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2021.10.20

トピックス
何故、認知症ケアの歴史を振り返るのか3 センター長の石川です。 この写真は、日本で初めて作られた「認知症専用特養」の部屋の写真です。 (当時は痴呆性老人専用棟と呼んでいました。) 全室個室と言う、当時としてはかなり画期的な特別養護老人ホームだったのです。 私も見学に行きました。   当時は、その全室個室のスタイルに、「凄いですね~」と感想を漏らしていたものです。 しかし実際にはこのような部屋で、鉄の扉で閉ざされます。 認知症の人には物理的対策として、これが最良だろうと、 当時の現場人はそれなりに納得していたのでした。 これくらいの術しか、認知症ケアの手段がわからなかったのです。 皆さんはどう思うでしょうか? ポイントは「認知症の症状」ではなく、 「人としてどうなのか」「あなたが当事者ならどう思うのか」を問いたいのです。 あなたなら、つなぎ服を着せられ、 刑務所のような部屋に閉じ込められることを良しと思いますか? 現在は、このような部屋もつなぎ服も存在しません(多分) しかし、実践者研修受講者の中にはこのようなコメントを残している人も何人かいました。 「過去に行われてきた介護から学べた事が多かったが、まだまだ尊厳が守られている介護では無い事を改めて実感出来たし、改善すべき点はたくさん有る事を感じた。」 過去のような物理的非尊厳はないとしても(あるかもしれませんが)、 私たちの行動の中に 「自分がやられて嫌なこと」を利用者にやっていないか常に考えることが必要です。 ケア実践者は「他人事」ではなく、「自分事」として利用者視点に立って考えること。 これはこの仕事で働く専門職としての、必要不可欠な介護技術のひとつでもあるのです。 ケア実践者として「どうなりたいのか」 そこが明確になれば、ケア実践者としても、人間としても、 周囲から認められる存在になるのではないでしょうか。
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2021.10.18

トピックス
何故、認知症ケアの歴史を振り返るのか2 私が大学在学中に初めてアルバイトで働いた特別養護老人ホーム そこでは車いすに乗っている人を腰ひもで縛るのは当たり前の状況でした。 私が最初に命じられた仕事は、以前にも書きましたが、人を縛ることだったのです。 当時はどこの老人ホームでも似たり寄ったりのことはしていたのです。 「転倒するから安全確保のために縛る。それは仕方がないことではなく、当り前のこと」 という時代だったのです。 当然縛られるのは身体だけでなく、その人の心までも縛ってしまうことになります。 さてこの写真、何をしているところかわかるでしょうか?   廊下で入所者を立たせておむつ交換をしているところなのです。 男女も関係なく、プライバシー保持など当時はありません。 このような非尊厳の中でケアは平然と行われてきたのです。 廊下でなぜおむつ交換を? 一気にできるという効率性と共に、 下記の写真のように入所者がぎっしりと部屋に詰め込まれているということもありました。   当時は8人部屋、10人部屋はごく普通にあり、 寝返りを打てば、右にも左にも隣りの人の顔が眼前にあると言う感じだったのです。 はたして、今は「人としての尊厳が守られているのか」 「非尊厳の中で亡くなっていった方々のためにも、人としての尊厳を守っていかなければならない」 それが、次世代のケア専門職に託されているのです。 目の前の認知症の人の、人生の時間はそう多くはないのです。 写真;中央法規出版 宮崎和加子・田邊順一「認知症の人の歴史を学びませんか」より  
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2021.10.15

トピックス
何故、歴史を振り返るのか センター長の石川です。 認知症の方への見方捉え方について、2回ほど書いたのですが、 ここで今一度認知症ケアの歴史について振り返らなければならないと思いました。 何故ならば、先日大阪府認知症介護実践者研修で「認知症ケアの理念」(一番最初の単元)を講義したのですが、 その時の受講者のアンケート結果から、あらためて「過去の悲惨な犠牲」を振り返ることが大切なのだと実感したのでした。 おそらくは、この時代を実体験していて喋れる認知症介護指導者は私だけかもしれません。 今から思えば、それは惨憺たる時代、 そしてそれを「仕方がない」「どうしようもない」「こんなものなのだ」と思っていた時代でもあるのです。 何回かに分けて過去の状況を説明していきます。 なお、実践者研修のアンケートの抜粋は下記に載せました。 もちろん、「仕方がないが当たり前」と思っていたケア従事者だけではありません。 認知症の人も、もっと人間らしい生活をという思いのケア従事者にとって、 ここから長い長い悪戦苦闘の闘いの日々が始まるのです。   1960年代、認知症の人は「恥ずかしい存在」として、自宅に閉じ込められるか、 精神科の病院に入れられ、薬漬け、拘束漬けの上に亡くなっていくのが当たり前だったのです。 (写真は、中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」より)   「講義へのアンケートの中から、認知症ケアの歴史に触れたものを抜粋しました。」 ・過去に行われてきた介護から学べた事が多かったが、まだまだ尊厳が守られている介護では無い事を改めて実感出来たし、改善すべき点はたくさん有る事を感じた。 ・過去の歴史を写真付で振り返り問題点の洗い出しを行った後の、これからの目指すべきケアの方向性・ 現在行っているケアの問題点への気づきが出来たと思えます。 ・収容と隔離の時代を知るからこその意識の変革が大切だと言うことがよく理解できた。 ・過去の映像を見て衝撃を受けた。介護理念に沿ったケアをしたいと思います。 ・現在までのケアの流れがわかり改めてこの仕事に対して重要性を理解した。 ・昔の介護の現場を写真で見れたことが衝撃的でしたが試行錯誤しながら今があるのかなと 勉強になりました。  ・いつも介護者側から見ていた視点を、認知症の人から見られていると言う視点にはびっくりした。認知 症の人の立場にたっての理念であり、介護者のための理念ではいけないと思う。 ・認知症の歴史的流れ、認知症のこれからのケアのあり方が分かった(理解できた)。目指すべき職員像が分かったから。 ・痴呆と言われていた時代の振り返り、改めて介護の初心にかえり考えさせられました。
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2021.10.13

トピックス
噛むことは認知症予防です センター長の石川です。 堅い内容のものが2回続きました。 ちょっとひと息です。 以前、あずきバー(アイスキャンディ)を食べた時に、歯が欠けました。 (今は注意書きが書いてあるらしい) そして今回、アイスモナカを食べた時に、さし歯が折れました。 このアイスモナカ、結構かちんこちんだったのです。 以前の経験があるため、注意して食べたにもかかわらずです。 つまり私は、アイスを食べると歯を欠かしてしまいます(苦笑) 私の歯もこの建物のように老朽化が進んでいます。   さて、その歯の最大の働きは「噛む」ことですね。 今日放送される「ガッテン!」はその「噛む」ことがテーマです。 様々な病気予防にも繋がるようですね。 三千メートルの山からの景色です   噛むことによって脳に刺激が行くので、認知症予防にも繋がります。 よく早飯、まるで噛まずに飲み込むような人もいますが、 ご飯を早く食べる人は、自分の心身へのリスクを多くしていると言えるかもしれません。 (早飯の人が必ず認知症になると言ってるのではありません。リスクが高まると言うことです。) スマホを見ながらというのもあまりよくないようです。 「噛む」そのためにも、歯を大切にしましょう!
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2021.10.09

トピックス
ケア実践者として必要な「探求(探究)心」 センター長の石川です。 前回、私たちケア実践者は「探求(探究)心」を持たなければならないと書きました。 実は、施設のケア従事者より、在宅の介護家族の方が、はるかに「探求(探究)心」を働かせ、 日々のケアで創意工夫されているのです。 専門的知識がなくてもあれやこれやと考えておられるのです。 毎日が必死ですから。   では、その「探求(探究)心」について、少し説明したいと思います。   なにやら、言葉遊びのようなややこしさですが、 ようするに、前向きに考えていこうというものですね。   なんか今のところ、ぼやーっとしていまいち飲み込めないかもしれません。 「技術」として目に見えない「心の姿勢」のようなものなので 実体としてつかみにくいかもしれませんね。 しかし、この見えない技術を持てるか持てないかで自分自身が随分変わってきます。   利用者を野菜や魚と同等に見ているわけではありません。 専門家としての視点の持ち方について書いています。     介護の専門家であるケア実践者は、「時間がない」! 「どうしたらいいかわからない」とよく思ってしまいます。 しかし本当は「時間を作ろうと思えば作れる」し、「何とかしたい」という思いもあるのです。 だって、この仕事を選んだのですから。 「大丈夫。なんとかなります。」 次回は「探求(探究)心」から少し離れて、別角度から考えてみます。
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2021.10.07

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好奇心・探求心のあるケアワーカーになるために センター長の石川です ノーベル賞を取られた真鍋さん、凄いですね。 気象学を志すものとしては、超偉大な人だそうです。 その真鍋さんは、好奇心・探求心をいっぱい持って研究に励まれたそうです。 しかし真鍋さんいわく、今の日本の教育は そのような好奇心・探求心を育むようなシステムではないと言われていました。 確かに、探求心を持つ前に、 どうしたらいいかわからないと終わってしまっているところがあると思います。 ところが、研究もさることながら、このケアワークと言う仕事も、探求心はなくてはならないものなのです。 何故ならば、人の心や体やその人の人生に関わる仕事だからです。 今、実践者研修などで認知症ケアを学んでいるケアスタッフも多くなってきました。 ここでは、教科書的な実践者研修ではない所で私がしゃべっている内容を スライドと共に順次アップしていきたいと思います。 好奇心・探求心のあるケアワーカーになるために。 とは言うものの、今のケアの現場は本当に大変ですね。 それでもこのような大変な状況でも、 皆さんは皆さんなりに一生懸命考え、なんとかしようとしています。 そのなんとかしようとしているところを、何とかしたいと思うのです。 そこで視野を広げるために押さえておいて欲しいことを提示します。 この山は鳥取県にある大山(だいせん)です。 伯耆富士と呼ばれる有名な山ですね。 では、この山はどこの山でしょうか? 実は、この山も同じ大山なのです。 形が全く違いますが、岡山側から見るとこんな形をしています。 見る場所が変われば、同じ山でも随分変わってしまいます。 人に例えれば、それぞれの立つ位置からは同じものを見ていても、 捉え方考え方は違っているということですね。 人それぞれに立場が違えれば、見かた捉え方が違うでしょう。 それは普通のことです。 ここで忘れてはならないのは、私たち(ケア側)は、 常に利用者から見られているということです。 その私たちは、意見の相違(見え方の違い)はあるかもしれないけれど、 利用者の幸福を願う気持ちでは同じはずなのです。 だからこそ、思考を柔軟にして、探究心を持つことを忘れてはならないのです。 (つづく)
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2021.10.02

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若年性認知症の方の集い10月・ゲスト若林美樹さん センター長の石川です。 今回の「楽カフェ」若年性認知症の方との集いは、 認知症のご本人が5名、家族が3名での参加でした。 今回はゲストに歌手の若林美樹さんが来てくれました。 若林さんは奈良県橿原市出身で、現在は東大阪を中心に、 ケーブルテレビや、ラジオ大阪にも出ておられます。 ラグビーの応援歌も3曲歌っている方です。 次は若年性認知症の方の応援ソングを作りたいと 今回一緒に参加してくれました。 すっかりと皆さんの中に溶け込み、 お話をしてくれる姿がよかったですね。 歌を3曲歌ってくれた若林さん。 長い間コロナ禍で明るい歌声をま近かに聞けなかっただけに とても明るい雰囲気になり、本来なら終了後はすぐに帰られる皆さんが、 多くの方と談笑されていました。 若林さんには、再来年東大阪市で行われる若年性認知症の方の全国大会で 唄っていただければいいなと思っています。 今回、介護者の妻からデイサービスなどの入浴介助を女性が行っていることが多いと聞き、 ちょっと抵抗感がありますと言われました。 若年性認知症の方の介護者も若いので、夫を(妻を)異性がケアすることへの抵抗感は当たり前だと思います。 さて、次回はいよいよ市役所でのお弁当配りです。 ドキドキ、ワクワクですね。
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2021.09.29

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人を想う・白い曼殊沙華 センター長の石川です。 認知症状が進むと、私たちが当たり前に理解していることがわからなくなります。 簡単に一言で書きましたが、 私たちが当たり前に理解していることがわからなくなるということがどういうことなのか、 もっと真剣に考える必要があります。 何度も書きますが、介護の専門職として、 認知症の人の状況(心理)を考えていくことを行うのは当たり前のことになります。 色々なことが不確かになっていく中で認知症の人が頼れるのは、やはり「人」でしょう。 認知症状が進んでも「人を想う」気持ちは、それを明確に表現できなくても 最期の最期まで残っていると言えます。 「人の気配」を感じるだけでも心は落ち着きます。 それだけ人は認知症の人にとって重要な意味を持ちます。 認知症の人の大敵は「孤独」なのです。 少しずつ、専門職として認知症の人の思いに近づいていくことについて書いていきたいと思います。   白い曼殊沙華(彼岸花)を見つけました。 花言葉は「思う人はあなただけ」とか「もう一度会いたい」などの意味があるそうです。 う~ん、ちょっと切ない感じもしますが、 認知症の人の思いと通じるところはあるかもしれません。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 この写真は、日本で初めて作られた「認知症専用特養」の部屋の写真です。 (当時は痴呆性老人専用棟と呼んでいました。) 全室個室と言う、当時としてはかなり画期的な特別養護老人ホームだったのです。 私も見学に行きました。   当時は、その全室個室のスタイルに、「凄いですね~」と感想を漏らしていたものです。 しかし実際にはこのような部屋で、鉄の扉で閉ざされます。 認知症の人には物理的対策として、これが最良だろうと、 当時の現場人はそれなりに納得していたのでした。 これくらいの術しか、認知症ケアの手段がわからなかったのです。 皆さんはどう思うでしょうか? ポイントは「認知症の症状」ではなく、 「人としてどうなのか」「あなたが当事者ならどう思うのか」を問いたいのです。 あなたなら、つなぎ服を着せられ、 刑務所のような部屋に閉じ込められることを良しと思いますか? 現在は、このような部屋もつなぎ服も存在しません(多分) しかし、実践者研修受講者の中にはこのようなコメントを残している人も何人かいました。 「過去に行われてきた介護から学べた事が多かったが、まだまだ尊厳が守られている介護では無い事を改めて実感出来たし、改善すべき点はたくさん有る事を感じた。」 過去のような物理的非尊厳はないとしても(あるかもしれませんが)、 私たちの行動の中に 「自分がやられて嫌なこと」を利用者にやっていないか常に考えることが必要です。 ケア実践者は「他人事」ではなく、「自分事」として利用者視点に立って考えること。 これはこの仕事で働く専門職としての、必要不可欠な介護技術のひとつでもあるのです。 ケア実践者として「どうなりたいのか」 そこが明確になれば、ケア実践者としても、人間としても、 周囲から認められる存在になるのではないでしょうか。
ブログ投稿画像 私が大学在学中に初めてアルバイトで働いた特別養護老人ホーム そこでは車いすに乗っている人を腰ひもで縛るのは当たり前の状況でした。 私が最初に命じられた仕事は、以前にも書きましたが、人を縛ることだったのです。 当時はどこの老人ホームでも似たり寄ったりのことはしていたのです。 「転倒するから安全確保のために縛る。それは仕方がないことではなく、当り前のこと」 という時代だったのです。 当然縛られるのは身体だけでなく、その人の心までも縛ってしまうことになります。 さてこの写真、何をしているところかわかるでしょうか?   廊下で入所者を立たせておむつ交換をしているところなのです。 男女も関係なく、プライバシー保持など当時はありません。 このような非尊厳の中でケアは平然と行われてきたのです。 廊下でなぜおむつ交換を? 一気にできるという効率性と共に、 下記の写真のように入所者がぎっしりと部屋に詰め込まれているということもありました。   当時は8人部屋、10人部屋はごく普通にあり、 寝返りを打てば、右にも左にも隣りの人の顔が眼前にあると言う感じだったのです。 はたして、今は「人としての尊厳が守られているのか」 「非尊厳の中で亡くなっていった方々のためにも、人としての尊厳を守っていかなければならない」 それが、次世代のケア専門職に託されているのです。 目の前の認知症の人の、人生の時間はそう多くはないのです。 写真;中央法規出版 宮崎和加子・田邊順一「認知症の人の歴史を学びませんか」より  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 認知症の方への見方捉え方について、2回ほど書いたのですが、 ここで今一度認知症ケアの歴史について振り返らなければならないと思いました。 何故ならば、先日大阪府認知症介護実践者研修で「認知症ケアの理念」(一番最初の単元)を講義したのですが、 その時の受講者のアンケート結果から、あらためて「過去の悲惨な犠牲」を振り返ることが大切なのだと実感したのでした。 おそらくは、この時代を実体験していて喋れる認知症介護指導者は私だけかもしれません。 今から思えば、それは惨憺たる時代、 そしてそれを「仕方がない」「どうしようもない」「こんなものなのだ」と思っていた時代でもあるのです。 何回かに分けて過去の状況を説明していきます。 なお、実践者研修のアンケートの抜粋は下記に載せました。 もちろん、「仕方がないが当たり前」と思っていたケア従事者だけではありません。 認知症の人も、もっと人間らしい生活をという思いのケア従事者にとって、 ここから長い長い悪戦苦闘の闘いの日々が始まるのです。   1960年代、認知症の人は「恥ずかしい存在」として、自宅に閉じ込められるか、 精神科の病院に入れられ、薬漬け、拘束漬けの上に亡くなっていくのが当たり前だったのです。 (写真は、中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」より)   「講義へのアンケートの中から、認知症ケアの歴史に触れたものを抜粋しました。」 ・過去に行われてきた介護から学べた事が多かったが、まだまだ尊厳が守られている介護では無い事を改めて実感出来たし、改善すべき点はたくさん有る事を感じた。 ・過去の歴史を写真付で振り返り問題点の洗い出しを行った後の、これからの目指すべきケアの方向性・ 現在行っているケアの問題点への気づきが出来たと思えます。 ・収容と隔離の時代を知るからこその意識の変革が大切だと言うことがよく理解できた。 ・過去の映像を見て衝撃を受けた。介護理念に沿ったケアをしたいと思います。 ・現在までのケアの流れがわかり改めてこの仕事に対して重要性を理解した。 ・昔の介護の現場を写真で見れたことが衝撃的でしたが試行錯誤しながら今があるのかなと 勉強になりました。  ・いつも介護者側から見ていた視点を、認知症の人から見られていると言う視点にはびっくりした。認知 症の人の立場にたっての理念であり、介護者のための理念ではいけないと思う。 ・認知症の歴史的流れ、認知症のこれからのケアのあり方が分かった(理解できた)。目指すべき職員像が分かったから。 ・痴呆と言われていた時代の振り返り、改めて介護の初心にかえり考えさせられました。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 堅い内容のものが2回続きました。 ちょっとひと息です。 以前、あずきバー(アイスキャンディ)を食べた時に、歯が欠けました。 (今は注意書きが書いてあるらしい) そして今回、アイスモナカを食べた時に、さし歯が折れました。 このアイスモナカ、結構かちんこちんだったのです。 以前の経験があるため、注意して食べたにもかかわらずです。 つまり私は、アイスを食べると歯を欠かしてしまいます(苦笑) [caption id="attachment_3199" align="alignnone" width="1024"] 私の歯もこの建物のように老朽化が進んでいます。[/caption]   さて、その歯の最大の働きは「噛む」ことですね。 今日放送される「ガッテン!」はその「噛む」ことがテーマです。 様々な病気予防にも繋がるようですね。 [caption id="attachment_3200" align="alignnone" width="810"] 三千メートルの山からの景色です[/caption]   噛むことによって脳に刺激が行くので、認知症予防にも繋がります。 よく早飯、まるで噛まずに飲み込むような人もいますが、 ご飯を早く食べる人は、自分の心身へのリスクを多くしていると言えるかもしれません。 (早飯の人が必ず認知症になると言ってるのではありません。リスクが高まると言うことです。) スマホを見ながらというのもあまりよくないようです。 「噛む」そのためにも、歯を大切にしましょう!
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 前回、私たちケア実践者は「探求(探究)心」を持たなければならないと書きました。 実は、施設のケア従事者より、在宅の介護家族の方が、はるかに「探求(探究)心」を働かせ、 日々のケアで創意工夫されているのです。 専門的知識がなくてもあれやこれやと考えておられるのです。 毎日が必死ですから。   では、その「探求(探究)心」について、少し説明したいと思います。   なにやら、言葉遊びのようなややこしさですが、 ようするに、前向きに考えていこうというものですね。   なんか今のところ、ぼやーっとしていまいち飲み込めないかもしれません。 「技術」として目に見えない「心の姿勢」のようなものなので 実体としてつかみにくいかもしれませんね。 しかし、この見えない技術を持てるか持てないかで自分自身が随分変わってきます。   利用者を野菜や魚と同等に見ているわけではありません。 専門家としての視点の持ち方について書いています。     介護の専門家であるケア実践者は、「時間がない」! 「どうしたらいいかわからない」とよく思ってしまいます。 しかし本当は「時間を作ろうと思えば作れる」し、「何とかしたい」という思いもあるのです。 だって、この仕事を選んだのですから。 「大丈夫。なんとかなります。」 次回は「探求(探究)心」から少し離れて、別角度から考えてみます。
ブログ投稿画像 センター長の石川です ノーベル賞を取られた真鍋さん、凄いですね。 気象学を志すものとしては、超偉大な人だそうです。 その真鍋さんは、好奇心・探求心をいっぱい持って研究に励まれたそうです。 しかし真鍋さんいわく、今の日本の教育は そのような好奇心・探求心を育むようなシステムではないと言われていました。 確かに、探求心を持つ前に、 どうしたらいいかわからないと終わってしまっているところがあると思います。 ところが、研究もさることながら、このケアワークと言う仕事も、探求心はなくてはならないものなのです。 何故ならば、人の心や体やその人の人生に関わる仕事だからです。 今、実践者研修などで認知症ケアを学んでいるケアスタッフも多くなってきました。 ここでは、教科書的な実践者研修ではない所で私がしゃべっている内容を スライドと共に順次アップしていきたいと思います。 好奇心・探求心のあるケアワーカーになるために。 とは言うものの、今のケアの現場は本当に大変ですね。 それでもこのような大変な状況でも、 皆さんは皆さんなりに一生懸命考え、なんとかしようとしています。 そのなんとかしようとしているところを、何とかしたいと思うのです。 そこで視野を広げるために押さえておいて欲しいことを提示します。 この山は鳥取県にある大山(だいせん)です。 伯耆富士と呼ばれる有名な山ですね。 では、この山はどこの山でしょうか? 実は、この山も同じ大山なのです。 形が全く違いますが、岡山側から見るとこんな形をしています。 見る場所が変われば、同じ山でも随分変わってしまいます。 人に例えれば、それぞれの立つ位置からは同じものを見ていても、 捉え方考え方は違っているということですね。 人それぞれに立場が違えれば、見かた捉え方が違うでしょう。 それは普通のことです。 ここで忘れてはならないのは、私たち(ケア側)は、 常に利用者から見られているということです。 その私たちは、意見の相違(見え方の違い)はあるかもしれないけれど、 利用者の幸福を願う気持ちでは同じはずなのです。 だからこそ、思考を柔軟にして、探究心を持つことを忘れてはならないのです。 (つづく)
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 今回の「楽カフェ」若年性認知症の方との集いは、 認知症のご本人が5名、家族が3名での参加でした。 今回はゲストに歌手の若林美樹さんが来てくれました。 若林さんは奈良県橿原市出身で、現在は東大阪を中心に、 ケーブルテレビや、ラジオ大阪にも出ておられます。 ラグビーの応援歌も3曲歌っている方です。 次は若年性認知症の方の応援ソングを作りたいと 今回一緒に参加してくれました。 すっかりと皆さんの中に溶け込み、 お話をしてくれる姿がよかったですね。 歌を3曲歌ってくれた若林さん。 長い間コロナ禍で明るい歌声をま近かに聞けなかっただけに とても明るい雰囲気になり、本来なら終了後はすぐに帰られる皆さんが、 多くの方と談笑されていました。 若林さんには、再来年東大阪市で行われる若年性認知症の方の全国大会で 唄っていただければいいなと思っています。 今回、介護者の妻からデイサービスなどの入浴介助を女性が行っていることが多いと聞き、 ちょっと抵抗感がありますと言われました。 若年性認知症の方の介護者も若いので、夫を(妻を)異性がケアすることへの抵抗感は当たり前だと思います。 さて、次回はいよいよ市役所でのお弁当配りです。 ドキドキ、ワクワクですね。
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 認知症状が進むと、私たちが当たり前に理解していることがわからなくなります。 簡単に一言で書きましたが、 私たちが当たり前に理解していることがわからなくなるということがどういうことなのか、 もっと真剣に考える必要があります。 何度も書きますが、介護の専門職として、 認知症の人の状況(心理)を考えていくことを行うのは当たり前のことになります。 色々なことが不確かになっていく中で認知症の人が頼れるのは、やはり「人」でしょう。 認知症状が進んでも「人を想う」気持ちは、それを明確に表現できなくても 最期の最期まで残っていると言えます。 「人の気配」を感じるだけでも心は落ち着きます。 それだけ人は認知症の人にとって重要な意味を持ちます。 認知症の人の大敵は「孤独」なのです。 少しずつ、専門職として認知症の人の思いに近づいていくことについて書いていきたいと思います。   白い曼殊沙華(彼岸花)を見つけました。 花言葉は「思う人はあなただけ」とか「もう一度会いたい」などの意味があるそうです。 う~ん、ちょっと切ない感じもしますが、 認知症の人の思いと通じるところはあるかもしれません。