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「指差し呼称確認」は認知症予防だけでなく、ケアの安全確認にも
2024.04.24
「認知」と呼ぶ言葉の背景にある心の闇
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認知症の人を、ケアの世界では、「あの人認知があるから」とか「認知が進んだ」とか
「認知型」とか言ったりします。
「認知」は多用されている言葉とも言えるかもしれません。
確かに長い名称だとマクドナルドをマック(関西ではマクド)と言うように、
「サ高住」「サ責」「包括」「ケアマネ」など、短くして言うことは多々あります。
しかし、ケアマネジャーとしてプライドを持って働いている人が、「ケアマネ!」って呼び捨て的に言われたら、
なんだが馬鹿にされたように思う人もいるかもしれません。
(もっとも、あまりにも一般的にケアマネは使われているので、そうも思わないかもしれませんが)
では「認知」という言葉をよく使う人。
そもそもおかしい日本語を使っているので、もう一度日本語を勉強しなおしてください。
(本来の「認知」という言葉の意味を調べてください)
以下、和田行男さんの話です。
また、マクドナルドと違って、たった「症」一文字を省略してしまうだけで、
その人の日本語力のなさとともに、その人の心の奥にある闇も見えてくるのです。
もしかしたら「認知症」を理解されてないのかなとも思ってしまいます。
それは、「認知」と呼ぶ心のどこかに、
「認知症の人を上から視点で見降ろしている」意識があるのではないかということなのです。
本人は意識せずに使っているのでしょうけど。
私たちの「心の中に潜む闇」、それは「認知症の人=普通でない人、私たちとは違う人」というイメージが、
「認知」という呼び捨て的な言葉になっているのかもしれません。
そのため、最近は差別的用語として取り上げられることもあるようです。
逆に自分が認知症だったとしたら、「あの人認知が進んできたから」なんて言われると、
蔑んだ見方をされているんだと思ってしまいます。
https://carehome.co.jp/ghizumino/20150216/395/
自らの専門職としての信用を失墜させてしまうと述べられています。
下記はあるデイサービスセンターのブログです。厳しく問われています。
認知症の方を「ニンチ」呼ぶ人がいて,その人が医療福祉の現場で働く人であれば,
「圧倒的に勉強不足の人」と、厳しく書かれていますね。
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=18747
単なる略称として使っているだけだ、おとしめて見ている意識などない、
と言いう人たちもいるだろう。
では、「ニンチ」を本人や家族の前で堂々と言えるだろうか。と、書かれています。
思えば、認知症の人に限らず、
私たちには知らずうちに心の闇が言葉として出ていることがあるのかもしれません。
私たちには必ずあると思っていい「心の闇」。
それをどう自覚していくのか。
ですから私はあえて言葉に出して注意するのではなく、
「自覚」を働かせてもらいたいのです。
自戒を込めて、心の闇を発言していないか、考えていかなければならないと思うのです。