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2021.05.12

トピックス
「それぞれの人に人生の物語があり」長谷川洋先生のお話しより センター長の石川です。 長谷川洋先生へのインタビューの第2回目からの抜粋です。 洋先生から見た父長谷川和夫先生のこと。 それぞれの人にそれぞれなりの人生の物語があるということ。 まさしく幾星霜の方々なのですね。 ケア従事者は、今目の前の方の姿だけで判断するのではなく、 一人ひとりの方にはそれぞれの人生があり、喜びも悲しみも幾年月を経てきた人であり、 その人生に敬意をもって(リスペクトするということ)接しなければならないということです。 ここは忘れてはならないところですね。 以下、長谷川洋先生へのインタビューの抜粋です (「なかまある」息子が語る父・長谷川和夫の姿(下)より) 洋さんが特に実感したのは、和夫さんが一人ひとりの名もない人たちの人生を、いかに大切に考え、尊重して治療にあたってきていたかということだそうです。 「認知症になって、父は自分の人生を振り返るような本を出版させていただきました。それが父はとてもうれしかったようで、『この喫茶店のマスターの人生も、本になるといいのにね』『理容師の〇〇さんの人生も、近くの薬局の△△さんの人生も、みんな本になるといいのに』と繰り返し言うのです。父は認知症の治療も、常に本人を中心にした『パーソン・センタード・ケア』という考えを実践していました。すべての人に掛け替えのない人生があり、それは認知症になっても決して変わることがないのだ、という考えですね」 「パーソン・センタード・ケア」はまさしく認知症ケアの根幹をなすものなのです。  
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2021.05.08

トピックス
ICHIROが出てきた センター長の石川です。 緊急事態宣言、5月末までの延長になってしまいましたね。 5月予定の行事も中止、延期を余儀なくされるかもしれません。 それでも、デイサービスの方は、しっかりと頭の体操をし ご入居の方は、体操し、出来る限り体を動かしておられます。   さて、「グーグルマップタイムライン」というのをご存知でしょうか? 一か月間何処をウロチョロしたかを知らせてくれる機能です。 何と4月の一か月間、私が動いたところは池田市、豊中市、箕面市、吹田市、茨木市、摂津市、そして職場がある東大阪市。のみでした。 これだけアウトドア好きで、あちこち行く人間が、ひたすら北摂から出なかったということになります。 大阪市内に行くなどはご法度です。 5月もそんな感じになりそうですね。 そして家にいると、断捨離を兼ねて色々なものの発掘作業を行っています。 出てきたのが、イチローの写真です。 何年ごろの写真か不明なのですが、イチロー細いですね~ 球場は藤井寺球場。とっくになくなってしまいましたね。 ヤジがめちゃ聞こえた狭い球場でした。 イチローは、阪神の震災の時に神戸グリーンスタジアム(当時)に応援に行き、 まるで復興を願うかのようなホームランを打ってくれた記憶があります。 その時のホームランのように きっとまたみんなが笑える日が来ると願っています。
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2021.05.06

トピックス
「宅配便が先生をお届けに」から見えること センター長の石川です。 長谷川洋先生の第2回目の記事はお読みになられたでしょうか。 この2回目の記事にはいくつか大切なポイントがあるのですが、 今回は地域で支えるという部分で見ていきたいと思います。 長谷川洋先生「なかまある」よりの記事を転載します。👇 「ある日、父がなかなか帰ってこない日がありました。行きつけの喫茶店に行こうとして家を出たのですが、行ってみたらお休みだった。帰ってくればいいものを、今度はいつもの理容室に行ってしまい、たまたまそこも休み。どんどん遠くに行ってしまい、そこで転んでしまって帰れなくなったところに、いつもわが家に荷物を届けてくださる宅配便のドライバーの方が通りかかって、車に乗せてくださったんです。『今日は荷物ではなく、長谷川先生をお届けに来ました』って(笑)。父は、地域の方々に支えていただき幸せな時間を過ごすことができていると思います」   長谷川和夫先生が転倒され、そこを宅急便の人が助けてくれたという話は聞いていたのですが、「届けてくれた」というところ、大阪人的には「ええやん、おもろいやん」と、思ったところでした。 そこで思ったのは、宅配便の方は大体回る地域が決まっているということです。 宅配便の方だけでなく、郵便局員、Uber Eatsの方など、地域をぐるぐる回っている人は多いのです。 長谷川先生のように、有名人で届けてくれるというのはスペシャルなことかもしれませんが、 少なくとも「あれ、あの人大丈夫かな?」と思ってくれたならば、 或いはあらかじめ介護家族がカミングアウトしておく(社会的システムならばなお良い)などしておけば、 おや?っと思ってもらえて、家族、地域包括、警察などに連絡してもらえるだけでも助かるのです。 このように宅配便の方などは、地域での見守り、地域で支えることに繋がっていくのではないかとも思うのです。 宅配便の会社的取り組みがあれば、SDGsにも繋がることでしょう。 「なかまある」HPより転写 長谷川洋先生のインタビューから分かること、また取り上げていきたいと思います。
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2021.05.04

トピックス
長谷川洋先生のこと(2)「確かなことが失われること」 センター長の石川です。 何故長谷川洋先生の記事を載せたかというと、 そこには認知症ケアの大切な視点が散りばめられているからです。 今回は第1回の記事の中から「確かなことが失われる=不確かなことが増えること」について抜粋します。 これはかねてから長谷川和夫先生がお話しされていたことですね。 「特に父が言った『認知症が始まったことで、自分の中の“確かさ”が揺らぐ』という言葉には驚きました。 認知症の方は何度も同じことを話したり、質問したりしますが、それは短期記憶障害によるものだと思われています。でも父の言葉を聞いて、やはりそれだけではないのだな、と。自分の中にある『確かなこと』が失われていくことが不安だから、繰り返し尋ねたり、何度も確認したりする。根底にあるのは自分自身への不安感なのだと思うと、私たち周りの人間の対応の仕方も違ってくるのかもしれません。たとえば、聞かれなくても同じことを何度も話してあげることも必要かもしれませんし、それが認知症の方の不安感の解消にもなるのだということもよくわかりました」 (以上、なかまあるの記事から抜粋) 長谷川洋先生、中央法規の寺田さんと共に   例えば、目の前にペットボトルがあるとします。 私たちはそれを何の違和感もなくペットボトルとして認識する(認知する)のですが、 認知機能が低下していくと、そのペットボトルを 「これなんだっけ?」と思ってしまうのです。 私たちにとって当たり前のことが確かでなくなるのです。 だから不安が増してしまうのです。 ここは重要なところですね。 長谷川洋先生の第2回目はこちらから https://nakamaaru.asahi.com/article/13736264 次回、この内容から、またポイント整理を次回行っていきます。    
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2021.04.30

トピックス
みんな違って みんなおもしろい センター長の石川です 以前、長谷川和夫先生から「みんな違って みんな尊い」という言葉をいただきましたが、 思えば思うほど深い言葉だなと思います。 私たちが関わる全ての人に、それぞれの人生ドラマがあります。 その人生ドラマ一つひとつが実に味があるのです。 職業で言えば、校長先生であったり、警察官であったり、調理師であったり、 トラックやタクシーの運転手であったり、医者や看護師であったり、会社の会計係であったり、 農家の人であったり、主婦として家を守り続けた人であったり、 皆さんそれぞれに違って、それぞれの人生に接することがとてもおもしろいのです。 おもしろいと言っても、お笑いという意味ではありません。 これだけ一人一人違う人生を送ってこられた方と接するこの仕事は、 ある意味味わい深い仕事でもあり、多くの人から学べる仕事でもあるのです。 同じように見えてもみんな違う花々   もちろん実際には、排せつや入浴、食事の介助と、めっちゃ大変です。 特に排せつのケアはつらいと思うことも多分にあるでしょう。 さらにコミュニケーションがうまくとれない方や、目が離せない方などと毎日接していると、 「味わい深いおもしろい仕事」などとは思えないかもしれません。 では、少しでもそのように思えるためにはどうしたらいいか? どんなに関わり方が大変だと思った方でも、その方との中に必ず小さいながらも、 私たちの心に振動する何かがあると思うのです。 その小さな幸せを感じられるかどうか。 「はぁ忙しかった!やっと帰れる」と思った時、 「ふぅやれやれ」と息を掃き出す時、 でもこの日一日頑張ることが出来た、何かがあったことを思い浮かべてみましょう。 もしかしたら、いつも無表情のような人が少し微笑んで見えた瞬間や、 「家に帰らせろ!」と怒っている人が見せる一瞬の孤独な表情や、 ちょっとでも目と目があって見つめあった人がいたことや、 実は日常の忙しさの中に、ほんの小さな私たちの心を支えてくれる瞬間があったのかもしれません。 仕事が終わり、スイッチを自分の世界に切り替える前に、 少しだけ振り返ってみたら、 「いつも笑わないAさんが、今日少し笑ってくれた。」と 自分の中で少しほくそ笑むことができることがあるといいかもしれません。 みんな違って、みんなおもしろいからこそ、 この仕事の意義を感じることが出来るのではないでしょうか。    
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2021.04.27

トピックス
畏敬の念を持つ(抱く)ということ 「畏敬の念を抱く」とは、 「 超越した存在・崇高な存在に対して、無条件に敬う気持ちを持つこと」をいいます。例えば、 国や人種に関係なく救いの手を差し伸べたマザー・テレサの行動に、畏敬の念を抱いた。 富士山頂から見た朝日を見た時、言葉にできない畏敬の念を抱いた。 等々 とても崇高な人や自然に対して使われるように思います。 また普段は使わんやろ、そんなたいそうなって思うかもしれません。 ところがこの「畏敬の念」という言葉、小中学校の学習指導要綱にも載っているものなのです。 知らない大人は恥ずかしいのですよ! 解説には「とかく独善的になりやすい人間の心を反省させ、生きとし生けるものに対する感謝と尊敬の心を生み出していくもの」と、書かれています。   私たちの仕事に振り返ると、マザーテレサでなくても、 人生70年、80年、90年、そして100年と、喜びも悲しみも乗り越えて頑張ってきた方々、 それだけでも敬意を示すと言うことが必要なのです。 その顔のしわの一つひとつに、その苦節が表されているのです。   認知症の人であっても「畏敬の念」が失われないケアを行うこと。 それを心掛けるだけでも、ケアの質は上がっていくでしょう。 センター長の石川でした。  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 長谷川洋先生へのインタビューの第2回目からの抜粋です。 洋先生から見た父長谷川和夫先生のこと。 それぞれの人にそれぞれなりの人生の物語があるということ。 まさしく幾星霜の方々なのですね。 ケア従事者は、今目の前の方の姿だけで判断するのではなく、 一人ひとりの方にはそれぞれの人生があり、喜びも悲しみも幾年月を経てきた人であり、 その人生に敬意をもって(リスペクトするということ)接しなければならないということです。 ここは忘れてはならないところですね。 以下、長谷川洋先生へのインタビューの抜粋です (「なかまある」息子が語る父・長谷川和夫の姿(下)より) 洋さんが特に実感したのは、和夫さんが一人ひとりの名もない人たちの人生を、いかに大切に考え、尊重して治療にあたってきていたかということだそうです。 「認知症になって、父は自分の人生を振り返るような本を出版させていただきました。それが父はとてもうれしかったようで、『この喫茶店のマスターの人生も、本になるといいのにね』『理容師の〇〇さんの人生も、近くの薬局の△△さんの人生も、みんな本になるといいのに』と繰り返し言うのです。父は認知症の治療も、常に本人を中心にした『パーソン・センタード・ケア』という考えを実践していました。すべての人に掛け替えのない人生があり、それは認知症になっても決して変わることがないのだ、という考えですね」 「パーソン・センタード・ケア」はまさしく認知症ケアの根幹をなすものなのです。  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 緊急事態宣言、5月末までの延長になってしまいましたね。 5月予定の行事も中止、延期を余儀なくされるかもしれません。 それでも、デイサービスの方は、しっかりと頭の体操をし ご入居の方は、体操し、出来る限り体を動かしておられます。   さて、「グーグルマップタイムライン」というのをご存知でしょうか? 一か月間何処をウロチョロしたかを知らせてくれる機能です。 何と4月の一か月間、私が動いたところは池田市、豊中市、箕面市、吹田市、茨木市、摂津市、そして職場がある東大阪市。のみでした。 これだけアウトドア好きで、あちこち行く人間が、ひたすら北摂から出なかったということになります。 大阪市内に行くなどはご法度です。 5月もそんな感じになりそうですね。 そして家にいると、断捨離を兼ねて色々なものの発掘作業を行っています。 出てきたのが、イチローの写真です。 何年ごろの写真か不明なのですが、イチロー細いですね~ 球場は藤井寺球場。とっくになくなってしまいましたね。 ヤジがめちゃ聞こえた狭い球場でした。 イチローは、阪神の震災の時に神戸グリーンスタジアム(当時)に応援に行き、 まるで復興を願うかのようなホームランを打ってくれた記憶があります。 その時のホームランのように きっとまたみんなが笑える日が来ると願っています。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 長谷川洋先生の第2回目の記事はお読みになられたでしょうか。 この2回目の記事にはいくつか大切なポイントがあるのですが、 今回は地域で支えるという部分で見ていきたいと思います。 長谷川洋先生「なかまある」よりの記事を転載します。👇 「ある日、父がなかなか帰ってこない日がありました。行きつけの喫茶店に行こうとして家を出たのですが、行ってみたらお休みだった。帰ってくればいいものを、今度はいつもの理容室に行ってしまい、たまたまそこも休み。どんどん遠くに行ってしまい、そこで転んでしまって帰れなくなったところに、いつもわが家に荷物を届けてくださる宅配便のドライバーの方が通りかかって、車に乗せてくださったんです。『今日は荷物ではなく、長谷川先生をお届けに来ました』って(笑)。父は、地域の方々に支えていただき幸せな時間を過ごすことができていると思います」   長谷川和夫先生が転倒され、そこを宅急便の人が助けてくれたという話は聞いていたのですが、「届けてくれた」というところ、大阪人的には「ええやん、おもろいやん」と、思ったところでした。 そこで思ったのは、宅配便の方は大体回る地域が決まっているということです。 宅配便の方だけでなく、郵便局員、Uber Eatsの方など、地域をぐるぐる回っている人は多いのです。 長谷川先生のように、有名人で届けてくれるというのはスペシャルなことかもしれませんが、 少なくとも「あれ、あの人大丈夫かな?」と思ってくれたならば、 或いはあらかじめ介護家族がカミングアウトしておく(社会的システムならばなお良い)などしておけば、 おや?っと思ってもらえて、家族、地域包括、警察などに連絡してもらえるだけでも助かるのです。 このように宅配便の方などは、地域での見守り、地域で支えることに繋がっていくのではないかとも思うのです。 宅配便の会社的取り組みがあれば、SDGsにも繋がることでしょう。 [caption id="attachment_2694" align="aligncenter" width="650"] 「なかまある」HPより転写[/caption] 長谷川洋先生のインタビューから分かること、また取り上げていきたいと思います。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 何故長谷川洋先生の記事を載せたかというと、 そこには認知症ケアの大切な視点が散りばめられているからです。 今回は第1回の記事の中から「確かなことが失われる=不確かなことが増えること」について抜粋します。 これはかねてから長谷川和夫先生がお話しされていたことですね。 「特に父が言った『認知症が始まったことで、自分の中の“確かさ”が揺らぐ』という言葉には驚きました。 認知症の方は何度も同じことを話したり、質問したりしますが、それは短期記憶障害によるものだと思われています。でも父の言葉を聞いて、やはりそれだけではないのだな、と。自分の中にある『確かなこと』が失われていくことが不安だから、繰り返し尋ねたり、何度も確認したりする。根底にあるのは自分自身への不安感なのだと思うと、私たち周りの人間の対応の仕方も違ってくるのかもしれません。たとえば、聞かれなくても同じことを何度も話してあげることも必要かもしれませんし、それが認知症の方の不安感の解消にもなるのだということもよくわかりました」 (以上、なかまあるの記事から抜粋) [caption id="attachment_113" align="alignnone" width="650"] 長谷川洋先生、中央法規の寺田さんと共に[/caption]   例えば、目の前にペットボトルがあるとします。 私たちはそれを何の違和感もなくペットボトルとして認識する(認知する)のですが、 認知機能が低下していくと、そのペットボトルを 「これなんだっけ?」と思ってしまうのです。 私たちにとって当たり前のことが確かでなくなるのです。 だから不安が増してしまうのです。 ここは重要なところですね。 長谷川洋先生の第2回目はこちらから https://nakamaaru.asahi.com/article/13736264 次回、この内容から、またポイント整理を次回行っていきます。    
ブログ投稿画像 センター長の石川です 以前、長谷川和夫先生から「みんな違って みんな尊い」という言葉をいただきましたが、 思えば思うほど深い言葉だなと思います。 私たちが関わる全ての人に、それぞれの人生ドラマがあります。 その人生ドラマ一つひとつが実に味があるのです。 職業で言えば、校長先生であったり、警察官であったり、調理師であったり、 トラックやタクシーの運転手であったり、医者や看護師であったり、会社の会計係であったり、 農家の人であったり、主婦として家を守り続けた人であったり、 皆さんそれぞれに違って、それぞれの人生に接することがとてもおもしろいのです。 おもしろいと言っても、お笑いという意味ではありません。 これだけ一人一人違う人生を送ってこられた方と接するこの仕事は、 ある意味味わい深い仕事でもあり、多くの人から学べる仕事でもあるのです。 [caption id="attachment_2686" align="aligncenter" width="1600"] 同じように見えてもみんな違う花々[/caption]   もちろん実際には、排せつや入浴、食事の介助と、めっちゃ大変です。 特に排せつのケアはつらいと思うことも多分にあるでしょう。 さらにコミュニケーションがうまくとれない方や、目が離せない方などと毎日接していると、 「味わい深いおもしろい仕事」などとは思えないかもしれません。 では、少しでもそのように思えるためにはどうしたらいいか? どんなに関わり方が大変だと思った方でも、その方との中に必ず小さいながらも、 私たちの心に振動する何かがあると思うのです。 その小さな幸せを感じられるかどうか。 「はぁ忙しかった!やっと帰れる」と思った時、 「ふぅやれやれ」と息を掃き出す時、 でもこの日一日頑張ることが出来た、何かがあったことを思い浮かべてみましょう。 もしかしたら、いつも無表情のような人が少し微笑んで見えた瞬間や、 「家に帰らせろ!」と怒っている人が見せる一瞬の孤独な表情や、 ちょっとでも目と目があって見つめあった人がいたことや、 実は日常の忙しさの中に、ほんの小さな私たちの心を支えてくれる瞬間があったのかもしれません。 仕事が終わり、スイッチを自分の世界に切り替える前に、 少しだけ振り返ってみたら、 「いつも笑わないAさんが、今日少し笑ってくれた。」と 自分の中で少しほくそ笑むことができることがあるといいかもしれません。 みんな違って、みんなおもしろいからこそ、 この仕事の意義を感じることが出来るのではないでしょうか。    
ブログ投稿画像 「畏敬の念を抱く」とは、 「 超越した存在・崇高な存在に対して、無条件に敬う気持ちを持つこと」をいいます。例えば、 国や人種に関係なく救いの手を差し伸べたマザー・テレサの行動に、畏敬の念を抱いた。 富士山頂から見た朝日を見た時、言葉にできない畏敬の念を抱いた。 等々 とても崇高な人や自然に対して使われるように思います。 また普段は使わんやろ、そんなたいそうなって思うかもしれません。 ところがこの「畏敬の念」という言葉、小中学校の学習指導要綱にも載っているものなのです。 知らない大人は恥ずかしいのですよ! 解説には「とかく独善的になりやすい人間の心を反省させ、生きとし生けるものに対する感謝と尊敬の心を生み出していくもの」と、書かれています。   私たちの仕事に振り返ると、マザーテレサでなくても、 人生70年、80年、90年、そして100年と、喜びも悲しみも乗り越えて頑張ってきた方々、 それだけでも敬意を示すと言うことが必要なのです。 その顔のしわの一つひとつに、その苦節が表されているのです。   認知症の人であっても「畏敬の念」が失われないケアを行うこと。 それを心掛けるだけでも、ケアの質は上がっていくでしょう。 センター長の石川でした。