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2024.07.01

夢に現れた40年前の認知症の人

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認知症の教室(一般市民用)

認知症の教室(専門職用)

何故か、認知症の人と関わり始めたころに接した人のことは、
名前どころか、様々なエピソードも含めて結構覚えています。
それだけ初めて認知症の人と接したころのことは強烈な体験だったのでしょう。
そんなかなりエキサイティングな記憶がある認知症の方々の中の一人が何故か夢に出てきました。

なんとまだご健在で、当老人ホームに入所希望という夢なのです。
40年前、当時私が勤めていた施設の入居者なんですが、
当時で80代でしたから、今なら120歳代ということになりますね。

まぁ夢ですから大体訳の分からないものを見てしまいます。

思い起こせば、当時の認知症の人との関りは、
当の本人も、そして私たちも「奔放」だったと言えます。
認知症ケアの研修すらない頃、特養に認知症の人が入所すること自体が
まれな頃だったのです。(多くの認知症の人は精神病院に入院させられ、身体拘束と薬漬けの上で亡くなっていった)

まず、施設はノーロックだったので、皆さんドンドン出て行かれます。
その都度一緒に「当時でいう徘徊」に付きあうか、行方不明になって大捜索なんてことが度々でした。
出て行かれた人との付き添いは、時に怒鳴られ、叩かれるという人もあれば、
3時間、4時間と遠方まで一緒に歩いたこともあります。
今と違って携帯電話なんてない時代。施設に連絡するのも大変だったのです。

書き出せば物凄い量になるくらい、当時の認知症の人との思い出は一杯あります。

ある意味、認知症の人の行動に対して制限は少なく、
その分行動も奔放だったのですが、
暗中模索の私たちのケアも、好き勝手なことをやっていたことを思うと、
奔放だったのかもしれません。

例えば、家に帰るという人に電話を家にするからお家の人の言うことを聞いてね、と、
内線電話で息子に扮した職員と対話させるなど、
今から思えば、「振り込み詐欺まがい」のこともやってましたね。

或いは、夕暮れ時になると、皆さん帰る帰るというので、
数名まとめてマイクロバスに乗って公園に散歩に行ったり、レストランにお茶しに行き、
帰る時間が夕ご飯を過ぎて、ケアスタッフさんに怒られたこともあります。
まぁ当時は私たちも結構好き勝手にやんちゃしてたのですね。
そんな中に夢に出てきた人もいたのです。
ほんとにこの方とのやり取りも色々あり、書き出すと長くなってしまいますので割愛しますが、
とても思い出深いものなのです。

しかし、ケア側として、今、奔放なケアができるのかというと、
もう難しい時代になったと言えるかもしれません。
今はクレーム対応に気を遣い、コンプライアンスにがんじがらめ、
そして認知症の人に対しても、いかにコントロールしていくかがポイントになっているように思います。

昭和は不適切こともたくさんありましたが、
今よりはずっと自由だったと言えるかもしれません。

なぜ今になってその当時の人が夢に出てきたのか? 
それは奔放さを忘れ、
心や考え方が小さくなっている自分自身への戒めだったのかもしれません。