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2020.04.09

トピックス
サービスの状況についてとお願い ~つらい日々が続きますが…~ センター長の石川です。 緊急事態宣言が発令されてから3日が経ちましたが、介護施設におけるサービスについては、吉村大阪府知事が2週間ほど様子を見てから判断するということでしたので、これまで通り実施しております。 なお、関西知事会議でも宣言されていましたが、自分の地域にとどまり、他の府県へ行かない、来ないこととされています。 一人暮らしの親が心配のため他地域から来られるご家族の方もおられます。 そのお気持ちは重々にご理解できますが、万が一にもその家族の方よりご本人に感染した場合、その方がデイサービスに来られることにより、クラスターが発生してしまうという危険を伴います。 このまま介護サービスを続けていただくためにも慎重な行動をよろしくお願いいたします。 また普段同居されておられるご家族様におかれましても、自分の体調不良はご利用者様の体調不良と思っていただき、デイサービス等の利用を控えていただければ幸いです。 入所系施設においては、2月中旬よりご家族様であっても面会禁止となっております。 ご家族様にとっても、ご本人にとっても、それはつらいつらい状況が続いているといえます。そしてこの状況は恐らくさらに1か月以上続くかもしれません。 皆様が大変つらい状況におられること、大変心苦しく思いますが、とにかく今は耐えしのぐしか方法がありません。 今は試練の時、マツコ鬼になった気持ちで、コロナウイルスを寄せ付けないように、 皆様一致団結して頑張りましょう! コロナ野郎は一致団結して寄せ付けないぞ! よろしくお願いします。
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2020.04.08

トピックス
スーパームーンと緊急事態宣言 センター長の石川です。 7日、ついに緊急事態宣言が発令されました。 介護関係については、本日現在行政側からの具体的指示がなく、 通常通りサービスを行っています。 もちろんこれまで行っていた、検温、手洗い、うがい、換気は引き続き徹底して行っていきます。 今後、行政からの何らかの要請、指示があった場合、各担当より速やかに連絡させていただきます。 コンデジのデジタルズームですので、画像は粗々ですが。 さて、昨日は今年で一番大きなスーパームーン(4月のスーパームーンのことをピンクムーンと言うそうです)です。 東屋が右手に見えますね。どの辺りでしょうか。 緊急事態宣言が発令されるという、歴史的な日に昇った月です。 宇宙的視点で言えば、天体は何ら変わりなく動いているのですね。 お月のおへそがよくわかります。でっかいな~ 右往左往しているのは人間社会のみですが、逆に言えば人と人とが近づかなければ、コロナウイルスを押さえていけるものなのです。 人生90年としたら32850日あることになります。そのうちの僅か30日~50日ほど耐えましょう! 生駒山に昇ったお月さまです。   エリザベス女王の言葉です。 「決意を持って結束すれば、この病気は克服できる。友人や家族と会える良い日々は戻ってくる。今は耐え忍んで、また会いましょう。」
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2020.04.01

認知症の教室(一般市民用)
認知症の人とのケア物語② センター長の石川です M保健師が連れてきた二人の認知症の人。 Aさんはコミュニケーションがほとんど取れない方でしたが、穏やかな方でした。しかし生活上の何もかもがケアの必要な方です。 もう一人のBさんは、逆にアグレッシブな方でした。とにかく落ち着かない。 すぐに出て行こうとされるし、止めると大声を出し、そして噛みつかれます。 ここでもう一度、当時の特別養護老人ホームの状況を説明しておくと、デイやショートというサービスは、その制度そのものが、ようやく始まったばかりという状況です。 働くケアワーカーたちは、簡単なヘルパー研修を経たうえで働いていますので、今の介護福祉士のような専門的勉強と試験を受けてはいません。 いわゆるシロウト集団と言っても過言ではありません。 それはまだ駆け出しの私も同じようなものです。 まして認知症(当時は痴呆症)の症状については書かれてあっても、ケアの方法など書かれている書籍はほとんどありませんでした。 ですから全てが手探りです。 そして、施設もロックアウトするなどと言うことはなかったので、出て行こうと思えば、いくらでも出ていけたのです。 そのため、出て行く方(当時は徘徊者と呼んでいました)に対しては、一緒についていくしかなかったのです。 因みに当時の入所者へのケアは下記の写真のようなことが当たり前のように各地の施設で行われていました。 私がいた施設ではさすがにここまでのことはなかったですが、これに近いものはあったでしょう。 何をしているところかわからない人もいるかもしれません。 おむつ交換ですね。それを廊下で平気でやっていたのです。 おむつ交換が廊下で当たり前のように行われていました。中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」宮崎和加子著より つまり、認知症の人は特にですが、当時の老人ホームでは、人権や尊厳などなく、とにかく必要最低限のケアを行う状況です。 「めんどうみられている、面倒見たってる」という構図そのものだったのです。 さて、Aさんは私が初めて会った認知症の人ですが、今でも名前を憶えています。 やさしい笑顔を浮かべてくれる人でしたが、とにかく話が通じない。 今でこそ、認知症の人とのコミュニケーションについては色々と勉強もできますが、当時は「なんでわかれへんのや?」「それが認知症ちゃうの?」「じゃあどうして伝えるねん?」「こっちの言うことに従わせるしかないやろ」みたいな問答を職員としていたものです。 今となっては正しいとは言えない対応でしたが、とにかく私たちの誘導のままに動いてもらいました。 私たちが本当に困ったのが、アグレッシブでいつも噛みつかれたBさんへのアプローチでした。 (つづく)
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2020.03.31

認知症の教室(一般市民用)
認知症の人とのケア物語① ~40年前~ センター長の石川です これまでの認知症ケアについて、書き綴っていたことがなかったと思い、ぼちぼちではありますが、このブログで書き綴っていこうかなと思います。 私と認知症の人との出会いはかれこれ40年以上も前になるかなと思います。 当時私はM市の特別養護老人ホームに勤務していました。 まだ右も左もわからない時代でしたが、生活相談員(当時は生活指導員と呼んでました)兼介護員(当時は介護福祉士の資格などなく、介護職員のことを寮母と呼んでました。)として、入所の受け入れも行っていました。もちろん当時は介護保険など存在せず、入所は行政による措置入所(「収容依頼書」が送られてくる)という時代です。 そんな時にM市にある保健所のN保健師が、ある人を入所させてほしいと強引に言ってきたのでした。 因みに、この時代は、老人保健施設もグループホームもありません。 サービスとしては、デイサービスもショートステイもようやく始まろうかという時代です。 つまり特別養護老人ホームという入所だけの施設があった時代なのです。 当時の特養は、8~12人部屋というのは当たり前。びっしりと高齢者が値がされていました。中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」宮崎和加子著より その時代にあって、私がいた施設はI理事長という全国的にも有名な人がおられる施設でした。 先見性のある人で、私が勤めた時にはデイサービス開設準備室があり、今では当たり前のようにあるデイサービスを、確か日本で2番目に始めた施設でもあるのです。 またショートステイ、ナイトケアなどのサービスも始めた、まさしく現在の高齢者サービスの礎を築いたのがI理事長だと言えます。 そのI理事長にN保健師が直談判してきたのです。 認知症(当時は痴呆性老人と呼んでいました)の人を入所させてほしい!と。 寝たきりになった認知症の人はおられるものの、アクティブな認知症の人を受け入れる特別養護老人ホームは、まだほとんどない時代のことです。 では当時の認知症の人はどこへ行っていたのか? 多くは精神科の病院に入れられ、薬を飲まされ、身体拘束を受け、そして死んでいくか、或いは、家族が丸抱えで家から出さないで介護をしていた時代だったのです。 中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」宮崎和加子著より 「あんな薬を飲まされて、縛られてしまうような病院には入れたくない!何とか人間らしく暮らせるようお願いしたい!I理事長の施設ならできるでしょ!」とN保健師は、半ば強引に二人の認知症の人を立て続けに連れてきたのです。 先進的な考えを持つI理事長が断るわけはありません。 当時は「認知症」(痴呆症)の人への知識もケアの方法も全く分からない、いや知らない状態の私たちケアの現場に、突然アクティブな認知症の人がやってきたのです。 (つづく)
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2020.03.27

トピックス
星に願いを 認知症の人には笑顔を センター長の石川です コロナウイルスの状況はますます悪化しますね。 ついに阪神タイガースの選手まで罹患してしまいました。 一体、どこで移るのか? 今までは明確なつながりが見えていましたが、 これからは一体どこで移ったのか?と、わからない状況が増えてきます。 不要不急の外出を控えろと言われると、 たとえ人里離れたところに行くと言っても 星空撮影にも行けなくなります(泣) 人それぞれに、皆さんも楽しみが出来なくなってしまいますね。 まるで宇宙の蝶のような、或いは巨大なクリオネのような、オリオン大星雲です。 さて、認知症の人も世間の空気は読み取れます。 テレビから流れるニュースも、その内容の明確な理解はできなくても、 社会不穏は感じ取るでしょう。 普段とは違う私たちが抱いている「不安」も、敏感に感じとることもできます。 認知症の人の「不安」をやわらげるのは、 何よりも「笑顔」、 そして、「ゆっくりと落ち着いた言葉」 手の甲や背中をやさしくさする「スキンシップ」 ですね。 でも、介護者自身が気持ち疲れて、不安定ならなかなか難しいかもしれません。 そんな時は、桂枝雀や綾小路きみまろのDVDなどを借りて見るのがいいでしょう。 こんな時こそ、「笑う」ことが大切です。 オリオンの三ツ星の下にオリオン大星雲はあります。でも間もなく見れなくなります。 私は、星空にコロナウイルスの終息を願うのみです。 今回はオリオン大星雲に。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 緊急事態宣言が発令されてから3日が経ちましたが、介護施設におけるサービスについては、吉村大阪府知事が2週間ほど様子を見てから判断するということでしたので、これまで通り実施しております。 なお、関西知事会議でも宣言されていましたが、自分の地域にとどまり、他の府県へ行かない、来ないこととされています。 一人暮らしの親が心配のため他地域から来られるご家族の方もおられます。 そのお気持ちは重々にご理解できますが、万が一にもその家族の方よりご本人に感染した場合、その方がデイサービスに来られることにより、クラスターが発生してしまうという危険を伴います。 このまま介護サービスを続けていただくためにも慎重な行動をよろしくお願いいたします。 また普段同居されておられるご家族様におかれましても、自分の体調不良はご利用者様の体調不良と思っていただき、デイサービス等の利用を控えていただければ幸いです。 入所系施設においては、2月中旬よりご家族様であっても面会禁止となっております。 ご家族様にとっても、ご本人にとっても、それはつらいつらい状況が続いているといえます。そしてこの状況は恐らくさらに1か月以上続くかもしれません。 皆様が大変つらい状況におられること、大変心苦しく思いますが、とにかく今は耐えしのぐしか方法がありません。 今は試練の時、マツコ鬼になった気持ちで、コロナウイルスを寄せ付けないように、 皆様一致団結して頑張りましょう! [caption id="attachment_1301" align="aligncenter" width="650"] コロナ野郎は一致団結して寄せ付けないぞ![/caption] よろしくお願いします。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 7日、ついに緊急事態宣言が発令されました。 介護関係については、本日現在行政側からの具体的指示がなく、 通常通りサービスを行っています。 もちろんこれまで行っていた、検温、手洗い、うがい、換気は引き続き徹底して行っていきます。 今後、行政からの何らかの要請、指示があった場合、各担当より速やかに連絡させていただきます。 [caption id="attachment_1416" align="aligncenter" width="650"] コンデジのデジタルズームですので、画像は粗々ですが。[/caption] さて、昨日は今年で一番大きなスーパームーン(4月のスーパームーンのことをピンクムーンと言うそうです)です。 [caption id="attachment_1415" align="aligncenter" width="650"] 東屋が右手に見えますね。どの辺りでしょうか。[/caption] 緊急事態宣言が発令されるという、歴史的な日に昇った月です。 宇宙的視点で言えば、天体は何ら変わりなく動いているのですね。 [caption id="attachment_1414" align="aligncenter" width="650"] お月のおへそがよくわかります。でっかいな~[/caption] 右往左往しているのは人間社会のみですが、逆に言えば人と人とが近づかなければ、コロナウイルスを押さえていけるものなのです。 人生90年としたら32850日あることになります。そのうちの僅か30日~50日ほど耐えましょう! [caption id="attachment_1417" align="aligncenter" width="650"] 生駒山に昇ったお月さまです。[/caption]   エリザベス女王の言葉です。 「決意を持って結束すれば、この病気は克服できる。友人や家族と会える良い日々は戻ってくる。今は耐え忍んで、また会いましょう。」
ブログ投稿画像 センター長の石川です M保健師が連れてきた二人の認知症の人。 Aさんはコミュニケーションがほとんど取れない方でしたが、穏やかな方でした。しかし生活上の何もかもがケアの必要な方です。 もう一人のBさんは、逆にアグレッシブな方でした。とにかく落ち着かない。 すぐに出て行こうとされるし、止めると大声を出し、そして噛みつかれます。 ここでもう一度、当時の特別養護老人ホームの状況を説明しておくと、デイやショートというサービスは、その制度そのものが、ようやく始まったばかりという状況です。 働くケアワーカーたちは、簡単なヘルパー研修を経たうえで働いていますので、今の介護福祉士のような専門的勉強と試験を受けてはいません。 いわゆるシロウト集団と言っても過言ではありません。 それはまだ駆け出しの私も同じようなものです。 まして認知症(当時は痴呆症)の症状については書かれてあっても、ケアの方法など書かれている書籍はほとんどありませんでした。 ですから全てが手探りです。 そして、施設もロックアウトするなどと言うことはなかったので、出て行こうと思えば、いくらでも出ていけたのです。 そのため、出て行く方(当時は徘徊者と呼んでいました)に対しては、一緒についていくしかなかったのです。 因みに当時の入所者へのケアは下記の写真のようなことが当たり前のように各地の施設で行われていました。 私がいた施設ではさすがにここまでのことはなかったですが、これに近いものはあったでしょう。 何をしているところかわからない人もいるかもしれません。 おむつ交換ですね。それを廊下で平気でやっていたのです。 [caption id="attachment_1402" align="aligncenter" width="650"] おむつ交換が廊下で当たり前のように行われていました。中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」宮崎和加子著より[/caption] つまり、認知症の人は特にですが、当時の老人ホームでは、人権や尊厳などなく、とにかく必要最低限のケアを行う状況です。 「めんどうみられている、面倒見たってる」という構図そのものだったのです。 さて、Aさんは私が初めて会った認知症の人ですが、今でも名前を憶えています。 やさしい笑顔を浮かべてくれる人でしたが、とにかく話が通じない。 今でこそ、認知症の人とのコミュニケーションについては色々と勉強もできますが、当時は「なんでわかれへんのや?」「それが認知症ちゃうの?」「じゃあどうして伝えるねん?」「こっちの言うことに従わせるしかないやろ」みたいな問答を職員としていたものです。 今となっては正しいとは言えない対応でしたが、とにかく私たちの誘導のままに動いてもらいました。 私たちが本当に困ったのが、アグレッシブでいつも噛みつかれたBさんへのアプローチでした。 (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です これまでの認知症ケアについて、書き綴っていたことがなかったと思い、ぼちぼちではありますが、このブログで書き綴っていこうかなと思います。 私と認知症の人との出会いはかれこれ40年以上も前になるかなと思います。 当時私はM市の特別養護老人ホームに勤務していました。 まだ右も左もわからない時代でしたが、生活相談員(当時は生活指導員と呼んでました)兼介護員(当時は介護福祉士の資格などなく、介護職員のことを寮母と呼んでました。)として、入所の受け入れも行っていました。もちろん当時は介護保険など存在せず、入所は行政による措置入所(「収容依頼書」が送られてくる)という時代です。 そんな時にM市にある保健所のN保健師が、ある人を入所させてほしいと強引に言ってきたのでした。 因みに、この時代は、老人保健施設もグループホームもありません。 サービスとしては、デイサービスもショートステイもようやく始まろうかという時代です。 つまり特別養護老人ホームという入所だけの施設があった時代なのです。 [caption id="attachment_1395" align="aligncenter" width="650"] 当時の特養は、8~12人部屋というのは当たり前。びっしりと高齢者が値がされていました。中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」宮崎和加子著より[/caption] その時代にあって、私がいた施設はI理事長という全国的にも有名な人がおられる施設でした。 先見性のある人で、私が勤めた時にはデイサービス開設準備室があり、今では当たり前のようにあるデイサービスを、確か日本で2番目に始めた施設でもあるのです。 またショートステイ、ナイトケアなどのサービスも始めた、まさしく現在の高齢者サービスの礎を築いたのがI理事長だと言えます。 そのI理事長にN保健師が直談判してきたのです。 認知症(当時は痴呆性老人と呼んでいました)の人を入所させてほしい!と。 寝たきりになった認知症の人はおられるものの、アクティブな認知症の人を受け入れる特別養護老人ホームは、まだほとんどない時代のことです。 では当時の認知症の人はどこへ行っていたのか? 多くは精神科の病院に入れられ、薬を飲まされ、身体拘束を受け、そして死んでいくか、或いは、家族が丸抱えで家から出さないで介護をしていた時代だったのです。 [caption id="attachment_1396" align="aligncenter" width="650"] 中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」宮崎和加子著より[/caption] 「あんな薬を飲まされて、縛られてしまうような病院には入れたくない!何とか人間らしく暮らせるようお願いしたい!I理事長の施設ならできるでしょ!」とN保健師は、半ば強引に二人の認知症の人を立て続けに連れてきたのです。 先進的な考えを持つI理事長が断るわけはありません。 当時は「認知症」(痴呆症)の人への知識もケアの方法も全く分からない、いや知らない状態の私たちケアの現場に、突然アクティブな認知症の人がやってきたのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です コロナウイルスの状況はますます悪化しますね。 ついに阪神タイガースの選手まで罹患してしまいました。 一体、どこで移るのか? 今までは明確なつながりが見えていましたが、 これからは一体どこで移ったのか?と、わからない状況が増えてきます。 不要不急の外出を控えろと言われると、 たとえ人里離れたところに行くと言っても 星空撮影にも行けなくなります(泣) 人それぞれに、皆さんも楽しみが出来なくなってしまいますね。 [caption id="attachment_1383" align="aligncenter" width="650"] まるで宇宙の蝶のような、或いは巨大なクリオネのような、オリオン大星雲です。[/caption] さて、認知症の人も世間の空気は読み取れます。 テレビから流れるニュースも、その内容の明確な理解はできなくても、 社会不穏は感じ取るでしょう。 普段とは違う私たちが抱いている「不安」も、敏感に感じとることもできます。 認知症の人の「不安」をやわらげるのは、 何よりも「笑顔」、 そして、「ゆっくりと落ち着いた言葉」 手の甲や背中をやさしくさする「スキンシップ」 ですね。 でも、介護者自身が気持ち疲れて、不安定ならなかなか難しいかもしれません。 そんな時は、桂枝雀や綾小路きみまろのDVDなどを借りて見るのがいいでしょう。 こんな時こそ、「笑う」ことが大切です。 [caption id="attachment_1384" align="aligncenter" width="650"] オリオンの三ツ星の下にオリオン大星雲はあります。でも間もなく見れなくなります。[/caption] 私は、星空にコロナウイルスの終息を願うのみです。 今回はオリオン大星雲に。