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「2024年09月」で記事を検索しました。

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2024.09.12

トピックス
星に願いを 非科学的な話は愉しい ちょっと心も体も疲れたなと思ったら 星空を見上げてみてはどうでしょうか? おっと、大阪の空では星も見えませんね。 でも昨夜は、国際宇宙ステーションや人工衛星が飛ぶ姿が見えたり、 夏の大三角も見えました。 その夏の大三角の場所には、天の川があるのですが、 昨夜は大阪の空でも何となく見えた気がします。 あくまでも「気」ですけど。 くじゅう高原 長者原にて   まぁ大阪は無理だとしても、奈良や和歌山まで足を延ばせば、 星空をたくさん見ることはできるでしょう。 先日乗ったフェリーのさんふらわあの船上からも見ることが出来ました。 くじゅう高原 長者原にて   「なんで星って光ってるんやろなぁ~」 「そりゃ~ 心が癒されるからやろ。蛍の光と一緒とちゃうか。」 なんて言う、非科学的な会話が愉しいのです。 そうなんです。星の光も、蛍の光も、何故か心を癒す効果があるのです。 (非科学的と書きましたが、実際には脳科学的に証明されているかもしれませんが) まぁこれだけ科学技術が進歩しても、お化けや謎現象などの話、皆さん大好きですから。 くじゅう高原 長者原にて   ちょっと心が疲れたら、星の光を見に遠出をしてみましょう。 認知症の人も、非科学的な話は、感情に通じるので 愉しくお話ができます。 認知機能は厳しくなったとしても、非認知機能は豊かに働いているので 非科学的な話は盛り上がることができるでしょう。
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2024.09.04

トピックス
ケースやケアの検討会だけではなく カンファレンスと言うと、各個別ケースへのケアについてや、 ケアそのものの確認や技術に関するものや、認知症の人の理解(見かた捉え方)など、 私たちの主業務である「ケア」や「ケアマネジメント」のことが主題になると思います。 でもたまには「ケアという主題」から、 離れたことを考えてみるのも良いのではないでしょうか? 何故ならば、ケアの現場は息が詰まりそうなくらい どっぷりと浸かりながら仕事をしているので、 ある意味「考え方に柔軟性」を持ったり、 「想像力や創造力」を働かす余裕はないと言えます。 そのため認知症の人の理解と言っても、 自分に降りかかっている大変さを何とかしたいという意識の方が強く働くのでしょう。 そこで一旦、その息の詰まるような仕事の話から離れてみる 話し合いの場面があっってもいいかもしれません。 例えば、先日書いたようなショートステイ利用の方や家族への 「ちょっとした心遣い、気遣い」を主題にして、 「どのようなことが喜ばれるのだろうか」とか、「気遣い」ってどんなことだろうとか、 直接ケアの話ではない話をしてみること。 或いは旅行に行ったときに感じたざっくばらんな話をしてみてもいいかもしれません。 旅先のホスピタリティの良し悪しは、自分たちの仕事にも繋がっていくのです。 自分の推しの話をするのもいいでしょう。 何故その人(物)の推しになったのか。 そこには自分の心を揺るがす何かがあったからでしょう。 自分の心を揺るがすものってどのようなものなのか?  などなど、ケア実践とは全く違う話を討論してみる、 そんなカンファレンス? の時間があってもいいのではないでしょうか。 中之島美術館にもいる、シップスキャット   狭~い世界だけで論議するのではなく、違う視点で話しあってみると、 「これって、ケアに活かせるよね」っといったものが浮かんでくるかもしれません。 息が詰まるほどケアのことで頭が一杯!  だと、考える余地はないでしょう。 残った息を吐き出して、深呼吸をしなければ苦しさは増すだけです。 考える余地を生み出せるかどうか、心に空き地を作れるかどうか、 そのためには敢えてケアの世界から離れた話をしてみるのもいいのではないでしょうか。
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2024.09.03

トピックス
認知症施策推進基本計画案が提出されました 毎日新聞によると、「政府は2日、1月に施行された認知症基本法に基づく 「認知症施策推進基本計画」案を関係者会議で示し、大筋で了承された。 会議には認知症の人も委員として加わって意見を述べ、 基本計画案では認知症とともに希望を持って生きるという「新しい認知症観」が打ち出されたほか、 さまざまな施策を認知症の本人の視点に立って進める姿勢が明確にされた。」と、書き出されています。 また、基本施策として、12項目が盛り込まれています。(下記、毎日新聞の記事にアクセスしてください。) https://mainichi.jp/articles/20240902/k00/00m/040/139000c?fbclid=IwY2xjawFDgqRleHRuA2FlbQIxMQABHcyPV2-5NVD_F3j2Xk1bc7uXpz8ssf4IRJ98axkhRba99mf_BHR9iULMxQ_aem_EBFHLx0Z78o_0Ifak0Yzsw 朝日新聞には、「本人ミーティング」などの強化についても書かれています。 実際今回の国の会議には3名の認知症の人本人も参加されていました。 確かにこれまで本人が置き去りにされることが多々ありましたが、 行政設定だけでなく、介護現場におけるカンファレンスなどへの本人参加も進めていかなければなりません。 とかくパフォーマンス化する行政の本人参加も、 世間へのオープン化では大切だと思いますが、 常日頃のケアの現場で進められていかなければならないことでしょう。     また「新しい認知症観」について。 う~ん、これはもう何十年も前から言ってたこと、取り組んでいたことですね。 何故今さらとも思いましたが、3名の当事者の方が出ておられたうえでの内容なので、 まだまだ古い認知症観が社会全体にあるという意味でしょう。 確かにそれは否定できない事実です。 ただ「さらに新しい」として、「認知症」に特化するのではなく、 様々な状況があっても(認知症であろうとなかろうと) 同じ人間として生活していける社会を目指すというような状況でなければならないと思います。   9月21日は、国際アルツハイマーデーです。 (いつのまにか、「認知症の日」と制定されてました) 映画で「毎日がアルツハイマー」という映画がありましたが、 9月21日だけでなく、「毎日がアルツハイマーデー」ではないかと思うのです。 因みに行政の施策が包括支援センターへのさらなる負担にならないよう、 目を光らせていかなければならないとも思うのです。
ブログ投稿画像 ちょっと心も体も疲れたなと思ったら 星空を見上げてみてはどうでしょうか? おっと、大阪の空では星も見えませんね。 でも昨夜は、国際宇宙ステーションや人工衛星が飛ぶ姿が見えたり、 夏の大三角も見えました。 その夏の大三角の場所には、天の川があるのですが、 昨夜は大阪の空でも何となく見えた気がします。 あくまでも「気」ですけど。 [caption id="attachment_5873" align="alignnone" width="1024"] くじゅう高原 長者原にて[/caption]   まぁ大阪は無理だとしても、奈良や和歌山まで足を延ばせば、 星空をたくさん見ることはできるでしょう。 先日乗ったフェリーのさんふらわあの船上からも見ることが出来ました。 [caption id="attachment_5872" align="alignnone" width="1024"] くじゅう高原 長者原にて[/caption]   「なんで星って光ってるんやろなぁ~」 「そりゃ~ 心が癒されるからやろ。蛍の光と一緒とちゃうか。」 なんて言う、非科学的な会話が愉しいのです。 そうなんです。星の光も、蛍の光も、何故か心を癒す効果があるのです。 (非科学的と書きましたが、実際には脳科学的に証明されているかもしれませんが) まぁこれだけ科学技術が進歩しても、お化けや謎現象などの話、皆さん大好きですから。 [caption id="attachment_5871" align="alignnone" width="1024"] くじゅう高原 長者原にて[/caption]   ちょっと心が疲れたら、星の光を見に遠出をしてみましょう。 認知症の人も、非科学的な話は、感情に通じるので 愉しくお話ができます。 認知機能は厳しくなったとしても、非認知機能は豊かに働いているので 非科学的な話は盛り上がることができるでしょう。
ブログ投稿画像 カンファレンスと言うと、各個別ケースへのケアについてや、 ケアそのものの確認や技術に関するものや、認知症の人の理解(見かた捉え方)など、 私たちの主業務である「ケア」や「ケアマネジメント」のことが主題になると思います。 でもたまには「ケアという主題」から、 離れたことを考えてみるのも良いのではないでしょうか? 何故ならば、ケアの現場は息が詰まりそうなくらい どっぷりと浸かりながら仕事をしているので、 ある意味「考え方に柔軟性」を持ったり、 「想像力や創造力」を働かす余裕はないと言えます。 そのため認知症の人の理解と言っても、 自分に降りかかっている大変さを何とかしたいという意識の方が強く働くのでしょう。 そこで一旦、その息の詰まるような仕事の話から離れてみる 話し合いの場面があっってもいいかもしれません。 例えば、先日書いたようなショートステイ利用の方や家族への 「ちょっとした心遣い、気遣い」を主題にして、 「どのようなことが喜ばれるのだろうか」とか、「気遣い」ってどんなことだろうとか、 直接ケアの話ではない話をしてみること。 或いは旅行に行ったときに感じたざっくばらんな話をしてみてもいいかもしれません。 旅先のホスピタリティの良し悪しは、自分たちの仕事にも繋がっていくのです。 自分の推しの話をするのもいいでしょう。 何故その人(物)の推しになったのか。 そこには自分の心を揺るがす何かがあったからでしょう。 自分の心を揺るがすものってどのようなものなのか?  などなど、ケア実践とは全く違う話を討論してみる、 そんなカンファレンス? の時間があってもいいのではないでしょうか。 [caption id="attachment_5359" align="alignnone" width="1024"] 中之島美術館にもいる、シップスキャット[/caption]   狭~い世界だけで論議するのではなく、違う視点で話しあってみると、 「これって、ケアに活かせるよね」っといったものが浮かんでくるかもしれません。 息が詰まるほどケアのことで頭が一杯!  だと、考える余地はないでしょう。 残った息を吐き出して、深呼吸をしなければ苦しさは増すだけです。 考える余地を生み出せるかどうか、心に空き地を作れるかどうか、 そのためには敢えてケアの世界から離れた話をしてみるのもいいのではないでしょうか。
ブログ投稿画像 毎日新聞によると、「政府は2日、1月に施行された認知症基本法に基づく 「認知症施策推進基本計画」案を関係者会議で示し、大筋で了承された。 会議には認知症の人も委員として加わって意見を述べ、 基本計画案では認知症とともに希望を持って生きるという「新しい認知症観」が打ち出されたほか、 さまざまな施策を認知症の本人の視点に立って進める姿勢が明確にされた。」と、書き出されています。 また、基本施策として、12項目が盛り込まれています。(下記、毎日新聞の記事にアクセスしてください。) https://mainichi.jp/articles/20240902/k00/00m/040/139000c?fbclid=IwY2xjawFDgqRleHRuA2FlbQIxMQABHcyPV2-5NVD_F3j2Xk1bc7uXpz8ssf4IRJ98axkhRba99mf_BHR9iULMxQ_aem_EBFHLx0Z78o_0Ifak0Yzsw 朝日新聞には、「本人ミーティング」などの強化についても書かれています。 実際今回の国の会議には3名の認知症の人本人も参加されていました。 確かにこれまで本人が置き去りにされることが多々ありましたが、 行政設定だけでなく、介護現場におけるカンファレンスなどへの本人参加も進めていかなければなりません。 とかくパフォーマンス化する行政の本人参加も、 世間へのオープン化では大切だと思いますが、 常日頃のケアの現場で進められていかなければならないことでしょう。     また「新しい認知症観」について。 う~ん、これはもう何十年も前から言ってたこと、取り組んでいたことですね。 何故今さらとも思いましたが、3名の当事者の方が出ておられたうえでの内容なので、 まだまだ古い認知症観が社会全体にあるという意味でしょう。 確かにそれは否定できない事実です。 ただ「さらに新しい」として、「認知症」に特化するのではなく、 様々な状況があっても(認知症であろうとなかろうと) 同じ人間として生活していける社会を目指すというような状況でなければならないと思います。   9月21日は、国際アルツハイマーデーです。 (いつのまにか、「認知症の日」と制定されてました) 映画で「毎日がアルツハイマー」という映画がありましたが、 9月21日だけでなく、「毎日がアルツハイマーデー」ではないかと思うのです。 因みに行政の施策が包括支援センターへのさらなる負担にならないよう、 目を光らせていかなければならないとも思うのです。