ninchisho-yui-logo
menu

メニュー

clear ninchisho-yui-logo
ブログ投稿画像

2025.08.14

トピックス
慰霊の日々 8月は、特に前半は、なんか心が沈みます。 6日のヒロシマ 9日のナガサキ 12日の日航機墜落 そして15日の終戦の日 ずっと亡き方々の慰霊の日という感じですね。 12日の日航機事故は、その原因がいまだに謎を生んでいる事故ですが、 当時私はある法人の老人ホームに勤めていました。 この年の7月末、長野県の老人ホームで裏山が崩れ、多くの入居者が亡くなる災害がありました。 同業者でもあり、この災害のことはよく覚えています。 当時私が勤めていた法人の理事長は、全国老人施設協議会の会長であり、 たびたび東京へ出張していました。 そしていつも日航123便のあの時間の飛行機で帰って来るのでした。 8月12日もこの飛行機に乗る予定で、予約もしていたそうです。 しかし長野で起きた特養の土砂災害では20名以上の利用者が亡くなっており、 その後の対応も含めて長野の現場に行くことになり、123便の搭乗をキャンセルしたのです。 理事長はこうして事なきを得たのですが、代わりに乗った人がいたのですね。 毎年8月12日になると、このことを思い出します。 なんと表現していいのかわからない人生の運命の行方ですね。 地滑りで老人ホームが埋まるというような災害がなければ、理事長はいつものように 123便に乗っていたかもしれません。 広島、長崎も、人数ではなく、一人一人にそれぞれの人生ドラマがあったこと そのことを忘れないでいたいですね。
ブログ投稿画像

2025.07.29

未分類
パンデミックを忘れない パンデミック(pandemic)とは、感染症が世界的に大流行する現象 コロナ禍の間、世界では7億9083万人が感染し、死者数は1940万人となった。 日本でも7300万人、およそ日本の人口の6割強が感染し、13万人もの人が亡くなった。 このコロナ禍の数年間、人を対象とする職業は、多大なる影響を受けた。 航空機も船も動かなくなり、観光地は人影がなくなり、飲食店も人が来なくなった。 とにかく人が関わる仕事は、人との接触を避けるためにほとんどがクローズとなった。 しかしそんな状況でも、人との関りを止めなかったのは、医療職と介護職だ。 支えなければならない人たちのために、いわれもない誹謗中傷や、感染の恐怖にさらされながらも その職務を全うしていたのだ。 今や人々は何事もなかったかのように、コロナ禍を忘れ、普通に生活しています。 それはそれでよいのですが、しかしだからと言って忘れてはならない出来事だと思います。 特に不安と恐怖の中にあった人々は、ありとあらゆる誹謗中傷、風評、差別を行っていたのです。 クラスターが発生したと言えば、そこの事業所や会社は批判の目を向けられ、 感染者へも厳しいバッシングがありました。 まして認知症の人は、出来事の理解が出来ぬまま、必要以上に心身ともに抑制される状況にあったと言えます。 不安と恐怖をあおると、人は平気で極端に排他的になるのです。 そのような中でも、支えを必要とした人たちを護ってきた医療職や介護職、関係する人々 その涙ぐましい努力があったことも、忘れないでいてほしいと思うのです。 映画「フロントライン」を見て、あらためて感じました。 次のパンデミックは、もしかしたら、すぐに訪れるかもしれません。 地球の温暖化は予測不能な何かを起こすかもしれないのです。  
ブログ投稿画像

2025.07.26

ほんわか写真館
認知症の行方不明者・大阪が最多 毎年全国で1万8千人以上の認知症の人が行方不明となっています。 家族としても行方が分からなくなるのはつらいことですね。 実際には一人で複数回ということもあるでしょうから、 単純にこれだけの人が迷い人になったとは言えないでしょう。 それでも、多い人数かなと思います。 都道府県別にみると、大阪が最多で、2086人だそうです。 これまでは兵庫県がトップだったのですが、兵庫県は5番目になり、 ずっと二番目だった大阪が、最多になってしまいました。 大阪人はそれだけ活発というか、引き籠らず、アクティブに行動するという 気質があるのかもしれません。 最近はGPSの活用により、発見が早くなったとはいえ 残念ながら亡くなられて発見された人も全国で491人おられたそうです。 多くは水場や転落しそうな場所のようですが、 意外と自宅から近くで発見されているようです。 それは初動捜索の大切さを物語っているとも言えます。 もちろん、家族、警察だけでは限界があります。 やはり地域の人々の視線や気づきが必要ということでしょう。 地域で見守る、支えることの大切さを改めて感じさせる数字だと思ううのです。
ブログ投稿画像

2025.07.23

トピックス
介護者の心の安全基地 ブログを投稿する「思い」はまだ復活しませんが、 やはり、家族会のことは書いておかなければならないと思いました。 6月のことになりますが、 10名もの介護者の方が参加されました。 立場はそれぞれです。 息子、娘、嫁、妻、夫、兄弟… それぞれに、自宅での介護の大変さを訴えておられました。 その訴えの内容、本当にしんどいと思います。 しかしその家族のしんどさを支えるシステムがないのも事実です。 間接的には、要介護者が、デイサービスやショートステイを利用することによる 介護から解放される時間があるでしょう。 しかし、介護者自身の心の中の葛藤は それだけでは癒されるものではありません。 やはり心の中に溜まったものをお掃除する 掃き出す(吐き出すではありません)ことができる時間が必要となります。 毒を吐くのではなく、心の中に溜まったごちゃごちゃを掃き掃除して 心の中をクリーンアップする。 そして心の中の容量が目一杯だったところに空き領域を増やすこと。 それが出来るところが、心の安全基地(セキュアベース)となります。 個人が特定されないよう、実際の写真をイラスト化しました。   介護者にとっての心の安全基地、その一つとして家族会があるのです。 日頃のしんどさを掃き出しながら、他の介護者の話を聴く中で 時に情報交換も行いながら、目一杯だった気持ちが少しは楽になって前を向ける。 そんな時間となるのです。 単に掃き出すだけでなく、前へ向いて行けるエネルギーをもらえる場所。 それが心の安全基地、介護者の集い(家族会)と言えるのです。      
ブログ投稿画像

2025.06.24

トピックス
第9回英田南地区安心声掛けつながり訓練が開催されました 6月21日(土) 英田南地区では9回目となる「安心声掛けつながり訓練」が開催されました。 英田地区では北と合わせると、17回目の実施となります。 まいぷれ東大阪さんの写真より   地域住民の方が約90名来られ、周辺の介護事業所の皆様や、こども園の園児さんを入れると 約110名、スタッフを入れると約150名になったでしょうか。 ネットワーク委員会より、河内薬剤師会の川口先生、東大阪市地域包括ケア推進課の笹井さん、 東大阪社協の石原さん、さらに社協会長の吉村会長も来場されました。 もちろん地元英田南の御堂会長も、挨拶にインタビューにと、忙しい時間でした。 昨年だけでも全国で18000名以上の認知症による行方不明者がありましたが、 特に残念ながら遺体で発見された人は、自宅から1キロ周辺での発見が多く、 意外と近くにおられることがわかります。 それだけに、地域で見守る安心声掛けつながり訓練は、重要な意味を持ちます。 まいぷれ東大阪さんの写真より   今回は、アーバンチャイルドこども園を会場としており、 園児さんも声掛けに参加したり、卒園児も親子共々に参加しました。 このように親子共々の参加というのは とかく高齢者が高齢者を見守るだけでなく、広い世代の人に繋がりを広めていく 大きな意味がありますし、参加者のアンケートからも、 もっと若い世代の参加があればいいのにね。という意見もありました。 英田南の訓練は毎年6月の梅雨時に実施するのですが、 雨に当たったことはありません。 しかしながら、物凄い暑さ! そのため外に出る声掛け訓練は、会場から5分以内の場所で行いました。 この訓練の様子は、 ケーブルテレビ(Jcom)6月30日(月)の「虹色ネットワーク」で放送されます。 まいぷれ東大阪さんの写真より まいぷれ東大阪さんの写真より   また、東大阪市の情報発信をしている「まいぷれ東大阪」にも掲載されてます。 是非ともご覧ください。   最後に、園庭で声掛け訓練に参加した園児さんたちの写真を掲載します。 安心しましたカードをもらって、めっちゃ喜んでましたよ!
ブログ投稿画像

2025.04.30

トピックス
知覧の空 知覧の空は、雨雲でした。 一度は訪れておかなければならない場所でした。 特攻隊員の遺書 それは末代まで残る最後の手紙 なので、死にたくないとか、怖いとかの言葉はありません。 ただ、感謝の言葉はあふれています。 そして若くして死んでいった若者たちの写真、写真、写真… 遺書にも書けなかった、彼らの思いはどのようなものだったのだろうか… 館内は撮影禁止です   今は、平気でSNSで他人を誹謗中傷し、時に死に追いやるような時代 その当事者たちにこそ、誹謗中傷することがいかに情けなく恥ずかしく かっこ悪いことだということを、この地に足を運んで知ってもらいたい。 鹿児島湾で引き揚げられたゼロ戦。これは撮影可能。   以前、認知症状がある方の家を訪問したことがあります。 その男性は、今はちょっとした中小企業の社長だった人でしたが、 若き日は技術工であったためか、太平洋戦争中は整備兵として徴兵されていたのでした。 その方と話をする中で、何度も何度も話されたのが、特攻隊員の話でした。 その方は戦闘機の整備兵として、陸軍知覧飛行場に配属されていたのです。 特攻隊員出撃の地である知覧。 整備兵であった彼は、飛び立っていく若者たちの飛行機に手を振って見送るばかりです。 「何回も何回も、同じ年齢の若い彼らが特攻で飛び立っていくのを見送った。  でも一人として帰ってくるものはいなかった…」 そう話すと、その方は号泣されました。 どのような思いだったのでしょうか。 同じ年齢の若者たちが、国を救うためにと命を投げ出して飛び立っていく。 それを見送るだけの悔しさもあったでしょう。そして本当に帰ってこない悲しさもあったでしょう。 同時に整備兵でよかったという思いもあったかもしれません。 とても複雑な思いだったに違いありません。 だからこそ戦後何十年経っても忘れられぬ光景として、その方の記憶に深く刻まれていたのです。 認知症であっても、忘れられぬ記憶 それは若くして死んでいった者たちへのレクイエムなのかもしれません。 あらためて、多くの若者の命を奪った 「戦争を始めた」者たちのことを問わなければならないでしょう。    
ブログ投稿画像 8月は、特に前半は、なんか心が沈みます。 6日のヒロシマ 9日のナガサキ 12日の日航機墜落 そして15日の終戦の日 ずっと亡き方々の慰霊の日という感じですね。 12日の日航機事故は、その原因がいまだに謎を生んでいる事故ですが、 当時私はある法人の老人ホームに勤めていました。 この年の7月末、長野県の老人ホームで裏山が崩れ、多くの入居者が亡くなる災害がありました。 同業者でもあり、この災害のことはよく覚えています。 当時私が勤めていた法人の理事長は、全国老人施設協議会の会長であり、 たびたび東京へ出張していました。 そしていつも日航123便のあの時間の飛行機で帰って来るのでした。 8月12日もこの飛行機に乗る予定で、予約もしていたそうです。 しかし長野で起きた特養の土砂災害では20名以上の利用者が亡くなっており、 その後の対応も含めて長野の現場に行くことになり、123便の搭乗をキャンセルしたのです。 理事長はこうして事なきを得たのですが、代わりに乗った人がいたのですね。 毎年8月12日になると、このことを思い出します。 なんと表現していいのかわからない人生の運命の行方ですね。 地滑りで老人ホームが埋まるというような災害がなければ、理事長はいつものように 123便に乗っていたかもしれません。 広島、長崎も、人数ではなく、一人一人にそれぞれの人生ドラマがあったこと そのことを忘れないでいたいですね。
ブログ投稿画像 パンデミック(pandemic)とは、感染症が世界的に大流行する現象 コロナ禍の間、世界では7億9083万人が感染し、死者数は1940万人となった。 日本でも7300万人、およそ日本の人口の6割強が感染し、13万人もの人が亡くなった。 このコロナ禍の数年間、人を対象とする職業は、多大なる影響を受けた。 航空機も船も動かなくなり、観光地は人影がなくなり、飲食店も人が来なくなった。 とにかく人が関わる仕事は、人との接触を避けるためにほとんどがクローズとなった。 しかしそんな状況でも、人との関りを止めなかったのは、医療職と介護職だ。 支えなければならない人たちのために、いわれもない誹謗中傷や、感染の恐怖にさらされながらも その職務を全うしていたのだ。 今や人々は何事もなかったかのように、コロナ禍を忘れ、普通に生活しています。 それはそれでよいのですが、しかしだからと言って忘れてはならない出来事だと思います。 特に不安と恐怖の中にあった人々は、ありとあらゆる誹謗中傷、風評、差別を行っていたのです。 クラスターが発生したと言えば、そこの事業所や会社は批判の目を向けられ、 感染者へも厳しいバッシングがありました。 まして認知症の人は、出来事の理解が出来ぬまま、必要以上に心身ともに抑制される状況にあったと言えます。 不安と恐怖をあおると、人は平気で極端に排他的になるのです。 そのような中でも、支えを必要とした人たちを護ってきた医療職や介護職、関係する人々 その涙ぐましい努力があったことも、忘れないでいてほしいと思うのです。 映画「フロントライン」を見て、あらためて感じました。 次のパンデミックは、もしかしたら、すぐに訪れるかもしれません。 地球の温暖化は予測不能な何かを起こすかもしれないのです。  
ブログ投稿画像 毎年全国で1万8千人以上の認知症の人が行方不明となっています。 家族としても行方が分からなくなるのはつらいことですね。 実際には一人で複数回ということもあるでしょうから、 単純にこれだけの人が迷い人になったとは言えないでしょう。 それでも、多い人数かなと思います。 都道府県別にみると、大阪が最多で、2086人だそうです。 これまでは兵庫県がトップだったのですが、兵庫県は5番目になり、 ずっと二番目だった大阪が、最多になってしまいました。 大阪人はそれだけ活発というか、引き籠らず、アクティブに行動するという 気質があるのかもしれません。 最近はGPSの活用により、発見が早くなったとはいえ 残念ながら亡くなられて発見された人も全国で491人おられたそうです。 多くは水場や転落しそうな場所のようですが、 意外と自宅から近くで発見されているようです。 それは初動捜索の大切さを物語っているとも言えます。 もちろん、家族、警察だけでは限界があります。 やはり地域の人々の視線や気づきが必要ということでしょう。 地域で見守る、支えることの大切さを改めて感じさせる数字だと思ううのです。
ブログ投稿画像 ブログを投稿する「思い」はまだ復活しませんが、 やはり、家族会のことは書いておかなければならないと思いました。 6月のことになりますが、 10名もの介護者の方が参加されました。 立場はそれぞれです。 息子、娘、嫁、妻、夫、兄弟… それぞれに、自宅での介護の大変さを訴えておられました。 その訴えの内容、本当にしんどいと思います。 しかしその家族のしんどさを支えるシステムがないのも事実です。 間接的には、要介護者が、デイサービスやショートステイを利用することによる 介護から解放される時間があるでしょう。 しかし、介護者自身の心の中の葛藤は それだけでは癒されるものではありません。 やはり心の中に溜まったものをお掃除する 掃き出す(吐き出すではありません)ことができる時間が必要となります。 毒を吐くのではなく、心の中に溜まったごちゃごちゃを掃き掃除して 心の中をクリーンアップする。 そして心の中の容量が目一杯だったところに空き領域を増やすこと。 それが出来るところが、心の安全基地(セキュアベース)となります。 [caption id="attachment_6142" align="alignnone" width="1024"] 個人が特定されないよう、実際の写真をイラスト化しました。[/caption]   介護者にとっての心の安全基地、その一つとして家族会があるのです。 日頃のしんどさを掃き出しながら、他の介護者の話を聴く中で 時に情報交換も行いながら、目一杯だった気持ちが少しは楽になって前を向ける。 そんな時間となるのです。 単に掃き出すだけでなく、前へ向いて行けるエネルギーをもらえる場所。 それが心の安全基地、介護者の集い(家族会)と言えるのです。      
ブログ投稿画像 6月21日(土) 英田南地区では9回目となる「安心声掛けつながり訓練」が開催されました。 英田地区では北と合わせると、17回目の実施となります。 [caption id="attachment_6106" align="alignnone" width="1024"] まいぷれ東大阪さんの写真より[/caption]   地域住民の方が約90名来られ、周辺の介護事業所の皆様や、こども園の園児さんを入れると 約110名、スタッフを入れると約150名になったでしょうか。 ネットワーク委員会より、河内薬剤師会の川口先生、東大阪市地域包括ケア推進課の笹井さん、 東大阪社協の石原さん、さらに社協会長の吉村会長も来場されました。 もちろん地元英田南の御堂会長も、挨拶にインタビューにと、忙しい時間でした。 昨年だけでも全国で18000名以上の認知症による行方不明者がありましたが、 特に残念ながら遺体で発見された人は、自宅から1キロ周辺での発見が多く、 意外と近くにおられることがわかります。 それだけに、地域で見守る安心声掛けつながり訓練は、重要な意味を持ちます。 [caption id="attachment_6107" align="alignnone" width="1024"] まいぷれ東大阪さんの写真より[/caption]   今回は、アーバンチャイルドこども園を会場としており、 園児さんも声掛けに参加したり、卒園児も親子共々に参加しました。 このように親子共々の参加というのは とかく高齢者が高齢者を見守るだけでなく、広い世代の人に繋がりを広めていく 大きな意味がありますし、参加者のアンケートからも、 もっと若い世代の参加があればいいのにね。という意見もありました。 英田南の訓練は毎年6月の梅雨時に実施するのですが、 雨に当たったことはありません。 しかしながら、物凄い暑さ! そのため外に出る声掛け訓練は、会場から5分以内の場所で行いました。 この訓練の様子は、 ケーブルテレビ(Jcom)6月30日(月)の「虹色ネットワーク」で放送されます。 [caption id="attachment_6105" align="alignnone" width="1024"] まいぷれ東大阪さんの写真より[/caption] [caption id="attachment_6108" align="alignnone" width="1024"] まいぷれ東大阪さんの写真より[/caption]   また、東大阪市の情報発信をしている「まいぷれ東大阪」にも掲載されてます。 是非ともご覧ください。   最後に、園庭で声掛け訓練に参加した園児さんたちの写真を掲載します。 安心しましたカードをもらって、めっちゃ喜んでましたよ!
ブログ投稿画像 知覧の空は、雨雲でした。 一度は訪れておかなければならない場所でした。 特攻隊員の遺書 それは末代まで残る最後の手紙 なので、死にたくないとか、怖いとかの言葉はありません。 ただ、感謝の言葉はあふれています。 そして若くして死んでいった若者たちの写真、写真、写真… 遺書にも書けなかった、彼らの思いはどのようなものだったのだろうか… [caption id="attachment_6095" align="alignnone" width="1024"] 館内は撮影禁止です[/caption]   今は、平気でSNSで他人を誹謗中傷し、時に死に追いやるような時代 その当事者たちにこそ、誹謗中傷することがいかに情けなく恥ずかしく かっこ悪いことだということを、この地に足を運んで知ってもらいたい。 [caption id="attachment_6094" align="alignnone" width="1024"] 鹿児島湾で引き揚げられたゼロ戦。これは撮影可能。[/caption]   以前、認知症状がある方の家を訪問したことがあります。 その男性は、今はちょっとした中小企業の社長だった人でしたが、 若き日は技術工であったためか、太平洋戦争中は整備兵として徴兵されていたのでした。 その方と話をする中で、何度も何度も話されたのが、特攻隊員の話でした。 その方は戦闘機の整備兵として、陸軍知覧飛行場に配属されていたのです。 特攻隊員出撃の地である知覧。 整備兵であった彼は、飛び立っていく若者たちの飛行機に手を振って見送るばかりです。 「何回も何回も、同じ年齢の若い彼らが特攻で飛び立っていくのを見送った。  でも一人として帰ってくるものはいなかった…」 そう話すと、その方は号泣されました。 どのような思いだったのでしょうか。 同じ年齢の若者たちが、国を救うためにと命を投げ出して飛び立っていく。 それを見送るだけの悔しさもあったでしょう。そして本当に帰ってこない悲しさもあったでしょう。 同時に整備兵でよかったという思いもあったかもしれません。 とても複雑な思いだったに違いありません。 だからこそ戦後何十年経っても忘れられぬ光景として、その方の記憶に深く刻まれていたのです。 認知症であっても、忘れられぬ記憶 それは若くして死んでいった者たちへのレクイエムなのかもしれません。 あらためて、多くの若者の命を奪った 「戦争を始めた」者たちのことを問わなければならないでしょう。