話は使えなくなってしまいます。 携帯電話は、あらゆる情報の収集や伝達、決済、予約に至るまで様々な機能を担っています。 その携帯電話に電波が来なくなってしまったら、現代の人たちはたちどころにパニックに陥ります。 何故ならば携帯電話は心身の一部と化しているからです。 情報が入らない、伝えられない、それだけで大パニックです。 怒り出す人がいれば、イライラする人もいます。 それはその人たちの生活そのものにも影響してしまうという状況だからでしょう。 認知症の人の場合、認知機能が働かなくなります。 つまり、携帯電話がつながらないのと同じ状況に陥ってしまうのです。 何を言われているのか理解しがたくなり、伝えようとすることも伝えられなくなるのです。 ですから混乱し、時に怒り、イライラし、消沈する人もいるでしょう。 何故ならば、生きていくことそのものが脅かされるからです。 まさしく今回のKDDIの通信障害は、 認知症の人と同じような状況に携帯の利用者がなってしまったといえます。 私もその一人でした。   しかし30年前までは、携帯電話などなくても普通に生活していました。 その時はその時で不便だとは思わなかったのです。 今こうして携帯電話の電波に翻弄されている人々。 便利な世の中、こんな世の中かもしれませんが、 ひとたび使えなくなってしまったら、これほどもろいものもありません。 一方認知症の人は、非認知機能の中で一生懸命に生きていく道をさぐっているといえます。 認知機能を駆使している現代人が、認知機能が使えなくなっても、 非認知機能を働かせて何とか生きていこうとする人を、上から視点で見降ろすことなんてできるのでしょうか? 認知症の人とのかかわり方のヒント、 それはデジタル化以前の世界にあるといえます。