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ご挨拶

「ご利用者様やそのご家族、地域のすべての方が、“笑顔で暮らせる時間”を提供できる場所を作りたい」その強い気持ちが由寿会の出発点でした。

1997年から、今この時に至るまで、地域の皆さまと共に歩ませて頂いたこの20数年間、時代・社会・制度は様々な変化を遂げ、私たちもその変化のうねりに対応すべく、事業・施設運営を行ってまいりました。その一方で、私達の仕事の“根っこ”は「一人ひとりの人生を思い、感じ、思いやること」であり、それは常に普遍的だったと考えています。

高齢化社会のさらなる進展や、地域コミュニティの減少、老老介護、独居老人、核家族化、女性の社会進出、待機児童問題、働き方やワークライフバランス、サステイナブルな価値観… 色々な社会問題やライフスタイルの変化が世の中にあふれていますが、一つ一つにはシンプルな解決方法があるはずです。それは、「人が人を助ける」ということです。これは昔から変わらないことです。

車椅子の方でもいける居酒屋・見た目に美味しいソフト食の工夫・みんなが学べる草の根勉強会、等々。変えてはならないことは何か、変えるべきことは何かを見極め、実行し、行動し続けることが、サービスの質向上に繋がる。言うほどに簡単ではない道のりですが、地域に暮らす多くの人との出会いや絆が、私たちのサービス強化、地域の課題解決に繋がる大きな力になってゆくと、信じています。

「何かあったらあそこにいこう」「ここがあって本当に良かった」と、心から感じてもらえる“地域の灯台“でありたい。今後も変わらぬ精神で、法人一丸となって地域を明るく照らしていきたいと思います。

社会福祉法人 由寿会

理事長

由井 直子

chairman

老人福祉への私の思い

創立十周年記念誌より

私は介護を要する高齢者の最後の良い住処を作りたい!心が弱っている人の気持ちを理解してあげられる仕事をしたいと強く願って、法人を設立し運営をして参りました。その強い思いの原点は子供時代にあります。私の父親は自宅で開業していた町医者でした。当時、昭和三十年代には病院はほとんどありません。介護施設なんて皆無でした。短いでしたがそれでも介護を要する高齢者はたくさんおられました。その人たちは行き場がなく、自宅で介護されていました。町医者は何でも診ます。夜中であろうが休日であろうが何かあればみんなが頼って家の呼び鈴を押されるのです。

私は介護を要する高齢者の最後の良い住処を作りたい!心が弱っている人の気持ちを理解してあげられる仕事をしたいと強く願って、法人を設立し運営をして参りました。

その強い思いの原点は子供時代にあります。私の父親は自宅で開業していた町医者でした。当時、昭和三十年代には病院はほとんどありません。介護施設なんて皆無でした。短いでしたがそれでも介護を要する高齢者はたくさんおられました。その人たちは行き場がなく、自宅で介護されていました。町医者は何でも診ます。夜中であろうが休日であろうが何かあればみんなが頼って家の呼び鈴を押されるのです。どんな時間でもどんな日でも父は対応していました。救急病院はありませんから、時間にかかわらず往診します。私はよく鞄持ちで父についていきました。手厚く介護されている方もおられましたが、寒い土間に寝かされ便や尿にまみれた方もたくさんおられました。そんな風に仕事をいとわない父の姿が私の仕事のスタンスの原点です。また、幼かった私の心に焼きついた高齢者、弱った方の姿が、この仕事に取り組もうとした私の原点です。

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こういうことがきっかけで私は医者になりました。大学を卒業してすぐ京都大学耳鼻咽喉科学教室に入局しました。卒業した大学とは違う大変厳しいところで、同期は私以外男性ばかりと言う中で大変貴重な経験をさせてもらいました。今があるのは、ここで仕事のスタンス、厳しさを身につけてもらったおかげであると考えています。

今から二十数年前、父が枚岡病院を開院しました。私はまだ大学の関連病院にいましたが、数年後この病院で耳鼻咽喉科を開設したことが、また今の仕事に関わる大きなきっかけとなりました。

当時、枚岡病院はどんな患者さんでも入院を拒みませんでした。本当にいろんな患者さんがおられました。

急性の病気は治っているのに家族が面倒を見られないと言うことで、家に帰れない方がなんと多いことか。入院したがために筋力が落ち、結果歩けなくなってしまった方がなんと多いか…。高齢医療の現実、今まで家族に、そして社会に貢献してこられたのに、高齢になって家に帰りたくても帰れないなんてなんと悲しいことか。いろんな思いがあっても自分の中にしまいこんで我慢されていると言う事ってどんな気持ちなんだろう…等々言葉にできないくらいたくさんいろんなことを考え学びました。この現場を知ったことが、子供時代の原風景と結びついて高齢介護に関わろうと言う強い思いにつながりました。

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昭和から平成に変わった年に三人目を出産しました。仕事と子育ての両立。思うようにいかない暗闇の子育ての期間中、四十歳になったら絶対に高齢者に関わる仕事をしようと強く心に決めたのです。

介護の必要な高齢者に安心していただく、私の納得できる施設を作ろう、心の弱った方の気持ちに寄り添いたいと言う強い強い気持ちが由寿会の出発です。

私の強い気持ちを知って多額の寄付をしてくれた両親、運営立ち上げに関わってくださったすべての方たちのおかげで、施設開設十周年を迎えることができました。皆様、本当にありがとうございました。

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さて私たちの仕事は、厚生労働省の意向によってころころと考え方、制度、基準、報酬等が変わり、その都度、人材を求め、研修を受け、書類を変え、家族に同意を求め、経営基盤を揺るがされ振り回されます。

私たち法人は国の政策に振り回されないように、しっかりしたものの考え方や見方をして、地に足をつけて、しなやかに法人を運営していかなければならないと考えています。

私たち法人の事業はご利用者様に対する何らかのサービスの提供です。介護であったり、看護であったり、相談であったり、食事の提供であったり、掃除・洗濯であったり、健康管理、医療であったり…学問の進歩に伴う勉強は必要不可欠ですがこれら人に対するサービス提供は気配り・心配り、人を思いやる気持ち、きめ細やかさなどなど、遥か昔から今に至るまで変わらない普遍的なことであると思うのです。

言い換えれば、私たちの仕事は制度がどう変わろうと変わっていてはいけない普遍的な仕事であるといえます。この普遍的な仕事こそ変わらない事柄はどういう事柄なのか、どういう事は変えてはいけないのかをきちんと見極めることが大切で、それが法人の価値=ブランドにつながってくると思うのです。「アーバンケア」の言葉を聞いたときに浮かぶイメージがブランドイメージであると考えます。世間の人が持つイメージこそが会社、法人が永遠に持ち続けていかねばならない「普遍的な過去から未来永劫変わることのないもの」、我々であれば「サービスの質」だと思います。

私たちは大きな目標「東大阪で一番良いサービスを提供する法人」になるために、あり続けるために、持ち続けなくてはならないものは何か。それは職員朝礼の時、全員で唱和している「職員心得」の内容、「法人の理念」、「聞いてください看護婦さん」を読み込んで気づいた心配りの大切さだと思います。これからも「変わらない精神」を意識しながら、法人一丸となって仕事に取り組んでいきたいと思います。

社会福祉法人 由寿会

理事長

由井 直子

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