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2023.04.12

トピックス
認知症と音楽(4) 問われるワーカーの姿勢 随分昔の映画になりますが、ロバート・デ・ニーロとロビン・ウイリアムスが主演した、 実話をもとにした「レナードの朝」という作品がありました。 このブログでも何度か取り上げた映画です。 ある病院が舞台なのですが、そこで働くワーカーたちは、 ルーティンワークを済ませばよいという感じで、患者に対しては無関心な職員ばかりでした。 ところが、ある医師の熱意の下、 ワーカーたちは患者に興味を持ち始め、色々と患者視点で考え始めるのです。 あるワーカーは、いつも食事が進まない高齢女性に対して、 きっと彼女の心が動く音楽があるに違いないと、様々な音楽を聞かせます。 あれもダメ、これもダメと音楽をかけ続けた時、 ある音楽を聴いた途端、彼女は楽しそうに食事を始めたのです。 そうなのです。普段は自分自身でも動かすことが出来ない心と体が、 大好きな音楽を聴いた途端に動き始めたのです。 まさしく音楽の力なのですね。 但し、そのためには、ワーカーが患者(利用者)のことを真剣に考え、 あれやこれやと考え、試行錯誤を繰り返していく行動がなければ成り立たないのです。 音楽の活用はワーカー次第なのです。 音楽は脳科学的にも重要なものとして存在しているのですが、それについては後日また書きます。 いずれにしても、認知症の人は自ら好きな音楽を聴けるという行動が厳しくなっているので、 周囲の者が環境整備をしていくことが必要になります。 因みに前回も書いたように、音楽にはリラックス効果があります。 思考展開させるときなどは、(ひらめきが欲しい時には)或いは記憶の整理をしたい時には、 脳をリラックスさせることです。 それを「デフォルト・モード・ネットワーク」と言います。   (つづく)
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2023.04.06

ほんわか写真館
認知症と音楽(3) 少し間があきましたが、認知症と音楽その3です。 音楽が私たちの生活というか、人生そのものに深く繋がっていることは前回に書きました。 母親のおなかの中にいるときから音楽が胎児に響いていることは 科学的にも証明されています。 そして、子どものころは、子ども向けの歌が脳の深くに刻まれていきます。 子どものころは体験するすべてのものが、新鮮で強烈です。 そのため、記憶中枢にしっかりと刻まれやすい、「忘れられぬ曲(歌)」となっていきます。 ですから、認知症になっても、高齢者になっても、童謡などの子どもの頃の歌は唄えるのです。 そして大人になるにつれ、音楽の嗜好は人それぞれのものになっていきます。 ポップスが好きな人、ロックが好きな人、演歌が好きな人、 クラシックが好きな人、ジャズが好きな人等々、 個々の趣味嗜好で好みの音楽が変化し、その人の生活に繋がっていきます。 当然認知症になられて人にも、 それぞれなりに自分の人生に関わり深い音楽があります。 そしてその音楽がなぜ認知症の人にとって大切なのか。 それは、どのようなジャンルにしろ、 その人にとっては、心のリラクゼーションに繋がるものだからです。 例えば、アメリカの映画やドラマでちょくちょく見かけるシーンで、 音楽を聴きながら、同時にガムを噛みながら、仕事や勉強を行っているシーンがあります。 日本人からすれば、まじめに仕事をしろ!と思いがちですが、 実は音楽聞きながらの仕事は理にかなっているのです。 理路整然とした仕事を行うには、集中がいいかもしれません。 しかし、アイデアのひらめきや、思考展開は、 心がリラックスしているときの方が、はるかに生まれやすいのです。 これも脳科学的に実証されているのものなのです。 (つづく)
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2023.04.04

トピックス
「ロストケア」より「生きる」を見る センター長の石川です。 見たうえで批評しようと思っていた、 42人の高齢者を殺害した犯人が主人公の映画「ロストケア」なのですが、 例えどんなに介護の問題を提起していたとしても、 殺人を扱う題材は論外だと思い、見るのをやめました。 殺人自体いかなる理由があろうとも問題外です。 毎日様々な思いに板挟みになりながら、 苦しみながら介護されているご家族を多く見ているだけに、 そしてヘルパーさんの頑張りを見ているだけに、 この映画、見てないけれど、なんだかな~と思ってしまうのです。 その代わりに見てきたのが「生きるLiving」でした。 これは黒澤明監督の不朽の名作「生きる」を、舞台をイギリスに置きかえてリメイクしたもの。 映画そのものもノスタルジック調に作成されたこの映画は見ごたえあり、心も温まりました。 事なかれ主義の公務員、政治家、上に立つ者全てに見てもらいたい映画でした。(もちろん、自戒も込めて) 黒澤監督のオリジナルは当然素晴らしく、ブランコのシーンが強烈でしたね。 このリメイク映画、たいした宣伝もなく、地味な映画なのに、 意外と観客に若者が多かったのは何となく嬉しかったかな。 (*見た映画館の構造は最低でしたが) そして心が温まった後、ちょいと大阪城に夜桜の撮影に。 その帰路に乗った急行。 曽根駅手前でけたたましい警笛の後の急ブレーキ。 人身事故の電車に乗り合わせてしまったのです。 電車の先頭部のガラスが割れ、30分車内に閉じ込められた後、 運転中止となり、電車から降ろされました。 警察、救急の大騒ぎの中、さらに1時間待ち、ようやく運転再開になりました。 電車のガラスが割れたということは、恐らくは飛び込みでしょう。 もしそうならば、飛び込んだ人にはつらいことが山ほどあったのかもしれません。 しかし飛び込む勇気があるのなら、 その命、もしかしたら人に役立つ命になったかもしれないのにと、 「生きる」を見た後だけに、なおさらそう思いました。
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2023.03.30

トピックス
阪南市のキャラバンメイト総会に行ってきました センター長の石川です。 先日、阪南市のキャラバンメイト総会に、 東大阪市の実情紹介で行ってきました。 阪南市と東大阪市では人口規模が違いすぎるのですが、 サポーター講座を地域包括が主体として行っている東大阪市と ボランティアグループが中心で行っている阪南市との違いがあります。 安心声掛け訓練も説明させていただき、 その活動力の凄さに、驚かれていたようです。 ボランティアグループメンバーの高齢化も阪南市では課題になっているようです。 阪南市のマスコット はなてぃ   ただ、東大阪市の場合、キャラバンメイトさんグループによる サポーター講座は皆無であり、 このようなボランティアグループの育成をバックアップするシステムが 東大阪市の課題ではないかと思います。 ただ単に先進的な状況を阪南市に説明するだけではなく、 阪南市にはあり東大阪市にないものを、真摯に受け止めなければならないとも思います。 なんでも包括へ持ってくる さらに加算方式というニンジンを前にぶら下げる現状では 実践があっても、それ以上の広がりはないとも言えます。 地域に根ざす 地域の灯台になる それは加算以外の日常の働きの中で築かれていくものでしょう。    
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2023.03.28

トピックス
脳科学者恩蔵絢子先生の講演に行ってきました 「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」の著者である 脳科学者恩蔵絢子先生の講演に、神戸三宮まで行ってきました。 私と恩蔵先生との出会いは本屋でした。 なんとなくぶらぶら見ていた時に目に止まったのが 「脳科学者の母が認知症になる」という本でした。 とかく感覚的に理解しようという認知症ケアの現場において、 脳科学的に認知症の人の行動すべてに根拠があるのだということが 伝えられるのではないかと。 この時から興味を持ち、折しも東京の中央法規出版社の知人から、 介護現場向けの「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」を出版するとの連絡を受け、 以降なんとか恩蔵先生の話を聞きたいと思っていたのでした。 そして今回の講演です。 恩蔵先生の講演は、めっちゃ情熱的なお話でした。 東は名古屋、西は岡山、東大阪からもキャラバンメイトさんが聞きに来てくれました。 脳科学者というと難しい話に思えますが、 一人の介護者、娘としての視点、そして科学者としての視点と、両方織り交ぜてのお話でした。 学びはたくさんありましたが、それは追々紹介させてもらいます。 ちょっとだけ触れますと、「脳トレ」は逆効果だそうです。 トイレの場所を示すために大きく貼られた文字。 意味ないそうです。 むしろトイレそのものが見える方が良いとのこと。(施設では難しいところもありますが) 等々、なるほど!と思うことが一杯でした。 ちゃっかりサインをいただきました。   夕ご飯までご同行させてもらいましたが、 母を思う一人の娘さんでした。 以降、少しずつお伝えしていきたいと思います。 アーバンケア島之内の桜も、ほぼ満開です。 2階のレストランフロアは、食事をしながらお花見ができる 絶好のロケーションが得られる場所ですね!
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2023.03.24

トピックス
ほっこりなつどい(認知症の方を介護されている家族の会)開催されました。 8回目?となる「ほっこりなつどい」が開催されました。 今回は5名の家族の方が参加されました。 それぞれの苦労話は本当に皆様の大変さが伝わってくるものでした。 突然に、なんでこんな行動をとるんだろう! という驚きと戸惑いとともに、途方に暮れてしまうことも。 しかし、デイサービスやショートステイの利用は 本人にも、ご家族にもプラスに出ているようです。 今回の会では、家族同士での情報交換もあちましたが、 デイサービスや包括支援センターからの情報提供やアドバイスもあり、 単に家族だけの話に留まらない、内容豊富なものとなっていました。 参加家族の方も、日頃心に閉まっている思いを出すことが出来てよかった!と言われていました。 ほっこりなつどいは、年4回、春夏秋冬で実施します。 さてさて、WBCでの日本の優勝、良かったですね! 大谷が三振を取る場面は、それが録画であっても思わずガッツポーズをしてしまいます。 びっくりしたのはスポーツ新聞紙の第一面。 両面一面になっていたことです。 こんなこと、阪神タイガースの優勝の時もなかったですね。 あ、それを言っても今の若い人たちにはわかりません。 なんせ、優勝を知っている人が、若い人にはいないのですから。  
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2023.03.20

トピックス
認知症と音楽(2) 音楽というのは不思議な魅力があります。 もしかしたら魅力というより、魔力かもしれません。 人間が生み出した最高の芸術の一つと言えますね。 いよいよ花の季節到来ですね   音楽 それは私たちの人生にとって、 まるで自分自身を形成する重要なパーツのように存在しています。 私たちは子どものころから、いや母親のおなかの中にいる頃から 音楽を聴いています。 私たちの生活になくてはならないものとして音楽は存在するのです。 当然、認知症の人にとっても同じで、 脳にしっかりと刻み込まれているのが音楽なのです。 ですから、音楽療法も活用されるのです。 認知症の人と音楽、もう少し深めていきたいと思います。 日曜日は天気も良く、午後からズーム研修だったため、午前中に裏山に登ってきました。写っている人は誰だか知りません(笑)   因みにベートーヴェンの「運命」 ジャジャジャジャーンの出だし。 実はプロではない高校生の楽団でも演奏できるそうです。 逆に言えば、これくらい一糸乱れず呼吸を合わせて演奏できなければ プロにはなれないということですね。 介護での国家資格を持っているのならば、 こんなケアはできて当たり前と言えること。 ですね。
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2023.03.17

トピックス
認知症と音楽(1) テレビドラマを滅多に見ない(アメリカのドラマを除く)私がはまったのが 「リバーサルオーケストラ」でした。 もう終わってしまいましたが、なかなか面白く、回を追うごとに視聴率もアップしていったようです。 それにしても、オーケストラのプロフェッショナル性は凄いと思います。 誰でも知っているベートーヴェンの「運命」 ジャジャジャジャーン!で始まる奴です。 あれって、実はすごいんですよ。 弦楽器のメンバーが、誰一人遅れず、フライングせず、 1秒たりとも遅れず、早すぎず、ジャジャジャジャーン!と、演奏を始めるのです。 まぁあんな曲を作ったベートーヴェンはとんでもないと思うのですが、 それをやりこなす奏者は、プロと言えるでしょう。 はたして国家資格を持つ介護のプロフェッショナル達は、 あれだけのプロフェッショナル性を持ち得ているのか? お金を取って、人々に聴いてもらい、感動を与えるというのが、 まさしくオーケストラなのです。 介護の世界もお金を取って、 介護を必要とする方にそのプロフェッショナル性を発揮している はずです。 でもプロとしての自覚は自戒を込めて言いますが、まだまだ。 心の持ちようも大切で、 介護のプロとしての誇りを持つこと。 だと思います。 さて、認知症の人と音楽。 単に音楽を聞かせてればよい、或いは時たま歌う時間があればいい なんてことではプロフェッショナル性はありません。 認知症ケアには音楽療法が一つのジャンルとしてあるということは、 根拠と実施にともなう成果があるからです。 しかし私たちは「なんちゃってケア」しかやっていないのではないか? それは果たして利用者からお金を取っている身としてどうなのか。 「そんなことはない、なんちゃってケアなんてやってない、毎日必死に頑張っている!」 という反論は当然あるでしょう。 ではなぜそのケアが必要なのか、 どのような根拠があってそれを実践しているのか、 さらにそれがどのような効果をもたらすのか。 これをしっかりと答えられなければ、プロとは言えないでしょう。 もうちょっと平たく言えば、介護は「考える」ことが基盤になければ、 「なんとなくケア」や「なんちゃってケア」になってしまうということなのです。 認知症の人に何故音楽療法があるのか。 もちろんそれにも根拠があるのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 随分昔の映画になりますが、ロバート・デ・ニーロとロビン・ウイリアムスが主演した、 実話をもとにした「レナードの朝」という作品がありました。 このブログでも何度か取り上げた映画です。 ある病院が舞台なのですが、そこで働くワーカーたちは、 ルーティンワークを済ませばよいという感じで、患者に対しては無関心な職員ばかりでした。 ところが、ある医師の熱意の下、 ワーカーたちは患者に興味を持ち始め、色々と患者視点で考え始めるのです。 あるワーカーは、いつも食事が進まない高齢女性に対して、 きっと彼女の心が動く音楽があるに違いないと、様々な音楽を聞かせます。 あれもダメ、これもダメと音楽をかけ続けた時、 ある音楽を聴いた途端、彼女は楽しそうに食事を始めたのです。 そうなのです。普段は自分自身でも動かすことが出来ない心と体が、 大好きな音楽を聴いた途端に動き始めたのです。 まさしく音楽の力なのですね。 但し、そのためには、ワーカーが患者(利用者)のことを真剣に考え、 あれやこれやと考え、試行錯誤を繰り返していく行動がなければ成り立たないのです。 音楽の活用はワーカー次第なのです。 音楽は脳科学的にも重要なものとして存在しているのですが、それについては後日また書きます。 いずれにしても、認知症の人は自ら好きな音楽を聴けるという行動が厳しくなっているので、 周囲の者が環境整備をしていくことが必要になります。 因みに前回も書いたように、音楽にはリラックス効果があります。 思考展開させるときなどは、(ひらめきが欲しい時には)或いは記憶の整理をしたい時には、 脳をリラックスさせることです。 それを「デフォルト・モード・ネットワーク」と言います。   (つづく)
ブログ投稿画像 少し間があきましたが、認知症と音楽その3です。 音楽が私たちの生活というか、人生そのものに深く繋がっていることは前回に書きました。 母親のおなかの中にいるときから音楽が胎児に響いていることは 科学的にも証明されています。 そして、子どものころは、子ども向けの歌が脳の深くに刻まれていきます。 子どものころは体験するすべてのものが、新鮮で強烈です。 そのため、記憶中枢にしっかりと刻まれやすい、「忘れられぬ曲(歌)」となっていきます。 ですから、認知症になっても、高齢者になっても、童謡などの子どもの頃の歌は唄えるのです。 そして大人になるにつれ、音楽の嗜好は人それぞれのものになっていきます。 ポップスが好きな人、ロックが好きな人、演歌が好きな人、 クラシックが好きな人、ジャズが好きな人等々、 個々の趣味嗜好で好みの音楽が変化し、その人の生活に繋がっていきます。 当然認知症になられて人にも、 それぞれなりに自分の人生に関わり深い音楽があります。 そしてその音楽がなぜ認知症の人にとって大切なのか。 それは、どのようなジャンルにしろ、 その人にとっては、心のリラクゼーションに繋がるものだからです。 例えば、アメリカの映画やドラマでちょくちょく見かけるシーンで、 音楽を聴きながら、同時にガムを噛みながら、仕事や勉強を行っているシーンがあります。 日本人からすれば、まじめに仕事をしろ!と思いがちですが、 実は音楽聞きながらの仕事は理にかなっているのです。 理路整然とした仕事を行うには、集中がいいかもしれません。 しかし、アイデアのひらめきや、思考展開は、 心がリラックスしているときの方が、はるかに生まれやすいのです。 これも脳科学的に実証されているのものなのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 見たうえで批評しようと思っていた、 42人の高齢者を殺害した犯人が主人公の映画「ロストケア」なのですが、 例えどんなに介護の問題を提起していたとしても、 殺人を扱う題材は論外だと思い、見るのをやめました。 殺人自体いかなる理由があろうとも問題外です。 毎日様々な思いに板挟みになりながら、 苦しみながら介護されているご家族を多く見ているだけに、 そしてヘルパーさんの頑張りを見ているだけに、 この映画、見てないけれど、なんだかな~と思ってしまうのです。 その代わりに見てきたのが「生きるLiving」でした。 これは黒澤明監督の不朽の名作「生きる」を、舞台をイギリスに置きかえてリメイクしたもの。 映画そのものもノスタルジック調に作成されたこの映画は見ごたえあり、心も温まりました。 事なかれ主義の公務員、政治家、上に立つ者全てに見てもらいたい映画でした。(もちろん、自戒も込めて) 黒澤監督のオリジナルは当然素晴らしく、ブランコのシーンが強烈でしたね。 このリメイク映画、たいした宣伝もなく、地味な映画なのに、 意外と観客に若者が多かったのは何となく嬉しかったかな。 (*見た映画館の構造は最低でしたが) そして心が温まった後、ちょいと大阪城に夜桜の撮影に。 その帰路に乗った急行。 曽根駅手前でけたたましい警笛の後の急ブレーキ。 人身事故の電車に乗り合わせてしまったのです。 電車の先頭部のガラスが割れ、30分車内に閉じ込められた後、 運転中止となり、電車から降ろされました。 警察、救急の大騒ぎの中、さらに1時間待ち、ようやく運転再開になりました。 電車のガラスが割れたということは、恐らくは飛び込みでしょう。 もしそうならば、飛び込んだ人にはつらいことが山ほどあったのかもしれません。 しかし飛び込む勇気があるのなら、 その命、もしかしたら人に役立つ命になったかもしれないのにと、 「生きる」を見た後だけに、なおさらそう思いました。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 先日、阪南市のキャラバンメイト総会に、 東大阪市の実情紹介で行ってきました。 阪南市と東大阪市では人口規模が違いすぎるのですが、 サポーター講座を地域包括が主体として行っている東大阪市と ボランティアグループが中心で行っている阪南市との違いがあります。 安心声掛け訓練も説明させていただき、 その活動力の凄さに、驚かれていたようです。 ボランティアグループメンバーの高齢化も阪南市では課題になっているようです。 [caption id="attachment_4548" align="alignnone" width="310"] 阪南市のマスコット はなてぃ[/caption]   ただ、東大阪市の場合、キャラバンメイトさんグループによる サポーター講座は皆無であり、 このようなボランティアグループの育成をバックアップするシステムが 東大阪市の課題ではないかと思います。 ただ単に先進的な状況を阪南市に説明するだけではなく、 阪南市にはあり東大阪市にないものを、真摯に受け止めなければならないとも思います。 なんでも包括へ持ってくる さらに加算方式というニンジンを前にぶら下げる現状では 実践があっても、それ以上の広がりはないとも言えます。 地域に根ざす 地域の灯台になる それは加算以外の日常の働きの中で築かれていくものでしょう。    
ブログ投稿画像 「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」の著者である 脳科学者恩蔵絢子先生の講演に、神戸三宮まで行ってきました。 私と恩蔵先生との出会いは本屋でした。 なんとなくぶらぶら見ていた時に目に止まったのが 「脳科学者の母が認知症になる」という本でした。 とかく感覚的に理解しようという認知症ケアの現場において、 脳科学的に認知症の人の行動すべてに根拠があるのだということが 伝えられるのではないかと。 この時から興味を持ち、折しも東京の中央法規出版社の知人から、 介護現場向けの「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか」を出版するとの連絡を受け、 以降なんとか恩蔵先生の話を聞きたいと思っていたのでした。 そして今回の講演です。 恩蔵先生の講演は、めっちゃ情熱的なお話でした。 東は名古屋、西は岡山、東大阪からもキャラバンメイトさんが聞きに来てくれました。 脳科学者というと難しい話に思えますが、 一人の介護者、娘としての視点、そして科学者としての視点と、両方織り交ぜてのお話でした。 学びはたくさんありましたが、それは追々紹介させてもらいます。 ちょっとだけ触れますと、「脳トレ」は逆効果だそうです。 トイレの場所を示すために大きく貼られた文字。 意味ないそうです。 むしろトイレそのものが見える方が良いとのこと。(施設では難しいところもありますが) 等々、なるほど!と思うことが一杯でした。 [caption id="attachment_4539" align="alignnone" width="2232"] ちゃっかりサインをいただきました。[/caption]   夕ご飯までご同行させてもらいましたが、 母を思う一人の娘さんでした。 以降、少しずつお伝えしていきたいと思います。 アーバンケア島之内の桜も、ほぼ満開です。 2階のレストランフロアは、食事をしながらお花見ができる 絶好のロケーションが得られる場所ですね!
ブログ投稿画像 8回目?となる「ほっこりなつどい」が開催されました。 今回は5名の家族の方が参加されました。 それぞれの苦労話は本当に皆様の大変さが伝わってくるものでした。 突然に、なんでこんな行動をとるんだろう! という驚きと戸惑いとともに、途方に暮れてしまうことも。 しかし、デイサービスやショートステイの利用は 本人にも、ご家族にもプラスに出ているようです。 今回の会では、家族同士での情報交換もあちましたが、 デイサービスや包括支援センターからの情報提供やアドバイスもあり、 単に家族だけの話に留まらない、内容豊富なものとなっていました。 参加家族の方も、日頃心に閉まっている思いを出すことが出来てよかった!と言われていました。 ほっこりなつどいは、年4回、春夏秋冬で実施します。 さてさて、WBCでの日本の優勝、良かったですね! 大谷が三振を取る場面は、それが録画であっても思わずガッツポーズをしてしまいます。 びっくりしたのはスポーツ新聞紙の第一面。 両面一面になっていたことです。 こんなこと、阪神タイガースの優勝の時もなかったですね。 あ、それを言っても今の若い人たちにはわかりません。 なんせ、優勝を知っている人が、若い人にはいないのですから。  
ブログ投稿画像 音楽というのは不思議な魅力があります。 もしかしたら魅力というより、魔力かもしれません。 人間が生み出した最高の芸術の一つと言えますね。 [caption id="attachment_4527" align="alignnone" width="2048"] いよいよ花の季節到来ですね[/caption]   音楽 それは私たちの人生にとって、 まるで自分自身を形成する重要なパーツのように存在しています。 私たちは子どものころから、いや母親のおなかの中にいる頃から 音楽を聴いています。 私たちの生活になくてはならないものとして音楽は存在するのです。 当然、認知症の人にとっても同じで、 脳にしっかりと刻み込まれているのが音楽なのです。 ですから、音楽療法も活用されるのです。 認知症の人と音楽、もう少し深めていきたいと思います。 [caption id="attachment_4528" align="alignnone" width="2048"] 日曜日は天気も良く、午後からズーム研修だったため、午前中に裏山に登ってきました。写っている人は誰だか知りません(笑)[/caption]   因みにベートーヴェンの「運命」 ジャジャジャジャーンの出だし。 実はプロではない高校生の楽団でも演奏できるそうです。 逆に言えば、これくらい一糸乱れず呼吸を合わせて演奏できなければ プロにはなれないということですね。 介護での国家資格を持っているのならば、 こんなケアはできて当たり前と言えること。 ですね。
ブログ投稿画像 テレビドラマを滅多に見ない(アメリカのドラマを除く)私がはまったのが 「リバーサルオーケストラ」でした。 もう終わってしまいましたが、なかなか面白く、回を追うごとに視聴率もアップしていったようです。 それにしても、オーケストラのプロフェッショナル性は凄いと思います。 誰でも知っているベートーヴェンの「運命」 ジャジャジャジャーン!で始まる奴です。 あれって、実はすごいんですよ。 弦楽器のメンバーが、誰一人遅れず、フライングせず、 1秒たりとも遅れず、早すぎず、ジャジャジャジャーン!と、演奏を始めるのです。 まぁあんな曲を作ったベートーヴェンはとんでもないと思うのですが、 それをやりこなす奏者は、プロと言えるでしょう。 はたして国家資格を持つ介護のプロフェッショナル達は、 あれだけのプロフェッショナル性を持ち得ているのか? お金を取って、人々に聴いてもらい、感動を与えるというのが、 まさしくオーケストラなのです。 介護の世界もお金を取って、 介護を必要とする方にそのプロフェッショナル性を発揮している はずです。 でもプロとしての自覚は自戒を込めて言いますが、まだまだ。 心の持ちようも大切で、 介護のプロとしての誇りを持つこと。 だと思います。 さて、認知症の人と音楽。 単に音楽を聞かせてればよい、或いは時たま歌う時間があればいい なんてことではプロフェッショナル性はありません。 認知症ケアには音楽療法が一つのジャンルとしてあるということは、 根拠と実施にともなう成果があるからです。 しかし私たちは「なんちゃってケア」しかやっていないのではないか? それは果たして利用者からお金を取っている身としてどうなのか。 「そんなことはない、なんちゃってケアなんてやってない、毎日必死に頑張っている!」 という反論は当然あるでしょう。 ではなぜそのケアが必要なのか、 どのような根拠があってそれを実践しているのか、 さらにそれがどのような効果をもたらすのか。 これをしっかりと答えられなければ、プロとは言えないでしょう。 もうちょっと平たく言えば、介護は「考える」ことが基盤になければ、 「なんとなくケア」や「なんちゃってケア」になってしまうということなのです。 認知症の人に何故音楽療法があるのか。 もちろんそれにも根拠があるのです。 (つづく)