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2020.10.03

「人生の卒業式」雲一つない日に

トピックス

心の荷物預かり所

「山さん(仮名)ありがとう。私たちに色々教えてくれて。その教えを無駄にしないようにします。」
山さんの亡骸に触れながら、ケアワーカーは山さんに語り掛けたのでした。
「ごめんね、たくさんの薬飲ませてしまって。亡くなる時にそばにおれなくて。本当にごめん。」

センター長の石川です。

かつて私が某老人ホームで生活相談員をしていた時、100名いや数えきれない多くの方の死に接しました。
今は直接的にケアの現場にいないため、本当に久しぶりに亡くなられた直後の方の所に行きました。

たまたまこの日の朝、ブログに載せるための写真を探していました。
「見つめあっている写真」がないかなと。
その時、山さん(仮名)と息子さんが見つめあっている写真を見つけたところでした。
それから1時間後でしょうか。山さんが亡くなられたのは。

山さんはある意味ケアスタッフ泣かせの方でした。
特に夜間の頻繁な訴えはケアスタッフを散々困らせたものです。
ケアでの関り方が見つけ出せない中、薬に頼ることになっていきます。
山さんがそれで静かになったとしても、それではケアワークの専門職としてのプライドを捨てるのと同じ。
現場の人たちも苦悩の日々が続いたのです。

ケアマネジャーは山さんが危ないかもしれないと感じたのか、
前日家族に連絡し、コロナ体制の面会規制中でしたが、山さんに面会してもらっていました。
ここで息子さんと山さんははっきりとお話が出来たそうです。
これがなければしばらく会えないまま、会話もないままに亡くなってしまったということになったでしょう。

山さんの亡骸を見守る中、新人の栄養士も来てくれました。
昨日山さんの食事介助をしてくれたところだったそうです。
「私、いてもいいですか?」もちろん、いいに決まってる、ありがとう。彼女も山さんをやさしく撫でてくれ、涙していました。そして何人ものケアワーカーたちがやってきて山さんに声を掛けてくれていました。
やがて交通渋滞で到着が遅くなった息子さんが到着したのでした。
そこから先は…

人生の卒業式

以前、息子さんを交えたカンファレンスでは、母としての山さんの思い出を語ってくれました。
暴力をふるう父親から身を挺して子どもたちを守ってくれた母親だったそうです。
その山さんも晩年は精神的な疾患と認知症が相まった行動が出て、ご家族も苦労されたそうでした。

 

お見送り、いや「人生の卒業式」が行われました。

生まれ育った糸魚川、楽しくはしゃいだ子ども時代、そして青春時代。
母となり子どもたちを必死に育ててきた日々、子どもたちの独立後はカラオケの先生として地域の人から慕われ、そして発病と共にそれらの人が離れていった、生きているそのものに対しての孤独な闘いの日々…
その山さんの人生の卒業式。

山さんが好きだった美空ひばりの音楽が流れる中、
多くの職員、デイサービスや入居利用者に見送らる中、晩年を過ごした特養を後にしたのでした。

思えば山さんは、その残り少ない命を、身を挺してケアスタッフたちに学びの時間を与えてくれたと言えます。
ケアスタッフたちも正直苦しみました。
しかしその失敗や苦しみの中で少しずつ成長していくのです。きっと。

「山さん、ありがとう。あなたから学んだものは、絶対活かすから。」

ケアスタッフの力強い言葉でした。

人生の卒業式
昨年のお祭りの時に撮影。見つめあう親子の姿です。