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「2021年11月」で記事を検索しました。

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2021.11.04

トピックス
耳を澄ませば・実践編 音は意外と気になるものです。 イヤホンで聞く人がノイズキャンセラーを使うのは、 雑音(自分にとって不快な音)が多いからでしょう。 では、自分の身の回りのことの全てが不確かな(認識する機能が弱まっている)状況にある認知症の人には、 周囲の様々な音(もちろん人の声も含みます)はどのように感じているのでしょうか? あくまでも模擬的な体感になりますが、普段真剣に考えることのない音について 考えてみましょう。 🙉 聞か猿ではありません 【実践条件】 *「耳を澄ませば実践者」は、ケアの現場のどこかの場所(できれば利用者が普段いる場所)に座ります。 *「耳を澄ませば実践者」は、基本目をつぶります。目隠ししたほうが実験を周囲の人に理解しやすいと思いますが、危険察知に備えてすぐに外せるようにしておきます。 *実践時間は何時でも構いませんが、認知症の人が落ち着かなくなる時間帯、職員が動き回っている時間帯など、この時の「音」について確認したい時間帯を選びます。 *1回10分程度(もう少し短くてもよい)で行います。 *「耳を澄ませば実践者」は壁と同じ存在になりますので、業務にもかかわりませんし、利用者のケアにも関わりません(危険を察知した場合はのぞく) *「耳を澄ませば実践者」の大変なところは、もちろん「聴く」ことに集中することですが、「感じたことを記憶する」という作業があります。 *記憶したものは、下記書式にまとめます。 聞き耳を立て、親やグループの情報を集めています。   何人かで行うのが良いでしょう。 そして心地よい音と、そうでない音を自覚し、ケアの改善に繋げてもらえればいいでしょう。   (写真は石川撮影分です。箕面の猿ではありません)
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2021.11.02

トピックス
耳を澄ませば… 私たちは耳を澄まして聞くと言うことをどれだけやっているでしょうか? 静かな所に行けば、聞こえてくるのは耳鳴りだけっていう人もいるかもしれません。 でも一度自然の中で耳を澄ませてみれば、様々な大地の息吹(生命体の声も含む)が聴こえてきます。 私は人の少ない大自然の山の中に行くのが好きなのですが、これは先日撮影した写真。 この場所で聴こえてきたものは、 木々の中を通り過ぎる風の音、雪の囁き、鳥の囀り、森たちの呟き(木と木が触れ合う音)、 波の囁き、遠くから聞こえる鹿の鳴き声、そして登山者の話し声… 耳鳴りのする私の耳ですが、ここでは影を潜めています。 耳を澄ませば色々な音があることが伝わってきます。 都会でもじっと聞いていれば、様々な音に溢れていることがわかります。 あべのハルカスからも、こっちを見ている人がいたのでしょうね。 では場所を変えて。 一度施設のどこかのフロアで、じっと耳を澄ませて聴こえてくるものを分析してみてはどうでしょうか。 当たり前のように溢れている音が、(人の声も当然)実はとても不快なもの、あるいはその逆もあるかもしれません。 認知症の人の場合、特に認識力が落ちてしまいます。 私たちが理解できた音でも、本人にとってはとても不快な(理解できない音や声)音かもしれません。 例えば台車を転がす音が理解できなければ、それは不安につながる音かもしれないのです。 当たり前のように流れている時間、そして当たり前のように溢れるくらい多い様々な音 一度立ち止って、耳を澄ませてみてください。 目をつぶって耳を澄ませば、もしかしたら不安になる音ばかりかもしれませんよ。 どのような音や声が心落ち着くのか、そうでない音なのか、何かを感じてみてください。
ブログ投稿画像 音は意外と気になるものです。 イヤホンで聞く人がノイズキャンセラーを使うのは、 雑音(自分にとって不快な音)が多いからでしょう。 では、自分の身の回りのことの全てが不確かな(認識する機能が弱まっている)状況にある認知症の人には、 周囲の様々な音(もちろん人の声も含みます)はどのように感じているのでしょうか? あくまでも模擬的な体感になりますが、普段真剣に考えることのない音について 考えてみましょう。 [caption id="attachment_3243" align="alignnone" width="1024"] 🙉 聞か猿ではありません[/caption] 【実践条件】 *「耳を澄ませば実践者」は、ケアの現場のどこかの場所(できれば利用者が普段いる場所)に座ります。 *「耳を澄ませば実践者」は、基本目をつぶります。目隠ししたほうが実験を周囲の人に理解しやすいと思いますが、危険察知に備えてすぐに外せるようにしておきます。 *実践時間は何時でも構いませんが、認知症の人が落ち着かなくなる時間帯、職員が動き回っている時間帯など、この時の「音」について確認したい時間帯を選びます。 *1回10分程度(もう少し短くてもよい)で行います。 *「耳を澄ませば実践者」は壁と同じ存在になりますので、業務にもかかわりませんし、利用者のケアにも関わりません(危険を察知した場合はのぞく) *「耳を澄ませば実践者」の大変なところは、もちろん「聴く」ことに集中することですが、「感じたことを記憶する」という作業があります。 *記憶したものは、下記書式にまとめます。 [caption id="attachment_3241" align="alignnone" width="1024"] 聞き耳を立て、親やグループの情報を集めています。[/caption]   何人かで行うのが良いでしょう。 そして心地よい音と、そうでない音を自覚し、ケアの改善に繋げてもらえればいいでしょう。   (写真は石川撮影分です。箕面の猿ではありません)
ブログ投稿画像 私たちは耳を澄まして聞くと言うことをどれだけやっているでしょうか? 静かな所に行けば、聞こえてくるのは耳鳴りだけっていう人もいるかもしれません。 でも一度自然の中で耳を澄ませてみれば、様々な大地の息吹(生命体の声も含む)が聴こえてきます。 私は人の少ない大自然の山の中に行くのが好きなのですが、これは先日撮影した写真。 この場所で聴こえてきたものは、 木々の中を通り過ぎる風の音、雪の囁き、鳥の囀り、森たちの呟き(木と木が触れ合う音)、 波の囁き、遠くから聞こえる鹿の鳴き声、そして登山者の話し声… 耳鳴りのする私の耳ですが、ここでは影を潜めています。 耳を澄ませば色々な音があることが伝わってきます。 都会でもじっと聞いていれば、様々な音に溢れていることがわかります。 [caption id="attachment_2035" align="alignnone" width="650"] あべのハルカスからも、こっちを見ている人がいたのでしょうね。[/caption] では場所を変えて。 一度施設のどこかのフロアで、じっと耳を澄ませて聴こえてくるものを分析してみてはどうでしょうか。 当たり前のように溢れている音が、(人の声も当然)実はとても不快なもの、あるいはその逆もあるかもしれません。 認知症の人の場合、特に認識力が落ちてしまいます。 私たちが理解できた音でも、本人にとってはとても不快な(理解できない音や声)音かもしれません。 例えば台車を転がす音が理解できなければ、それは不安につながる音かもしれないのです。 当たり前のように流れている時間、そして当たり前のように溢れるくらい多い様々な音 一度立ち止って、耳を澄ませてみてください。 目をつぶって耳を澄ませば、もしかしたら不安になる音ばかりかもしれませんよ。 どのような音や声が心落ち着くのか、そうでない音なのか、何かを感じてみてください。