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2025.04.25
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8月は、特に前半は、なんか心が沈みます。
6日のヒロシマ 9日のナガサキ 12日の日航機墜落 そして15日の終戦の日
ずっと亡き方々の慰霊の日という感じですね。
12日の日航機事故は、その原因がいまだに謎を生んでいる事故ですが、
当時私はある法人の老人ホームに勤めていました。
この年の7月末、長野県の老人ホームで裏山が崩れ、多くの入居者が亡くなる災害がありました。
同業者でもあり、この災害のことはよく覚えています。
当時私が勤めていた法人の理事長は、全国老人施設協議会の会長であり、
たびたび東京へ出張していました。
そしていつも日航123便のあの時間の飛行機で帰って来るのでした。
8月12日もこの飛行機に乗る予定で、予約もしていたそうです。
しかし長野で起きた特養の土砂災害では20名以上の利用者が亡くなっており、
その後の対応も含めて長野の現場に行くことになり、123便の搭乗をキャンセルしたのです。
理事長はこうして事なきを得たのですが、代わりに乗った人がいたのですね。
毎年8月12日になると、このことを思い出します。
なんと表現していいのかわからない人生の運命の行方ですね。
地滑りで老人ホームが埋まるというような災害がなければ、理事長はいつものように
123便に乗っていたかもしれません。
広島、長崎も、人数ではなく、一人一人にそれぞれの人生ドラマがあったこと
そのことを忘れないでいたいですね。
ヒロシマ、ナガサキの原爆投下から80年ですね。
昨日の広島県知事の平和宣言は、心に響くものがありました。
洋上でもなく、軍事施設でもない、ただただ普通に暮らしていた市民を虐殺したのが原爆です。
赤ん坊から幼子、高齢者など弱者も含んだ、両市合わせて21~22万人の命を
瞬間的に奪ったもの。それが核兵器です。(被ばく戦没者数は50万人を上回る)
つい最近まで知らなかったのですが、長崎市出身の福山雅治が、
廃墟となり、焼かれた被爆クスノキが、今は大きな樹木になっているのですが
そのことを題材にした歌を唄っていたのですね。
今は多くの子どもたちも唄っているようです。
静かに、力強く、平和を訴える歌ですね。
福山雅治のオリジナル映像と
生き続けている被爆樹木の映像と
二つを貼り付けておきます。
是非とも聞いて、見てくださいね。
https://www.youtube.com/watch?v=vuxCfIijgIc&list=RDvuxCfIijgIc&start_radio=1
https://www.youtube.com/watch?v=JumRmUwmOgs&list=RDJumRmUwmOgs&start_radio=1
本日は書籍の紹介です。
多くの介護施設や障がい者施設で大きな課題でありながら
実践がなかなかできない自由の確保
そのことに毅然とチャレンジしている9名の話が書き込まれている。
特に第1章の上埜さんは凄いですね。まぁ私の後輩でもあるわけですが、
渾身の思いを語っています。
[caption id="attachment_6166" align="alignnone" width="1024"] 二つのラインが交わる場所 (さんふらわあ船上にて)[/caption]
本の帯にはこのように書かれています。
「現代社会を特徴づける過剰な管理は、ケアの現場において先鋭化しやすい。本書に登場する皆さんは
いかにして利用者を管理することから逃れるか、いかにして利用者の自由を保障するのかを
具体的な事例を通して示していた。」
かなり中身の濃い本でもあり、読むにはある程度の気合もいりますが
特に管理的立場にある人には読んでもらいたい一冊です。
2025.08.02
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2025.06.24
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知覧の空は、雨雲でした。
一度は訪れておかなければならない場所でした。
特攻隊員の遺書
それは末代まで残る最後の手紙
なので、死にたくないとか、怖いとかの言葉はありません。
ただ、感謝の言葉はあふれています。
そして若くして死んでいった若者たちの写真、写真、写真…
遺書にも書けなかった、彼らの思いはどのようなものだったのだろうか…
[caption id="attachment_6095" align="alignnone" width="1024"] 館内は撮影禁止です[/caption]
今は、平気でSNSで他人を誹謗中傷し、時に死に追いやるような時代
その当事者たちにこそ、誹謗中傷することがいかに情けなく恥ずかしく
かっこ悪いことだということを、この地に足を運んで知ってもらいたい。
[caption id="attachment_6094" align="alignnone" width="1024"] 鹿児島湾で引き揚げられたゼロ戦。これは撮影可能。[/caption]
以前、認知症状がある方の家を訪問したことがあります。
その男性は、今はちょっとした中小企業の社長だった人でしたが、
若き日は技術工であったためか、太平洋戦争中は整備兵として徴兵されていたのでした。
その方と話をする中で、何度も何度も話されたのが、特攻隊員の話でした。
その方は戦闘機の整備兵として、陸軍知覧飛行場に配属されていたのです。
特攻隊員出撃の地である知覧。
整備兵であった彼は、飛び立っていく若者たちの飛行機に手を振って見送るばかりです。
「何回も何回も、同じ年齢の若い彼らが特攻で飛び立っていくのを見送った。
でも一人として帰ってくるものはいなかった…」
そう話すと、その方は号泣されました。
どのような思いだったのでしょうか。
同じ年齢の若者たちが、国を救うためにと命を投げ出して飛び立っていく。
それを見送るだけの悔しさもあったでしょう。そして本当に帰ってこない悲しさもあったでしょう。
同時に整備兵でよかったという思いもあったかもしれません。
とても複雑な思いだったに違いありません。
だからこそ戦後何十年経っても忘れられぬ光景として、その方の記憶に深く刻まれていたのです。
認知症であっても、忘れられぬ記憶
それは若くして死んでいった者たちへのレクイエムなのかもしれません。
あらためて、多くの若者の命を奪った
「戦争を始めた」者たちのことを問わなければならないでしょう。
2025.04.25
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