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2025.01.09

太平洋フェリーと介護施設(その2)

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前回の続きです。
飛行機なら2~3時間で大阪から北海道に行けるところ
太平洋フェリーだとほぼ2日間かけていくことになります。
(敦賀、舞鶴からの、小樽、苫小牧行き新日本海フェリーはもう少し早いですが、
それでも飛行機との差は圧倒的です)
なのに、大阪からでも太平洋フェリーに乗る人がそれなりにいるのです。
それは、2泊する船旅に、何らかの価値を見出してのことでしょう。

それではこの「船旅」をベースにケアの世界について考えてみたいと思います。
船旅ならば、必ず目的地に着けば、その限られた空間での生活から解放されますが、
施設入居となるとそうはいきません。
私たちは旅行として船旅を楽しみますが、施設入所はその限られた空間の中で、
長い間過ごさなければならない、生活しなければならない、ある意味人生ラストの場ともなるわけです。
さらにそのために、人の助けを借りなければならないという状況にあるということなのです。

船旅をする場合、そこになんらかの価値を見いだしているように、
例え旅でなくても、施設入所にも価値を見出せるものでなければならないのです。
(ある意味、自宅に帰ることのない永遠の旅立ちの前段階とも言えます)

太平洋フェリーのエントランス(太平洋フェリーのHPより)

 

私たちは、電車に乗るにしても、車を運転するにしても、何かを買うにしても、
どこかに泊まるにしても、そして太平洋フェリーを利用するについても、
何らかの価値を見出して利用したり活用したりします。
同様に入所施設の選択も、その施設に対しての何らかの価値を求めての入所となるでしょう。

しかしそこにはもしかしたら、介護者の「やむおえぬ価値」というものがあるかもしれませんし、
入居者からすれば、「妥協の末の価値」かもしれません。
もしその施設に価値を見出すことができなければ、無価値な施設として判断され、
別の施設を探すということになるかもしれませんが、それは容易なことではありません。
そのため「妥協の末の価値」として存在することになるのです。

つまり「介護施設」は、家族からも利用者からも真に価値あるものとして存在しなければ、
介護現場そのものの存在価値は低いままになってしまうのです。
「やむ終えぬ、妥協の末の価値」は、ほぼ無価値に近いものだからです。

(つづく)