ninchisho-yui-logo
menu

メニュー

clear ninchisho-yui-logo

「2020年12月」で記事を検索しました。

ブログ投稿画像

2020.12.12

トピックス
コロナ禍でのナッジ理論の活用法 センター長の石川です。 最近テレビでナッジ理論が紹介されてました。 あ、そうそう、忘れてた!と思いました。 勉強していたのにすっかりと忘れていました。 ナッジとは強制でもなく、自由でもなく、そっとその人の心が動くように押すこと。 経済学などでよく使われます。 心にゆとりができる空間が必要ですね よくあるのは、勝手に自転車を止めていく場所に「禁止!」ではなく、 「ここは自転車捨て場です」という看板を立てたこと。 ちょっときつめですが、洗面所で「隣の人はしっかりと手を洗っていますか?」と書かれたものを貼ったこと。 感謝の思いをくすぐるものとして、「いつもトイレをきれいに使っていただきありがとうございます。」という文章などがあります。 基本的に「自由な選択できる状態を損なわないこと」となります。 だから強圧的な禁止でもなく、好き勝手してもいいよでもないのです。 確かに人間は「禁止」ばかりがあると、精神的に窮屈に感じますし、その反動が生じます。 その反動と言う火に油を注いだのが、GOTOなんとかでしょう。 また禁止の文言が一杯書かれていても、それは自然に景色の一部となり、意識しなくなるのです。 一方自由奔放も細事のことに注意を払わなくなります。 実はその細事に注意を払うということこそ大事を防ぐことに繋がるのです。 強制でも好き勝手でもなく、自分であるべき道を決めてもらうのが、ナッジ理論です。 「マスクなしの会話禁止!」の「禁止!」の言葉を並べるよりも(景色の一部になり意識しなくなります) 少し緊張感を持たせるなら「コロナに感染したくなければマスクをしよう!」とか、 感謝的に「いつも感染予防のためにマスクしての会話ありがとうございます。」と言うのもいいでしょう。 「孫」を使った言葉も効果的です。(例えば、「孫が可愛ければ、マスクで会話」など) そして景色の一部にならないよう、一週間に一度は文言を変えて見るのもいいでしょう。 そうすれば、必ず読みますから。 特に大阪弁はナッジ効果を生み出します。 「禁止!」よりも「あかんあかん、マスクしてないとコロナ移るでぇ」とか 「マスクは大阪を守るんやで、ほんまやで、ほんま!」など、禁止ばかりの窮屈な心にするのではなく、 ユーモアを交えられるというのが大阪弁のいいところではないでしょうか。   まさしく、「マスクは大阪を救うし、家族を救うし、あなたの命も救う」なのです。 ほんまやで~ほんま!   「マスクは大阪を救う!あなたも大阪を救ってくれる方ですね」みたいな。この文言、知事に言おうかな(笑) 「マスクは日本を救う」って首相に売り込んでも興味なさそうだし(苦笑)  
ブログ投稿画像

2020.12.11

トピックス
レッドアラームだからこそショート、デイの利用を! センター長の石川です。 コロナウイルスの猛威はなかなか収まりませんね。 高齢者は出るのを控えてと言われます。 ただひとつ気を付けなければならないのは、最近特に家庭での感染が増えていることです。 移すつもりがなくても、つい同居家族に移してしまうのです。 ですから同居者がおられる高齢者こそ、安全策としてショートステイを活用してみてはどうでしょうか。 高齢者施設でのクラスター発生のニュースを聞くと、二の足を踏むこともあるでしょうが、 だからこそ、高齢者施設の感染症対策は、気を緩めずに行っています。 家でじっとしてるよりも、「心身ともに」いい意味で刺激があるショートステイ活用を考えてみてください。 人に移したくなければマスクをしましょうね また不特定多数が来られるデイサービス。そのためこの利用にも二の足を踏むと言う気持ちはわかります。 しかし、家でじっとしていることは、心も体も、そこから「健康」を奪ってしまいます。 それは病気を誘発します。家で転倒もあるでしょう。 でも、今は病気にはなれないのです。 受け入れてくれる病院がないのですから! ですから、不特定多数の人がいるというリスクはあるものの、 心身を健康に保つためのデイサービス利用はとても大切なことなのです。 レッドアラームの時こそ、ショートステイ、デイサービスを活用しましょう! 人を守っている人たちを守ってください! それにしても、これだけ疲弊している医療現場や介護現場の人たちに、 深く頭を下げ、ねぎらいの言葉のひとつも言わず、スマホの料金値下げだけを自慢する 日本丸船長の船に乗っている私たちはどうなるのでしょうかねぇ…
ブログ投稿画像

2020.12.09

トピックス
若年性認知症の方との関り(5)「壮絶な日々」 【壮絶な日々】 Aさんが住んでいる市には、当時としては珍しい認知症の専門医がいました。 その病院で若年性の痴呆症(当時)と診断され、なんでこの年齢で!と、妻は仰天したそうです。 しかしAさんの症状は猛スピードで進行していきます。 コミュニケーションは厳しくなり、行動も全てにおいて付き添いが必要でした。 そして世間は奇異な目でAさんを見ます。 一家の大黒柱が職を失い、妻が働きに出ます。 しかし、自宅にいるAさんは水を出しっぱなしにして、階下に迷惑を掛けます。(団地に住んでおられました) そして、ふらっと出て行っては行方が分からなくなるのです。 筑波大学都市研究より引用(本文の団地ではありません)   このような状況では妻はおちおち働きにも出れません。 担当医は、当時としてはまだ数が多くないデイケアセンターにAさんが行けるよう手配してくれました。 ところがそのデイケアで便を壁に塗り付けてしまったため、まだまだ認知症の人への介護経験のないスタッフたちは、 Aさんのデイケアを断ってしまいます。 入院させたらという声もありましたが、とても入院費を払える状況でもなかったのです。 結局妻が取った行動は、あらゆる出口を全て外から鍵を掛け、電気水道ガスも全て元栓を閉めて、 要するにAさんを家に閉じ込めて仕事に出たのでした。 今ではそれを虐待と定義します。 しかし誰も助けてくれない状況では、そうするしか方法がなかったのです。 そしてさらにつらい思いをしたのが中学生の息子でした。 彼が最初に家に帰ってくるのですが、一歩家の中に入ると、 閉じ込められた混乱状況の中で暴れまわったAさんによって、家の中はぐちゃぐちゃになっています。 Aさんからすると誰も助けのない混乱と不安と恐怖の中に一日いることになります。 下半身裸になってAさんは、毎日のように壁に便を塗りつけていたのです。 その父の姿を横目で見ながら、壁に塗られた便をふき取るのが、中学生の息子の帰宅後の仕事だったのです。 (つづく) センター長の石川でした
ブログ投稿画像

2020.12.07

トピックス
RAKU cafe(若年性認知症の方の集い)に参加してきました。 センター長の石川です 12月5日の土曜日、若年性認知症の方の集いが若江岩田にある花園生活支援センターでありました。 今回は4名の当事者の方とその家族、ケアマネジャーなどのケア担当者も参加、 また見学参加で5地域の包括支援センターのスタッフも来られてました。 集いでは、家族組と、当事者組に分かれ、近況報告などを行います。 私は当事者の方のグループに。 若いスタッフさんが知らない流れていた歌を、一緒に歌えるのは私が同年齢であるからというところでしょうか。 それぞれの人なりに悩みはあるものの、明るい表情の皆さんで、 サポートしているワーカーさんやケアマネジャーさんとの信頼関係も深いようでした。 大人の都合で、団らん風景の写真はありません。 ただ、集いの後の家族グループからの報告会では、かなり大変な状況の訴えもあったとのことです。 集いでは笑顔の当事者も、家へ帰ると介護者との軋轢が発生するのは当然かもしれません。 当事者を支えるのはサービスの活用など、専門職が何らかの形でサポートしていきます。 しかし家族の心身の疲労に対してのサポートをもっと重要視していく必要があります。 ショートやデイを利用している間、家族は休めてるではないかと考えるのは、私たち側の思い込みかもしれません。 もっと深い心の疲労感を、受け止める人がいないと言えるかもしれません。 認知症の人のケアだけでも心にダメージを受ける家族の方は多くおられます。 若年性の方を支えるとなった時の精神的ダメージはなおさらと言えるでしょう。 当事者の支援と介護家族の支援は両輪と言うのは皆様もわかってもらえると思うのですが、 家族への支援はまだまだ弱いと言えるでしょう。 乗鞍岳からの紅葉 さて、12月16日には当事者の方々が市役所でのお弁当発注、配達を頑張ってくれます。 市長さんや議員さんにも届けてくれるそうです。 もちろん、私もお手伝いに行かせてもらいます。 市内にはまだ多くの若年性認知症の方がおられると思います。 それもそれぞれ違った状況の中で。若年性認知症の方だけでなく、やるべきことは多々ありますね。 コロナ禍ではありますが、認知症の人のつらさは自粛できないのですから。
ブログ投稿画像

2020.12.04

トピックス
若年性認知症の方との関り(4)「偏見と衝撃」 「偏見と衝撃」 今でこそ若年性認知症は社会的理解がある程度深まったと思うのですが、 この当時、認知症は高齢者が罹るもの、まだ若いのに認知症?? などと怪訝な目で見られた時代でした。 まして仕事上のミスの頻発は、病気ではなくて、当の本人に問題があると厳しく問われていたのです。 つまりAさんは躊躇なく会社を辞めさせられたのです。 それは家族にとっても衝撃な出来事でした。 家族構成は妻と、遅くに生まれた長男。確かまだ中学生になったばかりだったかと。 つい最近までキャッチボールで楽しんだであろう父親が、家族からすれば信じられないような行動をする父親になってしまったのですから。 繰り返し書きますが、当時は「認知症(痴呆症)」への一般市民の理解は皆無な時代です。 Aさんの行動は、多くの人たちに蔑まれるのです。 世間の偏見、それをAさんの家族は、信じられない状況の中で、じっと耐えなければならなかったのです。 会社を辞めさせられたAさんは、そのことも理解できず、駅に向かい電車に乗ろうとしました。 結果は行方不明となり、やはりどうしていいかわからずに立ちすくむところを通報されていました。 そしてAさん家族を襲った最大の危機は、経済的苦境でした。 働き盛りのAさんが職を失い、収入がゼロになってしまったのです。 後々書こうと思いますが、福岡市の越智さん夫婦も同様でした。 (つづく) センター長石川
ブログ投稿画像

2020.12.01

トピックス
若年性認知症の方との関り(3)「駅に立ちすくむ」 若年性認知症の方との初めての出会い(2) 【駅に立ちすくむ】 センター長の石川です。 約35年前のことですが、若年性認知症の方との初めての出会いは、結構覚えているものです。 そして35年経っても、もしかしたら状況はあまり変わっていないのではないかとも思うのです。 過去に再び戻ります。 Aさんの最初の異変は駅でした。 改札を出てから、「え?家はどっちだ?」 と、帰る方向がわからなくなり、しばらく呆然と立ちすくんでいたのです。 不審に思った駅員が声を掛けたのです。   ここで押さえておいて欲しいことは、 今でこそ認知症の人のことを理解する人は増えてきて、 また若年性認知症があることも認識され始めてきている状況と言えます。 しかし、35年前は全く違う状況だったのです。 とてもきれいな空でした 「認知症」は「痴呆症」と言われ、痴呆性老人という、 まるで既に人間ではない扱い(あえて、扱いという言葉を使います)を受け、 社会的には「問題老人」としてのレッテルを貼られていたのです。 まして若年性認知症の方への風当たりは酷いものでした。 Aさんの家族は、家族で抱える、隠すしかないところまで追い込まれるのです。 昨夜はビーバームーンでした。 改札を出て、「あれ、どっちだっけ…」と立ちすくむときの、 Aさんの不安、恐怖、心細さは、筆舌しがたいものだったでしょう。     今、私たちは簡単に「徘徊」という言葉を使っています。(この「徘徊」は徐々に使われなくなってはきていますが) しかし、家に帰る道がわからなくなった時の本人の切ないほどの心細さを、 どこまで理解しているかというと、やはり起こった事象にしか目が行ってないのかもしれません。   50代初頭、会社でもミスが多くなったAさんは、退職へと追い込まれていったのです。 (つづく)  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 最近テレビでナッジ理論が紹介されてました。 あ、そうそう、忘れてた!と思いました。 勉強していたのにすっかりと忘れていました。 ナッジとは強制でもなく、自由でもなく、そっとその人の心が動くように押すこと。 経済学などでよく使われます。 [caption id="attachment_1989" align="aligncenter" width="650"] 心にゆとりができる空間が必要ですね[/caption] よくあるのは、勝手に自転車を止めていく場所に「禁止!」ではなく、 「ここは自転車捨て場です」という看板を立てたこと。 ちょっときつめですが、洗面所で「隣の人はしっかりと手を洗っていますか?」と書かれたものを貼ったこと。 感謝の思いをくすぐるものとして、「いつもトイレをきれいに使っていただきありがとうございます。」という文章などがあります。 基本的に「自由な選択できる状態を損なわないこと」となります。 だから強圧的な禁止でもなく、好き勝手してもいいよでもないのです。 確かに人間は「禁止」ばかりがあると、精神的に窮屈に感じますし、その反動が生じます。 その反動と言う火に油を注いだのが、GOTOなんとかでしょう。 また禁止の文言が一杯書かれていても、それは自然に景色の一部となり、意識しなくなるのです。 一方自由奔放も細事のことに注意を払わなくなります。 実はその細事に注意を払うということこそ大事を防ぐことに繋がるのです。 強制でも好き勝手でもなく、自分であるべき道を決めてもらうのが、ナッジ理論です。 「マスクなしの会話禁止!」の「禁止!」の言葉を並べるよりも(景色の一部になり意識しなくなります) 少し緊張感を持たせるなら「コロナに感染したくなければマスクをしよう!」とか、 感謝的に「いつも感染予防のためにマスクしての会話ありがとうございます。」と言うのもいいでしょう。 「孫」を使った言葉も効果的です。(例えば、「孫が可愛ければ、マスクで会話」など) そして景色の一部にならないよう、一週間に一度は文言を変えて見るのもいいでしょう。 そうすれば、必ず読みますから。 特に大阪弁はナッジ効果を生み出します。 「禁止!」よりも「あかんあかん、マスクしてないとコロナ移るでぇ」とか 「マスクは大阪を守るんやで、ほんまやで、ほんま!」など、禁止ばかりの窮屈な心にするのではなく、 ユーモアを交えられるというのが大阪弁のいいところではないでしょうか。   まさしく、「マスクは大阪を救うし、家族を救うし、あなたの命も救う」なのです。 ほんまやで~ほんま!   「マスクは大阪を救う!あなたも大阪を救ってくれる方ですね」みたいな。この文言、知事に言おうかな(笑) 「マスクは日本を救う」って首相に売り込んでも興味なさそうだし(苦笑)  
ブログ投稿画像 センター長の石川です。 コロナウイルスの猛威はなかなか収まりませんね。 高齢者は出るのを控えてと言われます。 ただひとつ気を付けなければならないのは、最近特に家庭での感染が増えていることです。 移すつもりがなくても、つい同居家族に移してしまうのです。 ですから同居者がおられる高齢者こそ、安全策としてショートステイを活用してみてはどうでしょうか。 高齢者施設でのクラスター発生のニュースを聞くと、二の足を踏むこともあるでしょうが、 だからこそ、高齢者施設の感染症対策は、気を緩めずに行っています。 家でじっとしてるよりも、「心身ともに」いい意味で刺激があるショートステイ活用を考えてみてください。 [caption id="attachment_2179" align="aligncenter" width="650"] 人に移したくなければマスクをしましょうね[/caption] また不特定多数が来られるデイサービス。そのためこの利用にも二の足を踏むと言う気持ちはわかります。 しかし、家でじっとしていることは、心も体も、そこから「健康」を奪ってしまいます。 それは病気を誘発します。家で転倒もあるでしょう。 でも、今は病気にはなれないのです。 受け入れてくれる病院がないのですから! ですから、不特定多数の人がいるというリスクはあるものの、 心身を健康に保つためのデイサービス利用はとても大切なことなのです。 レッドアラームの時こそ、ショートステイ、デイサービスを活用しましょう! [caption id="attachment_1437" align="aligncenter" width="650"] 人を守っている人たちを守ってください![/caption] それにしても、これだけ疲弊している医療現場や介護現場の人たちに、 深く頭を下げ、ねぎらいの言葉のひとつも言わず、スマホの料金値下げだけを自慢する 日本丸船長の船に乗っている私たちはどうなるのでしょうかねぇ…
ブログ投稿画像 【壮絶な日々】 Aさんが住んでいる市には、当時としては珍しい認知症の専門医がいました。 その病院で若年性の痴呆症(当時)と診断され、なんでこの年齢で!と、妻は仰天したそうです。 しかしAさんの症状は猛スピードで進行していきます。 コミュニケーションは厳しくなり、行動も全てにおいて付き添いが必要でした。 そして世間は奇異な目でAさんを見ます。 一家の大黒柱が職を失い、妻が働きに出ます。 しかし、自宅にいるAさんは水を出しっぱなしにして、階下に迷惑を掛けます。(団地に住んでおられました) そして、ふらっと出て行っては行方が分からなくなるのです。 [caption id="attachment_2186" align="aligncenter" width="650"] 筑波大学都市研究より引用(本文の団地ではありません)[/caption]   このような状況では妻はおちおち働きにも出れません。 担当医は、当時としてはまだ数が多くないデイケアセンターにAさんが行けるよう手配してくれました。 ところがそのデイケアで便を壁に塗り付けてしまったため、まだまだ認知症の人への介護経験のないスタッフたちは、 Aさんのデイケアを断ってしまいます。 入院させたらという声もありましたが、とても入院費を払える状況でもなかったのです。 結局妻が取った行動は、あらゆる出口を全て外から鍵を掛け、電気水道ガスも全て元栓を閉めて、 要するにAさんを家に閉じ込めて仕事に出たのでした。 今ではそれを虐待と定義します。 しかし誰も助けてくれない状況では、そうするしか方法がなかったのです。 そしてさらにつらい思いをしたのが中学生の息子でした。 彼が最初に家に帰ってくるのですが、一歩家の中に入ると、 閉じ込められた混乱状況の中で暴れまわったAさんによって、家の中はぐちゃぐちゃになっています。 Aさんからすると誰も助けのない混乱と不安と恐怖の中に一日いることになります。 下半身裸になってAさんは、毎日のように壁に便を塗りつけていたのです。 その父の姿を横目で見ながら、壁に塗られた便をふき取るのが、中学生の息子の帰宅後の仕事だったのです。 (つづく) センター長の石川でした
ブログ投稿画像 センター長の石川です 12月5日の土曜日、若年性認知症の方の集いが若江岩田にある花園生活支援センターでありました。 今回は4名の当事者の方とその家族、ケアマネジャーなどのケア担当者も参加、 また見学参加で5地域の包括支援センターのスタッフも来られてました。 集いでは、家族組と、当事者組に分かれ、近況報告などを行います。 私は当事者の方のグループに。 若いスタッフさんが知らない流れていた歌を、一緒に歌えるのは私が同年齢であるからというところでしょうか。 それぞれの人なりに悩みはあるものの、明るい表情の皆さんで、 サポートしているワーカーさんやケアマネジャーさんとの信頼関係も深いようでした。 [caption id="attachment_2175" align="aligncenter" width="650"] 大人の都合で、団らん風景の写真はありません。[/caption] ただ、集いの後の家族グループからの報告会では、かなり大変な状況の訴えもあったとのことです。 集いでは笑顔の当事者も、家へ帰ると介護者との軋轢が発生するのは当然かもしれません。 当事者を支えるのはサービスの活用など、専門職が何らかの形でサポートしていきます。 しかし家族の心身の疲労に対してのサポートをもっと重要視していく必要があります。 ショートやデイを利用している間、家族は休めてるではないかと考えるのは、私たち側の思い込みかもしれません。 もっと深い心の疲労感を、受け止める人がいないと言えるかもしれません。 認知症の人のケアだけでも心にダメージを受ける家族の方は多くおられます。 若年性の方を支えるとなった時の精神的ダメージはなおさらと言えるでしょう。 当事者の支援と介護家族の支援は両輪と言うのは皆様もわかってもらえると思うのですが、 家族への支援はまだまだ弱いと言えるでしょう。 [caption id="attachment_2174" align="aligncenter" width="650"] 乗鞍岳からの紅葉[/caption] さて、12月16日には当事者の方々が市役所でのお弁当発注、配達を頑張ってくれます。 市長さんや議員さんにも届けてくれるそうです。 もちろん、私もお手伝いに行かせてもらいます。 市内にはまだ多くの若年性認知症の方がおられると思います。 それもそれぞれ違った状況の中で。若年性認知症の方だけでなく、やるべきことは多々ありますね。 コロナ禍ではありますが、認知症の人のつらさは自粛できないのですから。
ブログ投稿画像 「偏見と衝撃」 今でこそ若年性認知症は社会的理解がある程度深まったと思うのですが、 この当時、認知症は高齢者が罹るもの、まだ若いのに認知症?? などと怪訝な目で見られた時代でした。 まして仕事上のミスの頻発は、病気ではなくて、当の本人に問題があると厳しく問われていたのです。 つまりAさんは躊躇なく会社を辞めさせられたのです。 それは家族にとっても衝撃な出来事でした。 家族構成は妻と、遅くに生まれた長男。確かまだ中学生になったばかりだったかと。 つい最近までキャッチボールで楽しんだであろう父親が、家族からすれば信じられないような行動をする父親になってしまったのですから。 繰り返し書きますが、当時は「認知症(痴呆症)」への一般市民の理解は皆無な時代です。 Aさんの行動は、多くの人たちに蔑まれるのです。 世間の偏見、それをAさんの家族は、信じられない状況の中で、じっと耐えなければならなかったのです。 会社を辞めさせられたAさんは、そのことも理解できず、駅に向かい電車に乗ろうとしました。 結果は行方不明となり、やはりどうしていいかわからずに立ちすくむところを通報されていました。 そしてAさん家族を襲った最大の危機は、経済的苦境でした。 働き盛りのAさんが職を失い、収入がゼロになってしまったのです。 後々書こうと思いますが、福岡市の越智さん夫婦も同様でした。 (つづく) センター長石川
ブログ投稿画像 若年性認知症の方との初めての出会い(2) 【駅に立ちすくむ】 センター長の石川です。 約35年前のことですが、若年性認知症の方との初めての出会いは、結構覚えているものです。 そして35年経っても、もしかしたら状況はあまり変わっていないのではないかとも思うのです。 過去に再び戻ります。 Aさんの最初の異変は駅でした。 改札を出てから、「え?家はどっちだ?」 と、帰る方向がわからなくなり、しばらく呆然と立ちすくんでいたのです。 不審に思った駅員が声を掛けたのです。   ここで押さえておいて欲しいことは、 今でこそ認知症の人のことを理解する人は増えてきて、 また若年性認知症があることも認識され始めてきている状況と言えます。 しかし、35年前は全く違う状況だったのです。 [caption id="attachment_2160" align="aligncenter" width="650"] とてもきれいな空でした[/caption] 「認知症」は「痴呆症」と言われ、痴呆性老人という、 まるで既に人間ではない扱い(あえて、扱いという言葉を使います)を受け、 社会的には「問題老人」としてのレッテルを貼られていたのです。 まして若年性認知症の方への風当たりは酷いものでした。 Aさんの家族は、家族で抱える、隠すしかないところまで追い込まれるのです。 [caption id="attachment_2159" align="aligncenter" width="650"] 昨夜はビーバームーンでした。[/caption] 改札を出て、「あれ、どっちだっけ…」と立ちすくむときの、 Aさんの不安、恐怖、心細さは、筆舌しがたいものだったでしょう。     今、私たちは簡単に「徘徊」という言葉を使っています。(この「徘徊」は徐々に使われなくなってはきていますが) しかし、家に帰る道がわからなくなった時の本人の切ないほどの心細さを、 どこまで理解しているかというと、やはり起こった事象にしか目が行ってないのかもしれません。   50代初頭、会社でもミスが多くなったAさんは、退職へと追い込まれていったのです。 (つづく)