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2025.03.04

トピックス
「記憶」をテーマにした映画 まったくもってブログをさぼっております。 他に行うことが多々あり、ブログが置き去りになっていました。 というか、ブログも「熱意」が湧かないとなかなか書けないものです。 最近はブログに対する熱意が薄くなっている「時期」かもしれません。 そのうちまた色々と書き始める時が来ると思いますので。 さて、「記憶」がテーマの映画を見てきました。 「あの歌を憶えている」という題名の映画です。 若年性認知症の男性とPTSDに苦しむ女性との恋愛物語でしょうか。 記憶を失っていくことで苦しむ男性と、幼い頃の性的虐待の記憶に苦しむ女性 その対比を描いたとも言えます。 記憶って、生きていく上でとても大切なものですが、 その記憶の消失は言いようのない不安や焦燥感が襲ってきます。 一方その記憶がその人の人生(生涯)に多大なる影響を与える苦しみとしても存在します。 そんな二つの「記憶の交差」がこの映画かもしれません。 結局はお互いがその苦しみを共有し、支えあうことで生きていこうとするのですね。 どのような「記憶」の状況であろうと、その人の心にそっと寄り添い支えていくこと。 その大切さを感じさせてくれた映画でした。 それにしても邦題の「あの歌を憶えている」っていうのはダメだな。 センスが全然ありません。 ただ挿入曲の「青い影」は、オールドエイジの人間にとっては 感傷に浸れる名曲ですね。    
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2025.02.08

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第9回シンポジウム開催されました(その2ネットワーク委員の先生方の講演) 第1部の信友先生の講演に続き、 第2部はネットワーク委員の先生方による講演です。 ネットワーク委員の皆様です。 最初に「認知症の進行を防ぐキーワード」として、 河内医師会の尾﨑先生、西岡先生、河内薬剤師会の川口先生による クイズ形式の講演でした。 認知症と睡眠は関係ある? アミロイドβは一年で溜まる? 希望すれば誰でもレカネマブの治療を受けることができる? 等々たくさんの質問に、皆さんが〇✕で答え、先生方が回答するというものでした。 脳細胞は何歳になっても新しい細胞ができる(〇) その通りですね。但し、新しい体験をやってみるなどの行動が必要になります。 面白かったのは、関西人にとって阪神タイガースの優勝が 認知症予防につながるという研究ですね。 今年もタイガースに頑張ってもらいましょう。 続いて東歯科医師会の橋本先生による講演。 これはいかに口腔ケアや歯周病予防が、認知症のみならず、あらゆる病気予防のために 重要であるかということが、よくわかるものでした。 ビデオもわかりやすかったですね。 今回、休憩なしの2時間でしたが、皆さん動くこともなく、 ぴったり2時間楽しまれておりました。 時間がなくてほとんどできませんでしたが、早口体操 これは機会を新たにしてゆっくりと実施してもらいましょう。    
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2025.02.05

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第9回シンポジウム開催されました!(その1信友先生の講演) 2月1日(土)英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会  第9回シンポジウムが開催されました。 (場所:アーバンチャイルドこども園) 200名近くの方で、ホールは満員となりました。 10年前にネットワーク委員会を立ち上げられた理事長の挨拶から始まりました。   第一部は、映画「ぼけますからよろしくお願いします」の映画監督信友直子さんの特別講演でした。 信友様は、東京のテレビ局でドキュメンタリー作品の制作を数多く手掛けられた方なのですが、 お母様が認知症になられ、95歳のお父様が老々介護されるという状況の中、 家族でしか撮れないものという思いもあり、映画製作に至った経緯があります。 今回の講演では、映画の一場面を見てもらいながら、 認知症になられたお母様や介護者の心境を語られました。 その中で、母としての存在感をいかに大切にするのか そして混乱の中にある認知症の人の思いをどう受け止めていくのか 映像付きだったため、なおわかりやすかったのではないでしょうか。 お話しの後半では、なんと104歳になられたお父様の現状についてのお話もありました。 映画の影響もあり、今やお父様は街の人気者だそうです。 家族は抱え込まず、介護のサービスや地域の人達など 様々な人に頼ってもいいのだという話が印象的でした。 もう少しお話を深めたかったこともあるのですが、時間が足りず残念でした。 信友様には、シンポジウム後、遅くまで書籍の販売と共に サイン会にも応じていただき、素敵なサイン本をいただくことが出来ました。 シンポジウムは信友さまの後、 第二部へと続きました。      
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2025.01.27

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日々新たなり 何かとあれやこれやとやっている日々を送ると ついつい忘れがちになってしまうブログアップです。 ちょっと載せない間にも色々な出来事がありました。 それらは日々新たなる、前へ進むための一歩と言えますね。 107回目になる英田地区認知症ケアネットワーク委員会も開催されました。 2月1日のシンポジウムに向けての打ち合わせが中心となりました。 先生方も熱が入ってきましたね。 そのシンポジウムですが、凄い人数の申し込みがあり、 当初予定していた120名をはるかに超えたため、会場レイアウトを見直しました。 約190名の方が来られる予定です。 満員御礼ですね。 また、家族会も開催されました。 色々な思いを語られ、「お薬」をどう使うのか? などと言うちょっとシビアな話もありました。 出来れば使わないことに越したことはないのですが。 また、最後には宮崎のシンガーソングライター大野勇太氏の「消えない日々」を 聴いてもらいました。 「たとえ言葉が出なくなっても、ぬくもりは感じ取れる…」 認知症の人の介護者の気持ちを唄った歌ですね。 なかなかしっとりとした唄です。 https://www.youtube.com/watch?v=pfHpNolahKI 日々新たなり 毎日様々なことが起きますが、 ネガティブに考えるのではなく、 新たな日々として、前向きに考えていきたいですね。  
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2025.01.17

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心の中に続く阪神淡路大震災の余震 ~微力だけど決して無力ではない~ 心の中に続く阪神淡路大震災の余震 ~微力だけど決して無力ではない~ 阪神・淡路大震災から、もう30年。 当時の惨状を知っている行政職員、警察官、消防隊員も少なくなったといいます。 現場の状況を生で体験し、語れる人も少しずつ少なくなっていきますね。 それは支援に入った人も同じでしょう。 しかし、あの震災を体験した人、支援をした人たちの心の中の余震はいまだ続いていると言えます。 当時私は、大阪で結成された高齢者支援隊のメンバーとして、神戸に救援活動に入りました。 その時の記録は、私個人のものとして、「瓦礫の街から」と題名を付け、今もデータ化して残しています。 今まではあまりオープンにはしてこなかったのですが、やはり次世代に語り継ぐことも必要と考え、 何らかの機会に文章を整理して掲載していきたいと思っております。 つい先日再放送で安医師の「心の傷を癒すということ」のドラマを見たのですが、 本当に被災者の声を聴く、思いを聴くというのはとても重要なことだと思います。 私自身、避難所を回る中で、数多くのそれぞれの人のドラマを聴きました。 今すぐどうかしたくてもどうにもできないもどかしさもあり、つらさは増加していきました。 高齢者の多い避難所では、認知症の人にどう対応したらわからない、 おむつの交換の仕方がわからない、でもわからないなりに頑張っているボランティアたちもいました。 しかし多くはありとあらゆるお願い事や悩み事が中心でした。 当たり前ですね。過酷な生活状況だったのですから。 テントが張られたある公園。 小さなテントの中に、寝たきり状態の母親と、その息子が暮らしていました。 母親の容態はよくなく、四国から派遣されていた医師からの、入院を促してほしいとの要請を受け、 冷たい雨が降る中、そのテントを訪問したのです。 しかし、家も家財もすべて失い、唯一の絆である息子とは離れたくないので入院はしないとの言葉でした。 息子も同様でした。 暖房もない寒いテントであっても、唯一残された家族の絆は失いたくなかったのです。 私も言葉が見つかりませんでした。 そのことを医師に伝えると、医師も頷くだけでした。 その後この親子がどうなったかはわかりません。 しかし、冷たい雨がテントに情け容赦なく降り続けていた情景は 私の記憶に深く重く残っているのです。 余りにも多くのつらさを見聞きし過ぎたのか、 明かりが消えた神戸から、橋を渡り大阪に戻った時、ごく普通にネオンが輝いているその情景に、 悔しさや哀しさや怒りやら多くの感情が溢れ出て、泣きながら帰ったことを覚えています。 私たちの活動は、大したこともできませんでしたが、 最近能登に入った若いボランティアの言葉、 「微力だったとは思うけど、無力ではなかったと思う。」という言葉に なんとなく救われたような気がしました。 「微力であっても、決して無力ではない。」  何事にもそのようなことがあると言えるでしょう。 いつか再び来ると言われている大地震。 当事者となるのか、支援者となるのか、或いは両方なのか、それはわからないけれど、 私たちにはその時に対しての「構え」を持たなければならないと言えるでしょう。 その一つとして、当時の記録「瓦礫の街から」は、整理して掲載したいと思います。
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2025.01.09

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太平洋フェリーと介護施設(その2) 前回の続きです。 飛行機なら2~3時間で大阪から北海道に行けるところ 太平洋フェリーだとほぼ2日間かけていくことになります。 (敦賀、舞鶴からの、小樽、苫小牧行き新日本海フェリーはもう少し早いですが、 それでも飛行機との差は圧倒的です) なのに、大阪からでも太平洋フェリーに乗る人がそれなりにいるのです。 それは、2泊する船旅に、何らかの価値を見出してのことでしょう。 それではこの「船旅」をベースにケアの世界について考えてみたいと思います。 船旅ならば、必ず目的地に着けば、その限られた空間での生活から解放されますが、 施設入居となるとそうはいきません。 私たちは旅行として船旅を楽しみますが、施設入所はその限られた空間の中で、 長い間過ごさなければならない、生活しなければならない、ある意味人生ラストの場ともなるわけです。 さらにそのために、人の助けを借りなければならないという状況にあるということなのです。 船旅をする場合、そこになんらかの価値を見いだしているように、 例え旅でなくても、施設入所にも価値を見出せるものでなければならないのです。 (ある意味、自宅に帰ることのない永遠の旅立ちの前段階とも言えます)   私たちは、電車に乗るにしても、車を運転するにしても、何かを買うにしても、 どこかに泊まるにしても、そして太平洋フェリーを利用するについても、 何らかの価値を見出して利用したり活用したりします。 同様に入所施設の選択も、その施設に対しての何らかの価値を求めての入所となるでしょう。 しかしそこにはもしかしたら、介護者の「やむおえぬ価値」というものがあるかもしれませんし、 入居者からすれば、「妥協の末の価値」かもしれません。 もしその施設に価値を見出すことができなければ、無価値な施設として判断され、 別の施設を探すということになるかもしれませんが、それは容易なことではありません。 そのため「妥協の末の価値」として存在することになるのです。 つまり「介護施設」は、家族からも利用者からも真に価値あるものとして存在しなければ、 介護現場そのものの存在価値は低いままになってしまうのです。 「やむ終えぬ、妥協の末の価値」は、ほぼ無価値に近いものだからです。 (つづく)  
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2025.01.08

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太平洋フェリーと介護施設(その1) 太平洋フェリーと介護施設ってどう関係があるのか? と、思われますよね。 そうなのです。直接的関係はありません。 しかし、介護施設の存在価値を考えるにおいて、ここではあえて太平洋フェリーさんをクローズアップしました。 そもそも太平洋フェリーとはどんなフェリーなのか? そこからですね。 太平洋フェリーは、大阪側から見ると、名古屋港を出港し、途中仙台港に立ち寄り、苫小牧港まで行くフェリーです。 つまり北海道に向かう船ですね。その航行時間はなんと40時間! 船中2泊の旅となります。 フェリーですから、車ごとという人も当然いるのですが、 いわゆる乗船だけで苫小牧へ向かう乗客が結構多いのです。   さて大阪から北海道に行くならば、普通は、飛行機を考えます。 飛行機ならば1時間半、待ち時間等を含めても、3時間もあれば北の大地を踏めるのです。 片や大阪から太平洋フェリーを使って北海道へ行こうとしたら、 まずは名古屋港まで行かなければなりません。そこから翌々日の午前11時頃に苫小牧着となります。 ほぼ丸2日かけて北の大地に行くことになります。 飛行機ならば3時間、太平洋フェリー利用ならばほぼ2日間 車で行かないのなら、どう考えても圧倒的に飛行機の方が有利です。 おまけにフェリーの場合、携帯の電波がほぼ入りません。つまりスマホは使えません。 さらに海が荒れたら、船酔いにも悩まされることになります。 また日程的に見ても、余裕がないと船には乗れないし、北海道でのスケジュールも狭められてしまいます。 当然、飛行機で行ったならば、北の大地を余分に観光できるっていう訳です。 それだけ不便極まりない太平洋フェリー 実は人気があるのです。 ある意味その不便さの中に、乗客は太平洋フェリーに乗りたいという なんらかの「価値」を見出していると言えます。 また、フェリー会社も乗客を惹きつける何かを発信しているとも言えます。 これは商船三井のフェリー船 さんふらわあ です   さて、ここで介護施設との関係性が出てきます。 それは、利用者にとって利用する介護施設は、果たして「価値」のある存在なのかと言うことなのです。 そこで、介護施設の「価値」について、(その2)に書きます。  
ブログ投稿画像 まったくもってブログをさぼっております。 他に行うことが多々あり、ブログが置き去りになっていました。 というか、ブログも「熱意」が湧かないとなかなか書けないものです。 最近はブログに対する熱意が薄くなっている「時期」かもしれません。 そのうちまた色々と書き始める時が来ると思いますので。 さて、「記憶」がテーマの映画を見てきました。 「あの歌を憶えている」という題名の映画です。 若年性認知症の男性とPTSDに苦しむ女性との恋愛物語でしょうか。 記憶を失っていくことで苦しむ男性と、幼い頃の性的虐待の記憶に苦しむ女性 その対比を描いたとも言えます。 記憶って、生きていく上でとても大切なものですが、 その記憶の消失は言いようのない不安や焦燥感が襲ってきます。 一方その記憶がその人の人生(生涯)に多大なる影響を与える苦しみとしても存在します。 そんな二つの「記憶の交差」がこの映画かもしれません。 結局はお互いがその苦しみを共有し、支えあうことで生きていこうとするのですね。 どのような「記憶」の状況であろうと、その人の心にそっと寄り添い支えていくこと。 その大切さを感じさせてくれた映画でした。 それにしても邦題の「あの歌を憶えている」っていうのはダメだな。 センスが全然ありません。 ただ挿入曲の「青い影」は、オールドエイジの人間にとっては 感傷に浸れる名曲ですね。    
ブログ投稿画像 第1部の信友先生の講演に続き、 第2部はネットワーク委員の先生方による講演です。 [caption id="attachment_6037" align="alignnone" width="1024"] ネットワーク委員の皆様です。[/caption] 最初に「認知症の進行を防ぐキーワード」として、 河内医師会の尾﨑先生、西岡先生、河内薬剤師会の川口先生による クイズ形式の講演でした。 認知症と睡眠は関係ある? アミロイドβは一年で溜まる? 希望すれば誰でもレカネマブの治療を受けることができる? 等々たくさんの質問に、皆さんが〇✕で答え、先生方が回答するというものでした。 脳細胞は何歳になっても新しい細胞ができる(〇) その通りですね。但し、新しい体験をやってみるなどの行動が必要になります。 面白かったのは、関西人にとって阪神タイガースの優勝が 認知症予防につながるという研究ですね。 今年もタイガースに頑張ってもらいましょう。 続いて東歯科医師会の橋本先生による講演。 これはいかに口腔ケアや歯周病予防が、認知症のみならず、あらゆる病気予防のために 重要であるかということが、よくわかるものでした。 ビデオもわかりやすかったですね。 今回、休憩なしの2時間でしたが、皆さん動くこともなく、 ぴったり2時間楽しまれておりました。 時間がなくてほとんどできませんでしたが、早口体操 これは機会を新たにしてゆっくりと実施してもらいましょう。    
ブログ投稿画像 2月1日(土)英田地区認知症ケアネットワーク推進委員会  第9回シンポジウムが開催されました。 (場所:アーバンチャイルドこども園) 200名近くの方で、ホールは満員となりました。 [caption id="attachment_6030" align="alignnone" width="1024"] 10年前にネットワーク委員会を立ち上げられた理事長の挨拶から始まりました。[/caption]   第一部は、映画「ぼけますからよろしくお願いします」の映画監督信友直子さんの特別講演でした。 信友様は、東京のテレビ局でドキュメンタリー作品の制作を数多く手掛けられた方なのですが、 お母様が認知症になられ、95歳のお父様が老々介護されるという状況の中、 家族でしか撮れないものという思いもあり、映画製作に至った経緯があります。 今回の講演では、映画の一場面を見てもらいながら、 認知症になられたお母様や介護者の心境を語られました。 その中で、母としての存在感をいかに大切にするのか そして混乱の中にある認知症の人の思いをどう受け止めていくのか 映像付きだったため、なおわかりやすかったのではないでしょうか。 お話しの後半では、なんと104歳になられたお父様の現状についてのお話もありました。 映画の影響もあり、今やお父様は街の人気者だそうです。 家族は抱え込まず、介護のサービスや地域の人達など 様々な人に頼ってもいいのだという話が印象的でした。 もう少しお話を深めたかったこともあるのですが、時間が足りず残念でした。 信友様には、シンポジウム後、遅くまで書籍の販売と共に サイン会にも応じていただき、素敵なサイン本をいただくことが出来ました。 シンポジウムは信友さまの後、 第二部へと続きました。      
ブログ投稿画像 何かとあれやこれやとやっている日々を送ると ついつい忘れがちになってしまうブログアップです。 ちょっと載せない間にも色々な出来事がありました。 それらは日々新たなる、前へ進むための一歩と言えますね。 107回目になる英田地区認知症ケアネットワーク委員会も開催されました。 2月1日のシンポジウムに向けての打ち合わせが中心となりました。 先生方も熱が入ってきましたね。 そのシンポジウムですが、凄い人数の申し込みがあり、 当初予定していた120名をはるかに超えたため、会場レイアウトを見直しました。 約190名の方が来られる予定です。 満員御礼ですね。 また、家族会も開催されました。 色々な思いを語られ、「お薬」をどう使うのか? などと言うちょっとシビアな話もありました。 出来れば使わないことに越したことはないのですが。 また、最後には宮崎のシンガーソングライター大野勇太氏の「消えない日々」を 聴いてもらいました。 「たとえ言葉が出なくなっても、ぬくもりは感じ取れる…」 認知症の人の介護者の気持ちを唄った歌ですね。 なかなかしっとりとした唄です。 https://www.youtube.com/watch?v=pfHpNolahKI 日々新たなり 毎日様々なことが起きますが、 ネガティブに考えるのではなく、 新たな日々として、前向きに考えていきたいですね。  
ブログ投稿画像 心の中に続く阪神淡路大震災の余震 ~微力だけど決して無力ではない~ 阪神・淡路大震災から、もう30年。 当時の惨状を知っている行政職員、警察官、消防隊員も少なくなったといいます。 現場の状況を生で体験し、語れる人も少しずつ少なくなっていきますね。 それは支援に入った人も同じでしょう。 しかし、あの震災を体験した人、支援をした人たちの心の中の余震はいまだ続いていると言えます。 当時私は、大阪で結成された高齢者支援隊のメンバーとして、神戸に救援活動に入りました。 その時の記録は、私個人のものとして、「瓦礫の街から」と題名を付け、今もデータ化して残しています。 今まではあまりオープンにはしてこなかったのですが、やはり次世代に語り継ぐことも必要と考え、 何らかの機会に文章を整理して掲載していきたいと思っております。 つい先日再放送で安医師の「心の傷を癒すということ」のドラマを見たのですが、 本当に被災者の声を聴く、思いを聴くというのはとても重要なことだと思います。 私自身、避難所を回る中で、数多くのそれぞれの人のドラマを聴きました。 今すぐどうかしたくてもどうにもできないもどかしさもあり、つらさは増加していきました。 高齢者の多い避難所では、認知症の人にどう対応したらわからない、 おむつの交換の仕方がわからない、でもわからないなりに頑張っているボランティアたちもいました。 しかし多くはありとあらゆるお願い事や悩み事が中心でした。 当たり前ですね。過酷な生活状況だったのですから。 テントが張られたある公園。 小さなテントの中に、寝たきり状態の母親と、その息子が暮らしていました。 母親の容態はよくなく、四国から派遣されていた医師からの、入院を促してほしいとの要請を受け、 冷たい雨が降る中、そのテントを訪問したのです。 しかし、家も家財もすべて失い、唯一の絆である息子とは離れたくないので入院はしないとの言葉でした。 息子も同様でした。 暖房もない寒いテントであっても、唯一残された家族の絆は失いたくなかったのです。 私も言葉が見つかりませんでした。 そのことを医師に伝えると、医師も頷くだけでした。 その後この親子がどうなったかはわかりません。 しかし、冷たい雨がテントに情け容赦なく降り続けていた情景は 私の記憶に深く重く残っているのです。 余りにも多くのつらさを見聞きし過ぎたのか、 明かりが消えた神戸から、橋を渡り大阪に戻った時、ごく普通にネオンが輝いているその情景に、 悔しさや哀しさや怒りやら多くの感情が溢れ出て、泣きながら帰ったことを覚えています。 私たちの活動は、大したこともできませんでしたが、 最近能登に入った若いボランティアの言葉、 「微力だったとは思うけど、無力ではなかったと思う。」という言葉に なんとなく救われたような気がしました。 「微力であっても、決して無力ではない。」  何事にもそのようなことがあると言えるでしょう。 いつか再び来ると言われている大地震。 当事者となるのか、支援者となるのか、或いは両方なのか、それはわからないけれど、 私たちにはその時に対しての「構え」を持たなければならないと言えるでしょう。 その一つとして、当時の記録「瓦礫の街から」は、整理して掲載したいと思います。
ブログ投稿画像 前回の続きです。 飛行機なら2~3時間で大阪から北海道に行けるところ 太平洋フェリーだとほぼ2日間かけていくことになります。 (敦賀、舞鶴からの、小樽、苫小牧行き新日本海フェリーはもう少し早いですが、 それでも飛行機との差は圧倒的です) なのに、大阪からでも太平洋フェリーに乗る人がそれなりにいるのです。 それは、2泊する船旅に、何らかの価値を見出してのことでしょう。 それではこの「船旅」をベースにケアの世界について考えてみたいと思います。 船旅ならば、必ず目的地に着けば、その限られた空間での生活から解放されますが、 施設入居となるとそうはいきません。 私たちは旅行として船旅を楽しみますが、施設入所はその限られた空間の中で、 長い間過ごさなければならない、生活しなければならない、ある意味人生ラストの場ともなるわけです。 さらにそのために、人の助けを借りなければならないという状況にあるということなのです。 船旅をする場合、そこになんらかの価値を見いだしているように、 例え旅でなくても、施設入所にも価値を見出せるものでなければならないのです。 (ある意味、自宅に帰ることのない永遠の旅立ちの前段階とも言えます)   私たちは、電車に乗るにしても、車を運転するにしても、何かを買うにしても、 どこかに泊まるにしても、そして太平洋フェリーを利用するについても、 何らかの価値を見出して利用したり活用したりします。 同様に入所施設の選択も、その施設に対しての何らかの価値を求めての入所となるでしょう。 しかしそこにはもしかしたら、介護者の「やむおえぬ価値」というものがあるかもしれませんし、 入居者からすれば、「妥協の末の価値」かもしれません。 もしその施設に価値を見出すことができなければ、無価値な施設として判断され、 別の施設を探すということになるかもしれませんが、それは容易なことではありません。 そのため「妥協の末の価値」として存在することになるのです。 つまり「介護施設」は、家族からも利用者からも真に価値あるものとして存在しなければ、 介護現場そのものの存在価値は低いままになってしまうのです。 「やむ終えぬ、妥協の末の価値」は、ほぼ無価値に近いものだからです。 (つづく)  
ブログ投稿画像 太平洋フェリーと介護施設ってどう関係があるのか? と、思われますよね。 そうなのです。直接的関係はありません。 しかし、介護施設の存在価値を考えるにおいて、ここではあえて太平洋フェリーさんをクローズアップしました。 そもそも太平洋フェリーとはどんなフェリーなのか? そこからですね。 太平洋フェリーは、大阪側から見ると、名古屋港を出港し、途中仙台港に立ち寄り、苫小牧港まで行くフェリーです。 つまり北海道に向かう船ですね。その航行時間はなんと40時間! 船中2泊の旅となります。 フェリーですから、車ごとという人も当然いるのですが、 いわゆる乗船だけで苫小牧へ向かう乗客が結構多いのです。   さて大阪から北海道に行くならば、普通は、飛行機を考えます。 飛行機ならば1時間半、待ち時間等を含めても、3時間もあれば北の大地を踏めるのです。 片や大阪から太平洋フェリーを使って北海道へ行こうとしたら、 まずは名古屋港まで行かなければなりません。そこから翌々日の午前11時頃に苫小牧着となります。 ほぼ丸2日かけて北の大地に行くことになります。 飛行機ならば3時間、太平洋フェリー利用ならばほぼ2日間 車で行かないのなら、どう考えても圧倒的に飛行機の方が有利です。 おまけにフェリーの場合、携帯の電波がほぼ入りません。つまりスマホは使えません。 さらに海が荒れたら、船酔いにも悩まされることになります。 また日程的に見ても、余裕がないと船には乗れないし、北海道でのスケジュールも狭められてしまいます。 当然、飛行機で行ったならば、北の大地を余分に観光できるっていう訳です。 それだけ不便極まりない太平洋フェリー 実は人気があるのです。 ある意味その不便さの中に、乗客は太平洋フェリーに乗りたいという なんらかの「価値」を見出していると言えます。 また、フェリー会社も乗客を惹きつける何かを発信しているとも言えます。 [caption id="attachment_6000" align="alignnone" width="1024"] これは商船三井のフェリー船 さんふらわあ です[/caption]   さて、ここで介護施設との関係性が出てきます。 それは、利用者にとって利用する介護施設は、果たして「価値」のある存在なのかと言うことなのです。 そこで、介護施設の「価値」について、(その2)に書きます。