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20年経って思うこと
2025.04.30
知覧の空
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知覧の空は、雨雲でした。
一度は訪れておかなければならない場所でした。
特攻隊員の遺書
それは末代まで残る最後の手紙
なので、死にたくないとか、怖いとかの言葉はありません。
ただ、感謝の言葉はあふれています。
そして若くして死んでいった若者たちの写真、写真、写真…
遺書にも書けなかった、彼らの思いはどのようなものだったのだろうか…
今は、平気でSNSで他人を誹謗中傷し、時に死に追いやるような時代
その当事者たちにこそ、誹謗中傷することがいかに情けなく恥ずかしく
かっこ悪いことだということを、この地に足を運んで知ってもらいたい。
以前、認知症状がある方の家を訪問したことがあります。
その男性は、今はちょっとした中小企業の社長だった人でしたが、
若き日は技術工であったためか、太平洋戦争中は整備兵として徴兵されていたのでした。
その方と話をする中で、何度も何度も話されたのが、特攻隊員の話でした。
その方は戦闘機の整備兵として、陸軍知覧飛行場に配属されていたのです。
特攻隊員出撃の地である知覧。
整備兵であった彼は、飛び立っていく若者たちの飛行機に手を振って見送るばかりです。
「何回も何回も、同じ年齢の若い彼らが特攻で飛び立っていくのを見送った。
でも一人として帰ってくるものはいなかった…」
そう話すと、その方は号泣されました。
どのような思いだったのでしょうか。
同じ年齢の若者たちが、国を救うためにと命を投げ出して飛び立っていく。
それを見送るだけの悔しさもあったでしょう。そして本当に帰ってこない悲しさもあったでしょう。
同時に整備兵でよかったという思いもあったかもしれません。
とても複雑な思いだったに違いありません。
だからこそ戦後何十年経っても忘れられぬ光景として、その方の記憶に深く刻まれていたのです。
認知症であっても、忘れられぬ記憶
それは若くして死んでいった者たちへのレクイエムなのかもしれません。
あらためて、多くの若者の命を奪った
「戦争を始めた」者たちのことを問わなければならないでしょう。